表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/70

第九話

 狼はイリスの部屋で床に伏せていた。

 尻尾をゆらゆらと動かしながら暗殺者の行動を蒼い丸い目で追いかける。

 深く被ったフードの奥に光る残酷さを覚えた赤い瞳が狼を狙う。愛でる。

 既に濃紺の夜が世界を支配し、星々の光が大陸を照らしていた。

「依頼主を間違って襲うなんてどういうことですの? そもそも命が狙われている時にいないなんておかしいですわ」

 小袖と緋袴姿の青いつり目をしたシンシアは眉をしかめてアンを睨む。

「アンはお前が嫌い、とても嫌い」

「な、ななな」

 答えとは違う率直な感想をぶつけられたシンシアは口がうまく動かせない。

「それで、なんでアクセルが命を狙われているの?」

 灰色の毛を撫でているイリスは体を固めたシンシアへ。

 しかし、聞こえていないのか返事をしない、両腕を震わして唇を噛み締めている。

 イリスは狼と目を合わせて首を傾げた。

「わたくしも貴女のこと……好きではありませんの!」

 左手の人差し指をアンに向けて大きな声で叫んだシンシア。

 中指には赤い宝石がキラリと輝いている。

 さらに掌から微弱な電流を蓄えて今にもアンに放ちそうで、イリスは慌てて立ち上がった。

「ちょ、ちょっと待ってシンシア、ダメだってば!」

 シンシアの両脇に手を入れイリスは後ろへと下がる。

「離してくださいまし! ぶっ倒してやりますわぁ!!」

「ダメだって言ってるで、しょ!」

 狼は蒼い丸い瞳を収縮させて二人を視界に。

 シンシアの足が宙に浮けば世界がゆっくりと静かに進んでいく。

 気付けば完璧な湾曲になった二人の姿がアンと狼の前に。

 逆さまな部屋となった景色のなか、後頭部に強い衝撃が与えられた。

 遠い別世界に飛ばされたシンシアを床に寝かしたイリスは何事もなかったかのように立ち上がる。

「アンはイリスに逆らわない」

 懸命な判断である、狼は大きく頷いた。

「ちゃんと説明をしてよ」

 イリスはため息を吐くと本題に戻す。

 他に説明できる者がいないと判断した狼は前足を上げて真っ直ぐに立つと灰色の毛が内側に消えて人間の衣服が現れた。

 体も伸びて筋肉質の青年アクセルの姿に変わっていく。

 青みがかった無造作な黒髪を掻いて眠たそうに蒼い目を細める。

「セレスティーヌに命を狙われて、ここに逃げてきた。今のところそれだけだな」

「セレス、なに、誰?」

「セレスティーヌ。町の娼婦館で働いている若い子だ」

 聞き慣れない名前と建物の名前にイリスは眉をしかめた。

「妹を殺した罪で殺されるところだったんだ。町にいる帝国兵とは少し違う奴らが二人いたけど、絶対あいつらの仕業だろ」

 アクセルは人相の悪い顔をさらに悪くさせて、辺りを睨む。

「アンは帝国兵を仕留める?」

「いや、イリスといてくれ。指輪のこともある」

 静かに頷くとアンはイリスの傍に立つ。

 神妙な顔で俯いているイリスは口を半開きにして何も喋らない。

「どうした? さっきから黙って」

「あ、ううん、なんでもない」

 声をかけられてイリスは首を横に振って笑みを浮かべた。

 次にアクセルは床で横になって夢の中にいるシンシアをしゃがみ込んで見下ろす。

「さっさと起きろよ」

 シンシアの体に触れようと手を伸ばしたが寸前で痺れるような感覚が伝わって手を引っ込めた。

「っ、なんだ、電気か?」

『気安ク触レルナ』

 頭の奥深くから重く圧し掛かってきた声にアクセルは眉を歪める。

「なんですの!?」

 考える間もなく、シンシアが大きな声と一緒に上体を起こして現実に戻ってきた。

 意識が戻ったことを確認してアクセルは思考を中止。

 イリスは時計を眺めて三人を視界に映すと、目を擦る。

「今日はもう休もうよ、明日も市場はあるし」

「そうだな、俺も」

「アクセルは床だからね」

 寝る場所を指定されてしまい、肩をすくめた。

「まぁそうなるか」

 どこにだってすぐに寝られるのだから文句は言わない。

「ところでどうして人の姿に戻られましたの? 狼の方が今は安全ですわよ」

「お前なぁ……さすがにこれは納得できない」

 原因であるシンシアに怒りを覚えたがアクセルは声を大にして言わず、狼の姿となって床に伏せた。

 アンはいつの間にか部屋の外へ、イリスは寝る準備をしている。

 シンシアは瞳孔を右左に動かすとすぐに狼の耳元まで体を屈めた。

「朝は市場がありますから、セレスティーヌも帝国兵も下手に動けませんわ。朝になったら駐在所にいる隊長のところへ行きますわよ」

 同意を求められず、狼は不安と不満を瞳孔に露出するが、シンシアは見ていない。

「イリスさん、明日は少しアクセルさんをお借りしますけど、よろしいです?」

「うん、こっちはアンがいるから大丈夫だよ」

 いつから他人の所有物になったのか、文句も言えずに鼻先を床に密着させた。

 シンシアは軽く手を振ってイリスの部屋から出ていく。

「おやすみ、アクセル。明日は気を付けてね」

 悪戯な笑みを浮かべたイリスに狼は軽い息を鼻から出して蒼い丸い瞳を閉じた。

 視界を真っ暗にさせて一瞬の眠りにつけば、すぐに辺りは明るくなる。

 狼は日が昇ると同時に目を覚ます。

 ベッドを覗くとイリスの姿はない。

 近寄って確認すると衣服や下着がベッドの上に散らかっていた。

 狼は少女の香りが染みついたシーツや衣服に鼻先をつけて辺りを見回す。

 尻尾を揺らして薄い下着にも鼻先を強く押し付けて嗅いでいる。

「アクセル……何してるの?」

『ヴァ!?』

 冷たい悪寒が狼の背中を襲う。

 振り返ると眠たそうに目を擦るイリスの姿があった。

 狼はベッドから降りてイリスの足元で伏せる。

「説明してほしいんだけど」

 眉間に皴を寄せてしゃがみ込むイリス。

 どれだけ目を逸らしてもイリスは狼の顔を睨んでいる。

 至近距離から睨まれても少女の香りというものが狼の鼻に入り込み、自然と鼻先がイリスの顔に向いてしまう。

「アクセル?」

 怒っている表情で首を傾げているイリスの頬に、狼は唾液が絡みついた舌を這わせた。

 目を丸くしたイリスをよそに狼は頬以外にも首筋や顎先を舐めまわす。

「ひゃぁ! くすぐったいぃ」

 イリスの甲高い声が部屋に響くと、

「アンは自分にもしてほしい」

 いつの間にか背後に現れて狼の首根っこを掴んだアンが。

「アンは……じゃれ合いたい」

 首根っこの次は顔を両手で挟まれてしまい、視界には舐めろと訴えている紅い瞳が映る。

 振り解こうとしても首から顔をがっちりと固定され、身動きが取れない。

「おはようございます、の!?」

 見つめ合うように見える一人と一匹に、扉をノックして入ってきたシンシアは目を丸くした。

「アンはお前が邪魔」

 冷めた目でアンはシンシアを睨む。

「邪魔ではありませんわ!」

 シンシアは両手を拳にして震わしながら早朝から叫んだ。

 その隙に狼は手から離れることに成功し、すぐにシンシアの足元まで逃げる。

「ねぇアクセルはなんであんなことをしたの?」

『グゥ……』

 シンシアの後ろに隠れた狼はイリスにジッと睨まれてしまう。

「あんなことってなんですの?」

「アタシの下着を触ってた。アタシの顔を舐めた」

 答えを聞くとシンシアは何度か頷いて真顔で説明を始める。

「まぁそれはフェンリルの呪いですもの、仕方ありませんわ」

 納得できないイリスは首を傾げて疑問を浮かべる。

「どういうこと?」

「フェンリルは女の子の匂いが好きで、呪いを受けた者もしっかりとその特性を受け継ぎますの」

 そう簡単に納得できるような説明ではないが、イリスは睨むのをやめて眉を下げた。

「なんか複雑っていうか……」

「ならアクセルさんが人の姿で自由に動き回れるよう今から隊長のところに行きますわ」

 狼とシンシアは家を出て人通りの少ない住宅街から貴族街へ歩いていく。

 まだまだ眠りについている貴族達の通りから坂を上がっていくと、帝国兵が駐在している布で張った仮設の基地が見えた。

 扉はなく、布を捲れば中に入れる。

 基地の前には二人の帝国兵が銀色に輝く穂先を空に向けて槍を片手に持ち勇ましく立つ。

「帝都の巫女か、何用だ?」

 鋼鉄の鎧と兜を装備しているため容姿は確認できないが、声は渋い。

「隊長とお話をしたいですの」

「アヤノ隊長に? 今はお休み中だからいくら巫女でもそれはできない」

 首を縦に振ってくれない相手にシンシアは口を尖らせた。

「できませんの? それではどうして別の帝国兵がこの町にいるのか、知りたいですわ」

 二人の帝国兵は顔を合わせて首を傾げる。

「悪いけどそれに関しては何も聞いていない。少し待ってくれ」

 渋い声を残して基地の中へ入っていく帝国兵。

 狼とシンシアは言われた通りに待とうとしたが、待つ必要はなくなった。

 鋼鉄鎧に包まれた兵士の中で唯一軽装鎧を着ているアヤノ隊長が入れ替わりに現われる。

 首に巻いた深緑の宝石が光るアクセサリーが目を引く。

「こんな早朝に熱心じゃないか、帝都の巫女と商人の番犬」

 真顔を崩さずに凛とした態度で腕を組むアヤノ。

 見下ろされた狼は目を逸らして鼻から息を出した。

「隊長ならご存知かと思いまして」

「いや、部下が言った通り我々は知らない。詳しいことなら……騎士団のバスが知っていると思う」

 まだ彼が町にいることを知ったシンシアは基地の中を覗くが、どこにも姿はない。

 基地内は鋼鉄鎧や武器が棚に揃えて、飾られた旗の中には銀色のドラゴンが羽ばたく絵。

「バス副団長はどこにいますの?」

 むさ苦しい男ばかりの世界に眉をしかめて覗くのをやめた。

「娼婦館だ」

 シンシアは口角を下げて目を細める。

「それは何故ですの?」

「すまないが、騎士団の件に関わるつもりはない。行って確かめればいい」

 そう言ってアヤノは基地へと戻ってしまう。

「ま、仕方ありませんわ。アクセルさん、娼婦館へ案内してくださいな」

 シンシアの後ろに隠れていた狼は名前を呼ばれたので、足取り重く進み始めた。

 町の坂道を降って商店通りから入れる暗い路地裏へと入る。

 太陽の光が入らない陰ばかりの道は気が滅入ってしまう。

 狼は途中で足を止めると、その場におすわり。

「アクセルさん?」

『ヴァ!』

 かるく吠えた狼の視線の先には銀色の鎧に身を包んだ若い青年。

「バス副団長」

 どうやら道に迷った様子で辺りを見回している。

「これは巫女様、この町に滞在中ですか?」

 爽やかな笑みに路地裏の陰湿な雰囲気が消し飛びそうで、狼は伏せて鼻から息を出す。

 蒼い丸い瞳はバスの首に飾られた深緑の宝石を映した。

 見覚えのあるアクセサリーだが、そのことに触れるつもりはない。

「まぁちょっと用事でして、それより娼婦館に行くつもりですのね」

 はっきりと行先を言われてしまったバスは苦い笑みを浮かべる。それでも爽やか。

「アヤノから聞いたんですね。実は事件で殺害された少女の姉妹がここにいると聞いたので、任務のついでに頼まれた手紙を渡しに……セレスティーヌという若い娼婦だったと思います」

 狼は目をおおきくして伏せから立ち上がった。

 シンシアも目を丸くさせる。

「それですわ、それを聞きたかったですの! 事件について教えてくださいまし!!」

「え、ええと、帝都の娼婦館で働く少女が何者かに襲われて斬り捨てられているのを発見されたのが、つい一週間前でした。犯人は二人の帝国兵だとはっきり目星はついていますが、既に逃亡。それで、目撃者の話を調べてこの町にいるとわかったんです」

 押され気味になったバスは戸惑いながらも事件の内容を話した。

 シンシアは力強く拳を握りしめて口角を上げる。

「これで謎が解けましたの、偉そうな口振りを思い出しただけで腹が立ちますわ!」

 何が起こったのかに対して、狼は興味を示さず大きく鼻から息を出す。

 視線を上に向けると、バスが狼を見下ろしているのに気付いた。

 目が合うと狼はすぐに顔を伏せる。

「巫女様、少し変わりましたね」

 微笑むバスにシンシアは首を傾げた。

「わたくしは何も変わっていませんわ、何か違います?」

「はい、帝都にいる時より生き生きしています。それに、フェンリルの呪いを持つ者に対しても寛容的になっていますしね」

 狼は姿勢を低くして蒼い丸い瞳でバスを睨む。

「べ、別に寛容になったわけではありませんわ、わたくしは……」

 言葉を濁すシンシアにバスは真面目な顔で頷いた。

「わかっています。僕のことはお気になさらず」

「ありがとうございますの。騎士団は優秀ですのね、彼を一目で見破るなんて」

 バスは口元に笑みをつくりながらも、眉を下げて目は下を向く。

『グゥ』

 敵ではないと認識した狼は視線を外して姿勢を戻し、だく足で先に進む。

 路地裏の奥地に建てられた娼婦館は二階建て。

 まだ起きているのは露天市場の準備をしている商人だけで、娼婦館に人の気配はない。

 狼は辺りを眺めて、後ろ脚で立つと人間の姿に変身。

 大きな体格は男性の平均身長を軽く超える。

「バスだったか、その手紙と内容をしっかりとセレスティーヌに伝えてくれ。俺はやることやって退散するさ」

 アクセルは青みがかった黒髪を掻きながら、眠たそうに目を細めた。

 バスはシンシアから事情を聞いたのか、しっかりと頷いて正面玄関へと足を運ぶ。

 ベルを鳴らしてから時間は掛からず、すぐに扉が開いた。

「おはようございます。貴女がセレスティーヌさんでよろしいですか?」

 若き娼婦のセレスティーヌが顔を出してバスを怪訝そうに眺めている。

「なに? 今日はまだやってないよ、兵士かなにかの人?」

「ええ、僕は帝都の騎士を務めているバスといいます。実は貴女に渡したい手紙と、残念な知らせがあります」

 アクセルは壁に背を密着させて、隠れながら別の場所に移った。

 少し後ろでシンシアはその様子を静かに見守っている。

 娼婦館の窓は全てカーテンで仕切られて室内が見えない。

 耳を窓に寄せると、内側から楽しそうに喋っている男の声を拾う。

 ここにいると確信したアクセルは窓を強めに叩いた。

 窓の隣にある壁へと動き身を隠すと、アクセルは腰のベルトに装備していたナイフを抜き取る。

 カーテンを開けて酒瓶を片手に持った男が姿を見せた。

 男は外にいるシンシアに気付き、窓枠を押し上げて顔を外に放り出す。

「あー? なんで巫女さんがこんなところにっい!?」

 アクセルは男の衣服を思いきり掴んで上半身を外へ引っ張った。

「昨日はどうも。しかし朝から酒なんて飲んで何やってんだよ、公務はどうした?」

「お、おま、お前は!」

 男の首筋にナイフの刃を近づけて脅すように睨む。

「罪は死で償うべきなんだろ? そうやってセレスティーヌに仕向けやがって。バスから聞いたぜ」

「バス副団長が来てるのか!? ゆ、許してくれよ、頼む、あれは勢いでやったんだよ! 殺すつもりなんてなかったんだ、あの小娘が俺達と遊ぶのを嫌がったから、大声なんて出すから!!」

 アクセルは思わず呆れて苦笑する。

「だってよ、セレスティーヌ」

 玄関先で手紙と真実を突きつけられたセレスティーヌは呆然と立ち尽くす。

 無言のまま首を振るセレスティーヌは、その場で力を奪われたように座り込んだ。

「彼らはもう帝国兵ではありません、犯罪者です。だから巫女様」

 バスがシンシアに声をかけると、既にシンシアの左手は軽い電気を走らせていた。

 その足元にはもう一人の男が、犯罪者が、倒れている。

「別の窓から逃げようとしていましたので捕まえましたわ」

 自信満々に目を閉じて腕を組む。

 アクセルはナイフを戻し、怯える男を外へ引き摺りだした。

「よかったな。歓迎するぜ、俺からの贈り物を受け取って、くれ!」

 右手で拳を作ると、そのまま真っ直ぐ男の顔面へ打ち込んだ。

 男の顔は上を向いて、同時に鼻や唇から血液を噴出させた。

 アクセルは右手に付着した血液を掃い、男を突き放す。

 顔面を両手で覆って蹲る男を放置して、セレスティーヌに近寄っていく。

 頭の中が混乱しているはずの彼女と同じ視線となってアクセルは手を伸ばした。

「あいつらに色々と嘘を言われたんだな、セレスティーヌ。立てるか?」

 正常じゃない様子で、朱色の瞳は揺れて目元に雫が溜まっている。

「ボクの大切な家族だったんだ……顔も知らない親に捨てられて、唯一の家族だったのに、ボクは騙されて無関係な人まで巻き込んで……」

 痛いくらい胸部を握り、セレスティーヌは声を震わす。

「大事な家族だから俺に復讐をしようとしたんだろ? 良い子だよ、セレスティーヌ。何も悪くない」

「悪くない? 十分悪いよ、ボクは最低だよ、大嫌いだ!!」

 セレスティーヌは怒声を上げると、アクセルの手を振り払って走り出してしまう。

 その場にいない何者かに囁かれたシンシアは静かに相槌を打つと、

「あの子、自殺するかもしれませんわ」

 予想を代弁する。

「馬鹿、何冷静に言ってんだよ!」

 すぐに追いかけるアクセル。

 路地裏を抜けて、商店通りを走るとセレスティーヌの姿はどこにもいない。

「アン!」

 露天市場もそろそろ準備を終えて人が来るのを待っていた商人のなかに一人、ローブを着たアンがいた。

「アクセル、どうしたの?」

 驚くイリスに理由を説明している場合ではない、アクセルは切羽詰まった顔でアンを連れ出す。

「セレスティーヌを探してくれ、ドレスを着てる若い娼婦だ。見つけたらとにかく止めろ、殺すなよ!」

「アンは承諾した」

 身軽な体で建物の屋上に飛び移ると、すぐにアクセルより速く走り出した。

 彼女の視野は広く、遠くても夜でも簡単に確認することができる。

 そんなアンのおかげで簡単にセレスティーヌを住宅通りの裏道で発見。

 犯人を刺す目的で持っていたナイフを今は自らの首に向けていた。

「アンは捕まえる」

 セレスティーヌに目掛けて屋上から飛び降りたアン。

 両手を掴んで、首からナイフを離す。

「いっ!」

 思わぬ重量にセレスティーヌは手首を捻り、ナイフは地面に円を描きながら滑っていく。

「アンは止めた」

「だ、だれ?」

「アン」

 自己紹介を短く終えて、アンはナイフを拾うとローブの内側に入れる。

「止めてくれるのは嬉しいけどボクのことは放っておいてよ、もう、死ぬしかないんだから」

 消えてしまいそうな声がセレスティーヌを俯かせた。

「アンはお前の事情をよく知らないが、勝手な思い込みはやめた方がいい」

「え?」

「アンは人を殺す、だから人の死は自分で決めれるものじゃない。誰かが決める、決めるのは人かどうかは知らない」

 深く被っていたフードを外すと、短い茶髪が少し伸びた様子で露になる。

「だったら……どうしたらいいの? 死ぬ以外に方法なんて、ないよ」

 色々な感情が混ざり合う思考に整理がつかないセレスティーヌ。

 表の通りから慌ただしい足音が聞こえ、アンは何も言わずに音のする通りへ目を向けた。

「アン、間に合ったか!」

「え、あっ」

 アクセルの姿が見えた途端、セレスティーヌは後ろに下がってしまう。

「セレスティーヌ、ちょっと落ち着いて話をしよう。いいだろ?」

「でも、ボク、ボクは」

「はぁ……誰もお前を責める奴なんていないし、悪いとも思わない。大事な家族の為にした復讐だろ? それだけでお前が良い子だってわかる。もし、お前を責めるような奴がいたら俺とアンが守る。自殺するつもりなら全力で止める」

 アクセルは髪を掻きながら、視線を上にしてなんとか言葉を口に出す。

「アンはお前がまともなことを言っているように見えた」

「そりゃな、俺だって一応ツライ過去があるんだぜ」

 二人の会話を呆然として眺めているセレスティーヌの瞳から少量の雫が零れていく。

 次第に口元から笑みを浮かべ、手を後ろに回す。

「もう」

 小さく吐かれた言葉にアクセルは目を丸くする。

「セレスティーヌ?」

「だったら最初からボクのこと、選んでよね。一応ボクも娼婦なんだから」

 満面の笑みでセレスティーヌは手を差し出した。

「ははぁ、年下に興味なくてな」

 アクセルはあまりにも小さい少女の手を自身の大きな手で包み込んだ。

 表の通りでは、壁に背を預けて待っているシンシアの姿。

 青いつり目を細めて俯いている。

 その隣にはバスが真面目な顔で静かに待つ。

 もうすぐ露天市場が始まる早朝のことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ