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第十七話

 毎朝露天市場が賑わう町に戻ってきて七回目の朝。

 継ぎ接ぎだらけのベッドで深い眠りにつく身長の高い男は上半身だけが裸で、鍛えられた筋肉を惜しげも無く露出している。

 隣の部屋を借りている少女は鍵もしていない扉を開けて、青いつり目を細めた。

 左手の中指には赤い宝石が埋め込まれた指輪。

 緋袴と小袖姿で長い黒髪を歩く度揺らしている。

「アクセルさん、いい加減起きて下さいまし! これで五回目ですわ!!」

 名前を呼ばれてアクセルは青みがかった黒髪を掻きながら起きた。

「ああ、シンシアか。何用で?」

 ベッドに腰掛けてアクセルは大きな欠伸をする。

「呑気ですわねー、そろそろ今の現状に向き合ったらどうですの」

「と、いうと?」

 呆れながら差し出されたシンシアの右手の上には深緑の宝石が光り輝く装飾品があった。

 一気に瞳孔が開き、アクセルは口を閉ざす。

「アヤノ隊長が持っていた魔術師の装飾品ですわ。強い魔力で狼になるのを抑えていましたのね……どうなったのか知っているのに、それ以上を探ろうとしない。あなたと隊長は薄い関係でしたの?」

 掌を出すと、装飾品をその上に落とされる。

 ゆっくりと握りしめたアクセルは肩を落とす。

「じゃあお前は知ってるのか、アヤノがどうして処刑されなきゃいけなかったのかを」

「残念ながらわたくしが知っているのは隊長が部下に捕えられ、処刑されたということだけですわ」

 今のところ有力な情報はない。

 アクセルは立ち上がると、いつもの肌と密着する黒いシャツを着て腰にベルトをつける。

 短剣が装着されているのを確認して、茶色のジャケットを腰に巻く。

 窓の外に広がる空を眺めていると、アクセルは何やら眉を下げて頭を掻いた。

「あーもうすぐか」

「なにを一人で呟いていますの?」

 怪訝な表情を浮かべているシンシア。

「一年に一回だけ、色々あるんだよ。厄介なことが」

 眠たそうな目でだらしくなく歩き、アクセルは部屋を出ていく。

 廊下に一歩、足を踏み出しただけで動きを止める。

 目の前には呆れ顔の宿主が腰に手を当ててアクセルを待っていた。

「アクセル、お嬢さんと朝までお楽しみだったのか?」

 茶化すような言葉にアクセルは肩をすくめて否定する。

「会う度に言われますわー」

 シンシアは相手もせずに宿屋を出て行ってしまった。

「悪いけどちょっと用事があるんだ、またな」

 軽く手を挙げて挨拶をして、アクセルも足早に下りて行く。

 用件も言えなかった宿主はため息をひとつ、手に持っていた封筒を扉の隙間から入れて一階に戻った。

 露天市場が終わる時刻で、商人達は後片付けをして、観光客は馬車に乗り込んでいる。

 いつもなら巡回をしているはずの帝国兵は誰も歩いていない。

「イリスさんと会っていませんの?」

「会ってるよ、路地裏の隙間からちゃんと覗いてる」

「それは、一歩間違えれば犯罪ですわ」

 痛い視線を浴びながらも気にせず堂々としているアクセル。

「普通の客として行けばいいのは分かる。でもな、なかなか難しいもんだ」

「だったら変身して」

 アクセルはすぐに首を横に振って拒否を示す。

「今の時期はやめた方がいい、なにせ厄介でな」

 特別詮索はしないシンシアだが、疑問だけが頭に残ってしまう。

 イリスが商売をしているお店に辿り着くと、アクセルは気まずそうに店内を覗いた。

 重たそうな木箱を真面目な顔で運んでいるイリスの姿が見え、アクセルは体を引っ込める。

「イリスさん、おはようございます、ですの」

「あ、おはようシンシア!」

 元気な声だった。

 シンシアは隠れているアクセルを睨むが、すぐに笑みを浮かべてイリスと目を合わせる。

「アクセルさん、寂しそうでしたわよ」

 商品を並べていたイリスの手が止まってしまう。

 軽く唇を噛んでも、イリスはすぐに笑みをシンシアに見せた。

「寂しいって、らしくないなぁ。アタシは大丈夫だよ、指輪の事も、ね」

 シンシアは苦笑いを浮かべる。

「アクセルさんから聞きませんの? お父様のこと」

「うん……お母さん、つらそうだったから。きっと知ってほしくないんだよ、だから聞かない」

 微笑みを崩さないイリスの明るい声。

 目を細めたアクセルは壁に張り付いて、腕を組んだ。

「そう、ですの。ですが指輪を狙う輩はまだいますから、気を付けて下さいな」

「ありがとう、シンシア」

 優しい彼女の微笑みに深く踏み入れられず、シンシアはお店から離れる。

 つり目の鋭い視線が合図を送り、アクセルは後ろをついていく。

「アヤノがいた頃は頻繁に見回りとかしていたけど、今じゃなんにもだな」

 どこを歩いても帝国兵の姿はない。

「帝都でもそうですけど、毎日巡回なんてしませんわ。門の警備か、貴族の護衛が基本ですもの」

「ふーん、な、どこに行くんだ?」

 目的もないまま町をふらつくシンシアはずっと無言を貫いている。

 詳しいことはわからず、アクセルは護衛をするように歩いた。

 町の路地裏に入ると、建物により太陽の光が遮られて薄暗くなる。

 気が滅入りそうになる風景が続くなか、シンシアは狭い通路で突然足を止めてしまう。

「アクセルさん」

「どうした?」

 振り返ったシンシアは鋭い視線でアクセルを見上げた。

「アヤノ隊長の部下達は新たな小隊となって駆け回っていますわ。小隊になれば許可がなくても自由に町を行き来し、依頼や任務をこなせますの。イリスさんの指輪を狙っているのは騎士団、小隊、悪賊、沢山敵がいますわ……ですが、アヤノ隊長を失った部下達はアクセルさんの命も狙っていますから、気を付けて下さいまし」

 静かに呟かれた警告ともいえる言葉にアクセルは眉を顰める。

「なんで俺が、あいつらに何かしたか?」

「彼らにしてみればアクセルさんはアヤノ隊長に一番近い人ですもの、何かあってもおかしくないですわ」

 納得するしかないのか、アクセルは腕を組んで頷いた。

 その様子にシンシアは見上げるのをやめて再び道を歩く。

「だから、どこに行くんだって」

 未だに理由を言わないシンシアに痺れを切らしたアクセルは少し乱暴な声で問う。

「散歩ですわ、散歩」

 単語を二回繰り返され、アクセルは息を吐いて同じように路地裏を歩いた。

 散歩ならば町の表通りを歩けばいいのにシンシアが通る場所は人気のない路地裏で、危険な通り。

 どの時間帯でも危ないことに変わりはない。

 町の裏側には丘へ続く通路があった。

「おいおい、町の外に出るぞ?」

「知っていますわ。丘の先まで行きますわよ」

 緑が生え揃う景色が続く中、アクセルは次第に目を疑い始める。

 丘の上に見慣れない生き物が座っていて、遠目からだと銀色の彫像のように見えた。

 晴天のはずが、微かに雨の匂いが漂う。

 疑うままに歩いていくアクセルと、事情を知っているシンシア。

 彫像のように見えたのは、鱗が極めて細かいからだった。

 後ろ向きに伸びた角、気高い精神と誠実さが視覚だけで感じ取れるほどの巨大な体に柔軟な鱗で覆われた翼をもっている。

 丘から臨める草原地帯に顔を向けて、蜥蜴のような尻尾を地面に垂らす。

「シルバードラゴンですわ、この大陸を支配している最高位のドラゴンですの」

 シンシアが恩恵の指輪をシルバードラゴンに差し出すと、軽く唸る。

 軽い唸りのはずが、アクセルの体には重い圧力がかかってしまう。

 両手両膝を地面に密着させて、苦い表情。

「な、なんじゃこれ!?」

「彼はまだ普通の人間ですわ」

 シンシアの言葉に耳を貸したシルバードラゴンは唸るのを止める。

 重りが外れた瞬間、アクセルは姿勢を崩してうつ伏せに倒れた。

「な、なんで、ドラゴンがこんなところに?」

 脱力気味に言葉を吐きだす。

「アクセルさんに会いたいと言われまして、わざわざ天空から降りてきましたの」

「そ、そりゃ光栄なこと、で」

 起き上れないアクセルはうつ伏せから仰向けに変えて、シルバードラゴンを見上げた。

 首だけが振り返り、銀色の瞳が重々しく威厳に満ちた態度でアクセルを覗く。

 アクセルの体中から冷や汗が溢れ、口に溜まる唾液を呑み込んだ。

 感じた事のない威圧を覚えて、いつもの態度ではいられない。

 言葉もないまま、シルバードラゴンは首を戻して景色をもう一度眺める。

 シンシアは小さく頷いて、左手に微弱な電気を発生させた。

 何をするのかわからないアクセルはただシンシアの行動を視界に映す。

「っ!?」

 突然大きな体に走った衝撃に意識を奪われてしまったアクセル。

 世界が真っ暗になってしまい、アクセルはずっと呻き声を出している。

 懐かしい思い出が頭の中で鮮明に映しだされていると、何やら耳が騒がしくなり始め、アクセルは苦しそうに顔を歪めた。

「アクセルさん、起きて下さいまし!」

「うぉっおぉ!?」

 耳元で大きな声を出されたアクセルは飛び起きる。

 気付けばボロボロのベッドの上にいたアクセル。

 耳を手で塞いで横を見ると、シンシアがベッドに腰掛けていた。

「やっと起きましたわ、ここまで運ぶのに大変でしたのよ」

 不満を言われて、アクセルは軽く睨んだ。

「だ、誰のせいだと思ってんだよ……シルバードラゴンはどうしたんだ?」

「天空に戻りましたわ、ですから」

 シンシアは手を差し出す。

 自分から触ればどうなるか、それを知っているアクセルは警戒して自身の手を見つめる。

 恐る恐る手を伸ばして、シンシアの小さな手に触れた。

 体を強張らせていたが、いつまで経っても痺れるような感触は来ない。

「あれ?」

「わたくしに触れてもいいか確認したかったそうですわ」

「なんだよ……最初からそう言ってくれよ、ホントに焦ったじゃねぇか」

 アクセルは思い出しただけで背筋が寒くなる。

 白くて小さな手は怪我もしていない。

 大切に守られてきた体に、手に触れていると感じたアクセルは呆然と眺めて口を紡ぐ。

「手をずっと握っていますけど、そんなに感動しましたの?」

 怪訝な表情を浮かべるシンシアの言葉にアクセルはすぐに手を離した。

「ああ、悪い」

 俯くアクセルにシンシアは首を傾げながら、封筒を差し出す。

「アクセルさん宛てに封筒が届いたそうですわ」

 受け取った封筒の中身を抜くと、厚紙が入っていた。

「帝国の密書か、第二十一班の極秘任務?」

 細かい文字がびっしりと書かれている。

 アクセルは頭を掻いて目を凝らす。

「この任務を失敗すれば第二十一班は解体及び軍から追放。任務は赤い指輪を手に入れる事、フェンリルの呪いを持つ者を捕えて帝都に送る事、フェンリルの仲間と思わしき者を殺害する事、どれか一つでも完了した場合、小隊への昇級を約束する……」

 高級な厚紙が大きな手によって丸まってしまう。

「アヤノ隊長は以前から帝都で噂をされていましたわ、フェンリルの仲間を殺そうとしないし、功績をあげてこない。多分、軍は気付いていたのだと思います」

 納得のできない情報は不満を募らせる。

「イリスの指輪や俺の命、狼砦の奴らを見逃して、自分の命を犠牲にしてまで部下を昇級させたのに、軍はそうなるって知っててやったのかよ」

 怒りなんてない、ただ脱力だけが体を襲って呟かれた声。

「アクセルさん……」

 言葉が見つからないシンシアは俯いて唇を噛んだ。

「少しの間、森に行ってくる。イリスのことを頼む」

「別に問題ありませんけど、何故森に行きますの?」

 彼女の疑問にアクセルは何も答えなかった。

 既に外は紺色に包まれて静寂な時間が進んでいる。

 誰もいない通りでアクセルは四つん這いになって大きな体を縮めた。

 衣服が消えると代わりに灰色の毛が体を覆う。

 逞しい四脚で地面を踏みつけ、辺りを蒼い丸い瞳で睨みつける。

 耳を尖らせて音を拾いつつ、鼻で匂いを嗅ぐ。

 尻尾を垂らした狼は覚えのある匂いに反応。

 すぐに匂いがする場所へ駆けだして行く。

 商店通りを駆けてとあるお店に辿り着いた。

 木箱を抱えて、軽き息を吐くイリスの姿が視界に映り、狼はイリスに躊躇なく飛びつく。

「え、ちょ、アクセル!?」

 すぐに誰なのか気付いたイリスはバランスを崩して木箱を落としてしまった。

 お尻から落ちたイリス。

「あ、アクセル、待って、待って!」

 生温かい唾液が混じった舌でひたすら顔を舐める狼。

 荒い息遣いで狼は興奮している様子だった。

 さらに腰を振っているので、イリスは思わず目を丸くさせてしまう。

「この、なんで、そうなの!」

 指輪を填めた右拳が狼の顎へ打ち込まれる。

 甲高い鳴き声を出して背中から倒れた狼に、イリスは顔を拭って立ち上がった。

「もぉ、アクセル!」

 名前を呼ばれた狼はすぐに体勢を直して、尻尾を振ってイリスの足元に寄っていく。

「なんで狼になるとそうなっちゃうの?」

 頭を撫でられた狼はイリスの指を何度も舐めた。

 イリスはその様子をずっと眺めていると、脳内で人間の姿が思い浮ぶ。

「これが人間のままだったら、大変だね」

 丁寧に指の間も舐める狼。

 くすぐったい感触にイリスは少しだけ笑う。

 指をある程度舐めると、狼はまたイリスに抱きつく。

 イリスは狼の顔を両手で挟み、顔を覗いた。

「うーん…………発情期?」

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