馴染んできました
私は前世、梨世と言う名の日本人でした。
二十代半ばを超えた百貨店のコスメコーナーの美容部員。結婚は……そろそろしたいなぁって思ってたんでしたっけ。してはなかったような?
彼氏はいたような気がします。その彼とはどうなったんだろう……?
う〜ん、思い出せないや。まあいっか?
今の私はリヨン。フォルカルキエ子爵の娘で七歳。一人っ子。優しいお父様とお母様の三人で暮らしています。爵位は低いけど領地が豊かなので、結構お金持ちだと思います。
過去と現在が頭の中でぐるぐる渦巻いて、ごっちゃになって溶け合って馴染んでいく感じがします。でもまだカオス。頭の中が洗濯機のようにぐるぐる回って……って、この世界に洗濯機なーい! 前世の記憶恐るべし! 自分でツッコんでおいてなんですが、まだちょっとこの状態に慣れません。
それが落ち着いてきたなぁと感じた時、意識が戻ってきました。
うっすらと目を開けると、私はどこかで寝かされているようで、知らない天井が視界に入ってきました。ここはどこだろう? ベッドには天蓋まで付いてる、なんてゴージャス。
まだちょっと頭が重くてぼーっとしていると、
「気が付いた?」
お母様が私の手を取り、涙で潤んだ瞳で私を見ていました。顔色があまり良くないので、お母様も倒れる寸前だったのかもしれません。
でも今、私の手を握ってるのがお母様でよかった!
ものすごくホッとしましたよ。だってさっきのロリコンに捕まってたとかだったら嫌すぎますからね!
「びっくりさせちゃってごめんなさい。お母様たちとはぐれた後、探し回っていたら何だか急に頭が痛くなったの」
ロリコンに捕まったことは黙っておきます。体があまり強くないお母様にこれ以上ショックを与えてはいけません。
「目を離しちゃってごめんなさい。心細かったでしょう?」
「王子様のところに行ったっきりなかなか戻ってこないから、僕たちも心配してたんだ。だから王宮仕えの侍従殿が意識のないリヨンを運んできたときには心臓が止まるかと思ったよ」
お父様が大袈裟に安堵のため息をついています。
そうなんですね、気を失った私は侍従様に運ばれてきたんですね。
頭痛っていうのは間違いないんだけど、前世の記憶が大量流入してきたせいだっていうのは黙っておくことにします。話してもきっと信じてもらえないでしょうし、なにより『イタイ子だと思われるよ!』と、梨世の記憶がそう言ってるから。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって。ところで、ここはどこ?」
「お城の一部屋を特別に開けてくださったんだよ、王子殿下の計らいでね。やはり『プランス・シャルマン』と言われるだけある素晴らしいお方ですね」
お父様が王子様のことを褒めていますが、王子様ってそんなお名前でしたっけ?
似たような名前だったと思うけど、なんか違うなぁって思っていたら、
「シャルマンではありません、シャルトル王子でございますよフォルカルキエ子爵」
お父様の横で、私より少し年上の男の子がムッとした顔で抗議しました。そうだ、王子様のお名前はシャルトル様でした。シャルマンってチャーミングって意味でしょ? ……ぷっ。あの愛想のない王子様がチャーミング? 『チャーミング』の後に『(笑)』ってついてませんそれ? かなり違う気がするんですけど?
私が一人脳内でシャルマンにツッコミ続けていると、お父様が男の子に向かって慌てています。
「これは失礼いたしました。ああ、リヨン。この方がリヨンが倒れたことを知らせに来てくださった王子殿下付きの侍従ショーレ様だよ」
お父様が男の子を紹介してくれました。
「すぐ近くにいたので対処できてよかったです。目の前で急に倒れたのでびっくりしましたよ」
そう言ってニッコリ微笑むショーレ様は、サラサラの金髪をさっぱりと短く整えたとても綺麗な男の子です。王子様と同じ青い瞳ですが、ニコニコしている分ショーレ様の方が魅力的ですね。でも残念ながら私にショタコンの気はありませんのでストライクゾーンから外れてます、惜しい! 十年後に会いたいですね……って、ん? でも今私って七歳だから、これってどストライクになるの?! だめだ、またややこしくなってきた。
梨世の記憶と私の意識がおかしなことになって混乱していると、また気分が悪くなったのかと勘違いしたショーレ様が、
「どこかお加減が悪いのですか?」
心配そうに聞いてきました。すみません、ちょっと混乱しているだけなんです。
「大丈夫です。ありがとうございました」
私がもそもそと起き上がって頭を下げると、
「あの男は僕が始末しておきましたので安心してください」
ショーレ様は私だけに聞こえるくらいの小さな声で、しかも早口でそう言いました。これが命中してくれてよかったですと言って見せてくれたのは、形が随分変わってしまっているシルバーのドームカバー。ああ、これがロリコンの頭に命中したのですか。もう一発はこれでガツンと殴っておきました、と言ってこっそり見せてくれたのは、真ん中がボコンと凹んだシルバーのトレイ……。うわぁ、もうそれ帽子にできそうなくらい頭の形に凹んでますよね!? 綺麗な顔してやるなぁ、この人……。
「ショーレ様、ありがとうございました」
重ね重ねお世話になりました。
じゃああの時の「誰か倒れたぞ」っていう声は、この人のものだったのですね。偶然とはいえ居合わせていただいてよかったです。
もう大丈夫だからということで、家に帰ることになりました。
「シャルトル王子はどうして『プランセ・シャルマン』なんて呼ばれてるの? 私にはちっともチャーミングに見えなかったんですけど」
帰りの馬車の中、私はどうしても気になっていたことをお父様に質問しました。納得しないままだと、この先ずっと私の中では『プランセ・シャルマン(笑)』になりそうだからです。
「いつもはもっと愛想のいい魅力的な方なんだよ。今日みたいな社交の場はあまりお好きではないので、あんな感じだったけど……」
お父様が苦笑いしています。『あんな感じ』というのは『氷の王子』みたいだということですか?
「ふうん。でもショーレ様は、王子様のその呼び名にあまりいい顔してませんでしたよ?」
「王子自体がその呼び名をあまりお好きじゃないから、私たちがこっそり影でそう呼んでるんだ」
それ、だめでしょ。ちょっと王子様に同情してしまいました。
「…………。愛想も良くて女の子にもあんなに人気な王子様なのに、どうしてわざわざお友達を作らなくちゃいけないのかしら。そんなことしなくてもたくさんお友達いるんでしょう?」
さっきだって王子様に近づくのに、とっても苦労したくらいにね!
今日の人だかりは主に女の子でしたけど。
「まあそれは……あれだ、色々事情があるんだよ。リヨンは気にしなくていい」
お父様が言葉を濁しています。
はは〜ん、そういうことか。
ちょっと大人の記憶が蘇った私にはピンときました。アレですね、お后候補の選定とかなんとかですね。
じゃあイチ子爵の娘の私には関係ないですね! 王子様、しかも未来の国王様になる人のお后様です、高貴な身分のお嬢様が選ばれて当然ですから。
まあそもそも、あの氷のような王子様とお友達になれる気がしていなかったのでよかったです。プレゼントをポイッてされたことを根に持ってるわけじゃないですよ!
ということでこの日から、私は前世の記憶持ちになりました。