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第二話

 露天市場が終わった午後に灰色の毛をもつ狼がやってきた。

 蒼い丸い瞳をぎらつかせて人気のない路地を通っていく。

 人間では入ることもできない壁と壁の間を抜けたその先は、市場の賑やかさが消えてなくなった寂しい町と化している。

 露天市場を片付けた商人達は奥のお店へと引っ込み、合同で様々な品物を売っていた。

 その中には雑貨品を取り扱う十代後半の少女も商売に勤しむ。

 赤茶のボブヘアに緑色の瞳。

 右手中指には血色の石が埋め込まれた指輪を填めて、何よりも人の目を引く。

 狼は音も出ない歩みでお店まで進むと、雑貨品のなかで咥えやすい物を探し始めた。

「カッコイイ……犬」

 尖った耳が声のする方向へ反応。

 至近距離から発せられたのは少女の声だと気付き、狼は物に触れるのをやめる。

 隣に顔を向ければ真っ黒な日傘を差した小さな少女がこちらを見ていた。

 目線も大して変わらない身長で貴族を思わせる高価なドレスを身に纏っている。

 金色の長い髪を右側に結び肩に垂らし、大きな茶色の瞳を輝かす。

「野良犬、でもキレイ」

 残念なことに犬ではない。

 狼は固く口を閉じて蒼い瞳をぎらつかせる。

「いらっしゃい、ニーナ。今日は調子が良さそうだね」

 外の様子に気付いた少女が奥から姿を現した。

 動きやすい衣服の上に焦げ茶のエプロンを着ている。

「イリス、犬がいる!」

 ニーナと呼ばれた少女は嬉しそうに狼を指して犬という。

 狼へイリスが目をやると、すぐに悪戯な笑みを浮かばせて頷く。

「この店の番犬なの。カッコイイでしょ?」

「凄い、凄い、カッコイイ!」

 狼の頭や胴体を撫でまわすニーナ。

 撫でられたところで嬉しくない狼は眉を下げてイリスを睨みつけた。

 イリスは心を読み取ったのか笑顔で狼へ手を軽く挙げる。

「犬もいいけど中も見てってね」

「うん。バイバイ番犬さん!」

 手を振られても狼の蒼い丸い瞳は睨んだままおすわり。

 楽しそうに品を眺めては手に取って隅々まで見ているニーナと、商品の扱い方と説明をするイリスの話し声を嫌でも拾ってしまう耳、狼は地面に伏せた。

 時間を潰していると、狼の視界に商店通りを散歩の道として歩いている貴族が映る。

 ニーナと同様にドレスを身に纏う少女で、大人びた雰囲気が漂う。

 なにやらお店の方へ微笑みながら手を振っている。

 狼が体を起こして後ろを覗くとニーナが手を振っていた。

「ニーナの友達?」

「う、うん。同じ学校のクラスの子」

「へぇそうなんだ。あーあ、アタシも学校に行けば良かった」

 ニーナの表情はどうも笑っているようには見えない。

「よくないよ、だってみんな身長が高いし」

「身長が高い? そうかなぁ、皆平均的な身長だと思うけど」

「うー、私の身長が低いの!」

「ありゃ、そうだった」

 イリスは決して否定せず、呆れた狼は大きく鼻から息を吐く。

「もうちょっと大きかったらいいのに、体は弱いしカサがないと歩けないし、いいこと全然ない」

「これからだって、まだまだ大きくなるよ」

 イリスの慰めに首を横に振ったニーナ。

「父様も母様もいつもそう言ってるけど、大きくならないもん」

『……』

 関わるつもりはなかった狼は静かに店内へと入り、苦い表情をしているニーナに近寄る。

 身を屈めた狼はニーナよりも低くなり伏せの態勢となった。

「えっと、どうしたの?」

「乗れってことじゃないの、多分」

「お、重いよ、折れちゃう」

 慌てて両手を胸元で振って拒否を示すが狼は鼻息を吐くだけ。

「ニーナが重かったらアタシはどうなの」

 イリスは口を膨らまして眉を下げた。

「いいの?」

 狼は伏せの態勢で待ち続ける。

 ドレスの裾を捲って、恐る恐る跨ったニーナ。

 背中に跨ったのを確認して狼は楽々と立ち上がった。

 ニーナの視界はいつもより高くなり、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。

「すごい、凄い!」

 歓喜を口から表現して目を大きく輝かせた。

「ニーナってば可愛い。それと、番犬も」

 イリスの冗談も含めた言葉と笑いに狼はきつく睨む。

「はいはい、いい子いい子。このまま一周してこれば?」

 その提案を快く受け入れたニーナは狼の背中を軽く叩く。

 狼は渋々町を歩き始めた。

 世界が違って見えるのだろう、ニーナの首は右や左と止まることを知らず動き続ける。

 寂れた商店を通り過ぎて町の上にある貴族通りへと向かう。

 豪華な装飾を施した建物や通路の端に咲く色鮮やかな花々、貴族の人達は狼に乗ったニーナを驚いた様子で眺めている。

 そのなかにはニーナの同級生もいて、楽しそうに手を振ってくれた。

 貴族通りから今度は住宅街へ。

 住民達は気にも留めずに二人を素通りしていく。

 軽装鎧で巡回している帝国軍の兵士達はニコニコと微笑みながら狼とニーナを眺めている。

『……』

 狼はそのなかにいる住宅の壁にもたれている帝国軍兵士を睨みつけた。

「……」

 両腕を前で組み、笑うこともしない兵士は狼を見下ろす。

 深緑の宝石が埋め込まれた首輪をつけた兵士をたった数秒だけ睨み、狼はすぐに顔を前へ向き直した。

 夕方になり商店通りへと戻ればイリスが大きく手を振って狼とニーナを迎えてくれる。

「おかえりぃ、どうだった?」

 狼は伏せの態勢になって、ニーナを背中から降ろす。

「もぉーってくらいすごかったよ!」

 興奮止まらぬ様子で感想を述べるニーナをよそに狼はさっさとその場から去っていく。

 商店通りから少し歩けば宿屋に辿り着いた。

 今にも倒れそうな木造建て二階、壁の所々が板で塞がれている。

 軋む扉を開けたのは人間の手。

 触れなくとも筋肉質の体が服の上からでもわかるほど硬い。

 青みがかった黒髪は無造作にはねている。

 眠たそうな蒼い瞳を細め、宿主に手を軽く振って二階へと上がっていく。

「あー、面倒な子供に会っちまった」

 独り言を呟きながら借りている部屋へと入り継ぎ接ぎだらけのベッドに寝転る。

 考えている暇も悩む暇もなく、あっという間に深い眠りに落ちていく青年。

 一瞬にして目を覚ませば青年は思考ができないまま、明るい光が射しこむ窓を眺める。

 透明な空が広がる外の世界につい気だるさを覚えてしまう。

「目を閉じただけでなんですぐに朝が来るのか。あー、やる気が出ない」

 不満を声にして宿屋から出ていくと、観光客と商人の賑わう市場と化した商店通りが目の前に広がる。

「アクセル、アクセル!」

 名前を呼ばれたアクセルは声のする方向へ顔を向けた。

 両手いっぱいに荷物を抱えたイリスが近づいてくるのに気付き、アクセルは肩をすくめてしまう。

「番犬として今日も頑張ってよ」

「嫌だ、またあの子供が来たら俺の仕事ができなくなる。今日はこのままいるぜ」

「えー、じゃあ荷物持って」

 イリスに品物の入った荷物を渡されてしまう。

「さぁ行くよぉ!」

 身軽となったイリスは先陣を切って賑わう露天市場へと進んでいく。

 アクセルは息を吐き出して両腕に抱えた荷物と一緒に市場へと向かう。

 掻き分けることの難しい人混みのなかを歩く二人。

「あのニーナって子供、貴族だろ」

「そうだけど、なに?」

「庶民の店に何故わざわざ来るのかってこと」

「貴族が庶民の店に来ちゃ駄目? ニーナは良い子だし可愛いし、大好きだよ」

「まぁ、そうなんだけど」

 ニーナの体温がまだ体に残っているアクセルは昨日のことを思い出す。

 用意されていた木造台車に品を並べ始めるイリス。

 その横でアクセルは大きく伸びをして息を吸い込んだ。

 目を擦りながらイリスの右手中指を覗き込む。

 指輪が填められた指先を掴むと、何も言わずにアクセルは眺め続けた。

 赤い石は見れば見るほど生きている様に映る。

「なに? アクセル」

 指先より上に視線を向けると、手を止められてしまったイリスの怪訝な表情。

「いや……この指輪、一体どこで手に入れた?」

 質問にイリスは俯いて目を逸らす。

「別にどこでもいいでしょ、アタシの大事な宝物なんだから。もう盗まないでよ」

 指先が離れ、イリスは商売に集中する。

 肩をすくめたアクセルはその場でしゃがみ込んで、時間を潰していく。

 賑わう午前が終わりを告げて、次第に人混みが消え始める。

 いつもと変わらぬ閑散とした商店通りに戻ると商人達は奥へ引っ込んだ。

 イリスもまた品を片付けてお店に戻っていく。

「今日はあんまり売れなかったなぁ」

 不満を呟くイリスの横で商品が詰め込まれた木箱を抱えたアクセルは眠たそうに目を細める。

 ふと、通りの向こうから日傘を差して歩く少女が視界に映った。

「あの子、今日も来たぞ」

「へぇ、続けて来てくれるなんて珍しいかも、番犬のおかげかなぁ」

 面白そうに言われたアクセルは苦い表情のままお店の奥に木箱を置きに行く。

「イリス!」

「いらっしゃい、今日も調子良さそうだね」

「うん、すっごい元気!」

 ニーナは笑顔で答えながら首を右に左にと動かして、誰かを探していた。

「番犬は今日は家で留守番中」

 すぐに気付いたイリスはアクセルを覗き見しながら伝える。

「ふぇー、そうなの? 遊ぼうかと思ったのに」

「気まぐれだからねぇあの犬は」

「はいはい悪かったな、気まぐれで」

 ニーナに聞こえない様小声で呟いたアクセル。

「珍しい商品もあるから、見てね」

「うん、見せて見せ……て」

 雑貨に目を通す前にニーナは奥にいるアクセルと目を合わせた。

 茶色の瞳は瞬きを忘れ、直視する。

「あー?」

 固まってしまったニーナはぎこちない動きで一歩後ろへと下がってしまう。

「ニーナ、どうしたの?」

 イリスが声をかけるとニーナは静かに人差し指を真っ直ぐに伸ばす。

「なんか、怖い人がいる」

「あれはお店の用心棒だよ。ね、アクセル」

「ま、盗み以外はしないね」

 アクセルはゆっくりとニーナの方へ歩み寄っていく。

「お、大きい……お兄さん」

 首が痛くなるほど見上げなければ顔がわからないニーナ。

「そりゃどうも。お嬢さん貴族の子でしょ、なんでここに来てんの?」

「ちょっとアクセル!」

 イリスに袖を引っ張られるが、アクセルは動こうとせずにニーナを見下ろす。

 しかしニーナは質問をされても答えようとしない。

 それどころか手を震わしている。

 日傘を持っている手は親指から順番にほどかれ、日傘が持ち主を失う。

 重力に逆らえずに地面へと落ちてしまえばニーナは顔を青ざめてゆっくりと目を閉じる。

「ニーナ!?」

 立てなくなったニーナは膝が折れ、バランスを崩して背中から後ろへと傾き始める。

 すぐにイリスが腰へと手をまわして受け止めたので倒れることはなかった。 

「貧血、かな」

 意識はあるようで、イリスは軽々とお姫様抱っこをする。

 周りの商人達も心配な様子で集まってきていた。

「今からアタシが家に送るから、アクセルは店番をしてて。ほら皆見せ物じゃないから仕事仕事!」

 一番最年少のイリスに言われ、商人達はすぐに元の売り場へと戻っていく。

「ニーナの前では狼の姿でしか会えなさそうだね」

「ああー、面倒なこと」

 アクセルは頭を掻いて大きく息を吐き出した。

 貴族通りへと向かったイリスとニーナ、残されたアクセルは眠たそうに目を細めて雑貨品を触る。

「失礼します」

 お店の前で立ち止まった客人。

 横目で覗くと、小袖と緋袴を着た少女だった。

 つり目の青い瞳で長く黒い髪。

 品位のある立ち振る舞いに、アクセルは苦い表情を浮かべた。

「あー……えっと、いらっしゃい?」

 イリスがお客相手によく使う言葉を真似してみる。

「雑貨屋を営むイリスという方にお会いしたいのですが」

「悪い、しばらく帰ってこないよ」

「そうですか、それでは帰って来るまで待ちます。よろしくて?」

 アクセルは軽く数回頷いた。

「お好きにどうぞ」

 アクセルの目に留まったのは左手中指にはめられた真っ赤に光る指輪。

 イリスと似たような指輪であることに気付き、ずっと眺め続けていると、怪しまれたのか静かに睨みつけられ目を逸らす。

 戻ってくれば事情はわかるだろうと、お店の奥へ引っ込んだアクセルは壁にもたれて時間を潰した。

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