第四話
「はぁ賊?」
茜色に広がる空の下、町の商店通りにあるお店にて。
壁に背を凭れているのは筋肉質が一目でわかるほど密着した服とぶかぶかのズボン、腰にジャケットを巻いた青年は怪訝な表情だった。
青みがかった無造作な黒い髪を掻く。
「そうですの、盗賊のアクセルさんならご存知かと思いまして、本当に知りませんの?」
疑いの眼差しがアクセルと呼ばれた青年に降りかかる。
ドラゴンの巫女を務めている少女は小袖と緋袴の上から緑のエプロンを身に着けて、黒い長い髪を邪魔にならないよう後ろで結っていた。
「賊だもんね、アクセルは。関わっててもおかしくないかも」
「おい、イリスお前はこいつの言う事を信じるのか?」
「ちょっと、わたくしにはシンシアという素晴らしい名前がございますの。名前で呼んでくださいまし」
シンシアの隣にいる商人のなかで一番若い少女イリスが同じ様にアクセルを疑う。
赤茶のボブヘアに緑色の瞳。
動きやすい服装の上から焦げ茶のエプロンを着ている。
右手中指に血色の石が埋め込まれた指輪を填めて、人の目を引く。
「悪いけど俺は一人で行動するのが好きなんだよ、だから知らねぇよ」
「ぼっちな狼だね」
「寂しい狼ですわ」
二人の重なった言葉にアクセルは苦い表情で笑みを浮かべた。
「ま、仕方ありませんわ」
シンシアは頷いて、エプロンを取り外すと結っていた髪をおろす。
「町の外れにある丘に賊が住み着いているという噂や目撃証言もありますし、気をつけるしかないですわね。とにかく、イリスさんは一般人ですから気を付けてくださいな」
「うん、ありがとう。でも家に棍棒とかあるから賊ぐらいなら大丈夫だよ」
イリスもエプロンを外し、お店の片付けを始める。
昨日と売上は変わらないなど、楽しげに会話をしながら商品を片付けていくイリスとシンシア。
アクセルは何かがおかしいと目を細めては次第に蒼い瞳を大きく開けた。
「っておいおい! もう一週間経っただろ、お前帝都に戻らなくていいのか?」
その質問にシンシアは手の動きを止める。
嫌なことだったのか、シンシアは眉間に皺を寄せて目を逸らした。
「な、何の話ですの?」
「お前は帝都で巫女をしているのに、こんなところで働いている暇はあるのかって話だ」
「えっ駄目だってば、弁償をしてもらってるんだから帝都とか巫女とか関係ないよ」
イリスの困惑した声にアクセルは呆れてしまう。
「バカかイリス。ドラゴンに仕える巫女はたった一人で、かなりの重役だ。その巫女が帝都からいなくなったら教会や信者が困るだろ」
「ふーん、そういうものなの?」
首を傾げてイリスはシンシアへ。
「確かにわたくしは大事な役目を担っていますわ……ですが、その、弁償はしっかりとしないといけませんし」
左右の手を胸の前で重ね合わせて俯くと、ブツブツと呟いたシンシア。
「それに、背中のこともありますし」
横目で視線を送られ、思わずアクセルは苦笑する。
「あのなぁ、俺はお前が思っているほど気にしてないぜ。治療費なんて大したことなかったしな」
「その治療費はアタシが払ったからね」
イリスは事実を捻じ曲げられない様しっかりと補足。
「とにかく、わたくしは皆様に迷惑をかけた分償わないといけませんの、ですから帝都には戻りませんわ」
初対面の時とは違い、輝く青い瞳にアクセルは笑みを浮かべる。
彼女自身がそう言い切るのならこれ以上問う必要はない。
「それじゃ、俺は帰るよ」
二人と別れたアクセルは日が暮れる前に商店通りを進んでいく。
午前は人混みで溢れ返るというに、午後からは閑散としていて全く人気のない通りとなる。
だからなのだろう、鋼鉄の鎧に身を纏う帝国兵士の巡回している姿がはっきりと遠くからでも確認できた。
その横には帝国兵士専用の軽装鎧と上に羽織っている黒に赤いラインが入ったコートを着た人物。
深緑の宝石を埋め込んだ首輪が目を引く。
肩まで伸びた黒髪に凛とした顔立ちをした女性だとアクセルはすぐに理解する。
すぐに体を屈めると大きな体格は服ごと消えてなくなり、その代わりに灰色の毛が体を覆う。
蒼く丸い瞳をぎらつかせて、鼻と口を尖らせた。
大きな口にナイフのような鋭く太い牙。
勇ましく四本脚で立っているが、背中の一部の毛が少なく、抉られたような皮膚が痛々しく露出していた。
それでも気にせずに狼となったアクセルは悠々と帝国兵士の横を通り過ぎていく。
「さっきの野良犬、最近よくいますね。いつか人間に害を与えるのではないかと思うのですが、隊長」
狼は通り過ぎてからすぐに建物の狭い間へと入り込む。
隊長と呼ばれた女性は静かに首を横に振る。
「あれは野良犬じゃない、商人に飼われている店の番犬だ。人を襲うことはしない、それより町の外はどうだろう?」
「はい。丘の上にいるという噂は聞くのですが、偵察しても姿や形跡はありませんでした」
「そうか、なら別の場所にいるかもしれない、警戒は怠るな。それと、賊の姿があったら深追いはせずにまず私に報告しろ」
「はっ!」
右手を胸の中心に当てて一礼すると、帝国兵士はゆっくりと鋼鉄を軋ませながら進んでいく。
隊長だけが残った通りに再び狼は姿を現して、彼女の背中を視界に映す。
「最近盗みを働いていないようだが、あの店で番犬をする方がしっくり来るか?」
『……』
「そういえば帝国の巫女がこんな遠い町にいるのに、帝国から一切手紙が来ないのは何故だろう」
背を向けたまま隊長は落ち着いた声で独り言のように呟いた。
「どうでもいいことだったな、貴様も悪賊には気を付けた方がいい」
狼は鼻で息を吐き出すと隊長の背中から颯爽と離れていく。
商店通りの先にはボロボロの宿屋。
木の板の上にさらに板を打ちつけている箇所が多い。
辺りを見回して帝国兵士がいないことを確認すると、狼は後ろ脚だけで立ち身長を伸ばしていく。
覆われていた毛が消えていけば人の肌と衣服が出現。
眠たそうな目でアクセルは宿屋の扉を押し開け、宿主に軽く手を挙げた。
二階の部屋へと入れば薄汚れた継ぎ接ぎだらけのベッドに体を預ける。
横になってしまえば眠ることは容易い。
アクセルはすぐに目を閉じて意識を遠のかせる。
いつもならそうやって眠りに落ちていけるはずだった。
どうしたものか、アクセルは目を開けて上半身を起こす。
外はまだ暗く、一階は眠りを知らない宿泊客が楽しそうに騒いでいる。
階段をうるさく駆け上る靴音。
こちらへとやってくる、そう感じたアクセルは険しく目を細めて立ち上がった。
扉の取っ手に指先を伸ばそうとしたが、先に扉は引かれてしまう。
「アクセルさん! 今すぐ来てくださいまし!!」
軽く見下ろせば青く輝くつり目と慌てているシンシアの声。
気付けば手を掴まれ宿屋から説明もなく外へと連れ出されてしまった。
「なんだってこんな時間に、なんかあったのか?」
「何かあったではなく、あるんですの!」
「はぁ?」
「いいから走ってくださいな!!」
シンシアの言う通りに自らの意志で走ったアクセル。
商店通りを越して住宅通りへ。
同じ四角い建物が続くなか、一番端には木製の平屋が建っていた。
二人が到着したと同時に目の前を横切る影。
影は扉を遠慮なく押し倒して粉々に破壊してしまう。
木屑や砂が舞う煙で視界を遮られる。
「イリスさん!!」
シンシアは腕で目を覆い隠して大きな声で名前を叫んだ。
室内でも砂煙が舞ってよく見えない。
胸の鼓動が速度をあげて飛び出そうとするのを落ち着かせようと呼吸をするイリスは棍棒を持っていた。
フード付きの薄汚れたローブで体を隠す誰かに対して棍棒の先端を向けるも、腰が抜けている。
真っ暗な部屋に入ってきた誰かを知る余裕もないイリスはとにかく睨むしかなかった。
「アンはその指輪を貰いに来た」
フードの中から呟かれた少女の声。
革製のグローブを填めた手の人差し指がイリスの右手に向けられる。
「これは駄目、ぜ、絶対渡せない!」
「アンはお前を殺してでも奪う」
冷めた言い方にイリスは口を閉じている暇はない。
既にイリスの懐へローブ姿の少女が入り込んでいた。
棍棒の真ん中を膝で蹴り上げられ、木が破けて折られてしまう。
破片が飛び散り視界から通り過ぎていくのを見守ることしかできないイリス。
「え、うぅぐ!?」
抵抗する術もなく口を塞がれてしまった。
暗いフードの奥に見えた紅い瞳は感情を押し殺し、残酷で冷たい。
少女の片手にあるのは銀色に輝く短剣だった。
刃先はイリスを確実に獲物として捉えている。
瞬きもできず、イリスは目から溢れる雫を零し頬につたわせて様子を眺めることしかできない。
刃先がイリスの喉へ目掛けて動いた瞬間、短剣は真っ赤な灼熱の炎によって弾かれる。
少女は部屋の壁に突き刺さった短剣へ一度視界に入れて、今度は炎が飛んできた部屋の入り口へ。
そこには赤い宝石が埋め込まれた指輪を装備して得意気に微笑むシンシアの姿。
「今のわたくしは無敵ですわー!」
かかってこいと闘志を燃やすシンシアだったが、部屋にいたのはイリスだけ。
壁に突き刺さったはずの短剣もない。
「な、なんですの、暴れられると思いましたのにぃ」
「えらい物騒な巫女だな。てかシンシア、恩恵の指輪なんてどこから出した?」
ついこの間に砂となって消えた恩恵の指輪にアクセルは首を傾げる。
「ドラゴンに今さっき創っていただきましたの、つまり赦して下さったのですわ」
「神にしては随分と甘いことで、まっ、それでイリスが助かったからいいけど」
先程から腰を抜かして座り込んでしまっているイリスにアクセルは手を差し伸べた。
「あ、ありがとう。ごめん、なんかまた迷惑かけちゃったね」
目や頬につたう雫を袖で拭き取りながらイリスは感謝と謝罪を述べてアクセルの手を掴む。
「お前は悪くないさ。それにその指輪、どうしても欲しい奴らが多いみたいだな、さすがに一人じゃ心配だし今日は宿屋に泊まるか?」
「う、ん」
さきほどの状況が頭のなかに深く刻まれてしまったイリスは言葉を重くして頷いた。
ただ大切に強く右手を握りしめるイリス。
ボロボロの宿屋に戻ってイリスはシンシアが借りている部屋で一晩を過ごす。
翌日、いつものように露天市場が開催されているが、イリスは誰もいないお店で市場を眺めていた。
「イリスちゃんどうした?」
「調子悪いの?」
商人仲間や町の人々に声をかけられて、イリスは力のない笑顔で大丈夫と一言。
「シンシア、あの指輪について知ってるか?」
路地裏からその様子を覗いているアクセルはシンシアへ指輪について訊ねる。
「騎士団長はドラゴンに関係する大事な指輪だと仰っていましたわ。それ以上のことは何も知らされていませんの」
「へぇ、ドラゴンは何も言ってないのか?」
シンシアは耳を空へ傾けると、相槌を打つ。
「調べなければわからない、そうですわ」
神として崇められているはずのドラゴンがわからない、返答を聞いたアクセルは肩をすくめる。
「ははー、期待はするもんじゃないな」
特に何かがわかることはなく、アクセルは静かに路地裏でイリスを視界に映した。




