表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/70

第一話

軽い軽いお話ですので、読んで頂ければ幸いです。

よろしくお願い致します。


 一匹が町を歩いている。

 市場が賑わう午前、商人達にとっては大切な時間。

 海で釣れた新鮮な魚、色とりどりの野菜に珍しい雑貨などが多く露天でお店が開かれている。

 商人のなかで一番若い少女が雑貨品を屋台に並べて売り出していた。

 赤茶色のボブヘアに緑色の瞳。

 動きやすい服装の上から焦げ茶のエプロンを着た少女は眩しい笑顔を振りまいている。

 エプロンの胸には少女直筆のイリスという丸い文字が書かれていた。

 右手中指に血色の石が埋め込まれた指輪を填めて、どの商品よりも人々の目を引く。

「いらっしゃい、いらっしゃい! どこのお店より安くしますよぉ!!」

 大きく元気のある活発な声と指輪の珍しさに観光客や住民が集まってくる。

 足場のないほど人間だらけで、市場が混雑しているのをいいことに足元を手慣れた様子ですり抜けていく一匹。

 灰色の毛に覆われて両耳を立てて、嗅覚を鋭くさせている。

 空から降り注いだ陽の光によって輝きを増す血色の石に吸い寄せられた一匹は速度を保ちながら近づいていく。

 右手の中指に狙いを定めて一匹は牙を剥き出しにして大きな口を開いた。

「え、なんか、ぬるっと」

 生温かいねっとりとした感触に体を震わしたイリス。

 すぐに解放された、右手は風に当たって妙に涼しくなる。

 確かめるようにイリスが下を向けば指輪を器用に咥えた狼がいた。

 狼は人間と目が合っても動じず、だく足で市場を抜けていく。

 イリスは唾液まみれの右手を数秒眺め、徐々に顔は青ざめる。

「あ、あ、アタシの大事な……ゆびわーッ!!」

 せっかく集めたお客を掻き分けて、イリスは全力で走り出す。

「返しなさいよぉ! この泥棒!」

 露天市場を抜ければ閑散とした住宅通り、誰もいない道にはっきりと狼の姿を視界に映すことができた。

 狼は軽々とした足取りでリズムを取りながら住宅通りを抜けて、今度は町の上にある貴族通りへ。

 道の両端に咲き誇る鮮やかな花々を背景にドレス姿で日傘を手に歩いている貴族達が優雅に過ごしている。

 優雅さとは無縁に追いかけ続けるイリス。

「こらー!」

 狼は人語も分かるが、彼女の声を無視した。

 細い路地を進む狼の後をひたすら追いかけていくイリスは呼吸を忘れ走っている。

 しつこいイリスに狼は一度後ろを確認すると、町の外へと駆けだして行く。

「取り返すまで追いかけるからね!」

 諦める様子はなく、狼は興味を示し始めてだく足から地面を蹴って速度を上げた。

 一面草原の世界が広がる町の外。

 近くには木々が生い茂る森林と緑豊かな丘がある。

 どれだけ全力で人間が走っても自然を駆けていく狼の速度についていけるはずがなく、イリスは草原に一人取り残されてしまう。

「はぁはぁー、どこに、いった?」

 両膝に手をついてようやく息を切らしているイリス。

 目の前には森林へ続く深い茂みがあり、辺りを見回す。

 茂みが時折左右に揺れ風にしては不自然な動きをしているに気付く。

 イリスは新しい悪戯が思い浮かんだ子供のような笑みを浮かべ、息をゆっくりと吸い込む。。

「みぃつけたぁあああ!!」

 イリスが両手を広げて茂みに飛びかかると、確かに何かを掴んだ。

 しかし、こんなにも大きかっただろうか、毛の感触もない。

 岩のように硬い体、しっかりと衣服を身に纏っている。

「え?」

 思わず手を離したイリスは再度相手を確認。

 青みがかった黒髪は整えていないのか、無造作にはねている。

 筋肉質の体がわかるほどに肌と密着した黒いシャツ、ぶかぶかのズボンに焦げ茶のジャケットを腰に巻き、眠たそうな蒼い瞳はイリスを見ても気にしないでいた。

「す、すみません、勘違いで……あ」

 イリスは顔を真っ赤にさせて謝りながら、視線をゆっくり下げて青年の手で止まる。

 赤く光輝いている指輪が、青年の手の中にあることに気付いてしまった。

 しっかりと唾液が付着しても輝きを忘れない指輪。

「あ、あぁあったぁ!!」

「やべぇ、ばれた!」

 すぐに青年は逃げようと背を向けたが、イリスは逃がすまいと胴へ両腕をまわした。

「うぉお!?」

 腋下へと頭をいれ、イリスは自らの体と一緒に後方へと反り返る。

 気合のこもった曲線は美しく、背の高い青年を頭から地面へ叩き落として別世界へと導いた。

 後頭部へ衝撃をもらった青年の手から落ちた指輪。

 イリスはすぐに指輪を拾って、涙目になりながら笑みを零す。

「よかったぁー、もう早く洗わないと汚いなぁ」

 唾液まみれの指輪をポケットに入れて町へ戻ろうとしたが、どうも辺りが騒がしい。

 走るのに夢中で、周りを見ていなかった。

 町から離れた外の世界に人はいない。

 体温を一気に奪われてしまい寒気を覚えたイリスは顔を青ざめてしまう。

 生い茂る深い草原を揺らしては何かがイリスの周りを歩いている。

 戦う手段もないイリス。

「さっきの、狼?」

 荒い息遣いが確実にイリスの耳へと入り、その息が段々とこちらへ近づいてきた。

 茂みを割いて現れたのは薄汚れた黒い毛に覆われた狼に似た獣。

 赤く鋭い目はイリスをエサと認識して口から大量の涎を垂らしている。

「え、は、ははは……ぜんぜん違う」

 逃げることもできない状況に笑顔を引き攣らせた。

 身を構えた獣はイリスへと飛びかかる準備を始める。

 きつく目を閉じてもう終わりだと脳内によぎったが、いつまでたっても終わりは来ない。

『ヴウゥゥ』

 獣とは違う唸り声。

 威嚇しているようにも聞こえる声にイリスは恐る恐る目を開けた。

 目の前には灰色の毛に覆われた凛々しい狼の姿。

 牙を剥き出しにして蒼い丸い瞳をぎらつかせている。

 獣は怖じ気ついたのか、身を屈めて急いで茂みのなかへと戻っていく。

「た、助かったぁ」

 イリスは大きな息を吐き出して全身の力を抜いた。

「だな」

 ふたたびイリスの体に力が入る。

 さっきまでいた狼の姿はどこにもいない。

 イリスが撃退したはずの青年が目の前で腕を組んで立っている。

「あれ、狼は? なんで、なんで?」

「狼は俺だ。お前の指輪を盗んだのも俺だ。しかし、捕まった以上は謝ろう」

「へ、狼が人間、人間が狼、どういうこと?」

 青年は面白そうに笑みを浮かべる。

「まぁ気にするな」

「そんなこと言われても……もういいよ。指輪は返してもらったし、助けてくれたみたいだし、ありがとう」

 イリスが感謝を述べると、青年は肩をすくめた。

「別に何もしてないぜ。それより帝国軍に俺を出さなくていいのか? すぐに盗むぞ、俺は一切反省しないからな」

「そりゃそうかもだけど、アタシは盗まれた物が返ってこればそれで満足だから大丈夫。これ以上外にいたら危ないだろうし帰るね、バイバイ泥棒さん」

 町へと駆け足で帰っていくイリスを茂みのなかで見送る青年。

「本当にいいのかぁ?」

 髪を掻きながら深い茂みのなかを歩いていくと、青年の姿が消え今度は狼の姿で草原へ飛び出す。

 心地いい風が灰色の毛を優しく撫でまわし、狼は蒼い瞳をぎらつかせる。

 狼はのんびりとした足取りで町へと戻った。

 翌日、狼は露天市場が開かれている通りの裏路地でおすわりをしたまま待機。

 賑やかさを忘れぬ人々の隙間を覗き見しては誰かを探している。

 ぎらつく蒼い丸い瞳を大きくさせて体を起き上がらせた。

 血色の指輪が目印の少女を見つけるとそこへ目掛けて狼は次々と人の足元をすり抜けていく。

 探していたのは雑貨品を扱う商人イリスだった。

 元気よく大きな声でお客を集めている最中で、足元を見ている余裕もない様子。

 今回の狙いは彼女ではない、狼は人の行列から離れるとイリスの背後へと回る。

 在庫が入っているはずの木箱に近寄ると、狼は体半分を木箱に乗せて中身を覗いた。

 咥えやすい物を探して取ったのは古い銀色の懐中時計。

「またぁ!?」

 イリスの声に狼は驚いてその場から走り逃げていく。

「ちょ、なんでそんな高価な物を盗むのよ!」

 店を投げ出したイリスに追われた狼。

 人間では入れない建物と建物の間に入り込んで別の通りへと向かった。

『!?』

 狼は予想が外れたのか狭い間を通り抜けたあとに懐中時計を口から落としてしまう。

 懐中時計は鈍い音を立てて地面に落ち、塗装されていた銀が一部だけ剥げる。

 狼を影で覆うのはイリスだった。

「はい、泥棒さん残念でした」

 満面の笑みで懐中時計を拾い上げられ、狼は諦めてその場におすわりをする。

 おすわりをしたと同時に狼の姿が消えて、代わりに現れたのは眠たそうな目をした青年。

「泥棒じゃないぜ、俺は盗賊だ。アクセルって名前もある」

「アタシからみればどっちも一緒だよ。で、アクセル」

 イリスに名前を呼ばれ、アクセルは顔を上に向けた。

「この懐中時計は値段の高い商品で、それを今落としたでしょ?」

 苦い表情を思わず浮かべてしまったアクセルはすぐにでも目を背けたくなる。

「買い取るか、それとも傷つけた分働くか……どっちにする?」

 二択しか選べない状態にアクセルは肩をすくめてしまう。

「じゃあ買い取るよ、働くのは嫌いだし」

「これ、珍しい商品だから結構するよ」

「どうだろう大体数十万か、いくらだ?」

 イリスは目を細めると懐中時計を眺めた。

 ポケットから取り出した紙切れにペンを走らせる。

「傷つけたからちょっと倍するけど、はい」

 受け取った紙切れに目を通してみると、予想していた金額を遥かに超えた数字が蒼い瞳に刻み込まれる。

「無理だな。よし、帰る!」

 アクセルは躊躇なく紙切れをバラバラにして走り出す。

 全力で逃げようとしたアクセルだが、既に背後から胴を抱きしめられていた。

「まさかの、まさか!!」

 記憶のなかに刻み込まれた衝撃を思い出せば後頭部から痛みが滲み始める。

 腋下にイリスの頭が入る。

 背丈のあるアクセルが宙に浮いて、透明に近い青空が残像のように通り過ぎていく。

 世界、景色が逆さまになって後頭部から硬い、硬い石の地面へ落とされていった。

 揺れ動く脳内に伝わる衝撃にアクセルは視界を暗くさせてしまうが、一瞬にして意識を取り戻す。

「接客はできなさそうだね、とりあえず用心棒かな。アクセル」

 眠たそうな顔のままのアクセルを見下ろしているイリスは歯を見せて笑顔を浮かべる。

「あぁ……そうなのね」

 アクセルは空を眺めながら呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ