驚き
「ハッ、ハッ、ハッ……」
ユウは今、毎朝の日課のランニングの途中だった。門番の男からトレーニング方法を教わったのが数日前。あの日からユウは教わったことを忠実にこなしてきた。
「ハッ、ハッ、ハッ……や、やっと終わった」
ランニングコースは変わらず宿から門まで。ペース配分とストレッチという言葉を知ったユウは、初日とは違い宿まで走って戻って来れるまでになっていた。
「次は腕立て、腹筋。それから……」
次々とメニューをこなしていくユウ。ユウは気づいてないが、たった数日で運動してなかった男がここまでできるのは明らかに異常だった。普通はもっと長い期間やって初めて身につくというのに、ユウはたった数日で身についている。
「……ふぅ、終わったー。お腹減ったし部屋に戻るか」
宿の裏手の庭に戻ってきたユウは、買っておいた布で汗を拭き、水筒に入った水を煽る。
「……はぁ、生き返る。……でも汗が気持ち悪い」
いくらスタミナが着いてきたからといって、汗はかく。ユウの着ていた服は汗でべっとりと肌に張り付いていた。
ユウは空腹なのと気持ち悪さで急いで部屋に戻った。いつも宿の裏庭でトレーニングしているおかげで、部屋にはすぐに着く。
ユウは今着ている服を脱ぎ、これまた買ってきていた籠に入れる。籠の中身は既に服で溢れ返っていた。全部今まで着ていた服だ。
「そろそろ洗濯とかもしないとな」
体の汗を新しい布で拭きながらそんなことを考える。しかし、できない。
「……魔法の練習もしないとな」
この世界では洗濯物は魔法を使って洗う。といっても単に水を出すだけで、後は手洗いだ。ナシャが約束で少しずつ稽古をつけてくれてはいるが、今のユウはようやく野球ボール程度の大きさの火の玉を出せる程度だった。
「魔法を使う、って漫画とかみたいな感じでいいと思ってたけど、意外と難しいんだな」
魔法なんてよく分からないけど、なんとかなるだろうと甘く見ていた罰だった。
だが、今まで魔法とは縁のない生活をしていたユウが、短期間で小さいながらも火の玉を出せたのは、十分凄いと言える。そこに気づかないのは、やはり魔法についての認識が不十分だからと言える。
「こういうのって反復練習だって門番さんも言ってたしな」
もはや門番の男はユウにとって師匠とも言うべき存在だった。もちろん魔法を教えてもらっているナシャもだ。
そのナシャとの魔法の特訓だが、急にお店が忙しくなり中々付き合ってもらえないでいた。その度にナシャが凄い勢いでユウに謝っていた。
ユウとしてはお店を優先してくれた方がいいので、申し訳なさそうにするナシャに逆に罪悪感を感じてしまう。
「さてと、そろそろ魔法の練習をしますか」
ナシャは自分が仕事で付き合えないときでも練習できるようにと、ユウに練習方法を教えていた。ナシャに対して頭の上がらないユウだった。
部屋のベッドの脇に胡座をかいて座り、目を瞑る。俗に言う瞑想というものだ。
ナシャの話では、魔法は誰もが使えるもので人によって魔力量が異なる。もちろん多い方が何かと都合がいいらしい。しかし、そこで終わりではなかった。
魔力量は努力次第で伸ばすことができる。そうナシャは言っていた。個人によって明確な伸びしろの限界が存在するが、努力次第でなんとでもできるようだ。
過去に、生まれながら魔力の量がずば抜けて少なかった者が努力を重ね、今では天才と呼ばれるまでなったという例もあったらしい。
そんな話を聞けばユウはさらにやる気が出るはずだった。
「…………」
今まさにユウがしているのがその魔力量を多くするための努力というわけだ。
一日も欠かさず約二時間の瞑想をこなす。ひとえに魔法を使いまくりたいのと、『王道』を満喫したいという思いからだ。
瞑想に集中しすぎで、空腹やナシャのノックすら気づかないこともしばしばある。驚くほどの集中力だ。
今も空腹を忘れ、朝食を届けにきたナシャのノックにも気づいていない。
ナシャはこの事を知っているので、そっとドアを開けてテーブルの上に朝食を置いていく。出ていくときにやはり「すみません」と一言言って出ていく。
ユウがテーブルの上に置かれた朝食に気づいたのは、それから約三時間後だった。
「あ、やば……これじゃ朝食じゃなくて昼食だな」
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ブランチを食べたユウはナシャに昼食が要らないことを伝え、商店街に来ていた。
商業大国のお昼とだけあって商店街は人で溢れ返っていた。少し土地勘もついたからと得意気になっていたユウは街を散策しながらも迷わないように必死だった。
「あー、人が多すぎる。……あっ、すいません!」
道行く人にぶつかり慌てて謝る。ぶつかった相手はユウに一瞥もくれず去っていった。
「なんだよ気分悪いな」
小さなことでムッときているユウとは反対に、街は店も客も活気づいていた。その空気にあてられ、ユウもすぐ機嫌を直した。
「ほらそこのにいちゃん! うちの買っていきな!」
「あはは……」
「ほら、そこの良さげな旦那! 旦那に似合う服がありますよ!」
「あー、えーと、考えておきます」
「木の実のお買い得袋、銅貨五枚でどうだい!」
「あの、お腹一杯で……」
売り上げのために少しでも客を得ようとお店も必死だった。初日を彷彿とさせる怒濤の呼び込みラッシュだ。それにユウは曖昧に答える。向こうにも生活があると考えるとはっきりとは断りづらかったのだ。
そうやってぶらぶらと二時間ほど商店街を散策すると、少しお腹がすいていきた。ようやく陽が傾いた頃だ。
「なんともまぁ中途半端な時間にお腹がすくもんだな」
今がっつり食べてしまうと夕食が入らない。かといってお腹がすいているのも事実。どうしたものか悩んでいると、初日のことを思い出した。
「あの串焼きなら一本だけでも十分満足できるな。ついでにおっちゃんに改めて礼を言っとかないと」
足は既におっちゃんの串焼きの店に向かって歩きだしていた。
人混みを掻き分けて五分ほど歩けば、あのおっちゃんの店が見えてきた。店の前には列ができており、店の繁盛ぶりが伺える。ユウも倣って列に並ぶ。
「初日ぶりだしな。おっちゃん覚えててくれてるかな」
これで「坊主誰だ?」などと言われたら、ユウは走って逃げようと決めた。そして他の国へ行こう。恥ずかしすぎて死ねる。
異世界で平然としていられる豪胆ぶりがあるのに、妙なところでチキンなユウだった。
あれこれ考えている間に列はどんどん進み、ちょうど目の前の客が買い終えた。
「はい、らっしゃい!」
相変わらず威勢のいい声で営業していた。
「どうも。覚えてますか?」
「ん? おお! あんときの迷子坊主じゃねぇか!」
おっちゃんの発言で周りの視線がユウに集まる。後ろの方でヒソヒソと何か言われたような気がした。
迷子坊主と言われておっちゃんに反論しようとしたユウだったが、あながち間違いでもないので否定できずにただ唸るしかできなかった。
「ユウですよ。お願いですから迷子坊主なんて呼ばないでください」
「そうか、そうか!んで坊主、今日はどうしたんだ? っても串焼き買いに来たに決まってるか!ハハハ!」
豪快に笑う。それは活気づいている街の喧騒の中でもはっきりと聞こえるほどに。そしてユウの言った言葉をかき消すように。
「まぁそうですけど。串焼き一本お願いします」
「あいよ! 少し待ってな! 坊主には焼きたてをやるから」
思わぬサービスだった。ユウも初日に食べた焼きたての串焼きの味は今でも忘れられないものだ。あのアツアツの肉からジューシーな肉汁が口の中に広がったときは思わず唸ってしまう。
『燃えろ』
「……!」
おっちゃんのその言葉と共に火がつく。当然のことながら、おっちゃんも魔法が使える人間だ。だというのに少し驚いてしまった。
「ほらよ、できたぜ!」
「ありがとうございます」
串焼きを受け取り、代わりに銅貨一枚を渡す。そこでふとユウは串焼きを買いに来たにだけではないことを思い出した。
「えーと……」
「どうした? 何かあんのか?」
ユウはこのおっちゃんの名前を知らなかった。故にどう呼びかけていいのかわからなかった。
「いや、その……迷子の件の時はありがとうございました。おかげで今不自由のない生活を遅れています」
「なんだ、そのことか。別にいいって言ったろ?それにこうしてまた店に来てくれたんだ。それで十分だ」
そう言ってニカッと笑うおっちゃん。ユウも吊られて笑う。どこまでもいいおっちゃんだった。
「それじゃそろそろ」
ちょっと話し込んでしまっていたようだ。ユウの後ろには長蛇の列ができており、後ろの人の顔を見るのが怖くて仕方なかった。
「おう、また来てくれ!それと、そんな畏まった口調は止めな。もう坊主と俺は知らない仲じゃないんだしよ」
「わかり……わかった」
「よし、それでいい。また来いよ!」
おっちゃんのその声を背後に、その場を後にした。心なし背後からの視線が危ないものになりつつあったので、怖くて早くその場から逃げたかったのだ。
おっちゃんの店から人の流れに乗ってしばらく進んで行くと、いつのまにか周りの景色がガラリと変わっていた。
あれだけ人で埋め尽くされていた道が今では何の苦もなく通れるようなっており、周囲の建物はお店からなんだかよくわからない建物に変わっていた。
ユウは軽く冷や汗をかいていた。
「……よし、まずは食べよう。考えるのはそこからだ。べ、別に迷子になったわけじゃあるまいし」
誰ともなく言い訳を始めた。ユウは否定するが、完全に迷子だった。これではおっちゃんに迷子坊主などと言われても仕方がない。
買っておいた串焼きを取り出す。おっちゃんがよく焼いてくれていたおかげで、まだほんのり温かった。
食べながらユウは、この国の地図を必死に思い出す。
今いる場所がどこかは分からないが、少なくともあの街の近くのはずだ。
渋い顔をしながら頭を捻る。ぼんやりとだが、地図を思い出してきた。
「えーと……たしかこの辺りは商店街から東? ……いや北か?」
ユウの今いる場所は商業大国の中の大人の世界。言ってしまえばお子さまには早い世界である。今は昼間だから人通りがほとんどないが、夜になればここはさっきの商店街と同じくらい賑わう。
そうとは知らないユウは、必死に地図を思い出す。
「あー、だめだ。あとちょっとで完全に思い出しそうなのに」
結局断念した。
これはこれで仕方ないと思い、とりあえず周辺を歩いて情報を手に入れることにした。
「それにしても、ほんとにどこだ?」
建物は商店街の店のような雰囲気はなく、かといって民間や宿屋という雰囲気でもない。
それもそうだろう。この辺りに建ち並んでいる建物は全て賭博場や酒場、遊廓なのだから。
「おい、そこのお前」
「……?」
歩いていると、後ろから声がした。気になって振り返ると一人の強面の男が立っていた。しっかりとした身なりの男はまっすぐにユウを見ていた。
「そうだ。お前、年はいくつだ?」
「え、十七ですけど……」
初対面の男にいきなり年齢について訊かれるとは思ってなかったユウ。つい正直に答えてしまった。
男がユウの言った『十七』という言葉に怪訝な顔をする。
「……十七? まだ大人じゃねぇガキがなんでこんなとこをほっつき歩いてるんだ?」
「え?」
いきなりガキ呼ばわりされ混乱する。
思わず「はぁ? 歩くのくらい自由だろ」と言いそうになるのをすんでのところで堪える。
落ち着いて対応しろ。
「この国の造りにまだ不慣れでして。すいませんが、ここがどこなのか教えて頂けませんか? できれば、商店街までの道もお願いできれば」
ユウの丁寧な対応に男は少し面食らった。
他人に対して下手に出るのには自信があった。
「な、なんだ。いい年して迷子かよ。いいか? ここはガキには早い大人の世界なんだ。商店街にはこの道をお前の後ろの方に進んでいくと椎間板があるから左に曲がれ。後はまっすぐだ」
話を聞きながらユウは思った。
完全に自分に非があるじゃん、と。
まさか迷子で大人の世界に足を踏み入れてしまうとは思っていなかった。というか、商店街の近くにそんな場所を作るなと言いたかった。
だが、そんなことを言っていても何も変わらない。今は一刻も早くこの場を去るべきだった。
「そ、そうだったんですね。なにぶん田舎者でして。すぐに失礼します」
「そうか、わかればいいんだ。次から気を付けな。お前だって後一年経てば堂々と来てくれて構わねぇんだからよ」
「あはは……」
愛想笑いを残してユウは帰った。
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「あー、心臓に悪かった」
今日のあの出来事は健全な青少年にはインパクトが強すぎた。というよりは、すごく恥ずかしかっただけだった。
例えるのなら、友達に似ていた他人の後ろ姿に向かって大声で呼び掛ける時の恥ずかしさと同レベルだ。
そんな羞恥から逃るように教えられた通りに道を進み、商店街に無事戻った。あの男が最後辺りの言葉はもう記憶になかった。
どっと疲れが出てそれ以上商店街を見てまわる気も起きず、宿に戻って来て即ベッドにダイブした。
宿の自室の窓から外を見れば、空は既に茜色だ。この時間だと、他人の家の夕食の匂いを嗅いで今日の献立を想像するというイメージがある。
「……あ、風呂」
まだ風呂に入ってないことに気づく。夕食で思い出したのだ。ユウはいつも風呂を済ませてから夕食をとるようにしている。
しかしもう動くのも億劫だった。体はベタベタするし汗は布で拭く程度だったので少し汗臭い。衛生面からすれば風呂に入るべきなのだろうが、本音はもう夕食を食べて眠りたい。
「あー、てか眠い」
ベッドの心地よさがユウを眠りへと誘う。
せめて夕食だけはと必死に抵抗するも、意思に反して瞼はどんどん重くなる。
「…………」
扉をノックする音がした。
「ユウさん。夕食ができたのでお持ちしました。……ユウさん?」
ノックの主はナシャだった。
返事のないことを不思議に思い、そっと扉を開けて中の様子を確認する。
「あ、ユウさん……」
結果、部屋にユウはいた。
気持ちよさそうな寝顔を晒しながら。
「フフ……」
意外と寝顔はあどけなさが残るユウを見て笑いをこぼす。そして安眠の邪魔をしないようにナシャは静かに部屋を出ていった。
どうも。
また前回の投稿から日が空いてしまいました。誠に申し訳ありません。
漢字検定を受けるため、勉強づけとなってしまいまして、ようやく終わったので投稿しました。
今週もちょっと日が空いてしまいそうです。
誤字・脱字、感想・批判受け付けております。