第二十二話
「それで、イリスとアンは大丈夫なのか?」
町の小さな診療所で治療を受けたアクセルは隣にいるシンシアを見下ろした。
シンシアは難しい表情で首を横に振る。
「アンはしばらく動けませんわね、お腹をちょっと噛んだとあの狼は言っていましたけれど、深いとこまで噛まれたみたいですわ。イリスさんは、その、重症ですの、指輪が多分……原因だと思いますわ」
「どういうことだよ?」
思わず睨んでしまったアクセルは睨み返されてしまい、すぐに目を逸らした。
「深くは分かりませんけど、恐らくあの指輪がイリスさんの命を繋ぎとめていますの。恩恵の指輪が無い今、確実に生命を奪われていきますわ」
はっきりと告げられた答えに、アクセルは笑うこともできずただ口を閉ざす。
シンシアは黙っているアクセルに呆れつつ、息を吐く。
「バスが狼砦で待っていますわ……心配ですけどイリスさん達は医者に任せて行きますわよ」
「そう、だな」
夕暮れ時の町は静かで、住民達は外に出ていない。
町から少し離れた丘の下にある狼砦は木々に覆われて小さな森を作っている。
森の中へ入ると大きな岩が中央にあり、その上に小柄な狼がお座りの状態で待っていた。
岩を囲む他の狼達と別に銀の鎧を纏う金髪碧眼の青年が爽やかな笑みを崩さずにアクセルとシンシアを出迎える。
「よくそんな笑顔でいられるな、バス」
会うなりバスに対して冷たく当たるアクセル。
「イリスさんには申し訳ありませんがこうするしかなかったんです。ゴルバードの手に渡ればドラゴンは絶対血の誓約を持ち掛けてくるはず、そうなれば帝都はドラゴンによって火の海になるでしょう」
「へぇ、どうしてそれがわかる?」
アクセルは前で腕を組んで眉をしかめる。
「フェンリル様は予想していました。ドラゴン達がこの地を滅ぼそうとしていることを、その為に人間から復讐や欲望を吸い取っているんです」
「それを分かっていながらどうしてイリスさんの指輪を渡しましたの?」
怪訝な表情を浮かべているシンシアに、バスは小柄な狼と目を合わせて頷く。
「いつまでも続くドラゴンとの因縁を消し去るには一番確実な方法はおびき寄せることです。帝都に現れたドラゴン達を一掃させ、フェンリル様が間違いでないことを証明して平和を取り戻します」
頭の中に浮かび上がる巨大なドラゴンの姿に、アクセルは無言で肩をすくめた。
岩から見下ろしていた小柄な狼はアクセルの足元に飛び降りる。
『あのお嬢さんを助けたいならフェンリルに力を貸しておくれ、ドラゴンを倒すことができるのは巫女さんか、フェンリルの血を飲んだワシらだけなのさ』
「はぁ? あんなデカい奴らをどうやって倒すんだ? さすがに無理だろ」
小柄な狼は低い笑い声でアクセルの周りを歩き、見上げた。
『フェンリルの血を持つワシらの牙はなんでも噛み切ることができる。ドラゴンの硬い皮膚でさえ通すここともできるのさ、お前さんだって有効活用している速さや跳躍力、他の獣を凌駕する能力があるのだから大きさなんて関係ないさ』
アクセルは眉をしかめて無言でシンシアに視線を向けると、苦い表情で口を閉じている。
左手を右手で覆い隠し、俯くシンシアにバスは目を細めた。
「巫女様……気が引けますか?」
「いいえ、そんなことはありませんわ」
首を横に振ったシンシアは涼しい顔で左手を握り締める。
『さて、準備ができたら出発、出発。また声をかけてくれ』
呑気な口調で小柄な狼は岩の上にもう一度飛び移り、伏せの姿勢で待つ。
「わたくしは外を見てきますの」
長い黒髪を揺らして砦から離れるシンシア。
アクセルはバスの首に巻かれたアクセサリーに目を向ける。
その視線に気付いたのか、バスは自らの首に手を添えた。
「アヤノがしていたのと同じ物です。僕もアナタのように自由に狼化できるわけではないので」
アクセルは腰ベルトの収納ポケットから深緑に輝く宝石が付いた首輪のアクセサリーを取り出す。
「本当に、アヤノは処刑されたのか?」
「ええ、すぐに公開処刑をされたと僕は聞いています。ですが彼女は優秀な兵士で、帝国がそう簡単にアヤノを処刑をするなんて未だに信じられないですよ」
望んでいた答えでもなく、遺品となったアクセサリーを握り締めるアクセル。
蒼い目を細めて唇を噛む。
「とにかく、帝都に向かいましょう」
行先だけがはっきりとしている。
アクセルは収納ポケットにアクセサリーを戻していつもの眠たそうな目で欠伸をした。
彼の姿を見て、バスは爽やかな笑みを浮かべている。
「おい、じいさん、帝都に行くぞ」
『ほいほい、巫女さんとお前さんはバスが用意した馬車に乗りな、ワシらは後ろ、バスは先頭を走ってくれさ』
体を起こした小柄な狼は群れを呼んで砦から抜けていく。
外に出ると筋骨隆々の白い牡馬二頭と後ろに付いた箱状の乗り物がアクセルを待っていた。
シンシアは既に乗り込んでいる。
白馬に乗ったバスは先頭を進み、アクセルに視線を送ると駆け出していく。
「いやぁ、おかしいだろ……この馬車」
『なにがさ?』
「じいさん、狼が馬車を操れるのかよ」
馬車の綱を咥えている白銀の毛並をもつ狼を指して、アクセルは怪訝な表情を浮かべる。
『大丈夫、大丈夫。彼は昔、御者をやっていたから安心しろさ』
「いや、でも」
『いいから安心しなさい、人間には戻れなくても体が覚えているもんさ』
不安が拭い切れないまま説得され、アクセルは無言で肩をすくめた。
「頼むから事故はやめてくれよ」
『バゥ!』
元気の良い鳴き声に苦い笑みを浮かべて馬車に乗り込む。
身長が高く、筋肉質のアクセルには少し狭い空間。
待っている暇もなく馬車は揺れながら動き出す。
二頭の馬が同時に駆け出すと、後ろにいる小柄な狼達もついて行く。
何度か頭を壁や頭にぶつけ、不満を詰め込むアクセルと、そんな彼を見上げるシンシア。
「不憫な体ですわねぇ。アクセルさんのせいでわたくしも少し窮屈ですわ」
「うるせぇ、悪かったな大きくて」
苛立ちが隠せないアクセルは荒れた口調で返す。
シンシアは目を細めて睨むと、背中を壁に深くもたれさせる。
「家族は、いませんの?」
話題を変えた質問に、アクセルは口を半開きにさせた。
「子供の頃に死んだよ」
「そう……ですの、寂しいですわね」
「まぁ生きるのに精一杯だったし、深く考えたことはないな」
欠伸をして、眠たそうに目を細めるアクセル。
「そういうお前は、家族はいないのか?」
質問を返されたシンシアは口を強く閉ざす。
「言いたくないなら別に」
「血の誓約を行いましたわ」
遮ったシンシアの冷めた声、アクセルは黙って耳を澄ます。
「五歳の時、シルバードラゴンがわたくしに誓約を持ち掛けてきましたの。何も知らなかったわたくしはドラゴンとお話ができるという夢のような能力が欲しくて血の誓約を行い、すぐにお父様やお母様、お姉様、妹、弟達に知らせようと客間に行きましたわ」
シンシアは膝を抱え込み、丸くなる。
「客間にいたはずの家族が、いなくなっていましたの……どこを探してもいなくて、後で信者達に誓約について教えられましたわ」
馬車は時折左右に揺れて上下に跳ねてしまう。
その度天井に頭をぶつけているアクセルだが、気にすることなく目を細めて口を閉ざす。
シンシアの左手に光る赤い指輪を視界に映した。
「それでも、一緒にいるんだな」
「信者達からドラゴンを崇拝しろと教え込まれましたから恨むなんて気持ちがありませんでしたわ」
背を壁に密着させて足を伸ばしたシンシアは余裕の笑みでアクセルを見上げる。
「そういや、空がどうとか言ってたけど、大丈夫なのか?」
「ずっとシルバードラゴンから返事がありませんの。前の信者ではなくもっと別のこと、本格的にリザードドラゴン達が動き始めている証拠ですわ」
険しい表情のシンシアにアクセルは肩をすくめた。
「間に合うのかよ、こんな馬車で」
黙って首を横に振ったシンシア。
「イリスは何も悪い事なんてしてない、なのになんであいつが一番苦しまなきゃいけないのか分からない」
「イリスさんのお父様がリザードドラゴンと約束した可能性が高いですわね。長い時間あのままですと、指輪に吸い込まれるかもしれませんわ」
最悪の事態ばかりが頭によぎるアクセルとシンシアは同じ様に俯く。
帝都は遥か遠く、一日で辿り着けるような距離ではない。
ただ何もできないまま乗っている二人にこれ以上会話は無かった。




