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残された一ヶ月  作者: ないわ
2/2

12月1日

「いってきます」

 そう言って俺――滝沢勇人たきざわはやとは、一人で使うには無駄に広い家を出た。

 まだ高校生である俺の服装は、平日ということもあって制服だ。手にはオーソドックスな四角い学生鞄。マフラーなんてものはつけていない。

 季節は冬。月は一年の終わりを示す12月に今日入ったばかり。師走なんて言い方もあるが、この時代日常会話でそんな古臭い言葉を使う人間はいないだろう。

 学校を目指して、静かに雪化粧された住宅街を進む。

 明け方に雪でも降ったのだろうか、歩くたびに新雪の感触が靴から伝わってくる。通った後には、俺の靴跡だけがくっきりと残る。まるで綺麗な絵画に落書きしているような罪悪感を覚えるが、そんなことを気にしていてはしょうがないので、無視して歩き続けた。

 住宅街を抜けると、交通量の多い環状線に出た。朝の通勤ラッシュの時間帯に加え、雪道で上手く進まないのだろう。ひどく渋滞しているように見えるが、こんなのは冬の日常の一ページに過ぎない。

 よく見る光景を流し、いつも通りバス停に向かう。

 バス停に着くと、これまたよく見る面子がいつもと変わらず立っていた。ブックカバーのかかった小説を持った白髪混じりの小柄なサラリーマンに、しきりに手元の携帯を操作している別の高校であろう茶髪の女子生徒。面子などと言ったが、面識などありはしない。ただ、いつも出勤と登校する時間が重なっているだけだ。人間とはなかなか、規則的な生き物らしい。

 時刻表を見ると、次は5分後ということになっているが、もう既に曲がり角の端からバスが顔を覗かせている。顔を覗かせているのは、五分後到着予定のバス――ではない。本来なら10分前に着いているであろうバスだ。ここのバスは冬になると基本的に遅れてくるのだ。ダイヤも冬になると微妙に変わり、雪道を想定したのかそれまでより遅くなるのだが、それでも時間通りには来ない。そろそろバス会社はダイヤの見直しをした方がいいと思う。

 青と白で塗り固められたバスがバス停に着き、プシューというガスが抜けたような音と共に扉が開いた。

 車内に入ると、暖かい風が身体を包む。外気とはどれくらいの差があるのだろうか。

 白い整理券をとって中に進む。車内にはこれまた見覚えがありすぎる面子が、いつもどおりの場所に座っていた。本当に規則正しい生き物だ。かくいう俺もいつもどおり、前から二列目の右に座っているふくよかな中年女性の前に立つ。この人が座っている人の中で早く降りるからだ。人間一年半も同じルートを通っていればそれくらいは覚える。

 いつもどおり中年女性は二つ先のバス停で降りていったので、いつもどおり俺は開いた席に座り、いつもどおり窓から見える車の群れを眺める。よくよく観察してみると、いつも車の種類さえ同じで、乗っている人間も何ら変わらない。

 こうしていると、毎日同じ日々を過ごしすぎて無限ループに陥っているのではないかという錯覚に陥りそうだ。無論、そんなことはありえず、俺の見る世界が狭すぎて変わっていないように見えるだけなのだろうが。

 バスは雪道を進む。一々バス停に停車するたびに扉が開き冷気が流れ込んでくる。早く閉めていただきたいものだ。


/


 数十分後、俺が降りるバス停に到着した。整理券を運賃箱に入れ、定期券を運転手に見せて降りた。

 降りると同時に刺すような寒さが身体に染みる。暖かい場所にいたからだろう。

 家の近くとは違い、大分踏み荒らされ黒ずんだ雪の上を進む。ここから学校までは三分ほどだ。

 学校に行く途中、同じ制服をした生徒をチラホラと見かけた。一部は集団で固まり、邪魔なことこの上ない。おそらく本人たちにそういった意識はないのだろう。

 喧しい集団の横を無言で通り過ぎ、俺は学校へと向かった。


/


 学校に入ってすぐに靴箱から、学校指定のどこぞのメーカーの靴をとりだして教室へと歩き出す。

 ここは本当に学校の廊下か、と思うほど耳障りな雑音が嫌に耳に入ってくるが、今更気には留めない。雑音の正体は屯する学生の話し声やらなんやら。下品な叫び声もたまに混じる。

 途中、廊下で肩が微かに誰かとぶつかった。が、俺はそちらを見ない。無駄だからだ。無駄に反応してもいいことはない。

 ただ、流石に真正面から人が来ると、そちらを見る羽目になる。

 真正面から歩いてきたのは、いかにもステレオタイプの不良ですよ、と自らをアピールするかのように、鼻にやたらピアスを開け、髪を逆立たせた金髪の男子生徒。多分俺は、未来永劫この美的感覚を理解することはないだろう。

 ステレオの背後には、ステレオ程ではないにしろ、似たような格好をした男女数名。それと、彼らに囲まれた実に気の弱そうなヒョロっとした男子生徒。

 男子生徒の眼に恐怖の色が浮かんでいるなんていうのは、大体の人間が理解できそうだ。それくらい解りやすい眼だ。ついでに言えば、男子生徒の眼と状況から、これから何が行なわれるのかなんてのも大体の人間は想像がつくことだろう。

 俺だって、極端に想像力の欠如した人間ではない。それくらいは解る。

 さて、ここで俺には三つほどの選択肢が浮かぶ。


 1.ここで助けに入る。

 実に素晴らしい選択肢だ。

 自分の危険をいとわずに、なんとただ一人で勇敢にも巨悪と立ち向かう。そして強きを挫き弱きを助ける。これだけで、自分に酔えるかもしれない。ただ、多対一なんて、どこぞの格闘家でもないと無理だ。そして俺はしがない高校生である。

 いや、もし失敗したとしても、他者に賞賛される行為だ。やるだけで賞賛を得られることだろう。それで酔うのもありか。

 だが、残念なことに俺はそんな賞賛を望まないし、それ以前に痛いのは嫌だ。よって却下。


 2.助けを呼ぶ。

 比較的現実味を増した選択肢だ。

 自分一人では助けるのは無理なので、周囲に助けを求める。周囲には公害レベルで雑音を奏でるほど、人はいる。全員に呼びかければ、何人かは義憤を覚えて味方してくれるかもしれない。

 よしんば、誰も味方してくれなかったとしても、職員室まで先生を呼びに行けばいい話だ。それで解決する。そうすることによって、被害者からは感謝の言葉を述べられることだろう。

 だが、残念なことに俺はそんな感謝の言葉なんて望まないし、それ以前に先生を呼びに行ってこの場を収めたとして、間違いなくステレオ共に眼をつけられるだろう。俺は平穏な学校生活を送りたいので、余計な風波は立てたくない。よって却下。


 さて、浮かんだ選択肢の内、二つは消えた。

 では最後。

 3.何もしない。

 一番現実的だ。

 何もしない。何も関わらない。何も変わらない。 

 ああ、なんて素晴らしいんだろうか。現状の俺は、今の生活に不平不満を感じていないわけだから、何もしない。つまり何も変わらない。成る程、素晴らしい。よし採用。俺の脳みそは全会一致で可決だ。一人の欠員もない。皆が立ち上がって拍手している。なんて円満な会議だ。

 眼鏡のところの会議からの意見? そんなもの知ったことではない。他国の意見で国内の会議が左右されるようじゃ、その国はお終いだ。

 こうして脳内会議で傍観者と成り果てることを決めた俺は、自然な動作で右斜め45°に進行方向を変え、静かにステレオ共をかわす。

 すれ違い様に憐れな子羊は、縋るような視線を一瞬俺に向けたが、神父でない俺はそんなものは無視して教室へと歩き続けた。


/

 

 階段を一階上がったところで、ようやく俺の入るべき2年2組の教室のドアが見えて来た。

 教室の中に入ると、丁度SHRまで5分を切ったところだった。内部を見渡すと、前方にある黒板は汚い――というより、「書いた奴は漫画家にでもなれ」と言わせるくらい素人目に見て上手い二次元キャラクターが描かれていた。

 元は綺麗に並べられていたであろう机は、乱雑に乱れていて空白が目立つ。幸い俺の席は乱れていなかったので、労せずして座ることが出来た。

 現在席に座っているのは、俺含め3人。これでもSHR5分前にしては多い方だ。生徒30人ほどだったか? が入ってくるのは、大体時間丁度か、数十分遅れて入ってくるのがほとんどである。

 人数に疑問符をつけたのは、俺自身、興味がなくて人数を覚えていないからだ。覚えるだけ無駄である。


/

 

 俺の通う学校は、頭が悪い。というのは、偏差値が低いという意味だ。そんな学校に入っている俺も、漏れなく頭が悪いと呼ばれる部類だ。

 この学校は荒れている。と、他校の生徒から言われる部類に入るだろう。

 ここに入るまで、俺は小中と学校に通い、「学校とはまるで監獄だな」と思ったが、ここはどうやら違うらしい。

 そう、ここは動物園だ。

 監獄とは、人間を収容する場所であって、間違っても動物を飼育する場所ではない。

 そしてここにいるのは動物だ。つまり監獄ではない。「人間は動物だろう」と、理科好きな人間であれば言うかもしれないが、俺はそういうことが言いたいんじゃない。高等学校とついているが、きっとそれは人間に似た高等霊長類の意の高等だろう。

 つまるところ――それくらいにここは酷い。

 規律とか風紀とか、そういったものはゴリラの投げた糞に塗れているような、そんなところだ。

 まあ、そもそもまともに学校生活を送っていれば、こんな学校には来ないわけで、ここに来ている時点で、中学はまともな学校生活を送ってはいないということの証明に他ならない。もし、まともに中学校を一度も欠席せずしっかりと授業に出続けてここに来ている人間がいたとしたら、それはノーベル賞ものの馬鹿だ。きっと自分の名前も書けないに違いない。賞賛の拍手と共にちんけなトロフィーを自作して送ってやろう。

 いや、待てよ。そんな人間がいたら、テストに名前を書けば受かるという噂――というかほぼ事実すら疑わしくなってくる。願書さえ出せれば受かるに変更しなければならないかもしれない。

 

/


 少しして、教師が入ってきた。若い男。黒縁眼鏡の下には気の強そうな眼。髪はオールバック。これでブランド物のスーツでも着ていれば、一流商社マンに見えるかもしれないが、服装は寒いのか男もののカーディガン。ズボンは無機質なグレー以外に特徴がないような、そんなものだ。俺自身服に詳しくないので、種別出来ないだけかもしれないが。

 入ってくるなり、他の生徒数人が慌てて教室へと入ってきた。

 その姿を認めてから商社マンは出欠確認を始める。

「赤崎。いない。今井。いない。江村。いない。岡島ー」

 今入ってきた生徒は、この学校では「勤勉」にカテゴライズされる。未だに席が半分以上空白なところからも、それは窺える。

 これでも1年の時よりはマシな方だ。1年の時点で、授業を妨害したり、まったく学校に来る気のない生徒は辞めていく。捕まって辞めたやつもいるが。2年生に残っているのは比較的まともな人間だ。

 そう考えると、さきほどすれ違ったステレオたちは、1年かもしれない。

「滝沢ー」

 そんな下らないことを考えていると、どうやら出席番号は「た」行まで来たらしい。

「はい」

 自分でもくぐもっているな、と分かる声で短い返事を返した。

 

/


 結局、俺がこの日学校で発した言葉は、「はい」だけ。それもたった一度だけ。

 珍しいことではない。よくある話。他に話す機会としては、教科の先生に当てられた時くらいのものだ。

 それも、大体の先生はこの学校の現状に諦めているのか、どこかやる気がなくて、ひたすらに教科書の内容を繰り返して吐き出すだけのコピー機に成り果てている。よって、当てられることは少ない。

 クラスの人間とは話すこともない。それ以前に名前すら覚えていないのだ。

 この学校の人間関係は希薄だ。集団行動など皆無に等しい。

 以前、俺に唯一話しかけてくる奇特な人間に、自分の学校の現状と生活を半ば強引に伝えさせられると「お前、そんな人生楽しいのか?」と心底不思議そうに言われた。

 楽しくはないが、不満もない。なので変える気もない。あの奇特な人間は、最早別の生物として見ているので、嫌味にも感じなかった。

 一般的に言えば、俺の年齢は17で高校2年生。「青春」と呼ばれる時期に当たる。受験はないし、学校生活にも慣れてきた頃。勉強に部活に恋愛と忙しいだろう。

 だが、俺の生活にそんな文字は一文字も当てはまらないのだ。文字にするなら「無味無臭」。「青春」と比べて四字熟語な分、俺の生活の方が内容がありそうだ。

 ほとんどかわりばえのしない毎日を繰り返している。平穏とは実に素晴らしい。

 俺はもうこれでいいと、自己完結しているので、特別なことはしない。惰性で毎日を過ごすだけだ。

 それでいい。

/


 いつも通り学校の帰り道、家路を歩いていると、朝方の絵画のような綺麗さはなく、漏れなく滑り止めの砂の混じった黒ずんだ雪に変わっていた。

 それらを更に踏み荒らし、俺は家路を急いだ。外は寒い、家のストーブの前で温まりたい。

 家路を歩いていても、やはりいつもと変わらない、特筆するようなことはなにもなかった。


/

 

 家に着いて、雪国特有の二重玄関の外側を開け、鍵のついた内側の玄関を開けて、ようやく俺は朝以来の言葉を発する。

「ただいま」

 返答はどこからも返っては来ないが、今はこれを習慣にしている。

 俺の家は二階建て4LDKの一軒家。周囲はブロック塀に囲まれた一般的、よりも少し大きいと思う。傍目から見たら、裕福な家庭に見えそうだ。

 ただ、現在ここにいるのは俺一人。

 現在、というのは別に今現在が未だ午後6時だからとか、そういう理由ではない。

 親はいない。そのままの意味でいないのだ。

 正確には、亡くなった。

 亡くなったのは中2の頃だったか、雪国でありがちなスリップ事故だった覚えがある。まあ、スリップしたのは相手側だったが。冬道だというのに、タイヤの選択を間違えたのか、見事に滑って中央分離帯を映画のカーチェイスの如く跳び越えて、反対車線の親の車にぶつかったらしい。

 俺の両親は見事に斜め上からの衝突を喰らい即死。即死なだけマシだと今では思う。

 相手方はというと、なぜか軽傷で済んだ。上から乗ったことにより、人間自体は甚大な被害を受けなかったらしい。当然、廃車にはなったが。

 その後の手続きは、父の弟である叔父さんに任せた。というより、俺にはよく分からなかったので、何も出来なかったのだ。ここで叔父さんが極悪人であれば、今頃俺はホームレスだろうが、今のところはまともに生活できているので不満はない。一人で暮らしたいと言った時もすんなり受け入れてくれた上、お手伝いさんでも雇うと言い始めた辺り良い人だと思う。今のところはだが。

 相手側との民事の損害賠償は示談で済ませたらしい。故意でないにしろ、殺人ではあるので刑事裁判は免れなかったようだが、そちらも故意ではないので実刑はなかったらしい。

 当時こそ、俺は相手側を怨んだけれど、今では別に怨んでいない。現在のこの生活は、相手側の莫大な示談金によるものが大きいし、彼が死んでいたら逆に生活に困ったかもしれない。

 ただ、流石に当時の俺に対する影響は大きくて、中2の冬から卒業までまったく学校には行かなくなり、精神科を受診する毎日を送った。その頃の俺は今よりも無気力で、ゾンビのような顔をしていた。当時の写真からもそれが窺える。お蔭で勉強もせず、出席日数も足りず、受ける場所が動物園しかなくなったわけだ。

 現在の俺は、親がいないことを悲観していない。考えてみれば、この世界中に親がいない人間は、千人に一人くらいとか一万に一人とかはいるのだろうし、そう思うと、人間の人口は70億人、つまり千人に一人なら700万人、一万に一人でも70万人はいる。70万人もいれば、島根県と同じくらいだ。それだけいれば、別段珍しいことではないだろうと思うわけだ。よって俺は悲観しない。

 

/


 無駄に広い家の中に入って、リビングのガスストーブをつけ、制服も脱がずにそこに座布団を持って座る。寒さで悴んだ手足がようやく感覚を取り戻し始めたところで、二階に行き、ドアを少しだけ開けて隙間から学生鞄を放り投げた。

 二階には俺の部屋以外に、2つほど部屋があるが、現在は使っていない。使う必要は微塵もないし、無駄に使って掃除するのもめんどくさいからだ。

 俺が使う部屋は、リビングとキッチンとトイレと風呂場、後は俺の部屋だけ。部屋が余ってしょうがない。

 一階に下りると、部屋は十分な暖かさになっており、「ようやく家に帰ってきたな」という一種の安堵感を覚えた。

 時刻は6時ちょっとすぎ、6時45分までやることはない。そして俺に趣味はない。漫画も小説も読まないし、ゲームも持ってない。パソコンもない。一応テレビはあるが、見るものはない。そして更に一応を二重掛けしてケータイもあるが、ネットをする趣味もない。

 だが、趣味がないからといって、「じゃあ、勉強しよう」なんて言葉を吐くほど俺は勤勉な人間ではない。「暇だ、勉強しよう」なんて言う人間もいるだろうが、俺は違う。なぜ、あんなめんどくさいことを自らせねばならないのか。出来るだけ無為に無意義に過ごしたい。基本的に俺は怠惰な人間だ。

 俺は白いソファーに座り腕組をしながら、じっとキッチンを見つめる。ほとんど使っていない食器の山が見える。だからどうしたという話だが。

 この行為に意味はない。まったく意味はない。あえて意味をつけるなら暇潰し。現在の俺は、何もなくても時間を潰せる。なにもない日曜日なんて、一日中じっとしているだけで終わる。世界広しといえど、ここまで無意味に休日を過ごしている人間は他にいないだろう。ナマケモノの方がまだ活動的だ。

 奇特な人間には「ミジンコ並の無意味さだな」と言われたが、ミジンコに失礼だ。彼らは精一杯生きる為に日々活動しているわけで、俺如きと比べるなんて失礼な話である。


/

 

 そうして無駄に時間を過ごしていると、やがて時間になったことがなんとなくわかったので、ケータイで一応時間を確認して家を出た。

 人間楽しいことをしていると、時間が早く過ぎ、つまらないと長く感じるらしいが、俺にとってはどちらでもないからなのか、直前に時間さえみていれば直近一時間くらいなら、ほぼずれなく時間が何となく分かる。まったく意味のない特技だ。

 外に出ると一層寒さは増していた。冬なので、陽は5時半には落ちていて、太陽の影はどこにもない。橙色の街灯が道を照らすばかりだ。

 人通りの少ない閑散とした住宅街を抜けて、車が多い幹線道路に出て、そこから5分。

 見えて来たのは、先が四角くて長い看板。そこら中によくあるコンビニの看板だ。

 めんどくさくなりながらコンビニの後ろに回って、従業員用の通路から中へと入った。

 

/

 一応、俺はバイトしている。ありがちなコンビニのバイト。というより半ば強引に始めさせられた。

 俺だって自分からこんなことをするほど活動的な人間ではない。

 原因は奇特な人間だ。奇特な人間が「お前、そんな生活してたらいつか言葉も忘れるぞ?」なんて言って、勝手に自分の勤めるバイト先に勝手に俺を応募して、なぜか面接もせずに働くこととなった次第だ。奇特な人間曰く「店長が「君の知り合いなら面接なくても大丈夫でしょ」って言ってた」とのことらしい。

 仕事と言っても覚えることはそんなにないし、そこまで苦ではないので、辞めるタイミングを見失ったこともあり、現在まで続けている。労働時間も長くはない、午後7時から10時までだ。

 ケータイを持っているのも、ほぼこのバイトの為である。このバイトの連絡用。本当に使い道はそれくらいだ。

 

/


 コンビニの制服に着替えて、ロッカールームからレジ奥の休憩室に行くと、本日二度目の言葉を掛けられた。

「お、来たな」

 俺みたいに捻くれた人間でなければ、大体の人間が初対面で好感を抱くような爽やかな笑顔と通る声。

 いや、笑顔などなくとも女性ならその外見だけで好感を抱くことだろう。清潔感が身体の隅々からあふれ出しているような人間。これで顔の造形も整っていて、背が180はあり、筋肉も健康的についていて、おまけに性格も良い上、更におまけに頭も良いときた。

 天は二物を与えないなんて言葉を、存在だけで吹き飛ばすような男。

 これが唯一俺に話しかけてくる奇特な人間――桐生隼人きりゅうはやとである。

 奇しくも俺と同じ名前。だが、外面も内面も真逆な存在。最早別の生物。

 学年は俺より三つ上で、大学2年生の丁度二十歳。

 俺との関係は、はす向いに住んでいる近所の知り合い。

 小中と同じ学校に通ったが、中学は学年の関係上学校では会ったことがない。高校は当然別だ。

 「無味無臭」に生きたい俺としては、出来れば関わりたくない人種の人間ではあるが、厄介なことにこの男は叔父にも信頼されていて、何かと俺に構う。

 今だって、わざわざ俺のシフトに合わせているようで、毎回同じ時間に顔を合わせる。

「ばんわっす」

 相変わらずくぐもった声で返事をしてから、周囲を見渡すともう交代の時間らしかったので、桐生と共にレジへと向かった。

「お疲れ様です」

 桐生がそうやって一人に声を掛けると、途端に相手の眼に懸想の情が浮かぶ。なんという天然ジゴロ。

 おそらくは桐生のお蔭かと思うが、ここのバイトの男女比率は圧倒的なまでに女性優位。店長含め、俺と桐生以外に男がいない。

 桐生に声を掛けられた相手には、他の二人による嫉妬の念が向けられているのが、ありありと見て取れた。

 しかしそれも、桐生がこれでもかというほどの爽やかな笑顔を振りまくと、すぐに治まる。一種の洗脳状態にすら思えた。

 ああ、怖い。もしかしたらコイツらは桐生に笑顔で「死ね」と言われたら死ぬんじゃないだろうか。どっかのアイドルファンに似た空気を感じる。まるでカルト信教だ。

 まあ、それはそれでどうでもいいか。実に俺には関係ない話だ。

 その後、姦しい女たちは、俺には目もくれず、名残惜しそうに帰っていった。

 後から来た、これまた20代前半の女も加え、シフトに入っている人間が全員揃って、仕事をし始める。

 と言っても、やる事はそんなにない。掃除と商品の補充くらいか。時間帯的にレジは混むが、基本的に俺はレジに入らないのだ。

 レジは、桐生と女に任せる。女側がそれを望んでいるのだ。どうあっても桐生の近くにいたいらしい。

 こうして俺のバイトは、怠惰に過ぎていく。可もなく不可もなく。

 

/


 恐ろしく正確な俺の体内時計が10時を告げた頃、いつも通り俺はバイトから真っ先に上がって家路を急ぎ始める。

 早く上がったからといって、別に何か言われることもない。むしろ、桐生と僅かな時間でも二人にしてやったのだから、感謝されるべきだ。

 空からは粉雪が降り出しており、明日の朝方にはまた、真っ白に地面を染め上げられていることだろう。

「ん?」

 不意にケータイのバイブ音を感じて、ほとんど使わない画面を開いてみる。

 メールらしい。桐生には「line入れ、というかスマホにしようぜ」と言われたが、無駄な気がして止めた。ネットも碌にしない俺にはスマホの必要性が微塵も感じられなかったし、入るのはめんどくさい。

 差出人の「沢崎」という名前の横にコンビニとついてるので、コンビニバイトの誰かだろう。ちなみに俺は働いて三ヶ月経つが、桐生と店長以外の顔と名前はさっぱり一致しない。

 内容はというと――

「イブの日空いてる?」

 これだけ。無駄な絵文字がついているが、内容はそれだけだ。どういう意味の空いてるなのかくらい示していただきたい。

 12月24日。バイトはない。学校は冬休み。当然俺に遊ぶ予定はない。勉強する気もない。つまり――空いている。

 慣れないメールを打ち、返信ボタンを押した。内容は以下の通り

「シフトなら代わってもいいですよ」

 俺は基本的にシフトの変更を断らない。断ったりしたら、人間関係がめんどくさくなるからだ。

 そしてすぐさま返信が返ってくる。前半は感謝の弁。後半はついでと言いつつ、おそらく彼女にとって一番重要であろうことが書かれていた。

「ついでに、桐生君にイブの日空いているか聞いてくれる?」

 中々に図太い神経だ。厚かましさここに極まり。

「それは自分で訊いてください」

 そう返信して俺はケータイをポケットにしまった。

 その後、バイブ音を感じたが、それ以降は無視した。内容など見なくても分かるし、やる気もないからだ。

 自分で誘え。まあ、きっと桐生は空いていたとしても沢崎という女とは遊ばないだろうが。


 

/


コンビニを出て10分ほど歩いて、ようやく我が家へとたどり着いた。

 昨日は、バイトから帰ってくると、コスプレ不法侵入者がリビングにいたが、流石に今日はそんなことはないと思いたい。

 昨日の出来事は俺の中で、夢であったと結論は出ている。自分では疲れていると微塵も思っていないが、疲労などから来る幻覚だったのだろう。

 疲れているならすぐに寝て、また明日からいつも通りの毎日を過ごす。それが俺だ。

 そして俺は玄関の鍵を開け、暖かい我が家へと帰還した。

 まず、やることは変わらない。リビングに行って、座布団をストーブの前に――


「あっ、来ましたね」


 リビングのストーブの前には、既に座布団があった。


 だが、そこに座っているのは俺じゃない。昨日のコスプレ不法侵入者だった。抱いた感想は昨日と変わらない。

 つまり……これはなんだ?

 疲れている。そう思った。だって幻覚を二日連続で見ているわけだ。そろそろ過労死する前兆に違いない。この程度で過労死するならば、社会になど出てはいけない。むしろ死んだ方がいいかもしれない。

 そんなことを考えながらも、俺は冷静だったようで、半ば無意識で通報するためにケータイを取り出していた。

 そしてまた昨日のように、翼を生やした金髪のコスプレ女は、そんな俺を止めようと声を上げた。

「だーから! 無言で通報の体勢とらないでください!」

 俺だってこんなことはしたくない。事情聴取なんてめんどくさいことは真っ平ゴメンだが、自分にかかる火の粉を避けるためにはしょうがない。

 分かりやすい110番を押して、ケータイを耳に当てた。


 コール音が鳴って、鳴って、鳴った。二度三度。


 おかしい。110番は一回で繋がるはずだ。待たされることはない。

 不思議に思って、不法侵入を見ると、なにやら殴りたくなる不敵な笑みを浮かべていた。その顔は「不思議でしょう?」と誇っているようだった。

 俺は、不法侵入を無視して無言のまま、家を出ようと背を向けた。とりあえず、電話でも他人に借りに行こうと思いながら。桐生の母親とは面識があるので、桐生の家にでも行こうか。

 ここで不法侵入が喚く。

「え? なんでそこで、訊いてこないんですか!? 「貴様何をした!?」とか。おーい」

 不法侵入はうるさいので無視だ。犯罪者の言葉になど耳を傾ける義理はない。家に残しておいても、盗人ではなさそうなので、大丈夫だろう。

 リビングを出て、玄関へ。正直寒い。

 靴を履いて、玄関の冷たいドアノブを素手で回す。


――と、これまた不思議なことに開かない。

  

 何度ドアノブを回しても扉は開かない。

 いつから我が家はリアル脱出ゲームになったんだ? 

 不思議に思うも、答えは出ない。

 玄関にいた俺の背後から、再び聞こえる不法侵入の嘲るような声。

「だーから、無駄ですって」

 ここまで来ると、もう不法侵入の言葉を聞くしかない。それ以外に現状の解決方法はなさそうだ。かなり苛立たしいことだが。

 俺は不快感を隠さずに振り返って不法侵入に訊く。

「おい、どうして俺の家にこんな悪戯した? そんな齢で悪戯とか、恥ずかしくないのか? 悪質にもほどがあるぞ」

 不法侵入の齢はおそらく俺より上。二十代前半だと思われる、髪は自然なブロンド。日本人ではない。

 ああ、この齢でこんな悪戯をするなんて、どんな教育を受けてきたんだ。親の顔が見てみたい。

「違うってば! あああああもう!! 話を聞けぇぇぇ!!」

 ヒステリックな叫びを我が家に響かせる不法侵入。

 うざい。黙れ公害。

 こんな汚い言葉を言わずに心中に秘めている俺を見習え。

「分かった、聞いてやるから、声のボリュームを下げろ」

「ようやくですか、とりあえず寒いのでストーブの前でも行きましょう」

 のそのそと戻っていった不法侵入の様はまるで、我が家を歩いているようだった。ここはお前の家はじゃない。

 リビングに戻ると、ストーブの前を不法占拠していたので、無理矢理座布団ごと引っ張って強制退去させてやった。ざまあみろ。

 家の主ポジションをとりかえした俺は、そこに座り、しょうがなく不法侵入の弁解を聞いてやることにした。

「とりあえず、なんで俺の家にいるのかの説明をよこせ。内容次第では通報する」

「まだ、その選択肢あるんですか……」

 なぜか呆れ顔の不法侵入は、無駄に咳払いをして語り始める。

「えっとですね、昨日も言ったとおり、貴方は栄えある犠牲者に選ばれました。おめでとーございます。というわけで、貴方には選択していただきましょうか、貴方が死ぬか、この世界を消すか」

 相変わらず棒読みのおめでとーございます。

 聞いて、まず後悔した。弁解にもなっていない上に、起承転結がなっていない上に、内容もないと来た。全校集会の役に立たない無駄な校長の話でもまだ内容があるぞ。

 そんな俺の心中の呟きを無視して不法侵入は続ける。

「信じてないようですね。なら――」

 言いながら不法侵入は俺の頭に手を伸ばして、あろうことか掴みおった。 

「強制的に解らせて上げましょうか」

 不法侵入の声が聞こえたと同時に、激しい頭痛に襲われた。頭の中に色々入り込んでくる。あまりにも具体的で抽象的な言葉の数々。神様やら天使やら。世界やら消滅やら。

 情報量がおかしい。そもそも規格が合っていないように思えた。最新のゲーム機器のデータを、一世代前のゲーム機器に送られている。そんな感覚だ。

 唐突な理解。言葉では言い表せられないほどに、強制的に解らせられる。言っていることの内容を。

 頭痛からようやく解放された俺の意識は朦朧としていて、整理がつかない。

「人間の脳のキャパ低いですねえ」

 ケラケラと笑う不法侵入の腹立たしい声で、ようやく俺は我に返る。

「黙れ」

「流石に私が天使だってことくらいは理解できたでしょう? そんな言葉使いでいいんですか?」

「……生憎敬虔なクリスチャンじゃないんでね。どっちかと言えば仏教徒なんだよ」

 本当は仏教もそこまで信じてはいない。宗教観はおそらく一般的な日本人と同レベルだろう。

 揺さぶられた脳みそを何とか平静へと導いて、目の前の天使……いや、やっぱり不法侵入を睨む。

「睨んでもしょうがないですよ。選ばれちゃったんですから――ダーツで」

「どこの番組だよ」

 突っ込んでから、頭の中で内容を整理して、確認の為流れ込んできた内容を反芻する。

 内容はどっかで聞いたようなものだ。神様がこの世界を消そうと思ったが、いきなり消すのは可哀想だから、この世界の人間にそれを言って、そいつがこの世界を消したいと言ったら消す。消したくないと言ったら、そいつにだけ死んでもらう。

 つまり――訊いた人間が、他者の為に自分を犠牲に出来るような清い人間であれば、この世界は消されない。

 この話の肝は選択肢が二つあって、世界を消すか、自分だけが死ぬか、を選ばなければならないということ。しかも、世界が消える=回答した人間も消えるということ。ようするに――どちらにせよ、回答者に選ばれた人間は死ぬ。

 回答者が、自分が死ぬくらいなら、他者も道連れにしてやる、なんて極端に心の汚いやつだったら世界が消えるわけだ。

 そんな心の汚い人間のいる世界は要らないということなのか。

「どうです? 絶望しました? でもしょうがないんです。決まったことですから」

 この話は冗談ではない。と、漠然と理解出来る。さきほど流された情報が、頭の中で嘘ではないと喚き散らしている。

「ただ、私たちだって鬼じゃありません。考える時間をあげます。それが昨日言った12月31日まで、という期間です。1月1日の0時丁度に私が再び訊きに来ますので、それまでにどちらにするか決めておいてください」

 昨日のようにどこかへと不法侵入者は煙のように消えて行った。


/


 いつもの静寂を取り戻した室内でぼんやりと俺は考えていた。

 心中は穏やかだ。穏やかに一つの結論を導いている。


――死ぬか


 俺は正直、世界が滅ぼうがどうなろうが、どうでもよかった。だから、ここで自分の死を選んだのは、何かを護ろうとか、そんな正義感溢れる理由ではない。

 ただ、めんどくさかっただけ。惰性で生きる人生がめんどくさかっただけだ。ここまで生きたのは、死ぬのがめんどくさかったから。

 だが、ここで都合よく死なせてくれる話を持ってきてくれたわけだ。死にたいわけじゃないが、生きたいわけでもない。なら、生活する必要がなくなる分、死んだ方が楽だろう。世界を道連れにしないのはおまけだ。その程度の良心は俺にだってある。

 1ヶ月後の1月1日まで待つのが億劫になるくらいだ。その前に身辺整理でも済ませておけという猶予期間なのかもしれない。死んだ後の世界など知ったことではないし、そんなめんどくさいことをする気もないが。

 

 ただただ、怠惰なこの残り1ヶ月が平穏無事に済むように祈りながら寝た。


 

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