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傷色ノクターン  作者: 天猫紅楼
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豊宮兄弟

 やがてステージ上から人が消え、照明もなお半分に落ち、薄明かりの中で開場の時間を待つのみになった。 ふと人の気配に気付き視線を投げると、このライブハウス【スパナー】のマスターが近寄ってきていた。

「久しぶりじゃないか、涼太くん!」

 低く渋い声が相変わらずだ。 俺は軽く頭を下げた。

「ご無沙汰してます、豊宮さん!」

「弟は元気でやってるか? まだ、あそこで弾いてるんだろ?」

 豊宮剛志トヨミヤ タケシさんは、俺がいつも世話になっているバー【ユリラン】のマスターの兄。 髭の濃い口元をにっかり上げる仕草は、マスターとそっくりだ。 違うところといえば、向こうの豊宮さんは長身でスレンダーなのに比べ、こちらは随分こじんまりとしたあんこ体型だというところか。

「ええ。 いつもいじめられてますよ」

 豊宮兄さんは豪快に笑い、少し体を寄せてきた。

「私は、まだあきらめていないからね!」

「豊宮さん……」

 俺の頬がピクリと痙攣した。

 

 

 俺がまだ若くて、バンドを組んで活動をしていたころ、【スパナー】にも随分世話になっていた。 そんななか、メンバー同士の意見の食い違いで解散が決まり、フリーになった俺に声をかけてきたのが、豊宮兄さんなのだ。

「キミの実力は、手放すのが惜しい。 一人でも充分集客力はあると見ているんだ。 うちで専属のアーティストになってくれないか?」

 その言葉は心底嬉しかった。 なにより、俺の実力を認めてくれたという事実は、自分にとって大きな自信に繋がった。 だけど俺は

「すみません、豊宮さん。 少し、考えさせてください」

 と答えていた。

 

 正直疲れていた。

 その頃は光司とも別れ、違うバンドで活動していたから、ヤツとはライバルとして切磋琢磨していた。

 そして俺は、次第にメンバーと客とに挟まれて、一体自分には何を求められているのか、何が必要とされているのか、まったく分からなくなっていた。 メンバーたちは

「そんなの、俺たちがやりたいことをすれば良いんだよ!」

「ファンはついてきてくれるって! 俺たちのことが好きでファンになってるんだから!」

と熱弁した。

 だが本当にそうなんだろうか? 俺たちが好き勝手に、例えばロックからヘビメタに変わったとしても、ロックからフォークに変わったとしても、受け入れてくれるのだろうか? 

 それは多分違う。

 ステージに上がる以上は、俺たちにはファンを喜ばせるパフォーマンスが求められるはずなんだ。 だからといって、これからのバンドの在り方をファンに丸投げするわけにもいかない。 俺はメンバーたちと話し合おうとしたが、やはりお互いの気持ちが交わることはなかった。 それで、しばらく音楽から遠ざかることにした。 音楽が嫌いになったわけではないし、ギターを弾かなくなったわけでもない。 ただ、人前で演奏しなくなっただけだった。

 

 そんな時、ふらりと立ち寄った【ユリラン】で話が弾み、俺は再びギターを握ることになった。

 マスターが【スパナー】のオーナー豊宮さんの弟とも知らずに。

 後で知った時、豊宮兄さんはひどく落ち込んだらしい。 そして弟を【恋敵】だとして恨んだのだそうだ。 それは今でも変わらないらしい。 豊宮兄さんは、まだ俺をステージに上げたがっている。 その気持ちは本当に嬉しい。 けれど……。

 

 

「俺は、今のスタイルが気に入ってるんですよ」

 こう言ったところで、豊宮兄さんが納得するとは思わないが、俺は今のこの生活で落ち着いている。 もう派手なステージングをする気はないのだ。 豊宮兄さんは、俺の気持ちが変わっていないのを感じたのか、

「じゃあ、またしばらくしたら声を掛けるから」

と俺の肩をポンと叩いて去っていった。 やっぱり諦めないつもりか。 俺は豊宮兄さんの思いに感謝しながら、そっと笑った。

 

 

 

 やがて開場時間になり、キャパ七、八十人ほどの狭いホールに続々と客が入ってきた。 俺はできるだけ邪魔にならないように壁にもたれたまま、若いファンの姿を目で追っていた。 俺は、自分のファンには手を出さない主義だった。 だが、他人のファンには平気で声をかける。 それはヘンな意味ではなく、不況で厳しい風にもまれるこの世界で生き抜くために必要なことだった。 もう今の俺には必要無いけれど。

 それでも、やはり女は好きだ。 どうしても女にしか目が行かない。

『最近は平気で短いスカートをはいてくれるから、俺は目薬が手放せんではないか!』

と、まばたきも忘れて、目の前を小走りで行く女の子たちを見送っていた。 そんな俺の耳に

「あ!」

という小さな驚きの声が届いた。 そっちに顔を向けると、そこには見慣れた女性が立っていた。

「ナツミ?」

 彼女は目を丸くしたまま立ち尽くしていた。 俺だって、まさかこんな所にナツミが来るなんて思ってもいなかった。

「このバンドのファンなの?」

「あ、いえ。 マスターが『チケットが余ってるから、暇だったら行ってみたら?』って、貰ったの。 あなたは?」

「あぁ、このバンドの奴らとは知り合いなんだ。 からかいに来てやっただけ」

「そうなの。 顔が広いのね」

 ナツミは少し微笑んだ。

「俺、ここからの眺めが好きなんだ。 特等席だけど、譲るよ」

 俺は体をずらした。 ナツミは

「ありがとう」

と素直に俺の隣に来ると、少しつま先立ちをしてステージを見つめた。 ヒールを履いているとはいえ、小柄なナツミには少し観にくい場所かもしれない。 その横顔を見ながら、ふと疑問がわいた。

「音楽、好きなの?」

 するとナツミは俺を見上げて、小さく頷いた。 どこか、今から始まるライブを楽しみにしている瞳をしていた。 知らないバンドで、しかもメジャーではなく無名なインディーズバンドなのに、ナツミは楽しもうとしている。 決してはしゃいで騒ぐタイプではなさそうだが、音楽を心から楽しめる人なんだ。

 俺は、照明の色が変わり、ステージに色とりどりのライトが降り注ぎ、腹をえぐるようなバスドラや金切り声のようなギターの音色をバックに、ずっとナツミの横顔を見つめていた。

 

 

「楽しかった!」

 約二時間後、明るくなったホールから帰っていく客たちの流れを見送りながら、高揚して少し赤くなった頬をしたナツミはそう呟いた。

「良かった」

と言う俺に、

「まるで自分が演奏してたみたいに言うのね」

と笑った。 赤い頬と唇が、白い肌に映えて眩しく見えた。

「それもそうだな!」

 俺も自然に笑っていた。 ナツミがおかしそうに笑うのを見ながら

「この間は、ごめん。 気を悪くしたんなら、謝る」

と思わず言葉が漏れた。 ナツミは笑うのをやめ、首を横に振った。

「もう、いいわ」

 そう微笑んで答えるナツミに、俺の胸が震えを感じた。 その時背後から肩をポンと叩かれ

「こら涼太! 俺のファンに手を出すなと言っておるだろうが!」

と光司がぐいっと顔を寄せた。 ナツミは俺の肩口から顔をのぞかせる光司に一瞬驚いたが、すぐに俺を見て

「じゃあ、帰るね」

と出口へときびすを返した。

「あ、ナツミ!」

「えっ?」

「また、店に来てくれる?」

 振り返ったナツミは、黙ってニコリと頷いた。

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