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第十三話

 非常に険悪な空気が充満している場所に踏み入れたくないのか、アクセルは平屋の前で腕を組み蒼い目を細めた。

「あれ、アクセルさん」

 住宅通りの端にいるアクセルを発見して声をかけたのは娼婦のセレスティーヌ。

 朱色の瞳を輝かせて歩く度ワンピースドレスをふんわりと揺らす。

「ああ、セレスティーヌ、何か用事か?」

「お姉さん達に頼まれておつかい中。ボクってけっこう忙しいから、早く予約しないと夜に会えないよ?」

 自信に満ちた笑みを浮かべるセレスティーヌにアクセルは苦笑い。

「そうだな……お前が大人になってからだ、な」

 期待していた言葉と違ったのか、セレスティーヌは口を膨らました。

「ボクってそんなに魅力ないかなー」

「魅力はあるだろう、魅力はな」

 セレスティーヌの成長途中の体を上から下に眺めて、アクセルは一笑。

「ボクの体に文句ある?」

 すぐに感じ取ったセレスティーヌの眼差しにアクセルは目を逸らす。

 それでも逃れることはできない視線にアクセルは何度か軽く頷いて、セレスティーヌの頭を撫でる。

「子供扱いするんだね、ボクのこと」

 睨みながらも口元を緩ませているセレスティーヌ。

「お前だけじゃなくてイリスもアンもニーナも子供だよ。シンシアは……謎だな」

 平屋を横目で確認したアクセルは、手を離して苦笑いで住宅通りを歩く。

「待ってよアクセルさん。これからどこに行くの?」

 追いかけてきたセレスティーヌを見下ろしたアクセルは髪を掻いて少し考える。

「まぁ、班隊長のところか」

「アヤノ隊長? 朝から町の外にある狼砦のところに行ってるよ。ボクのお客さんが昨日そこに行くって愚痴ってたから、多分」

 アクセルは足を止めた。

 数歩先で足を止めたセレスティーヌは首を傾げる。

「狼砦って、そんなのあったか?」

「丘の下に狼が群れで暮らしてるから、狼砦っていうの。あそこってフェンリルの呪いを受けた人達が暮らしてるんだって」

「ふーん、小さい班隊がなんで狼を探してんだか。とりあえず駐在所に行ってくる、またな」

 セレスティーヌと別れて、アクセルは早足に貴族通りよりも上にある駐在所へ向かう。

 簡易的なテントが設置された帝国軍の駐在所。

 堂々と入り口の布を捲って中を覗くと、帝国兵が一人だけ軽装鎧でお留守番をしている。

「誰かと思えばアクセルか、アヤノ隊長は町の外にいるから仲良くしたいならもう少し待っていろ」

 渋い声が揃う帝国兵だが、比較的若い声を発した帝国兵がアクセルに気付いて冷たくあしらう。

「用ならあるって。なぁ、お前らなんであの指輪を狙ってるんだ?」

 質問をすると、帝国兵は目を逸らした。

「それは、知らない」

 誤魔化すような態度にアクセルは肩をすくめ、帝国兵を蒼い瞳で睨みつける。

 眉を下げて目を左右に動かした帝国兵。

「アヤノが指輪を狙うなんてこと今までしなかった。しかも狼まで探しているって話だ。何かあったんじゃないのか?」

「俺達はアヤノ隊長の命令で動いている。アヤノ隊長の為に動いている。他のことはどうでもいい」

 真面目な言葉に、アクセルは笑いを堪えて肩を震わした。

「ははぁー、ここの兵士はアヤノ隊長にベタ惚れか。そりゃ昇級もできないな」

「お、お前ぇ!」

 鍛えられた帝国兵の拳が顔面へ真っ直ぐ飛んできたが、アクセルは簡単に避けて手首を掴むと、軽く捻る。

 痛そうに呻いた帝国兵。

「直接本人に聞いた方が良さそうだな」

「この、離せ!」

 言われた通りに手首を離して突き放す。

 よろけた帝国兵は苦い表情でアクセルを睨むが、すぐに俯く。

「邪魔して悪かったよ」

 駐在所から出て行ったアクセルは人通りの少ない路地へ入った。

 両手足を地面に密着させて大きな体を縮めて灰色の毛が全てを覆い隠す。

 鋭い牙と蒼い丸い目、耳を立てて、逞しい四脚で地を踏みつける。

 向かった先は町からでもよく見える丘。

 丘の下には隠れるのに最適な草むらと木々に囲まれた小さな森があった。

 出入り口を守っている帝国兵が複数いることを確認した狼は、少し遠回りをして森に侵入。

 森の中央には四角い岩があり群れとなった狼が岩を囲んで座っている。

 警戒をしている様子はない。

 岩の上に立つ小柄な狼は目の前にいる人間を見下ろしていた。

 傷だらけで片目も失った小柄な狼と町の班隊長を任されているアヤノ。

「お前は人の言葉を話せるのか? それともただの獣か?」

 漆黒の目を細めて、小柄な狼を睨んでいる。

 腰に両刃の剣を吊るしているが、抜く態勢ではなく仁王立ち。

 気付かれないよう遠目から眺めることにした狼は草むらの中で伏せる。

『この獣のニオイ、お前はワシらの同胞であると見た。どうして同胞が帝国軍に身を置いているのか気になるが、まず、用件はなんだ?』

 小柄な狼は流暢に人間の言葉を話した。

「フェンリルの呪いを解く方法、それを知りたい。血を返すというのは知っているが、他にないか?」

『危険な場所にいるのによくそこまで調べられたな……残念だが血を返す以外に方法はない。フェンリルに血を返すということは、どういうことか分かるか?』

 アヤノは無言で首を横に振る。

 小柄な狼は目を細めると岩から地面に飛び降りて、アヤノの真下に座り込む。

『お前の血を全て返すということ、死ぬことだよ。その代わり、確実に人間へと生まれ変われるさ。いつになるかわからないがね』

 大きく息を吐き出して、アヤノは肩を落とす。

 小柄な狼に背を向けると、

「この砦も呪いも見なかったことにする」

 力無く呟き狼砦から去っていく。

 遠くから見ていた狼はアヤノを目で追いながら自らも体を動かした。

『同胞のお前、よく狼の姿でうろついているようだが、おススメしないぞ。人間のままでいたいならあまり狼にならないことだ』

 小柄な狼は既に気付いていた。

 蒼い丸い瞳を大きくした狼は何も返事をせずに森から出ていく。

 町へ戻ると、商店通りは閑散として商人達も暇を持て余している。

 アクセルは眠たそうに青みがかった黒髪を掻いてお店へ。

「んぁ? シンシア、お前が店番やってるのか」

 普段なら商人のイリスがいるはずのお店に巫女のシンシアが立っていた。

 不機嫌を醸し出す青いつり目といつもより下がった眉。

 小袖と緋袴の上に緑のエプロンを身に着けている。

 黒いストレートの髪を風に揺らしてアクセルを睨む。

「いらっしゃいま、あらアクセルさんでしたの」

 発せられた声は棘のように鋭い。

「なんでそんなに不機嫌なんだ? それじゃあ客も寄り付かないぞ」

「お客様の時は最高の笑顔を見せていますわ。アクセルさんに見せても買いませんもの」

 アクセルは反論できず、口をへの字にさせた。

「まぁ、それは置いといて、最近元気ないな」

「そ、そんなことありませんわ……」

 急に小声となったシンシアにアクセルは軽く何度か頷く。

「アンのことが嫌いか?」

 予想を言うと、シンシアは苦い表情で固まっていた。

「嫌いというよりあの子は暗殺者、いつ敵になるかわからない相手ですわ。帝都で暗殺者を雇っていた人間の結末なんていつも一緒でしたもの」

「確かにそうかもしれないけど、アンだって選ぶ権利はあるさ。あいつは裏切らない、それは俺が保障できる」

 アクセルはお店の壁に背中をもたれさせて腕を組む。

 午前の賑やかさが消え去った商店通りに人の歩く姿はなく、お店にも商人はいない。

 あまりにも静かで、少しの呼吸でも耳に入る。

「優しいですわ、優しすぎますの。アクセルさんも盗賊という存在なら同じ穴にいる相手をよく知った方がいいですわ」

 落ち着いた声で呟く姿に、アクセルは目を細めて肩をすくめる。

「はいはい、注意はするよ。で、お前は帝都に戻らないのか?」

「う、嫌な質問をしますのね……巫女なんていくらでも代わりはいますわ。ドラゴンと喋れない巫女でも信者は簡単に言う事を聞きますもの」

 本当に彼女は年下なのか、アクセルは疑問を浮かべるが何も言わない。

 これ以上の詮索を止めたアクセルは、シンシアに軽く手を挙げてお店から離れて行く。

 商店通りを進んでいくと、ボロボロな二階建ての宿屋があった。

 壁に何枚もの板を打ち付けて窓は所々割れている。

 宿主に挨拶をして二階の借りている部屋へ入ればベッドに寝転がったアクセル。

 どこでもすぐ眠れる事に関しては誰にも負けない。

 瞼を閉じれば、あっという間に深い眠りについた。

 外が濃厚な青に包まれている時刻、心地良い風が壁の隙間から吹き込む。

「無防備というのか、どうしてお前はそうなのか」

 呆れと苦笑が混じった女性の声にアクセルは目を開けた。

 蒼い目を細めて相手を確認すると、アクセルは上半身を起こす。

 凛とした表情でアクセルを見下ろしていた。

「アヤノ?」

「そうだ、私だ。お前に少し話があって来たが、鍵は開けっぱなしで反省の色はないようだな」

 アクセルは何度も目を疑う。

 目の前にいるのは確かにアヤノで、いつもの彼女であることはわかっている。

 しかし、軽装鎧を着ていない。

 両刃の剣も装備をしていなかった。

「たまにはお前と話がしたい」

 白く長い袖付きワンピースドレスを身に纏うアヤノ。

 普段は鎧でわからない膨らんでいる胸へ視線を動かしてしまう。

 体は鍛えられて筋肉がついているが、それでも細い女性の体。

「どういう、用なんだ?」

 戸惑いを隠せないアクセルは、ベッドに腰掛けてアヤノを横に座らせた。

 アクセルの腕にアヤノの肩が当たるほど密着している。

「呪いのことだ。お前は解きたいと思わないか?」

 アヤノの首に装着された新緑の宝石が埋め込まれた装飾品が視界に映った。

 アクセルは考えたこともないのか、すぐに首を横に振る。

「ないね、今更。別に不自由はしていないし、盗むのにちょうどいいさ」

「そういうところ、羨ましいな。なにがあっても前向きで捉える姿勢は見習いたいものだ」

「そんなに呪いを解きたいかよ」

 アヤノは顔を伏せて頭をアクセルの腕に凭れる。 

「アヤノ?」

「そうだ、私は人間に戻りたい、人間に戻ればもっと胸を張って部下達を昇級させることもできる。私だってもっと高い地位で活躍できる。だが、今のままじゃそれができない」

 震える声。アクセルは思わず目を丸くした。

 涼しい夜風が入ってくるのに熱い、体が熱くなる。

 静かなのに耳を騒がしくするのは体内から届いた何度も叩く音。

「部下が大事なんだな、けど、あいつらも同じくらいお前のことを信頼しているだろ。今のままでも十分そうだし、いいんじゃないか? どうして人間じゃないと駄目なのか、説明してくれ」

「わからないか? 帝都に近ければ近いほど危険が増して、間違えれば部下も反逆罪で処刑されてしまう。そんなこと、考えるだけで怖いんだ。部下が死ぬなんて……絶対嫌だ」

 アヤノの手はアクセルのズボンを握りしめて震わす。

「なら、今のままでいい。今の方が部下も幸せだと思う。町の皆もお前だから信頼して安心している。変わらなくていいと思うけどな」

 徐々に握る力を弱めて、アヤノはゆっくりと不安が残る表情を見せた。

 漆黒の瞳は潤んで、見下ろすアクセルの蒼い目を映しだす。

「アクセル……今ここで」

 アヤノの声はか細い。

 唇が動く度にアクセルは視線を外せなくなる。 

「こ、ここで?」

 胸は何かを期待をして、脳内は危ない妄想を抱えていた。

「私が誘ったらどうする?」

 アヤノの胸元が腕に寄りかかってくるのがわかり、アクセルの視線からちょうど胸の谷間が覗ける。

 娼婦とは違う何かに戸惑いながら、アクセルはズボンを握っている彼女の手を取った。

「俺は」

 掌を重ね合わせたアクセル。

 大きな手でアヤノの手を包み込んだ。

「私の体は随分と汚れたかもしれない、それでもいいなら私は、私は、今日だけお前と一緒に」

 不安に呑み込まれそうになるアヤノの声と表情がアクセルを困らせる。 

「俺は、大切な奴ほど汚したくない。お前は大切な存在なんだ、だから、ダメだ」

 精一杯の言葉を吐きだしたアクセルに、アヤノは緩やかに笑みを零した。

 手を握り返され、指先が絡まる。

「そういうこと、言われると逆に辛いじゃないか」

 掻き消えそうな声で呟いたアヤノは立ち上がると、アクセルの頬に唇を寄せた。

 アクセルの反応も待たずに笑顔を残して、アヤノは部屋から立ち去っていく。

 頬に手を当てたアクセルはあ然として一人になった部屋でベッドに倒れる。

 ボロボロの天井を眺めてから、大きく息を吐きだした。

「なんか……もったいないことをしたような気がする」

 朝を迎えてから数時間後、いつもの露天市場が商店通りを活気づけている。

 元気な声を出す商人が沢山いるなか、いつもなら雑貨品を売っている若い商人の姿がみえない。

 お店の奥には緋袴と小袖を来た青いつり目の少女シンシアが静かに立ち止っていた。

「ええ、わかっていますわ。所詮帝国は帝国ですもの、隊長は立派な兵士でしたわ」

 誰もいないのに、誰かと話をしているシンシア。

 市場を巡回している帝国兵士の雰囲気がいつもより違う。

 銀の穂先を持つ槍を片手に重々しく、愛想の無い兵士ばかり。

「これが普通の兵士達ですもの。この町は特別過ぎましたのよ」

 シンシアは黒く長い髪が風に揺れるたび手で直す。

「ま、しょうがないですわね。それより、いい加減アクセルさんを許したらどうですの? わたくし、別に触られてもなんとも思いませんわよ」

 耳に囁かれる声に相槌を打つシンシアは口元に笑みを浮かべた。

「そんな感情は全て、貴方の過保護で奪われてしまいましたわ」

 市場に集まる帝国兵達。

 ただ巡回をしているだけではなく、鋼鉄鎧を装備した帝国兵が横二列になって商店通りの真ん中で整列をする。

 住人達は動きを止めて帝国兵を眺めた。

 整列している帝国兵の先頭に立った軽装鎧の男。

「本日より第二十一班隊から我々第二十五班隊がこの町に駐在することになった」

 突然の発表にシンシアを除いて、皆が騒がしくなる。

 シンシアはお店の外に出ると、建物の屋上を視界に映す。

 そこには灰色の毛をもつ狼の姿があった。

 蒼い丸い瞳は静かに帝国兵を見下ろしている。

「アヤノ隊長の部下達は確かに昇級しましたわ。フェンリルの呪いをもつ者を捕えた功績で……」

 シンシアは目を閉じて呟いた。

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