第三十四話
よろしくお願い致します。読んで頂ければ幸いです。
静まり返った真夜中、緑が広がる丘の頂上で若い商人のイリスが座り込んでいた。
赤茶のボブヘアが風によってふわりと揺れ、緑色の目を細める。
赤く光る石が埋め込まれた指輪を右中指に填めているイリスは、眠気もなく三日月の空を見上げた。
「シンシアもきっとこんな感じなんだ。眠たくもないし、お腹も減らない、でも……どうしてアタシにこんな恩恵を?」
上を見ながら誰かに問いかけると、イリスの耳元だけに低い声が囁く。
『アノ女ヲ殺スニハ、ソレダケノ恩恵ガ必要』
「痛みを全て取り払ってもアタシに戦う力なんてないよ」
眉を下げて首を横に振ったイリスに、低い声は笑う。
笑われたことで不快な気持ちを覚えたイリスは指輪を睨んだ。
『コノ指輪コソ、武器デアル』
「指輪? シンシアも言ってたけど、これは魔術が扱える人でしか意味がないんじゃないの?」
素朴な疑問を浮かべたイリスは首を傾げる。
『我ノ恩恵ハ特別。負ガアレバ魔術ガ扱エル』
負という単語に納得できないイリスは口角を下げて息を深く吐いた。
「どうしてなんでアタシに負があるの? アタシは別になにも復讐とかそういうのなんて興味なんか無いのに」
低い声がもう一度笑うと、突如指輪から赤い光が拡がり、姿を形成しながらイリスの目の前に現れる。
赤い光は二メートルの巨体を作りだして、深紅の鱗をもつ爬虫類と似た容姿で背中には鱗の翼が生えていた。
『オマエノ心ノ奥深クニ、負ガ見エル。負ハ復讐ダケデ作ラレナイ……』
神のような存在であるドラゴンの仲間、リザードドラゴン。
「え?」
神々しさよりも狂暴な外面をしているリザードドラゴンに圧迫感を与えられてしまう。
『オマエノ無力サガ負トナリ、我二伝ワッタ』
イリスは顔を引き攣らせた。
否定したいイリスだが、胸がざわついて言葉が出せなくなる。
胸元の布を強く握りしめてゆっくりと首を横に振り、イリスは俯く。
「イリスさん?」
『ムゥ』
聞き慣れた少女の声に驚いたイリスはリザードドラゴンに指輪を向ける。
無言で戻るよう訴えると、大人しく赤い光となって指輪へ吸い込まれていった。
一人になったイリスは恐る恐る振り返る。
後ろには小袖と緋袴を着た巫女のシンシアが青いつり目を細めて、イリスがいる位置にまで歩み寄ってきた。
「ど、どうしたの? こんな時間にっ」
立ち上がってみて気付いたのは下半身が震えていたこと。
よろけながら後ずさると、シンシアが怪訝な表情を浮かべている。
「さきほど、ここでドラゴンの気配がしましたわ。イリスさんこそ起きていて大丈夫ですの?」
「うーん、ちょっと眠れなくってさ」
困ったような笑顔を見せるとシンシアは睨んできた。
「世界を掌握している彼に貴方のような未熟者が勝てると思わないでくださる? いくら同族でも……次は容赦しませんわ」
鋭い棘を刺すかのような冷たい言葉と声。
「なに言ってるの?」
「イリスさんも誤魔化さないでくださいな。リザードドラゴンが逃げたのは知っていますわ、過剰な恩恵を一気に与えられて負担だって大きいはずですの。これ以上イリスさんに危害を加えるようなら」
氷漬けにされるのではないかと思える視線を送るシンシアは、赤い石が装飾された指輪を填めた左手を握りしめた。
「貴方程度の存在……わたくしが消してやりますわ」
睨むのをやめて一度瞼を閉ざしたシンシアは黙り込むイリスに背を向けて、町に戻っていく。
立っていられなくなった両脚はがっくりと丘の地に座り込んだ。
息を詰まらせたイリスは深呼吸を繰り返しながら、自身の体を抱きしめる。
『早ク、我ガ消サレル前ニ目的ヲ殺セ』
「お父さんみたいに復讐とかそんなの、できないよぉ!!」
吐き出した言葉が届いたはずだというのに返事はない。
緑の目から溢れる透明な雫と嗚咽する声が漏れ、真夜中の丘でイリスは泣き続けるしかなかった。




