違う世界で不思議な体質になった私は竜族の彼と結婚しました。
昨夜一人寂しく三十五歳の誕生日を迎えた私は、自棄っ腹で深酒して寝坊、二日酔いで痛む頭を押さえながら慌ててアパートの階段を駆け下り、残り三段のところで足を踏み外した。
普通なら腰や臀部を強打とか足を捻挫や骨折とか打撲擦り傷の痛みでホントツイてないと舌打ちしながら、念のためタクシー呼んで病院に行くか、そのまま会社に行くかで悩むはずだった。
それがどうだ。
今私は大自然にただ一人座り込んでいる。
ここはアマゾンですと言われたら信じてしまうくらいの深い森。
雨上がりみたいな湿度。
むわっとした木の匂い。
遠くに聞こえる動物の声。
パンツスーツにパンプスという出で立ちの違和感が半端ない。
もしかして私は死んだんだろうか?
ここは死後の世界?
それとも頭の打ち所が悪く意識不明の重体になって、病室で夢を見ている?
手に触れる草の感触がリアルなのは明晰夢だから?
試しに近くの草を引き抜こうとすると、見た目よりも鋭かった葉で手が切れる。
ピリピリと痺れだす手にヤバイと手を引っ込めるも時既に遅し。
回る視界、酷い吐き気、瞬く間に全身が硬直していく。
顔は脂汗と鼻水で酷いことになっているだろう。
これ、毒草だった?
私死ぬの?
ガサッと草木を掻き分ける音。
ハッハッハッと荒い呼吸と近づいてくる複数の足音。
鼻先?で背中をつつかれる。
霞む視界に映る四つ足の獣。
犬?
狼?
私食べられるの?
生きたまま?
再びガサガサッと草木を掻き分ける音。
先程よりも重い足音が近づいてくる。
ぼんやりした大中小の三つの影。
人、だよね?
じゃあこの犬たちは救助犬?
助けに来てくれたの?
「──おっ、今日は大物じゃねーか!」
「……こんなところに人族の女?捨てられたか、それとも何かの罠か?」
「あ、こいつ痺れ草で麻痺ってる~」
「通りで動かねーわけだ。おい、今のうちにとっとと運ぶぞ。いや、先に血抜きしとくか?」
「……ちょっと待て。人族の女にしては格好が変だ。それにこの妙な臭い。新種の毒や呪いの可能性がある。やはり罠かもしれない」
「罠?触ったら不味かった?くーちゃんの鼻が腐り落ちたりする?」
「ちっ、奴等ならあり得るな。仕方ねぇ捨て置くぞ。トロ、念のためくーを群から離せ。治療も村の外でする。ドゥもいいな?」
「ああ。俺も同意見だ」
「くーちゃん、ごめんな?ちょっとだけ辛抱してくれ」
「あー、くそっ!オークに売ればそこそこ金になったのに。ツイてねーぜ!」
「わざわざ危険を冒す必要はない。それに顔を見てみろ、結構年がいってる。子どもを産めないから捨てられたのかもしれない」
「……アン、ドゥ、こいつ殺しちゃ駄目なのか?」
「止めとけ。下手に手を出して呪いなんか受けたらどうする」
「そうだ。俺達が手を汚す必要はない。大体人族がこの森で生き延びられるとは思えない。遠くないうちに餓死するか獣に喰われるだろ」
「……わかった」
「んじゃ、帰るぞ」
遠ざかる足音。
未だに痺れが取れない体で必死に考える。
三人組の名前はアン・ドゥ・トロ。
犬の一匹がくーちゃん。
私を人族と言っていた。
私が引き抜こうとした草は痺れ草。
シトラス系の香水を妙な匂いと言っていた?
呪いを信じる風習。
血抜きと言っていた事から人食いの習慣がある?
おーくに売るのおーくとは?
オークション?
人身売買業者の一種?
日本語を話していたということは、ここは日本のどこかで彼等はサバイバルゲームのプレイヤー?
分からない。
さっぱり分からない。
私はここで死ぬの?
獣に喰われるの?
それとも餓死するの?
嫌だ。
嫌だ。
死にたくない。
これは現実じゃないよね?
明晰夢なんだよね?
どうしてまだ目が覚めないの?
早く現実に戻してよ。
嫌だ。
ここが現実なんて嫌だ。
起きて。
目を覚まして。
こんな最期は嫌だよ。
ここで死んだら私の人生なんだったの?
三十五年間彼氏なし。
有給休暇は取れず残業代も出ない会社。
親兄弟とは縁切り同然。
趣味は一人カラオケと家飲み。
何のために生きてきたの?
突風でザワザワと木々が揺れる。
息が苦しい。
目が見えない。
真っ暗闇に一人きり。
ああ、私はここで死ぬんだ。
叶うならイケメンに看取られらたかった。
ううん、イケメンと結婚したかった。
ラブラブな生活を送りたかった。
それももう夢のまた夢。
……空しい人生だったな。
──あれ?
私、生きてる?
え?
どういうこと?
時間経過で解毒されたの?
長時間同じ姿勢だったせいか全身が凝り固まっているけど五体満足、麻痺もない。
ちゃんと目も見える。
「──ここ、どこ?」
先程いた森の中とは一変、枯れ木やら何やらが散乱する切り立った崖の中腹に私は寝転んでいた。
周囲を見渡すが足場となるようなものはない。
どうやって此処に運んだのだろう?
それはそうと──
「……これ、卵だよね?」
上は一メートルから下は三十センチくらいの色や形が微妙に違う卵が五つ。
並んでいるというよりは点在している感じ。
ここは巣なんだろうか?
こんな大きな卵を産む親って一体……。
恐る恐る触ってみると温められていないのか全てひんやりしている。
もしかして温め放棄されたのかな?
高所から見える景色に、私はようやく此処が日本、いや、地球ではない可能性に思い至った。
だって豚が空飛んでるもん。
背中にヒヨコみたいな羽を持つ豚なんて見たことも聞いたこともない。
遠目でも厳つい顔をしてるので愛らしさの欠片もないし。
幸い低空を飛んでるので此方には気付いていない。
あ、木が薙ぎ倒れていく。
頭に三本の角を持つ熊っぽいのVS舌の長い猿っぽいのか。
見掛けだけなら熊っぽいのが強そうだけど搦め手というか舌技?で猿っぽいのが優勢。
というか大き過ぎない?
どちらも推定三メートルは軽くある。
他にも丸い風船みたいな鳥、全身トゲトゲの大蛇、目がやたらデカイ昆虫等々新種の宝庫だ。
何れともお近づきになりたくない。
でも此処から降りないとどうにもならないよね。
どうやって降りよう?
スーツの上着をパラシュートの傘みたいにして飛び降りる?
命綱なしで崖の上までロッククライミング?
……成功するビジョンが見えないな。
身に付けているのはパンツスーツ、パンプス、ブラウス、下着。
持ち物はハンカチ、メモ帳、ボールペン。
階段を踏み外した時に手放したのか、スマホや鞄は見当たらない。
衣類を数珠つなぎにしても崖下には届かない。
足場となるような出っ張りもない。
起死回生となる閃きを思い付くほどの頭もない。
一か八か飛び降りる無謀な勇気もない。
さて、どうしよう?
ピヨピヨ!
ピューヒョロロ!
ケェケェエ!
ブォーボォー!
グェッグェッ!
この世界の鳥は種類関係なく共同で子育てするらしい。
可愛らしいのからぶっさいくまで五匹の雛が私の体を我先にと啄む。
あ、そろそろかな……。
────。
はい、これで十六回目の復活。
一撃で殺されないのもしんどいし、生き返る度に大きくなっている雛も恐ろしい。
なぜこんなに落ち着いているかというと慣れというか九回目から痛みを感じなくなったから。
あの後帰ってきた親鳥達に頭を突き殺されて死んだ。
痛みを感じる間もなく死ねたのは幸いだったけど、まさか生き返るとは思わなかったなぁ。
生き返ってもすぐに気付かれて、つつき回されたあげく喰い殺されたけどね。
三回目は親鳥がいなかったけど運悪く卵が一斉に孵化し、雛達に腸えぐり出されて死んだ。
もうね、痛いのなんの。
あまりの辛さに発狂したわ。
でもまた生き返ったんだよね。
倦怠感はあるものの五体満足、精神状態も良好。
あれだけ死にたい、もう嫌だって思ったのに。
喉元過ぎれば熱さ忘れるってやつ?
それからは生き返っては食べられるの繰り返し。
十六回も生き返れば何となく分かることも出てきた。
一つ、復活までタイムラグがある。
二つ、身に付けているものは復活したとき元通りになる。
三つ、私は美味しいらしい。
一つ目は多分だけど、私が胃で消化されて排泄されるまでの時間がズレになっているんだと思う。
二つ目は復活したとき身に付けている衣服やスーツのポケットのハンカチは汚れや解れもないけど、脱げたパンプスや襲われたときに落としたメモ帳とボールペンは見るも無惨な状態。
三つ目は生き返るや否や他に餌があるにもかかわらず我先にと食らい付いてくるから。
一番の不思議は生き返ることだけど、痛覚のオンオフが出来るようになったことも不思議。
それと生きたまま食べられてるのに、それほど恐くなくなったのも不思議。
痛みはなくても腸が引きずり出される感覚とかはあるからね。
今では発狂してた頃が懐かしくなるくらい冷静。
原形をほぼとどめていない雛達の餌を見ても吐かなくなったし。
まあ吐く前に自分が食べられるからかもしれないけど。
でもこれいつまで続くんだろ。
生き返るとはいえ毎回成す術なく殺されるのにも飽きてきた。
というか生き返るなら崖からダイブすれば良くない?
それとも自殺は生き返れないのかな?
食べられてる最中に転げ落ちればセーフ?
うーん、どうしよう?
現在親鳥達はお出掛け中。
巣立ち間近だろう雛達もお昼寝中。
ぶっちゃけ今がチャンスなんだよね。
行っちゃう?
紐なしバンジー、あるいはダイナミック飛び降り自殺。
自死すれば元の世界に帰れるかもしれない。
待ってるだけじゃ物事は動かない。
変えるなら回りではなくまず自分から。
アイ!キャン!フラ~イ!
「──こりゃ駄目だなぁ。もう食うところがねぇ」
「美味しいし無くならないし便利な餌だったのにねぇ。ま、仕方ないさね。季節的にそろそろ奴等が帰ってくるし此処もウチらが長々居座れる場所でもない。潮時だ、引き揚げるよ。ほら、最後のご馳走だ。さっさとお食べ」
「何言ってんだ。これから山越えだぞ?おっかあこそ食べろ」
「そういう生意気言うのは嫁さ貰ってから言え。女どもも今のあんたにゃ見向きもせんだろ。あーあー、早いとこその貧相な体を鍛えて強くなって欲しいもんだねぇ。孫の顔はいつ見せてくれるんだい?そのうちそのうちって……」
「あーあー!わかった!わかった!おらが食う!……ったく、おっかあには敵わねぇなぁ。んじゃ、遠慮なく──」
すぐ近くで会話する男女。
ええと、確か崖から飛び降りて、それから……?
何だろう視界がぼやけてよく見えない。
体も何か変な感じ。
私どうなったんだろ?
ズキンッ。
全身に走る激痛。
豪快な咀嚼音。
オフ!
痛覚オフ!
あー、危なかった。
痛みで死ぬところだった。
いや、結局死ぬんだけど、同じ死ぬなら痛くない方がいい。
ゴクリという嚥下音。
細切れ肉になった体が喉の奥に飲み込まれていく。
──あれ?
おかしいな?
丸飲みされて、全身バリボリと咀嚼されて、喉を通って胃の中に到着。
既に私という原形を留めていないはずなのに何故か意識がある。
幸い真っ暗で臭いもないし適温に保たれてていい感じだけど、行き着く先は排泄だよね?
えー、意識あるのはキツイなぁ。
「……うん、たまにはじっくり味わってみるのも良いもんだな。おっかあ、荷物貸せ。おらが持つ」
「そうかい?じゃあ任せようかねぇ」
あ、会話が聞こえる。
暇潰しには良いけど、やっぱり暇だなぁ。
そうだ。
いい感じのところで排泄を促して逃亡とか出来ないかな?
よーし、頑張ってみますか。
「……お前、捨てられたのか?」
間近で聞こえる男の声。
頬をつつかれる感触。
やったー!
ついに人が、いや、人じゃないかもしれないけど、誰か来たー!
え?
あれからどうなったって?
一週間後、森の中の草影にひっそりウ○コとして産み落とされたよ。
意識が戻ってすぐ体は動かせるようになったんだけど、何とびっくり、自由の身とは程遠い、ハイハイすら出来ない真っ裸の赤ん坊になってました。
でもよくよく思い返してみると、あの母子のやりとりの時から既に赤ん坊だったような気もする。
だっていくら口が大きいとはいえ三十五歳の私を丸飲みには出来ないでしょ。
ということは気付いていなかっただけで、実は復活する度に若返っていたのかもしれない。
一回死ぬごとに一年とか半年とか。
そりゃ十や二十死んだくらいでは気付けないわ。
だって高校時代から体格変わってないもん。
それと、一つ重要なことが判明。
ウ○コの状態から復活する際、どういう理屈か分からないけど身綺麗な状態になるみたい。
これは地味にありがたい。
汚物まみれとか泣きっ面に蜂だからね。
粗方自分の状態を確かめたあと、頑張れば寝返りが打てるとわかったので、思いきって草影から転がり出たらトゲトゲの大蛇とこんにちは。
あっという間もなく噛みつかれたよ。
このまま丸飲みされるのかな?と思ったらいきなり風船みたいな鳥が飛んできて爆発。
そう、自爆したの。
大蛇はしぶとく生きてたけど、大蛇の影にいて爆発から生き延びた私を押し潰して逃げた。
同じ場所で再び赤ん坊として復活。
どうやら赤ん坊より小さくはならない模様。
ガリッガリだけどね。
そして草影で思案してたら目がでかい昆虫の群れに追いかけられてた羽豚に押し潰されて死亡。
何で地面走ってんの!?
その羽使って飛べよ!ってキレたね。
その次は餓死。
いくら熱帯雨林が広がってようと赤ちゃんの身で食べられるものがそうそう有るはずがなかった。
試しに木の実を口に入れたけど無駄だったし。
その次は必死で転がりまくった先が運よく小川だったけど道中に負った傷が元で死亡。
その次は復活してすぐ小川に落ちて溺死。
その次と次は水分補給したあとそれぞれ別の方角に転がったけど奮起虚しく餓死。
その次は何かの獣に食べられて死亡。
その後やたら暑い場所で復活するも脱水症状で死亡。
そして現在まで復活と死亡を繰り返した。
何回死んだかカウント取るの止めたくらいね。
それくらい誰も来なかった。
つまりこの出会いは千載一遇のチャンス!
顔が見えないのは残念だけど、声は文句なしにイケメン!
シルエット的にも太っちょさんではないし、髪の毛はあった方がいいけどこの際我が儘は言わない!
というか此処から連れ出してくれるなら何でもいい!
「ほぎゃ!(こんにちは!)」
「……意外と元気だな」
今朝がた復活したばかりだからね!
「お前、俺と一緒に「ほぎゃ!!(行く!!)」来る「ほぎゃ!!(行きます!!)」か?」
もう必死よ。
置いていかれたら次はいつになるかわからない。
「……来るのか?」
「ほぎゃ!(はい!)」
「来ない?」
「…………」
「来る?」
「ほぎゃ!!(行きます!!)」
「お前言葉がわかるのか。人族のくせに頭は良さそうだな。よし、一緒に連れていってやる」
「ほぎゃあ!!(ありがとうございます!!)」
あれから十六年。
私は今も恩人、もとい恩竜?の彼と一緒にいる。
そう、私を拾ってくれた男は何と人に化けた竜だったのだ。
竜と言えばこの世界の最強生物で、あらゆる種族の頂点に君臨する存在らしい。
まあ実際に竜の姿を見たわけではなく本人、もとい本竜?の自己申告だけだから真偽のほどはわからない。
分かりやすく爬虫類っぽい瞳とか爪とか肌とかしてたら竜族だって信じられるんだけど、残念ながらカットモデルにいそうな二十歳半ばのそこそこイケてるお兄さんにしか見えないし、長く旅をしていればボロが出そうなものなのにそういうのも一切ない。
一応、竜族は同族と伴侶にしか本来の姿を見せないものだと聞いているけど、既に二回竜化している竜族と遭遇しているので信憑性は薄い。
まあ、ぶっちゃけ彼が何族かなんてどうでもいいんだけどね。
だって私からすれば周り全員異種族だし。
それよりも私の中の人年齢が還暦迎えてそうなことの方が問題。
今の私は見た目は子ども、頭脳は老人。
ボケて迷惑かけるようになったらどうしよう。
流石に彼に面倒を見てもらうわけにもいかないし、この世界に老人ホームってあるのかな?
「おじさん、林檎二つください」
「もう一つどうだい?三つで銅貨一枚」
「じゃ、それで。甘いの選んでね」
「はい、まいど!」
この町に来て一週間。
相棒もとい保護者の彼がダンジョンやら何やらで獲物を狩ったりお金を稼いでる間、私は簡易風呂とトイレ付きの宿でお留守番。
六年前に冒険者登録はしたものの、これまで戦闘経験は一切なく、単なる身分証と化している。
ちなみに赤ん坊時代は中身が腐らない水筒に特製ミルク満タン&排泄したくなったら魔法で処理してくれる腕輪が大活躍。
三歳くらいまでは日帰りが主だったしね。
初めて腕輪のお世話になったときは色んな意味で泣いた。
ありがとう魔法。
本当にありがとう。
最初は彼一人で大丈夫か心配してたけど、時を経るごとに彼の規格外な部分が明らかになり、心配するだけ無駄と結論付けた。
だって痺れ草をおやつ代わりに食べるし、飛んでる羽豚を大ジャンプして踵落としで仕留めるし、トゲトゲの大蛇の皮を素手で剥ぐし、間近で爆弾鳥が爆発しても無傷だし、近道だからとドラゴンの住み処を突っ切って行くし、何度注意しても帰ってきたら私が着替え中でもトイレ中でもお風呂中でもお構い無しにドアを開け放ってただいまを言ってくるし、それで私がビンタしても股間を蹴りあげても顔色一つ変えないのだ。
そのくせ旅の道中やたら悪路を気にしたり、パンの固さを気にしたり、髪の毛を結う紐の色で悩んだりする。
まあ何だかんだで楽しい彼との生活。
色々問題児だけど一緒にいると安心感が半端ない。
彼が居たら何があっても大丈夫と思ってしまうくらい信頼している。
ちなみに彼が私を拾ったのは面白そうだから。
此方の言葉を理解し、自己主張をする赤ん坊なんて見たことがない、退屈を紛らわすには良いかもしれない。
そんな理由で私を拾った彼は成人の儀を終えていないにもかかわらず、退屈だからと故郷を飛び出したという超問題児。
成人の儀は命名式のようなもの。
この世界では種族を問わず名前を大切にしていて、責任やら何やらを負えるようになるまでファーストネームがないのだ。
それまでは、おい、そこの、ぼくちゃん、おじょうちゃん、~の息子or娘と呼ばれるらしい。
ちなみに彼のファミリーネームはカレ。
甘い林檎が好きな彼。
私が手持無沙汰に編んだ組紐を毎日付けてくれる彼。
ドアを壊しすぎて日曜大工が得意になった彼。
時々綺麗な花を摘んできてくれる彼。
たまに宿のキッチンを借りて手料理でもてなすと分かりやすくテンションが上がる彼。
でもハンバーグに野菜を混ぜたらテンションが下がる彼。
野菜好きなのにダメらしい。
ああ、あとどのくらい一緒に居られるんだろう?
私は違う世界の人間で、何故か生き返ったり痛覚切ったり出来るけど、びっくり種族ばかりのこの世界じゃそんな特技もきっと大したことない。
見た目も単に若返っただけの普通の女。
つまり面白味の欠片もない。
成人してないとはいえ彼の年齢ならそろそろ結婚を考える時期だろう。
いい人が出来てもコブ付きじゃ上手くいくものも上手くいかない。
冒険者になってから毎月貰えるお小遣いはきっと私が一人立ちするための資金。
結構な額になったから、いつ別離を切り出されてもおかしくない。
ああ、林檎が甘い。
このままずっと一緒に居たいと願ってしまう私のように甘い。
林檎は良いな。
焼き林檎。
アップルパイ。
ジャム。
いつだって彼の味覚を楽しませて飽きられることがない。
私とは大違いだ──。
ドドーンッ!!
突然の爆音。
バラバラと木や石や破片が降ってくる。
え?
何?
何が起きたの?
ズシーン、ズシーンと重低音とともに地面が揺れる。
何かが近づいて来ている?
「──逃げろ!!ドラゴンだー!!ドラゴンが来たぞー!!」
門番のおじさんが息を切らせドラゴン襲来を触れ回る。
住民達は各家の地下室へ逃げ込み、命知らずな冒険者達は我先にと音のする方へ走っていく。
あ、ちなみに竜とドラゴンは別物ね。
ドラゴンは自然発生する魔物なの。
破壊の化身で、見た目は竜族が竜化した姿とほとんど同じだから、ある程度の目利きがないと区別が難しい。
ドラゴンを倒したら一気にSランク。
最強生物は歩く金塊、宝箱。
鱗の一枚でもかなりの高額で取り引きされる。
彼らの気持ちは分からなくもないけど、おこぼれ狙いで命を落としたら意味ないんじゃないかなぁ。
スタコラサッサと宿屋に走る。
心配性な彼が結界を張ってくれているあそこなら下手に逃げるより安全だろう。
たどり着けたら、だけど。
少しずつ近づいてくる足音。
……まさか私を追ってきてたりしないよね?
後ろをチラ見すると見覚えのある焦げ茶色。
え、もしかしてあの時の子竜の親!?
つい先月、この町まで山二つ辺りで野宿することになったんだけど、寝床に良さそうな洞穴を探しに行った彼が何故か地竜の子(多分女の子)を引っかけて帰ってきた。
三メートル近い大きさの子竜にグルゥと甘い声で求愛されながらも、しっかり寝床の洞穴を確保して夜営の準備をする彼を頼もしく思うべきか、また厄介ごとを持ち込んできたわと呆れるべきかで悩んでいたら、私に気づいた子竜に鼻息で吹き飛ばされた。
岩にぶつかる前にいつもの超反射神経で彼が助けてくれたんだけど、問題はその後。
何を思ったのか、彼が突然子竜の尻尾を掴んで空の彼方に大暴投したのだ。
私はただ切なげな声が遠ざかっていくのを呆然と見送った。
色や形や大きさからしてあの子竜の親。
つまりドラゴンではなく竜化した竜族だ。
私に狙いを定める理由は何?
逆恨み?
やり返すなら彼にすればいいと思う!
というか早く帰って来てー!
ガチンッ!
凶悪な噛みつき音。
も、もしかして食べようとしてらっしゃる?
えー!
ちょっと待って!
久しぶり過ぎて心の準備が──
「──食ったのか?」
あ。
彼の声だ。
目を開けても真っ暗空間。
あー、久しぶりの胃の中か。
どのくらいで排泄されるんだろ?
何となく竜って消化悪そうなイメージがある。
ん?
何?
何か揺れてない?
地震?
「覚悟出来てんだろうな?」
あれ?
もしかして戦ってる?
滅茶苦茶揺れてるのは彼が地竜を蹴り飛ばしてるから?
え、ちょっと待って。
今すごい重大なことに気づいた。
私を食べた相手が私を排泄する前に死んだらどうなるの?
復活出来るの?
それとも共倒れ?
『カレさん!ちょっと待って!ストップ!攻撃止めて!』
「──?気のせいか?」
『気のせいじゃない!カレさん!攻撃ストップ!ストーップ!』
「──お前生きてるのか!?ちょっと待ってろ!今、腹かっさばい『ダメ!この竜を殺したら多分私も死ぬから!』──どういうことだ?」
『こうやって話せてるけど、肉体的にはもう死んでるの!でもこの竜が胃の中の私を消化して排泄すれば復活出来るの!そういう体質なの!だから攻撃しないで!』
「消化?排泄?──こいつに下剤飲ませれば出てくるのか?」
『ダメ!中途半端に排泄されたら不完全に復活したり生き返れないかもしれない!自然排泄されるまで待って!』
「──わかった」
ふぅ。
これで一安心。
でもまさか声が出せるとは思わなかった。
しかも外まで聞こえるとは。
あれ?
また揺れてる?
『もしもーし!カレさん、揺れてますけど、今どんな感じですか?』
「虫が煩いから移動中だ」
『了解です』
彼の声は聞こえるのに地竜の声は聞こえない。
気絶したのを引きずってるんだろうか?
まあいっか。
今の私に出来るのは待つだけ。
──早く会いたいなぁ。
────。
ん~復活!
久しぶりのお日さまだー!
「起きたのか?」
「うん、おはよう。レクタン」
「復活早々悪いがチビ達が里帰り中だ。揃いも揃ってお前の顔を見るまで帰らないと居座ってやがる」
「そうなの?じゃあご飯作らなきゃ。材料はある?」
「……なぁ、あんまり甘やかすなよ?巣立ったってのに、あいつらいつまで経っても親離れしない」
「まあまあ、良いじゃない。今日はレクタンの好きなハンバーグ作るから」
「野菜は抜きだぞ?」
「わかってる」
私が地竜に食べられてから約二百年。
あれから色々あった。
安全で静かな場所を求め、半殺しにした地竜とともに故郷に帰った彼は、そのまま成人の儀を受けてレクタンという名前を授けられた。
それから一月後、野菜をたんまり食べさせられた地竜が私を排泄し、レクタンの巣で目覚めた私は彼が本当に竜族だったことを知った。
翼が立派な赤い竜から彼の声が聞こえたときは腰を抜かしたよ。
それから様子を見に来た彼のご家族と親戚の皆さんとご挨拶し、何故か成人の儀を受けることに。
名前の要望はあるか聞かれたので、前世の名前の凛子と言おうとしたら、レクタンが乱入して来て私をヨメにする宣言し、それを勘違いした長老─レクタンのお祖父さん─が、誤解を解く前に私にヨメという名前を授けてしまった。
一回授かった名前は取り消せないので、ヨメという名前になった私は、成人の儀の後レクタンと結婚式を挙げて、晴れて彼の嫁になった。
初夜でテンションの上がったレクタンが竜化して瀕死になった挙げ句、食べたら元通りになるんだよな?と丸飲みされるアクシデントはあったけど、色んな困難を乗り越え、三人─息子が二人、娘が一人─の子持ちになった私。
初産で三つ子─卵生じゃなかった─だったの。
今の肉体年齢は二十歳前後。
脳年齢は恐ろしいことになってるはずだけど、今のところ呆けとは無縁。
ありがたいことです。
当初は彼のご家族をはじめ、里の方達に滅茶苦茶心配された。
竜族は伴侶が死んだら後を追うくらい愛情深い種族で、長命と言うよりむしろ不老不死の域に達する竜族が、寿命が百年程度の人族と結ばれるのは、肉体的にはともかく、精神的に難しいと思われていたのだ。
と言うのも、竜の秘術を用いれば、肉体は不老に近い状態に出来るけど、精神はどうにも出来ないらしく、どれだけ手を尽くしても、百年足らずで自殺したり、発狂したり……まあ色々耐えきれなくなるらしい。
私の場合、秘術を使わなくても、復活すれば肉体的にも精神的にもリフレッシュされるみたいなので、端から見ると猟奇的かもしれないけど、定期的にレクタンに食べられている。
子ども達にも食べたいと言われたけど、ヨメに手を出すやつは子どもでも許さん!と怒り狂ったレクタンが半殺しにして以来、言わなくなった。
種族的な強さから、半ば放任気味の子育てをする竜族。
それを知らず、掛かりきりで子育てしたため親離れがとても遅かった。
そろそろ成人の儀を受けたら?と言ったら、まだまだ子どもだから無理と口を揃えて嫌がるし、羽を広げてゆっくり寝たいでしょ?と言ったら、新しい巣を作るのは面倒くさい、お母さんのご飯が食べたいと駄々をこねる。
結局最後はレクタンがキレて追い出したんだけど、事あるごとに帰ってくるから拗ねている。
よし、レクタンのハンバーグは子ども達のより少し大きめにしよう。
何だかんだ仲のいい父子の鬩ぎ合う声をBGMに料理開始。
突然不思議な世界に飛ばされて、不思議な体質になったけど、好きな相手と結婚出来たし、可愛い子ども達にも恵まれて、私は幸せだなぁと思うのです。