情報収集②
現在加筆修正をしております。文章途中が未完成ですのでご理解ください。なお、おかしくなっている文章は読み飛ばしをしていただいても、物語には影響しないのでご安心ください。
地図を手にいれて宿屋へと戻ってきたユウ。
「いらっしゃ……ユウさん!」
丁度店の掃除をしていたナシャはユウを見つけるとすぐさま駆け寄ってきた。その際足元に置いていた掃除用の桶に躓きそうになってしまう。幸い、桶のなかの水をぶちまけるなてことにはならずに済んだ。ナシャは天然かドジっ子とかのタイプなのかもしれないとユウは密かに思った。
「ただいまかな? 無事に地図が手に入ったよ。教えてもらって助かったよ」
その証拠にと、三つの地図を軽く掲げて見せた。
「いえ、お役にたてなのならよかったです! 昼食はどうしますか? もうお持ちしましょうか?」
「お願いするよ。あ、どうせなら自分で持っていくけど?」
「いえ、まだ準備しないといけないことがあるので私がお持ちしますから大丈夫ですよ。それにユウさんも慣れない道でお疲れでしょうし」
「そう見えた? 実はちょっと人に酔ってて。ごめん、お言葉に甘えるよ」
「あ! ユウさん、鍵を忘れてますよ!」
「そうだった……ありがとう」
パタパタとナシャは受付に戻っていった。
戻ってきたナシャから鍵を受け取り部屋へと戻る。部屋に入るとさっそく丸テーブルの上に買ってきた地図を広げてみた。一度に全ての地図を広げたところで全部を見ることは当然無理で、そもそもそこまで大きなテーブルでもないから、残りの地図はテーブルに立て掛けておいた。
「まずはこの街の地図からか」
ユウの買ってきた地図はお世辞にもよくできているとは言えないものだ。元の世界のものと比べると造りの精巧さはかけ離れている。シンプルと言えば聞こえがいいが、大通りらしき道、規模が大きいのであろう店名、そして地図の中央には城らしき絵が描かれている。ただそれだけの地図。
『商業大国 ラムド王国』
それがこの国の名前だった。
「街じゃなくて国だったのか。しかも商業……道理で出店とか賑わってたわけだ」
ラムド王国の街の造りとしては中央の城を中心に街が広がり、周囲を壁で囲まれている。壁の端から端までは徒歩で行くと日の出に出たとして、太陽が沈みきるくらいに時間がかかるらしい。なぜ時間が分かったのかというと、地図のラムド王国の端から端までに線が引かれていて、そのすぐ近くに日の出のイラストと日が沈んでいるイラストが描かれていたからだ。ご丁寧にその間には矢印まで書いてあった。
「あ、やっぱり武器屋とかあったのか」
地図のなかには武器屋の情報も何ヵ所か載っていた。冒険家を目指す者が武器もないのはふざけているとしか言えないため貴重な情報だ。何も知らないユウにとってはどこか物足りなさを感じる地図だが、それでも現状、充分なものと言えた。
「次は……」
ラムド王国の地図をしまうと、立て掛けておいた地図から王国周辺の地図を広げる。これまた地図はざっくりと書かれていた。
ラムド王国らしきものが中央にあり、その周辺をザックリと書かれ、その地名や呼び名が書かれているだけだ。作りの雑さはラムド王国の地図以上だ。
王国周辺はユウが森から逃げてきた際に確認したように、だだっ広い平原に囲まれていた。平原の名称は『ラド平原』とある。王国周辺の地図はそのほとんどがラド平原で囲まれていた。そんな地図で唯一の平原とは別の地域こそが、ユウが最初に目覚めた森だ。
森の名称は『誘い森』。ユウはまだ知らないが、誘い森には肉食の魔物が生息している。そのため整備された街道があるも一般人はまず入ることはなく、冒険家か護衛を連れた商隊くらいしか街道を利用していない。
ユウのあの時の判断は正しかったのだ。ユウが己の判断がいかに正解だったのか知るのは、もう少しかかるだろう。
地図の雑さ故に確認もそこそこに王国周辺の地図も直して、最後の地図をテーブルに広げた。
「これは……世界地図みたいなもんか」
最後の地図には二つの大陸が載っていた。しかし、左側のやや小さい方の大陸には何も書かれていなかった。名称も特筆されるような建物、地理すら書かれていない。それどころかその大陸はどこか形が定まっていないように見れた。作りが雑だからというよりは、形を地図の製作者ですら把握していないように、何度も書き直されたような線が薄く存在している。
対して右側の大陸はしっかりとした線で書かれている。形はどこか元の世界の南アフリカ大陸に少し似た形をしていた。その大陸の中には五つの国の名前が書かれていた。さらには、これまでの地図と違い、少ないながらも説明文のようなものがそれぞれに添えられていた。
『海臨都市 アクル』
大陸上部に位置する海に隣接する国。恵まれた水により資源が豊富であり、当然漁が盛んに行われている。
『商業大国 ラムド』
大陸中心に位置する周囲を壁で囲まれた国。大陸中心部とだけあって商業が盛んで、各都市の合流地点のような役割も果たしている。
『古都市 タニア』
大陸の右下に位置する森の中にある国。原始的なその国は緑豊かだが、同時に古くから住み着く魔物の巣屈があるといわれている。
『尖兵国 ガノ』
大陸左下に位置する。他国から修行に来る者がいるほど武芸者や兵の育成に力を入れている。それ故に魔物に対して容赦がなく、市民の希望であり恐怖の象徴とされている。
『峡谷都市 ミナルド』
大陸の右側に位置する大峡谷に国を作っている。峡谷ともあって鉱山資源が豊富。国自体は大峡谷の手前側に造られているため、大峡谷の奥はまだ見ぬ神秘に溢れているとされている。
「アクル、ラムド、タニア、ガノ、ミナルド……か」
この世界の世界地図に載っているということは、大陸を代表する国々ということだ。それにしても左側に何も書かれていないことがユウは気になっていた。未開の地なのだろうか。それとも何か別の……。
思考の底に沈みそうになっていると突然ノックが聞こえ、ユウの意識は現実へと戻された。
「ユウさん? 昼食をお持ちしました」
ノックの主はナシャだった。昼食を持ってきたとのことで、ユウは急いでテーブルの上に広げたままの地図を片付けてスペースを確保した。
「どうぞ、わざわざありがとうね」
ドアへと向かい、扉を開ける。まだユウの対応に慣れないナシャは戸惑いながらも部屋へと入ってきた。
「あ、ありがとうございます。あ、お邪魔でしたか?」
料理を載せた食器を持って入ってきたナシャは、テーブル横に立て掛けられた乱雑に巻かれた地図を見ておずおずと聞いた。どこまでもいい子すぎるナシャだ。ユウもまさかそこまで気にされるとは思っておらず、なるべく明るい声で返事を返した。
「あぁ、全然大丈夫だよ。ちょうどお腹が空いた頃だったから」
「そうですか?」
「ほんとほんと。それで、お楽しみのお昼は何かな? もう気になってずっとそわそわしてたくらいだから」
「ふふ、なんですかそれ。それじゃユウさんが楽しみにしてたご飯をどうぞ」
先程とは一転、嬉しそうに料理を見せてくる。なんとかナシャの気を逸らすことができたユウは、細かいところまで気付いて、さらには気配りや心配までできるナシャに感心していた。
ナシャが見せてきた料理は、パン、魚のソテーのようなもの、サラダ、何かの果物だった。
「今日はとっても新鮮なものが手に入ったんですよ! 頑張って作ったんで味わって食べてくださいね!」
何やら機嫌がよかった理由はいい食材が手に入ったからのようだ。相変わらず使われている食材の詳しいことはユウにはわからないままだ。それでも、味は元の世界と似ていて、何より美味しいというのは昨日で証明されている。ユウは既にこの世界の、ナシャの料理の虜と言ってもいいくらいだ。
「そうなんだ。それじゃ、いただくよ」
「はい、どうぞ! それじゃ私は下に戻りますね。食器は部屋の前に置いてもらえば回収しますから」
「うん、わかった。部屋の前だね」
一礼して部屋から出ていくナシャ。もちろん、ユウの中で食器を置いたままにするなんて選択肢はない。食べ終われば下まで持っていくつもりだった。
「さて、いただきます」
椅子に座り両手を合わせる。この世界に「いただきます」、「ごちそうさま」という概念があるかはわからないが、習慣となったものは止められない。別に食材に感謝するのは悪いことではないだろう。
ユウは今日の予定は達成したが、まだお昼時なので調べものをしに出掛けようと考えていた。国内の地図によるとさっきまでいた赤い屋根のすぐ隣に図書館のようなものがあるらしい。
「二度手間かぁ。仕方ないけどさ」
そう一人呟くユウ。
今からそこへ向かうとなると、帰るのが少し遅くなるかもしれなかった。今日も今日で午前中しか外に出ていないものの、慣れない土地を歩くのは想像以上に疲労が溜まってしまうものだ。だからこそ今日の夜も少し早めにゆったりとしたいために食事のスピードを上げるが、ナシャからは味わって食べてと言われたことを思いだし、早いのかゆっくりなのかわからない微妙なペースで食べ進めた。
「ごちそうさまでした。さて、行くか」
念のために国内の地図と貨幣の入った麻袋を持ち、鍵と食べ終えた食器も一緒に持って下へと降りた。
「あ、ユウさん。食器は別に……どこか出かけるんですか?」
「ちょっと調べものをね。早く行かないと帰りが遅くなりそうだから。ご飯おいしかったよ」
「ありがとうございます! 夕食も期待しててくださいね!」
それは楽しみだとだけナシャに伝え、その言葉と一緒に食器と鍵をナシャに渡し、ユウは宿を後にした。
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「こんなに近く、というかすぐ隣……。しかも思ってたより、というか午前中に通った道使わなかったし、こっちの方が早いし」
地図で見つけた最短ルートを使うと、ユウが最初に通った道より半分とはいかないもののそれに近い時間で到着した。
周りには午前中と比べそう変わらないくらい人がいた。
さっきは気付かなかったが、確かに赤い屋根の建物のすぐ横に別の建物があった。一階建てで大きさはそれなりにあるようだ。
「とにかく、入るしかないな」
建物の扉を開け中に入る。外とは一変して静かな空気が流れ、心なしかひんやりとしているように感じるせいか、ますます図書館のような印象を受けた。
中を見回すとかなりの量の本棚が並んでいた。天井近くまでそびえ立つ本棚が列を為して、通路は人が二人通るのが精一杯というほどに狭い。
入り口からすぐの所にカウンターがあり、仏頂面の男の人が座っていた。顔は下を向いているため、何か本を読んでいるのだろう。
「あの……」
「…………」
ユウが声を掛けると無言で睨まれた。いきなり睨まれたことに驚くが、ここで怯んでは調べものも先に進まない。若干ビクビクしながらユウは再度男に尋ねた。
「ほ、本の位置がわからなくて……」
「……種類」
「へ?」
「……本の種類」
なぜか視線は本へと戻し、無愛想に男は言った。ユウは言われてから困った。調べたいものの数が多かったからだ。この世界の一般常識についても調べたいが、歴史についても調べておきたい。他にもこの世界に対してとことん無知なユウは調べたいものがある。さすがにいっぺんに言っても男は困るだろうし、何よりユウ自身が今日だけで調べきれるとは思っていない。
どう言うべきか迷うユウに男は眉間に皺を寄せた。待たせすぎるのもそれはそれでよくないことだ。ただでさえ仏頂面だった男の顔がこれ以上の威圧感を放つのは避けたい。
「えと、ちょっと気になることがあったんで、歴史関係の本をと思って」
今日のところはこの世界の歴史を調べることで結論が出た。歴史の本と言われて、男は壁際の本棚を指差した。
「……そこの通路の一番奥のところ」
「……え」
「…………」
一言呟いたかと思うと、男はそれきり黙ってしまった。これ以上は知らんとでも言いたげなオーラがひしひしと感じられる。仕方なく男の言葉通りに壁際の本棚まで向かった。
「ここか……」
一番奥までたどり着き、適当にお目当てのものに関する本を探す。しばらく探していると、本棚の上の方にお目当てのものがあった。
「うーん……とりあえずこれとこれかな」
ユウの手にした本は『簡易版 世界史』と『神話継承』の二冊だ。
座って読めるような場所などは見当たらないため、仕方なく壁側の本棚に寄りかかって『簡易版 世界史』の1ページ目を開いた。いけないこととはわかっているが、壁側に設置された本棚なら倒れたりすることはない。
立ち読みなりのリラックスした姿勢で、ユウは黙々と本に目を通していった。その表情は真剣そのもので、余程集中しているのか、陽が徐々に傾き、明るかった室内が茜色に変わっていくことに気づけないほどだった。
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ユウが読み始めてどれくらい経っただろうか。
同じ姿勢のまま読むのが辛くなり、少し休もうと顔を上げて体を伸ばす。体のあちこちから鳴ってはいけないような音がする。
「……あ! 時間が!」
本に夢中で、時間についてまったく考えていなかったユウ。慌てて本を元の棚に戻し、図書館を後にする。カウンターの男は机に突っ伏していた。どう見ても居眠りしているようだったが、あれで大丈夫なのか不安に思う。
「うわー。かなり暗くなってる」
ユウが外に出ると、辺りは夜に包まれていた。昼はあれだけあった人通りも、今では数えるほどしかいない。その代わりに、夜闇を照らす家の明かりが増えている。
「早く帰らないとナシャちゃんが心配するかな」
脳裏に不安そうにしているナシャの姿が浮かぶ。ユウの思い描いたナシャの姿は、仕事をこなしながら何度も入口の方を確認しているというものだった。
「でも、とりあえず風呂を済ましてからにするか」
この世界には銭湯でしか体を洗う方法がない。ユウは昨日時間の都合で入ることができず、正直気持ち悪い。一日の締めくくりとしてお風呂は欠かせないというのが、ユウの中でのお約束だった。
まだ閉まらないだろうと思い、ユウは銭湯へと普通に歩いていく。その足取りはどこか軽やかだった。
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あれから銭湯でさっぱりしたユウは宿へと戻ってきた。湯に浸かる感覚に元の世界を思い出して、少々長湯してしまっていたのだが、本来ならば一刻も早く宿へと帰るべきだったと思い知らされていた。
「……」
「えーと……」
宿へと帰ればナシャが笑顔で迎えてくれる。そう思っていたユウだが、実際にはナシャの笑顔は一瞬だけで、その後は明らかに怒っています、拗ねていますといった風にそっぽを向かれてしまった。そんな態度に思わず入口の前で立ち尽くしてしまう。
「あの、ナシャちゃん?」
ユウが呼び掛ければ、こちらをチラリと盗み見るようにして、慌てて再びそっぽを向いた。無視されないだけマシと考える他ない。ユウはどうにかしてナシャのご機嫌をとるしかなかった。
「いや、その心配かけてごめん。連絡しようとしたんだけどさ、ちょっと本に夢中で」
「……連絡なんてどうやってするんですか」
「スマ……あ、その」
ナシャの冷静な指摘はもっともで、この世界にそんな気軽に連絡しあえるような手段は存在しない。元の世界の感覚で言い訳をしていたユウは言葉に詰まるしかなかった。端から見ればその光景は妻に言い訳する夫のように見てとれる。
「……ごめん」
謝るしかできなかった。他の選択肢なんてものは、今のユウに存在しえない。最後にユウが言葉を発してから、二人の間には少しの静寂があった。ロビーにはユウとナシャ以外いないため、静寂はより重いものとなってのしかかってくる。実際はどのくらいの時間黙ったままだったのかはわからないが、ユウの体感ではとてつもなく長い時間に感じられた。
先に行動を起こしたのは、ナシャだった。何も言わないまま奥の方へと入っていく。ユウは黙って立ち去るナシャを見て自分のしでかしたことを改めて後悔していた。
ユウがもし時間を巻き戻せたらなどと考えている間に、奥の方からナシャが戻ってきた。その両手には何かが抱えられている。
「ナシャちゃん?」
ユウの呼び掛けに答えることなく、ナシャはユウから一番近いテーブルにその抱えていたものを置いた。そして未だ拗ねた表情でユウに座るように促してきた。
「これは……夕食、かな?」
ナシャが店の奥から持ってきたものは、恐らく今日の夕食だったのであろうメニューのご飯だった。パンにスープにサラダ、そして少し大きいこんがりとした色の肉。この一食で確実にお腹は満足するだろうボリュームだった。
目の前の料理を何故ナシャが今持ってきたのか疑問に思ったユウだったが、すぐにその答えを思い出した。それはユウが出掛ける間際のこと。ナシャとの何気ない会話にあった。
『夕食期待しててくださいね』
その言葉にユウは楽しみだと返した。
それはなんてことのない会話で、一種の社交辞令のようにも聞こえるやりとりだ。ユウも思い出したのは今さらだったのだから、ほとんど意識せずナシャに返事をしたことが伺える。
だけどそれをナシャは本心から言っていた。そうでなければ今の状況にはならない。ナシャは純粋だったから。ユウの想像の上を行くほどまでに。
「今日の夕食ですよ。……頑張って作りました。お客さんに出すものですけど、ユウさんにもおいしいって食べてもらいたかったですから」
その言葉はユウの良心を更に締め付けるには十分すぎる言葉だった。気まずさと罪悪感で胸がギュウッと締め付けられながら、ナシャに向けていた視線を夕食だった料理に戻した。
ふかふかだったパンは少し固くなってしまっているように見える。スープからは当然湯気なんてでておらず、新鮮なサラダは時間が経ったせいで少ししんなりとしてしまっていた。肉だって色こそはこんがりとして見えるが、湯気や熱気がないどころか油が出てしまい表面でてらてらと光を反射してしまっている。
これがもし出来立てならば、ふかふかパンに温かいスープ。歯応えのいいサラダにかぶりつきたくなるお肉と揃って、とても空腹に辛いご飯となっていただろう。もちろんだからといって不味くなってしまうわけではないが、どうしても出来立てと比べるとそちらの方が美味しそうに見えるというものだ。
夕食をユウに食べてもらいたい。
そんなナシャの素朴な願い。そのあまりの素朴さゆえに、ユウは申し訳なく思った。たしかにユウとしても、ここまで遅くなるとは思っていなかった。今こうしてナシャが拗ねている原因はすべてユウにある。
「……ごめんね」
だからこそユウは、誠心誠意込めて謝る。
「……今度はちゃんと出来立てを食べてください」
「うん。もちろんいただくよ」
「ならいいです。冷めてますけど食べますよね?」
「よかった。ご飯抜きとか言われたら倒れるところだった」
「ふふ、大袈裟ですよ」
作る人にとって食べる人の反応が何よりも気になるのは当然だといえる。ナシャはユウが本当においしいと言ってくれるのが嬉しかったのだ。だからこそ、おいしい出来立てをユウに食べてもらいたかった。
「いただきます」と言って食べ始める。その時ナシャが不思議そうな顔をする。
「ユウさん。その、いただきます? ていうのは何なんですか?」
ナシャには『いただきます』というのが何かわからないらしい。どうやら『いただきます』という文化はここには無いようだった。
「いただきます、は作ってくれた人と使われた食材に感謝するための言葉なんだ」
「そうなんですか? ユウさんの故郷ではこっちと違う文化があるんですね」
ナシャは『いただきます』が気に入ったようで、何度も口のなかで反芻する。その姿を微笑ましく思いながら食事を進める。
「あ、そうだ。ナシャちゃん。少し聞きたいことがあるんだけどいい?」
「はい、大丈夫ですよ」
昼間に本で調べはしたものの、ユウは未だにこの世界がどういう所なのか掴めないでいた。もちろんたった数時間本で調べたからといって見知らぬ世界について理解しようとするのも無理な話なのだが、このまま本で調べ続けるのは非効率的であったし、時間もどれくらい掛かるものなのかもわからない。一番の方法は知っている人に聞くことだ。だとすれば今なら二人以外に人は居ないし、ユウが頼りにできる現地人なんてナシャくらいしかいない。逃す手はない絶好の機会だった。
「じゃあ、まずは……ここに住んでる人ってさ、どう生活してるの?」
「え? そんなことですか?」
ナシャが疑問に思うのも当然だ。何せ今のユウの質問は普通ならまずしない質問だった。疑問に思われることを想定していたユウは、予め考えていた言い訳を言った。
「いや、俺の故郷と何か違うところがあるのかな? と思って。生活の違いとか文化の違いとかね。実際にところどころ違うなと思うところもあったし、今の『いただきます』だってそうだったからさ」
「あ、確かにですね。ラムドだと大抵の人は働いていると思いますよ? 小さな子どもでも親のお手伝いなんかしたりしてお小遣い稼ぎしてますから」
お小遣い稼ぎ、とは言ったもののここラムドでは子どもですらしっかり従業員として親の手伝いをしている。そうして親の跡を継いでいくのが、ラムドで生まれ育った子どもたちの辿る道だった。だがそんなことを知らないユウは、ナシャの言葉を額面通りに受け取っていた。
「そうなんだ……どんな仕事があるのかな?」
「どんな仕事、ですか? えーと……ラムドですからやっぱり自営業が多いですよ。でも人気なのはやっぱり、王国騎士と冒険家ですね!」
王国騎士。文字通り王国を守護する騎士のことだろう。国を守るのだから人気のはずだろう。イメージ的には自衛隊みたいなものと考えられる。
そして冒険家。ユウはまだそれらしき人を数人しか見ていないが、軽装だったり重装で武器を抱えている人たちを見た。知らない世界へ冒険することに期待している人が多いのだろう。
「そうか……王国騎士と冒険家、か」
「もしかしてユウさんもそういった仕事に?」
「あはは。まだ分からないけどね。でも仕事はしときたいからなぁ。冒険家には興味あるかな?」
だって『王道』には欠かせないでしょ、と内心で付け加える。『王道』といったら、勇者、魔王、魔法の次に冒険は欠かせないとユウは考えている。冒険家なんてまさしくユウのためにあるような職業だった。
「その冒険家っていうのにはどうやったらなれるのか分かる?」
「確かギルドの方に登録すればいいはずですけど」
そう言うナシャはどこか浮かない表情だった。その事に気付いたユウは何かあるのかとナシャに問いかける。するとナシャは意を決してという風に口を開いた。
「実は……あまり冒険家にはなって欲しくないんです」
ナシャの言葉は、ユウの意志と反する内容だった。
「それは、どうして?」
それに対してユウは驚きはしたものの、それを表に出すことはせずに静かに聞き返した。ナシャはいたずらにものを言うような性格じゃないのは、ナシャを見ていれば誰もがわかることだったからだ。
「……ユウさんは冒険家についてどんな印象を持ってますか?」
ナシャから突然質問されたユウは、ナシャがどういう答えを望んでいるのかわからなかった。だから、自分自身が思っている通りのことを話した。
「冒険家っていえば……やっぱり冒険かな? きっとワクワクするような出来事があるだろうからね。楽しそうって思うな」
「楽しそう、ですか」
そう呟くナシャの表情はさらに陰りを帯びたものになっていた。
「確かに、楽しそうってそういう前向きな所がないと人気人気な職業になんてならないんですよね。でもですね、きっと……いえ、絶対に楽しいだけじゃないんですよ」
「……」
先程からナシャから溢れ続ける冒険家に対する否定の言葉。それに潜む潜む何かを感じ取ったユウは、黙って耳を傾ける。
「冒険家は、ギルドで依頼を受けて生計を立ててます。稼ぎを大きく得るには、危険な依頼を受けないといけないんですよ。そしてそういう依頼は命を落としやすいものばかりです」
ここまで聞いてユウはようやく合点がいった。
ナシャは心配してくれているのだ。冒険家というものに生半可な意志でなろうとしているユウのことを純粋に心から心配してくれている。
どこか浮かれていたのかもしれない。
ユウは自身の考えを省みた。目が覚めればまったく知らない場所で、俗に言う『異世界召喚』なるものを体験した。それは、そういうことに興味があった人からすれば興奮せずにはいられないようなものだ。戦闘、恋愛そして冒険。憧れていたそれらをついに自分が……と思うのも無理はない。
ただ、現実で創られたそれらは創られたがゆえにご都合的なものだ。事を成せば、それらは大抵の場合で大成する。つまり、ある程度約束されたハッピーエンドを迎えると分かっているから憧れるのだ。
だが、いざ自分自身がそういった物語のような出来事の渦中にいるとなればどうだろうか?
創られたものではなく自分自身で創るものとなれば、当然先なんてわからない。何かいいことが起こる保証はなく、真逆のことが起こるのかすらわからない。約束されたものは何もなく、わからないで全て埋め尽くされてしまう。
ナシャは冒険家は危険な依頼を受けることもあると言った。つまり、命に関わってくるものがあるということだ。
ユウはその意識が低かった。理解しているつもりでできていなかった。命の保証なんてものは、誰もしてくれないのだから。
「ありがとう、ナシャちゃん。でも、ごめん。やっぱり俺は冒険家になりたいって思う」
ナシャの言葉を受けてなお、ユウは冒険家になりたかった。そこには好奇心も含まれてはいるが、どうせなら元の世界ではできないようなことをしたいという願望もあった。
「大丈夫、なんて根拠はどこにもないんだけど、とにかく大丈夫だからさ。無謀なことはしないし、安全第一を心掛けるって約束する」
ナシャを少しでも安心させるために言葉を紡ぐユウだが、ナシャの表情は晴れない。それはナシャが、これまでに幾度か帰ってこない冒険者を見てきたからだった。宿は当然冒険家も利用している。
『行ってくる』
『今度の旅の武勇伝を聞かせてやるから』
『帰る頃にはうまい飯があるって最高だな』
そう言って帰らない冒険家たちを待つ時間がナシャは嫌いだった。用意したご飯。それがどんどんと熱を失い、固くなり、冷めきってしまう。まるで命を落とした人のように。
宿の利用者リストは保管してあり、未だに帰って来ていない人の欄には印が付いていた。年に一度、ナシャは宿の裏庭の隅に作ったご飯を埋めている。帰ってこない冒険家たちの供養の意味でだ。自分が作ったご飯をおいしいと食べてくれた人たちにせめてこれくらいはという思いで。
ただのお客相手にそこまでしてしまうナシャだからこそ、今目の前で冒険家になろうとしている、せっかく仲良くなれた人が死の危険が潜む仕事に就こうとしているのを止めたかった。だけど当の本人は大丈夫と言ってきかない。
「……わかりました。ユウさんはユウさんのしたいことがありますもんね。それを無理に止めるなんて私にはできません」
「ナシャちゃん……ほんとにごめんね。せっかく心配してくれてるのにさ」
「いいんです。けど……絶対に死なないでくださいよ? 約束、ですから」
「よし、約束だな」
これでユウのこれからの目標は決まった。
『冒険家』になる。
さしあたっては、明日にはギルドに行って登録を済ませなければいけない。冒険家になるならいろいろと物資の調達もしなければいけないだろう。
ナシャの料理を完食したユウは明日もやることが山積みのため、部屋へと戻りすぐに眠りに着いた。