火焔猫燐の戸惑い
地霊の化け猫――お燐は戸惑っていた。
本来ならば地霊殿にいるべきはずのお燐は、こんな薄暗く狭い部屋に見覚えなどあるはずもない。だからここがどこなのかも、なぜここにいるのかもわかるはずがなかった。
しかしただ一つ解ることがあるとすれば、ここは旧都の町の黒谷ヤマメと言う妖怪の家という事だけは確かだった。なぜなら、今目の前で自らの衣服をたたみ、それを近くにあるタンスにしまっている。それだけでもここが彼女の部屋であることは確かだった。
だが、そこまでわかったとしてもやはりお燐には、解せぬところがあった。
ここがヤマメの部屋であるとわかったとしても、今お燐はなぜここにいるのだろうかと。
お燐は地霊殿から外に出たことは覚えている。だが、そのあと何が起こったのかは全く記憶がなかった。ならば、この旧都の連中に何かをされたと考えても不思議ではない。だからお燐はこうして勇儀が帰ったこの部屋の中でも警戒を怠ることはなかった。
今は地霊殿と旧都は実質上対立状態にある。
それは地霊殿の主――古明地さとりと、旧都の実質的な指導者――星熊勇儀との間で冷戦状態にあるため。その結果にあるものと考えてもいい。
だからこそ、お燐は今目の前にいるヤマメを信用できないのだ。
一方、そう疑われているのがわかっているのか、ヤマメは勇儀が帰ってからは何一つとして行動を起こしてこない。
さきほど勇儀を帰らせるためにヤマメが発した一言は明らかにお燐に何か用があるような口ぶりであった。だが、当のヤマメは勇儀が帰ってからも自らの身の回りの整理をするだけでお燐と目すら合わそうとしない。
故にお燐はそのヤマメの行為に不信感を抱き、遂にその口を開く。
「あなた……なんなの?」
お燐の発したその一言は明らかな警戒と動揺がまじりあい、震える声になってしまっていた。
だが、お燐はそんな事を気にしている余裕はなかった。お燐は怖かったのだ。
ここは敵地……と言っては言い過ぎではあるが、お燐に味方がいないという意味ではあながち間違った表現ではない。だからお燐は震える声が、足が震えるほど怯えていても強気の態勢を崩そうとしなかったのだ。
そして問いかけられたヤマメの方は、そんなお燐を見てくすくすと笑う。
だが、そんなヤマメの笑い声がお燐の神経を逆なでする。
「何がおかしい!」
「いや、やっと話しかけてくれたなって」
「……何を」
「だって、私から声をかけてもきっと何も答えないでしょ?」
お燐にそう伝えてから、ヤマメは立ち上がり、隣の部屋にある厨房の棚から茶葉を出し、あらかじめ火にかけていたお湯を注ぎ二人分のお茶を作ってから戻ってきた。そして、お燐と自分の間に壁に立てかけてあった机を置き、その上にそのお茶をおく。一つは自分の前に、そしてもう一つをヤマメの方に置いてからもう一度ヤマメはお燐と向き合った。
「さ、何から話そうか?」
「別に……話すことなんてない」
「そう? 私には何か言いたそうにしてるように見えるけど?」
「……なんで?」
「だって、私は別にあなたを閉じ込めてるわけじゃないし、逃げようと思ったらいつでも逃げれたと思うよ?」
「だって……それは……」
「だから、ね? 君が何か悩みを持ってるんじゃないかって思ったの」
「……」
「あはは、私はね。誰と誰が喧嘩してるとか、誰が誰と仲が悪いとかあんまり興味がないんだ。ただ、誰かが暗い顔しているのが耐えられないんだよ。だから、何かあるのなら相談に乗るよ? 力にはなれないかもしれないけど、愚痴を聞いてあげることくらいはできるかもしれないから」
「……はい?」
ヤマメの答えを聞き、お燐は思わず絶句してしまう。
そしてしばらく目を丸くしてヤマメを見つめ、突然我に返ったように口を開く。
「あ、あのさ……あんた」
「なに?」
「言ってて恥ずかしくない?」
「なんのこと?」
「あ、もういいです」
お燐はヤマメとの問答で、デジャブを感じ、思わず敬語で答えてしまう。
何か思い出したのだ。このめんどくさいやり取りが地霊殿の住人と全く同じだったので、気が付いたときにはそういう口調になってしまったのだ。
――く~……
ヤマメとのやり取りで気が抜けてしまったのか、お燐のお腹からそんな可愛らしい音が静かな部屋に響き渡らせる。
そしてそんな音に反応するようにヤマメは立ち上がる。
「あはは、そういえばご飯がまだだったね。そこで待っててね」
「あ、ちょ! あたいはご飯を食べるなんて言ってない!」
「お腹すいてるんでしょ? 私はたまたま二人分のご飯を作っちゃっただけだから、あなたは食べればいいだけだよ?」
「あ、そ……」
「じゃ、今から作るから待っててね」
と言い残すと、ヤマメはお燐に背を向け、隣の部屋に入って行ってしまった。
そして一人、部屋の中に取り残されたお燐は、
「今から作るのに、間違えて二人分作るわけないじゃない……」
と、一人。誰にも聞こえないような声で愚痴をこぼしていたのだった。