1話 日常と変化
遅れてすみませんでした…本当に。
<B.A.0123/5/7/0730>
「もしこの世界が、何者かによって創られた偽りのものであるとしたら、あなたはどうしますか?」
つい先程出逢ったばかりの少女が、唐突に俺に問いかけた。
「っ——」
あまりにも非現実的な質問をされ、俺は一瞬の間逡巡する。
「そんな世界、俺には必要ない。もしこの世界がそうなんだとしたら、そんな物、俺が風穴を開けてやる」
無意識のうちに、俺はこう答えていた。
こうして、『反逆者』達は産声を上げる。
時は遡る事、およそ十分前——
その時、ごく普通の男子高校生である俺・芹澤刹那は、親友であると同時にクラスメイトでもある、新谷柊二郎と一緒に国立高校の聖陵学園へと通学していた。つい一ヶ月ほど前に祖母の勧めで茨城県から東京都に引っ越してきたばかりだが、もう友達が出来たというのは俺にとって非常に嬉しい事だった。
俺は物心ついた頃から祖母に育てられてきた。両親は俺が小学校に上がる前に二人とも他界してしまったと祖母から聞かされた事がある。
俺が高校生になると同時に、祖母は進学先の学校があるこの地、東京都九十九区聖陵への引っ越しを勧めてきた。その際に引っ越し先として指定したのが今の俺の家があるアパートだったのだが、祖母の知り合いが経営しているというだけあって、家賃は安い上に環境が良く、大家さんも気さくに接してくれているので何一つ不自由はない。
ここ九十九区は二十年くらい前に東京都全域を対象とした大規模な区画整理によってできた巨大都市で、その中でもここ聖陵は特に高層建築物の密度が高い。また、『科学都市・聖陵』のスローガンの下に発展してきたというのもあるのか、そのビルはほとんどがベンチャー企業の本社だったり、また国営の研究機関の研究所や実験施設などもあったりする。
「——ツナ、おい、セツナ」
「あ、ああ、ごめん。考え事してた。」
柊二郎——シュウの声で、俺は我に返る。
「アレか、もうすぐ期末だからキリキリしてんのか、お前。」
「いや、そんな事は無いんだけど…」
俺はテスト前になっても、基本的には普段通りのペースを崩さず勉強するようにしているのだが、「毎年恒例のテスト前三徹特攻だッ‼︎」とか最近言い始めた隣のヤツはどうやらテストが迫ると必ず情緒不安定になるようで、俺とは大分違う人種らしいという事が分かってきたところだ。
そうこうしているうちに、俺たちは間も無く家から最寄りのバス停に到着した。
しかし、ポケットを探った俺は、自分が痛恨のミスをしでかしていたことに気がついた。
「どうした?」
俺の異変に気付いたシュウが、声を掛けてくる。
「ごめん、俺、定期忘れてたから一旦家に戻る。シュウは先に行ってて良いよ。」
「バス代貸そうか?」
シュウが財布を探る。
「いや、いい。ありがと。じゃあ、また学校で。」
そう言って二人は手を振り、別れる。
そして、もう二度と、出会う事はない。
しかし、走り去って行く少年が、そのことを知る筈は無かった。
「はあ…っ、はあ…っ、はあ…っ、くそ…っ。」
俺——セツナは、肩を落とし、段々と小さくなっていくバスの後ろ姿を見送る。せっかくバスの定期を取りに家に戻ったのに、これでは元も子もない。
時刻表を見ると、次にバスが来るのは三十分後だった。学校までは、それだけあれば家から歩いても着いてしまうため、つまりはこのままバスを待ち続けるより徒歩で直接登校した方が早く着く、という事だ。というかそもそも、そこまでバスを待っていたら遅刻はほぼ確実だろう。
俺は仕方なく、学校へと歩みを進める。
ここ聖陵は都心であるというステータスを持っていながら、また研究機関の施設が多いため自然が比較的多く存在する。故に建物とは逆に道路の密度が低く、車の通りも新宿や渋谷よりは少ないため、街中で車が渋滞を起こすことも殆どない。これもここならではの大きな特徴の一つと言える。
それもあって、ここの景観は「ザ・都心」という訳ではなく、どちらかと言うとベッドタウンに出来た研究学園都市のように感じられる。増してついこの間まで筑波地方の学園都市にほど近い街に住んでいた俺にとっては、なおさらそうだった。
周囲を見回しながらそんな事を考えていると、不意に、前方十メートル程先の辺りで、眩い光が弾けた。
「——うわっ‼︎」
俺はそのあまりの強さに、思わず手で庇いながら目を伏せる。
そして、顔を上げた次の瞬間——
「おい、何だよ、これ…」
俺は、目の前に広がっていた『異常』に息が詰まりそうになるのを感じ、呆然と立ち尽くした。
「嘘、だろ…」
——そこには。
つい一瞬前まであった筈の建物が。
木々が。
人でさえも。
跡形もなく、消えていたのである。
いや、それだけでは無かった。まるで見えない巨大な四角柱が何本も突き刺さっているかのように、地面が不自然に抉れていたのだ。
また空もさっきまでは透き通るような青だったのに対して、今はそれがディスプレイに映っただけのものだったと示しているかのようなノイズがかかっており、あのザーッ、という不快な音もうるさく鳴り響いている。
俺は、あまりにも強い好奇心と不審感からなのか、自分でも気付かないうちに、二歩、三歩と足を踏み出していた。
地面にポッカリと空いた大穴に足を踏み入れようとすると、
「——ッ⁈」
足に電流が流れたかのような鋭い痛みが走り、同時に俺は体ごと吹き飛ばされていた。
「ってて…」
俺は着地に失敗したせいで頭を地面に打ちつけてしまい、痛みを堪えてふらつきながら、何とか立ち上がる。
すると——
「——え?」
——そこには、少女が一人、静かに目を閉じ、佇んでいたのである。
俺は先ほどの痛みも忘れるほど大きな衝撃に打たれ、ただ呆然と立ち尽くした。
少女が、目を開いた。
ゆっくりとした足取りで、こちらに近づいて来る。
俺はただ、彼女を見つめることしか出来なかった。
豊かに流れる銀色の髪、切れ長の蒼い瞳。
彼女は、人間離れしている、と俺は感じた。
その双眸からは、幽かに憂愁が漂う。
彼女が立ち止まる——俺の、目の前で。
俺は、自分の喉が鳴ったのを、どこか遠くに聞いた。
心臓の鼓動は、今や早鐘のように鳴り響いている。
彼女は、口元に穏やかな微笑みを湛えながら、こう告げた。
「私は、貴方を、待っていました——長い間、ずっと。」
思えば、これが全ての始まりだった。