第十四話
「アクセル、アクセル!」
青空が広がる町の外は草原一面。
仰向けになって寝転がっているアクセルを若い商人イリスが見下ろしていた。
「んぁ? イリスか、どうした」
霞みかかった脳内を掻き消してくれる緑の瞳は、アクセルの眠たそうな蒼い瞳を視界に映す。
「なんか、元気ないね。やっぱりあや」
「なんか見つかったのか?」
アクセルはすぐに言葉を遮った。
上半身を起こしたアクセルの隣に座るイリスは手に抱えた書物を差し出す。
綺麗に保存されていた為、書物に汚れはない。
「これ、お父さんの日記帳」
受け取って日記帳のページを捲って見ると丁寧な文字が並んでいた。
「血の誓約……最愛の人を犠牲にドラゴンと誓約を交わし、今度こそ復讐を果たす」
どこのページを覗いても復讐という単語が必ず出てくる。
アクセルは苦い笑みを浮かべて日記帳を閉じるとイリスに返却。
「普通ならお母さんのことかなって思うけど、お母さんは生きてるし、誰なのかな?」
「いや俺が知るわけないだろ、お前の親父のことをよく知ってる奴は町にいないのかよ」
それにはイリスも難しい顔をした。
「あー、みんなお父さんのこと怖がってたからあんまり知らないと思う」
期待できない答えにアクセルは息を吐いて立ち上がると、イリスの手を掴んで立たせる。
「なら直接聞くしかないな」
「直接ってお母さんに!?」
信じられないとばかりに首を強く横に振るイリスにアクセルは目を丸くさせた。
「なんだ、ダメなのか?」
「ダメってわけじゃないけど……だって全然会ってないし、連絡もできてないし」
「聞きたいことを聞いてすぐ戻ってきたらいいさ」
納得できないのか、イリスは眉を下げて俯く。
「アタシのこと、覚えてるかなぁ」
不安そうに表情を曇らせるイリスにアクセルは軽く何度も頷いた。
「ま、不安なら俺が代わりに話すよ。お前が道案内してくれたらそれでいい」
それでも明るい返事はなく、呆れながらもアクセルはイリスの背中を軽く押して町へ戻る。
商店通りのお店でのんびりと立っていたのは小袖と緋袴姿のシンシア。
「あら、イリスさん、アクセルさん。探し物は見つかりましたの?」
「その探し物を見つけるために町から出るぞ、シンシアも来てくれ」
シンシアは青いつり目を細めて、いない誰かに耳元で囁かれながら相槌を打つ。
「わかりましたわ、あの暗殺者はどうしますの? 町に残しても意味ありませんわ」
「いや、あいつは町に残ってもらうよ。情報収集を頼む」
上を覗くと、ローブに身を包む暗殺者アンは既にお店の屋根で待機していた。
頷いたアンはすぐにどこかへと飛び出していく。
お店の雑貨品を他の商人に任せて、イリスは浮かない顔で町の外へもう一度踏み出す。
広大な草原地帯には深い森や丘があり、隣の町や村は見えない。
「お母さんは騎士団の巡礼地になってる町にいると、思う」
自信のない情報だが、アクセルは突っ込まずに従う。
「で、その町はどこにあるんだ?」
「森を越えた先にありますわ。山に囲まれた静かな町ですわね」
「そう、だったかな」
うろ覚えの記憶を辿りながら、イリスは先頭を歩きだす。
「武器も持ってないのに前を歩くなよ」
苦い笑みを浮かべてアクセルはすぐにイリスより前へ。
イリスの後ろにはシンシア。
少し歩いていくと深い森、入り口は人間を拒むように生い茂っている。
その場にいない誰かに耳元で囁かれてシンシアは相槌を打った。
「この先には獣が沢山いるみたいですわ。イリスさん、わたくしから離れないでくださいまし」
「うん」
イリスはシンシアの後ろに身を隠す。
「俺は?」
「勝手に行ってくださいな」
冷たい反応に肩をすくめて、前に進むアクセル。
木の枝を素手で折って森の中を覗くと、木々で太陽の光が遮られ辺りは薄暗い。
「この森を越えたら町があるんだよな?」
「ええ、そうですわ」
「森の中に村は無かったか?」
シンシアは目を細めて首を横に振る。
「ありませんわね」
肩を落としたアクセルは深く息を吐く。
「さっさと行くか」
気を取り直して山道を進もうとしたところ、アクセルは口をへの字にして動きを止めた。
後ろにいる二人も同様、両足を止める。
目の前には狼に似た小柄な獣が二匹と、斧のようなクチバシをもつ首の短い鳥がこちらを睨んでいた。
「こういう相手と戦うことがありませんから、すこし加減ができないかもしれませんわ」
微笑むシンシアの左手から溢れ出る青白い電流。
「別に問題ないけど、山の中だから派手なことして燃やすなよ」
腰に回したベルトに装備された短剣を抜き取ったアクセルは落ち着いた様子で獣達に近寄っていく。
「問題がないのでしたら、アクセルさんは武器を抜かなくていいですわ。わたくし一人でも倒せますもの」
握っていた手を解放した瞬間、青白い電流は辺りに飛び散り、眩しい光となって爆発音に変わる。
思わず目を閉じたアクセルとイリス。
次に先程の場所を見ると、草むらの地面は真っ黒に焦げて獣の姿は跡形も無く消えていた。
シンシアは涼しい表情で赤く熱を帯びた草木に左手から放出した水を浴びせる。
「そもそも短剣で戦うのが理解できませんわー」
「俺は盗賊なんだって、それと短剣を馬鹿にすんなよ」
「す、すごい、電撃で全部……消えた」
あ然とするイリスを前にアクセルは短剣を渋々ベルトに収めて、シンシアを睨んだ。
「さ、行きますわよ」
シンシアに手を握られてイリスは進んでいく。
「もしかして一番俺がいらないって感じ、か」
納得するしかない状況にアクセルはゆっくりと二人を追いかけて、森を抜けた。
襲いかかる獣全てをシンシアが一人で形も残らず消し、アクセルの出番は一切なく終える。
目前に映る長閑な雰囲気が漂う町。
アクセルは無気力に眠たそうな目で座り込んでいた。
その横で涼しく立つシンシアはイリスを待っている。
「ごめーん、お待たせ!」
元気な声でイリスは二人のもとへ戻ってきた。
「母親はいたのか?」
「うん、今も元気にしてるって、でも森で狩りをしてるからしばらく帰って来ないみたい」
町の住人に聞きまわっていたイリスの情報に、アクセルは立ち上がる。
「なら、俺が呼んでくる。狩りをしている奴なんて一目で見たらわかるぜ」
アクセルはそう言うと森の中へ再び入っていく。
今度は人が通る道は行かず、とにかく険しい山頂付近を目指した。
足場のない急斜面の山を登っていると、アクセルはようやく人影を発見。
何やら弓を構えている様子だが矢は完全にアクセルを狙っている。
袖のない服と黒いズボンにブーツ、女性にしては短めの黒い髪で緑色の瞳は誰かに似ていた。
そんなところではないアクセルは慌てて両手を挙げて姿を見せたが、頬を鋭い棒が掠める。
前方では既に弓を背に戻して、確認しながらアクセルのもとへ。
「おかしい、獣の臭いがしたのに人間?」
首を傾げながらもアクセルを見上げた。
「こんなデカイ体なのにわからないわけないだろ……あんた名前はなんていうんだ」
「ゾフィー、狩りで一応生計を立てている。アタシに用でもあるの?」
「そういや、名前を聞くのを忘れてたな。あんたイリスの母親だろ」
直球で投げられた言葉にゾフィーは眉間に皴を寄せて睨む。
「まず、アタシは貴方が何者なのか知らないから、教えてほしい」
「ああ俺はアクセル。イリスの用心棒をやってる盗賊だ」
偽りのない言葉を自信満々に言ったが、ゾフィーは首を傾げている。
「盗賊が用心棒? 訳がわからない。下手な嘘をつく為にわざわざここへ来たの?」
睨むのをやめたゾフィーは辺りに目を配る。
「元々苦手だから嘘なんかつけないって、イリスも来てるぜ、あんたに会いに」
ゾフィーは口を紡いだまま山の斜面を慣れた様子で下りて行く。
置き去りにされたアクセルは肩をすくめて、何も言わずに町へと戻った。
町の入り口で待たされているイリスとシンシア。
「確かに嘘じゃなかったのはわかった。はぁ、随分前に決別したはずなのに、また会うなんて」
「旦那とケンカでもしたのか?」
「ケンカなんてしたことがない」
簡単に返されてしまった。
アクセルは大きな欠伸をすると、二人のもとへ先に歩み寄る。
「アクセル、おかえり。大丈夫だった?」
緑色の瞳で心配そうに見上げられ、アクセルは口元で静かに微笑む。
「お前の母親に会ったぜ、ほら」
アクセルの大きな体で隠れていた前方には、ゾフィーが立っていた。
「あ……」
感動の再会のはずが、どう言葉にすればいいのか戸惑うイリスは口を半開きにさせて動きを止めてしまう。
接する機会があまりにも少なすぎた。
親の顔もおぼろげで本当に彼女が母なのか、疑問を連想させるばかり。
右手に填めた血色の石が埋め込まれた指輪をそっと右手で握りしめた。