旧都の絶対強者と猫
旧都と言う街は一つの大きな通りとそれから分岐するように細い通りが直角につながり、まるでかつての人間の都、平城京の様な作りになっている。
その大通りには人通りが多く、色鮮やかなとうろうが輝き、そこには妖怪達が喜びそうな居酒屋から日常必需品を取り揃えた雑貨屋など、人間の里に劣らない商店街が広がっている。しかし一歩路地裏の方に入って行くと、そこは光の入らぬ完全なる闇の空間が待っていた。
実際にはそこに妖怪達の住まう長屋が存在するのだが、家屋の中で一つ二つ明かりが灯った所で通りに光が届くことはなかった。
しかし、そんな通りに一つの光が灯る。そしてその光は甲高い下駄と共にゆらりゆらりと光の持ち手の周りを映しだす。
光の持ち手を一言で表すのならば《威厳》。
微かに揺らぐとうろうの光の中で黄金色の髪を揺らしながらゆっくりと歩くその姿は、まさに時代を生きた強者。彼女の威風堂々な姿を前にすれば、どんな妖怪であろうと道を譲る。それが、かつての地上を征した絶対強者――鬼の星熊勇儀、その人だった。
そんな勇儀は旧都の一番端の通りを歩き、半ばほどまで歩いたところでその足を止め、右を向き、目の前の扉を右手で軽くノックする。
だが、中から返事は帰ってこなかった。
部屋の中からうっすらと明りが灯っていることからも、この部屋の住人は中にいるはずだった。勇儀はそう思いながらもう一度ノックをしてみるが、やはり反応はなかった。
しびれを切らした勇儀は、中の住人の反応を待つこともなくその扉を開ける。
「おーい、誰かいないのかぁ~?」
勇儀は薄明かりの中、木造の日本家屋の室内に響き渡るように叫ぶが、それでも反応はない。
もしかして部屋を間違えたかと思って少し考えてみるが、何度も来ているこの部屋を見間違えるはずもない。だから玄関で身に着けていた下駄を脱ぎ、そのまま廊下を突きあたりまで歩いてから右手にある戸を開く。
「……はは」
するとそこには見知った金髪を纏う少女――ヤマメがすやすやと可愛らしい寝息を立てて眠っていた。
しかし勇儀にとって一つ気になることがあるとすれば、その胸元にいる一匹の猫だ。
ヤマメの部屋に猫なんか住んでいたかと記憶の中を辿ってみるが、やはりそんな記憶はない。
こんな地底の底に猫がいるとは考えづらい。ヤマメが拾ってきたと言えばそれだけの話だが、それもなぜ拾ってきたのか……。
「ああ、そうか……」
勇儀の中で一つの答えが出ると、ヤマメと同じように目を閉じている猫の首元を掴み拾いあげる。
「今夜は……ねこ鍋か」
かつて勇儀はヤマメを含めた仲のいい四人組で旧都の大通りの店で一つの鍋を囲い、ねこ鍋を食べたことがあった。その時は珍妙な名前の羅列に勇儀が興味を持ち、それをヤマメたちが悪乗りして食べたのだが、これがまた思った以上に美味だったのだ。
ちなみにねこ鍋を食べたのはそれ一回きり。
次に行ったときにはその店はつぶれており、それ以降食べることはなかったのだ。
だから勇儀の中にはその猫をヤマメが食べたいという答えにたどり着いたのだ。
「……にゃ?」
だがそう思い立ち上がった瞬間、突然手元の猫の目が開き、
「にゃぁあああああああああああああああああああああああああああ!?」
と、盛大に鳴き声を部屋に響かせたのだった。
それを勇儀は怪訝な顔で睨み、猫の鼻の頭を指ではじく。
「おい、うるさいぞ、猫よ。ヤマメが起きるじゃないか。これからお前を料理してヤマメが起きた時に驚かしてやろうと思ったのに」
――バリバリ
宙に弧を描く猫、嘆く鬼。
嘘を付けない鬼の一言で猫は怯え、その爪で鬼の顔に三本の赤い線を描いた結果だった。
それはなんとも滑稽な光景だろうか。
例えどんなに屈強な妖怪であろうとも勇義に膝をつかせることはないであろう。なぜなら彼女は絶対強者だ。それは自ら名乗るわけではなく、周りが彼女という姿をその瞳に焼き付け、そのあまりにも勇ましい姿を称してそう呼んでいるに他ならない。
故に彼女は負けを知らない。
一見楽観的思考を持っているように見えて、その実、誰よりも思慮深く仲間思い。それが星熊勇儀と呼ばれる鬼が旧都で親しまれる由縁だ。
だが、今の勇儀はいつもと違っていた。
猫に引っ掻かれ、その瞳には涙を浮かべている。それは人間の子供の様な姿だった。
そして、顔から伝わる鈍く響く痛みに耐え、勇儀は猫が飛んで行った部屋の隅に視線を送る。
しかし、そこには猫の姿はなかった。
不思議に思い周りを見渡してみても先ほどの黒く小さな姿は見当たらなかった。だが、その中で一か所だけ先ほどと全然違うところがあったのだ。
ヤマメが眠っているところから少し離れた所に積み上げられた布団。そこが先ほどよりも明らかに膨らんでいるのだ。
しかし、それも妙な話だ。
膨らんでいると言ってもそれは猫が隠れたからと言って大きくなるようなふくらみ方ではないのだ。その中にいる物は明らかにもっと大きい……例えるならば、人がいるような……。
そんな疑問を思い、勇儀がその布団を持ち上げた瞬間、その瞳には信じられないものがあったのだ。
そこにあったのは紅だった。
旧都の下に静かに燃える地獄の業火のような紅の髪を纏い、その全身には黒に近い濃緑のワンピースを羽織った少女が全身を震えたたせ、勇儀に対して威嚇の構えを崩さない。その少女が先ほどの猫と同一の存在であるという確信はその紅の髪から覗く、二つの漆黒の耳。それは人の耳とは遠くかけ離れた……言うなれば猫耳だった。
勇儀は知っている。その猫……少女の事を。
――火焔猫燐。
この旧都の中でも一際目立つ豪邸であり、旧地獄の監視者の館――地霊殿に住まう妖怪覚に飼われる火車の化け猫。数多くの獣たちが住まうその館の中でも数少ない人語を解す猫の妖怪。それが火焔猫燐――通称お燐と呼ばれる存在に対する勇儀の知識だった。
故にその存在を見た瞬間納得してしまっていた。
そう思い、一向に警戒をやめないお燐に対して手を伸ばそうとしたその時だった。
「うるさいなぁ……さっきから何をバタバタしてるのぉ~?」
先ほどまでその瞳を閉じていたヤマメが、まだ眠たそうな目をこすりながらその体を起こし、自らの部屋で暴れている闖入者に文句を言う。
「……ん?」
しかし、そこにいる人物が一人ではなく二人。しかも見知らぬ人が一人いるのならば、驚くのも無理はない。
そんなヤマメに対して、勇儀は笑顔で振り返る。
「よぉ、ヤマメ。おはよう」
「おはよう、勇儀。なんで勝ってに人の部屋にあがりこんでるの?」
「私は我慢できない性格だからねぇ……もし鍵がかかってたら蹴り倒してたかもしれないねぇ~」
「なんでそんなに乱暴なのよ」
「鬼だから」
「嘘が付けないっていうのは、バカ正直で、単細胞っていうのと同意義ではないわよ」
「ヤマメ、今、意外とひどいこと言わなかったか?」
「気のせいじゃない?」
「いや、気のせいじゃないだろう」
「で、そっちの子はだれ? 旧都ではあまり見たことないけど……」
「おい、無視するなよ」
そういって文句を言いたそうにしている勇儀を他所に、ヤマメは先ほどから警戒を解こうとしないお燐の目の前まで歩いてくる。
そして目の前で手を伸ばして笑顔で語りかける。
「はじめまして、私は黒谷ヤマメっていうの。あな……」
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。ヤマメが差し出した手をお燐は払ったのだ。お燐は勇儀だけではなく、ヤマメにすら警戒を解くことをしなかったのだ。
そしてそんな状況を見かねた勇儀は深くため息をつき、ヤマメに声を掛ける。
「やめておけ、ヤマメ。そいつは地霊殿のペットだぞ?」
「勇儀……」
「何?」
「今日来た要件は何?」
「ああ、明日大通りのいつもの店で呑みやるから来ないかって誘いに来たんだ」
「そう、私それに出る」
「わかった」
「要件はそれだけ?」
「そうだ」
「じゃ、要件はすんだよね?」
「そうだな」
「じゃ、今日はちょっと帰ってもらえない?」
「なんでだ?」
「この子とちょっとゆっくり話がしたいから」
当然、勇儀はヤマメの考えを止めようと思った。
しかし勇儀はそれを実行することなく、一言だけ挨拶して踵を返した。
ヤマメの瞳は鬼の勇儀ですら口出せない程、まっすくな目をしていたのだった。