第二十六話
大陸が焼き消えたわけでもなく、帝都も消滅していなかった。
白いのは毛並だろうか、灰色の狼は思わず見上げてしまう。
隣にいる少女シンシアと小さいドラゴンも同じように見上げる。
「な、ななな」
シンシアは誰よりも早く気付いて思わず座り込んでしまった。
次に灰色の狼は少年時代を思い出し、脳裏に浮かぶのは言葉を話す大きな狼の姿。
人の姿に戻り、身長の高い青年アクセルは呆然として立ち尽くす。
目の前にいる巨大なリザードドラゴンと同じように帝都の建物を跨ぐのは白い毛並をもつ巨大な狼だった。
『この時を待っていた……いずれ反旗を翻す若い者が出てくるだろうと予想はしていた。この為に戦力を増やし、待っていたぞ』
落ち着いた低い声は狼から発せられている。
帝都の周りには仲間である狼達が何百匹と揃い、埋め尽くされていた。
『フェンリル』
名を呼ばれたフェンリルは牙を剥き出しに口を広げ、リザードドラゴンに向かって咆哮。
仲間の狼達も共鳴するかのように吠える。
咆哮は全てを薙ぎ倒す風を吹かし、地を揺らす震動を起こした。
アクセルはすぐにシンシアと小さいドラゴンを庇うように体で覆い隠す。
耳が千切れそうな鳴き声にアクセルは表情を歪める。
リザードドラゴンは簡単に吹き飛ばされ帝都の壁を崩しながら後ろの海へと背中から倒れていく。
『バ、バカナァ!』
予想もしていなかった事態に若いドラゴン達は次々と曇天の空へ逃げて、残されたリザードドラゴンは慌てていた。
『愚かな、所詮若気の至り。我は弱者と争うつもりはない、シルバードラゴンも我と同じく争うつもりはないと言っていたはず』
「フェンリルなのか、本当に」
アクセルは脱力気味に呟き、気を失ったシンシアを抱えている。
『どこかで会ったか? 我と同じ匂い、我が子か』
「我が子って俺はアンタの子じゃない」
『血を飲めば我の子となる、しかもそこにいるのはドラゴンの巫女……シルバードラゴンの娘、のような存在か』
息を鼻から出して、フェンリルは起き上がったリザードドラゴンを睨む。
『マダダァ!』
口腔内に作る灼熱のマグマを吐き出そうとするリザードドラゴンは口を大きく開けた。
しかし、それは一瞬にして消され、口が空になったリザードドラゴンは上を見る。
雨が降っていないのに微かに匂いが漂う。
銀の翼を勇ましく広げる柔らかな鱗をもつドラゴンの姿は大陸の支配者と名乗っても問題はない。
「シルバードラゴン?」
アクセルは見覚えのあるドラゴンに目を疑う。
シルバードラゴンは何も言わず、ただ沈黙を貫いてリザードドラゴンを空から見下ろす。
『ナ、何故!?』
驚くリザードドラゴンの周りを囲んだのは白く光り輝く円。
光る円は身動きがとれないように胴体を縛りつけて、リザードドラゴンは光と共に粒子となって散らばってしまう。
『コンナ、トコロデェエエ!!』
呆気なく姿が消えた途端、曇天が引いていき青い空が広がった。
シルバードラゴンは静かに空に向かって羽ばたいていくと、小さいドラゴンも追いかけるように飛んでいく。
『さて、しばらくは大人しくなるだろう。そろそろ戻してやろう、我の血を取り除きたい者は集まれ、死にはしないから安心しろ』
次々と狼達が集まりだし、アクセルとシンシアの周りは百を超える狼の大群。
いとも簡単に狼を人間の姿に戻していくフェンリルにアクセルは目を細めた。
『お前達はどうする?』
「お前達?」
辺りを見ると銀の鎧を着た金髪碧眼のバスと小柄な狼、白銀の狼がいつの間にか集まっている。
「いつからそこにいたんだよお前ら」
『ワシはいいさこのままで』
アクセルを無視して小柄な狼は拒否を示す。
白銀の狼も拒否を示した。
「僕もこのままでいます」
バスも同じく拒否を示し、アクセルは肩をすくめる。
「俺もいいよ、このままで……今更元に戻っても生活は変わらないしな。こっちの方が盗み易い」
答えを聞いたフェンリルが音も無く姿を消した途端、帝都の建物全てが元に戻っていた。
焼き殺されたはずの住民達も嘘のように生きている。
記憶と疑問だけが残った住民は顔を合わせて首を傾げた。
アクセルはバスと目を合わせて笑みを浮かべ、シンシアを起こす。
「おい、シンシア、起きろ!」
「巫女様に乱暴なことをしないでください!」
シンシアの肩を揺らしたアクセルに怒るバス。
「なに怒ってんだよ、シンシアは丈夫だ安心しろ」
「そういう問題じゃない!」
言い争う二人の声に眉をひそめて目を開けたシンシアは少し呻く。
「ん……なんですの?」
「巫女様! 無事でしたか!?」
アクセルの腕からシンシアを一方的に奪う行動に肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
振り返ると既に二匹の狼は姿を消していた。
未だ信じられないとばかりに住民達は慌てていて、ドラゴンを疑うような話も聞こえてくる。
「ん?」
アクセルはふと、ポケットに硬い物が入っていると気付いて取り出してみると中には赤い宝石が埋め込まれた指輪が入っていた。
「いつの間に、イリスの指輪だよな」
「君か、君だね、ゴルバードから私を助けてくれたのは!」
黄金のローブを着た老年の男が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「あ、うん、何だ?」
「いやぁ助かった、もう少し命を奪われるところだったよ。お礼は何がいい? なんでも出すぞ」
勢いが良すぎて引いてしまっているアクセルは苦い表情で後ろに下がった。
「でしたら、商人が集まる町に送れるよう馬車を用意して頂きたいですわ」
間に割り込んだシンシアは微笑みながら要望。
「これは巫女様、ご無事で何より。馬車ならいくらでも出すぞ」
気前のいい態度にアクセルは思い出す。
「ここで、公開処刑をされたアヤノって女隊長は本当に、本当に処刑されたのか?」
シンシアとバスは表情を固くして体を強張らせる。
「アヤノ隊長は非常に優秀な子だ、確かフェンリルの呪いで捕まったと聞いたが……ここ最近帝都で公開処刑もないし、彼女が処刑されたとは聞いてないね」
老年の男は首を傾げながら答え、アクセルは今日一番大きく目を開けて耳を疑った。




