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【嫌い】と【敵】

 水橋パルスィは機嫌が悪かった。

 その理由はあまりにもわかりやすい――嫉妬をしていたのだった。

 突然こう告げたとしても何を言っているかわからないだろう。

 その経緯を言うとこうだった。

 水橋パルスィ――パルスィは最近勇儀と二人っきりになっていないことにいらだちを覚えていた。

 少し前であったら、パルスィの隣にいたのは星熊勇儀ただ一人だった。

 どこに行くのも、何をするのにもパルスィの隣には常に勇儀がいて、初めは嫉妬姫であるが故にその存在を疎ましくも思っていたが、気が付けば勇儀がいることに安心を覚えるようになっていた。だからパルスィには勇儀が必要で、また二人きりでいると言う時間に幸福を覚え始めてもいたのだ。

 しかし、ここ最近と言えば、二人きりでいる時間が減ってしまっていた。

 その理由はただ一つ。黒谷ヤマメと釣瓶落としのキスメの出現が理由だった。

 その二人が現れたせいで勇儀はパルスィとヤマメとキスメ。この四人で一セットみたいな認識になってしまった。そのため気が付けばパルスィと勇儀がいるところには必ずヤマメとキスメが付いてくる。

 故に、パルスィの機嫌はよろしくはなかった。

 パルスィは、本当は勇儀と二人きりになることを望んでいる。

 だから、パルスィは普段の引っ込み思案で嫉妬に狂う性格を何とか抑え、勇気を振り絞り言葉を発する。

「こ、こんど一緒に呑まない?」

 と。そしてその申し出を勇儀は快く了承した。

 そんな勇儀の反応を見たパルスィは変わらないむすっとした顔でその場を立ち去ったが、自らの家にたどり着いたときには耳まで頬を朱に染め、恥ずかしさと嬉しさで膝を落としたくらいだった。

 故にその当日である今日。パルスィに待っているのは幸福な二人だけの空間……の、はずだった。

 しかし実際にこうしてこの旧都の中でも高級な……ほかの妖怪たちの喧騒に巻き込まれることのない個室を完備した勇儀とパルスィのお気に入りの部屋には二人以外にもすでに妖怪たちがいたのだ。

 いや、もうこの際は勇儀と二人きりでないことは良しとしよう。

 勇儀に自分の意図が伝わっていないのは自分の言葉足らずが少なからずも原因だし、勇儀が鈍感という事も、長く付き合っているからそれもわかりきっていることだった。

 だが、もう一人。パルスィの中では信じられない乱入者がそこにはいた。

「……」

 その乱入者は先ほどからヤマメの背中に隠れ、怯えているのかその肩を小刻みに震わしている。

 たまに目線があったりするのだが、その時は再びヤマメの背中に隠れてしまうのだ。それがまたパルスィの勘に触るのだ。

 赤髪の間から覗き見る黒い三角の黒い猫耳。そしてたまにひらひらと覗き見える双尾のしっぽ。それは紛れもない、敵であるはずの地霊殿の化け猫――火焔猫燐で間違いはない。

 だから、パルスィはまた機嫌が悪くなっていたのだ。

 本来勇儀とパルスィの二人きりだったはずの酒の席だったはずだ。

 しかしそこに、パルスィにとっては苦手……いや、むしろ忌むべき相手がいたのでは機嫌が悪くなるのも仕方ない。

 そしてその原因となっている本人――お燐はと言うと。こちらはこちらで、気が気ではなかった。

 それもそのはず、ここは敵地。その上その指導者と言っても過言ではない星熊勇儀とその一派の酒の席なのだ。それに意図せず参加することになったお燐はその背を縮め、ただ一人だけの心を許せるヤマメの背に隠れるしかなかった。

 そしてお燐が最も恐れ、パルスィが最も慕う勇儀はというと、

「はっはっは、まさか本当にお燐をてなずけてくるとはな! さすがヤマメだ!」

 と、ヤマメがお燐を連れてきたことを叱責するわけでも驚愕するわけでもなく、ただ笑っていたのだった。

 そしてそんな様子をヤマメは苦笑いしながら勇儀に反論する。

「別にてなずけたわけじゃないんだけどな……」

「でも、お前の背中に隠れるってことはヤマメには気を許してることには違いない」

「気を許してくれたかどうかはわからないよ。でも、少しはお話を聞いてはくれるようになったのかな?」

「いや、それだけでも十分功績さ。私だったら口も聞いてくれないどころかまた顔を引っ掻かれてそれで終わりさ」

 と豪快に盃を傾け、酒を飲む勇儀。

 しかし、その一言を聞いたパルスィはと言うと、ヤマメを睨む。いや、正確にはその背中にいるお燐か。どちらにせよ、ヤマメにとってはその視線は心地いいものではなく、

「……あはは」

 と苦笑いを浮かべるしかなかったのだ。

 そして、一方その背中に隠れていたお燐はと言うと、

「……」

「……」

 目の前で睨みつけてくる緑色の髪の少女と無言の戦いを繰り広げていた。

 その少女の容姿は人間の少女で言うと十歳~十二歳くらいと言ったところだろうか。彼女が纏う濃緑の髪は、可愛らしいピンクの飾りのついたゴムでツインテールを作り、そしてその体の大半は大きな桶にすっぽりと覆われていた。

 見間違うはずもない。この少女は神出鬼没の釣瓶落とし――キスメであることは明らかだった。

 しかし、何故睨まれているのだろうか。

 いや、睨まれる理由は、お燐には思い返せばいくらでも出てくるのだが……、それでもキスメがこうして睨むのはあまりないことだ。

 神出鬼没……それはキスメのある性格が起因しているとお燐はヤマメから聞いていた。

 キスメは人見知りだった。

 いつも人と喋るのが恥ずかしく、自分に自信がないためか誰かに合う時は突然頭上から現れ、気が付いたらいなくなるのもそれが故らしい。

 だから今キスメが他人を睨むのは異例と言わざるを得ない。だからこそお燐は現在の状況に理解できなかったのだ。キスメが人見知りと言うならば初対面であるお燐の事は警戒しているはず。しかしそれでも面と向かって睨みつけてくるという事は特別な事をお燐がやったに違いない。だが、お燐は全く思い当るところがない。

 それからしばらくした後、ヤマメが気づいたのか睨みつけているキスメに優しく語りかける。

「あら? キスメ、どうしたの? そんな怖い顔して」

「べ、別になんでもないもん!」

 だが、キスメはヤマメがそう問いかけても何も答えず、そのまま目をそらして勇儀の後ろに隠れてしまった。

 そんな一連の動作に全く理解できないお燐はたた首を傾げるしかなかった。

「え……と?」

「あはは、気にしなくてもいいと思うよ。ただ妬いてるだけだと思うから」

「妬く? 何を?」

「あの子が元々人見知りであまり顔を人に見せるような子じゃないって話はしたよね?」

「え、あ……うん」

「で、あの子はね。いつも私の背中に隠れてるんだよ」

「そうなの……」

「うん、だからお燐が気に病む必要はないよ」

「それは……その、ありがとう」

「あはは、あ、で謝らなくちゃいけないことと言うと……勇儀」

「なんだ?」

「ごめんね、急に一人増えちゃって……」

「ああ、気にすることはないさ。元々こういうことになるだろうと思ってはいたし、それにここの店主だって誠意をもって頼み込んだから《快く》こちらの願いを聞き入れてくれたしさ」

 それはきっと勇儀が怖くて首を横に触れなかったんだろうなぁ。という光景が頭によぎり、ヤマメは今日何度目かわからない苦笑いを浮かべてしまう。

 そんな様子を見てから、勇儀は笑顔で語りかける。

「なぁ、地霊殿の化け猫よ」

「……何よ」

「私が怖いか?」

「ええ、怖いね。あんたはあたいにとっては最大の敵だからね」

「あっはっは。怖い。怖いか……なるほどね」

「何がおかしいの?」

「いや、悪い気に障ったなら謝るよ。いや、参考までに聞いておいたんだよ。地霊殿の連中が私たちをどう思っているのかとね」

「そんなの確認する必要もないでしょう。あたいたちとあなたとは今戦争状態にあるんだから」

「戦争状態……そうか、地霊殿の連中はそういう認識になってるのか」

「さっきから何が言いたいの?」

「かさねがさね失礼をわびさせてもらうよ。いや、ただな。そんな存在である私たちとあんたは酒を交わせるかい?」

「……それが約束なんだから、仕方ないでしょう」

「その意味を分かっていっているのかい? 私たちと酒を交わすという事は盟約を交わすというのと同義という事を」

「どういうこと……?」

「元来酒の席と言うのは交友の意味があるんだよ。まぁ、大勢で呑むような席もないこともないけど、私が好むこの店はどちらかと言うと前者の意味合いが強い。だからここで一回酒を交わすという事は、私たちと友人となることに他ならないんだよ」

「そ……それは、つまりさとり様を裏切れと言う意味?」

「いや、そこまでは言わないさ。ただ、友人として飲めるのかという事だ」

「……正直な話、いい気はしないね。だけど……」

「だけど……なんだ?」

「それが、ヤマメとの約束だから。命の恩人の願いは聞かないと、あたいの存在意義が揺らぐ。だからあたいは、例えあんたが憎むべき敵だとしても、あんたと酒を交わすことに抵抗はしない」

 お燐が勇儀の気迫に負けじと言い返すと、勇儀はしばらく驚いたように呆然とお燐の顔を見つめた。そして、気が付けばそれは笑い声へと変質していた。

「はっはっは、ヤマメとの約束か……うん、それでいい。今はそれで飲み交わすとしよう」

 そういうと、勇儀は自らの目の前にある顔よりも大きな杯に酒を注ぎ、それを掲げる。

「では、改めて。今回は新しい友人――地霊殿のお燐を迎える歓迎会として……乾杯」

「「かんぱ~い!」」

 勇儀の音頭と共に残りの三人が杯を掲げ、宴の開幕を祝う。

 そしてお燐もその様子をうかがい、それから同じように盃を掲げた。

 そんな五人を待っていたと言わぬばかりに、店の者が次々と現れ、机の上に料理を並べていく。そのどれもが酒の席の料理とはかけ離れた豪華絢爛な料理のそろい踏みだった。

 故に、お燐はここが敵地であるという事も忘れてその料理の数々に見入ってしまっていた。

 それをみたヤマメは、一つ一つの少量を小皿に取りお燐の前に差し出す。その皿を前にし、お燐は恥ずかしくて耐えられなくなってしまったのか俯いてしまった。そんな様子がまたおかしくて笑ってしまう。そしてそんな二人の様子を見ていたキスメがまた頬を膨らませてヤマメとお燐の間に入ってきて、パルスィが暗い顔して妬ましいという言葉を連呼し、勇儀が大声で笑う。

 それはお燐にとっては複雑な空間だった。

 そこはとても楽しい場所だった。

 誰一人として気を使う者はおらず、各々が在るがままでいる。しかしそれが異様に噛みあっていて、誰一人としてその空間を本気で拒否する者がいない。だからこうして笑いが絶えないのであろう。

 だが、そんな楽しい空間であれ、ここにいる四人はお燐にとっては敵だ。

 敵の渦中で楽しく思うことなど許されるはずがない。

 だから、お燐は気が付いたときには俯いてしまっていた。

 ――お燐はわかっている。

 この旧都の鬼たちは決して悪いやつらではない。

 その証拠にこうして敵陣営であるはずのお燐を警戒することもなく、《友》と呼んで酒を酌み交わしているのだ。それだけで勇儀の器の大きさと、ヤマメたちの優しさがうかがえるのだ。

「……卑怯者」

 ああ、本当に卑怯だった。

 《嫌い》と《敵》とでは捉え方が全然違う。

 嫌いではただ個人的な対象への敵対心であり、敵では対象へ憎悪からくる敵対である。

 それはお燐の中でも理解していることだ。

 だが、それでもお燐は勇儀達の事を敵と称したのだ。

 さとりをこの旧都から疎外した勇儀を憎悪し、許すことはできなかった……はずだった。

 だけど、今の勇儀達を見ていたらとてもそんな気持ちになる事でできなかった。

 ――わかっていた。お燐の抱いていたこの気持ちは一方的なものなのだと。

 だが、でなければお燐は正気を保つことができなかった。

 さとりがずっとあの部屋に引きこもっているのは、目の前にいる妖怪たちがさとりを中傷し、それが旧都全体に広まったためだからだ。つまり、さとりを陥れたのは目の前の妖怪たちに間違いない。

 だが……だけど、今お燐は目の前の妖怪たちをそんな妖怪には見えなかったのだ。

 自分を恨んでいる妖怪を《友》と呼ぶような妖怪たちが姑息な手を使いさとりを陥れるモノなのだろうか。いや、きっとそれはないだろう。

 そうと確信せざるを得ない程に旧都の妖怪たちはお人好しだった。

 だからこそ、お燐は俯いてしまう。

 今……お燐は、本来持ち得てはいけない気持ちを持ってしまっているから。

「……どうしたの?」

 だが、そんなお燐の様子の異変をヤマメは気づき、心配そうに覗き込み声を掛ける。

「お燐、本当にどうしたの? なんで泣いてるの?」

「……え?」

 ヤマメに言われてから自分の目元をふき取ってみると、かすかに湿っていることに気づき、自分が涙を流していることに気付く。

(ああ、そうか。今あたいは悲しいのか)

 と、お燐は自分の中の誰かに語りかける。

 悲しい……その感情はお燐の中のどこから来るのだろうか。

 明るく優しい旧都の妖怪たちに対する背徳感?

 いや、違う。これはきっと……

「あたいは……逃げ出してきたんだ」

 自分の中にある感情の矛盾に気づき、気が付けばお燐は言葉を綴り始めていた。

 何かに問いかけるように。何かを悟るように。まるで独り言のように口を動かす。

「地霊殿は閉鎖された空間だ。その理由は言わなくでももうわかっているだろう。あたい達のご主人さま――古明地さとり様はその閉鎖された空間の中でもさらに自らの居室にずっと身を隠し続けていた。

 その理由はあたい達にもわからない。

 ただ、最近は一度部屋に入ったらずっと出てこないんだ。

 何日も、何日もずっと部屋の中にいてろくにご飯も食べようともしない。

 そしてあたい達は、そんなさとり様に部屋に入る事を禁じられていた。

 でも……あたいは心配だったんだ。あたいは悪くないはず……なのに!」

「さとりの部屋に入ってさとりに叱責されたと?」

「……」

 ヤマメの指摘に、お燐は思わず口を閉じ俯く。

 そしてもう一度顔を上げた時にはその両の真紅の瞳からは多量の涙が零れ落ちていた。嗚咽を交え、涙で言葉が出ないのを必死で堪え、潰れそうな喉を必死に動かして言葉を続ける。

「あた……あたいはたださとり様が心配だっただけだ。

 いくら妖怪とは言え、食事をとらない生活は必ずその身を壊すことにつながるから……。

 だからあたいはさとり様にご飯を食べてもらいたくて、その扉を開けた。

 なのに、そこで待っていたのはさとり様の怒りだけだった。

 なぜ入ってきたのか。なぜ言う事を聞かないのかと言われて……、ただ心配だった。それだけだったはずなのに、気が付いたら口論になってて、あたいは……あたいは……」

「お燐……」

「あたいは、たださとり様が好きなだけだったはずなのに。心配していたはずなのに、気が付いたらひどいことを言っちゃてた。それで怒ったさとり様に、いらないって言われて……それで……」

「気が付いたら私の家だったのね」

 お燐の言葉に呼応するようにヤマメの言った言葉を肯定するようにお燐は首を縦に振る。

 しばらくお燐は涙を流してから気が付いたかのように涙を拭い、そして無理やり笑顔を作り勇儀達に言葉をかける。

「あ、ごめんなさい。せっかくの酒の席だったのに。あたい、変な事を言っちゃって……」

「いや、いいさ。言っただろう? この酒の席は友好を深める意味合いが強いのだと。だからあんたが本音を話してくれて私たちは嬉しいさ。なぁ、ヤマメ」

「あはは……勇儀。ここで私に振るのは卑怯だよ。うーん、とりあえず私から言えることは一つかな。ねぇ、お燐」

「な、なに?」

「すごくつらいのなら、涙を流すほど苦しいのなら、無理して笑わなくてもいいよ。私たちはもう友達だから、お燐がつらいのなら……」

 お燐を励まそうとして綴ったヤマメの言葉は最後まで続かなかった。

 ヤマメの言葉が終わるよりも早くお燐がヤマメの胸に頭を沈めたのだ。その顔は子供のように歪み、涙を流すお燐の体をヤマメは優しく抱きしめた。

 そして、お燐は涙を流しながらゆっくりその口を開く。

「あたいは……地霊殿に、帰りたくない……」

 微風が吹けば描き消えそうなその一言は、その場にいた四人の耳に鮮明に響く。

 そしてしばらくお燐はヤマメの腕の中で涙を流している間、誰一人として口を開こうとせず気まずい静寂が漂う。

 しかしその静寂を破ったのはやはり勇儀だった。

 突然机を強く叩き、立ち上がるとその場にいた全員に背を向け部屋から出て行こうとする。そしてそんな背中を見つめてヤマメは勇儀に問いかける。

「勇儀……?」

「気にするな、別にお前たちに怒ったわけじゃない」

「……行くの?」

「ああ。いくら普段は温厚な私でも友達を傷つけられたのに黙っているわけにはいかないからな」

「そう……いってらっしゃい」

 ヤマメのその一言を最後に勇儀は歩き出す。

 その背中には通り名を物語るような威厳を纏いながら……。


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