俺の居場所は……
数日ぶりに触ったギターの感触は、まるで数十年の時を経たように固く冷たいものだった。 俺は一瞬、背筋に冷たいものを感じた。 拒絶されているかのような感覚に、息を飲んだ。
おそるおそる指をあてた弦が、ポーンと小さく鳴った。
「あぁ……」
懐かしい音だった。 自然に指が動き、メロディーを奏でる。 小さな俺の部屋に、六弦の旋律が響き渡る。 ふと視線をあげると、目の前に座る菜摘の頬が濡れていた。
「菜摘?」
止まる指。 音の余韻が消え部屋が静まる前に、菜摘が口を開いた。
「続けてください」
涙を流しながら微笑んだ。 俺は少し戸惑いながら、ギターを奏ではじめた。 すぐに部屋の中は音色でいっぱいになった。
『やっぱり俺、音楽を続けたい』
そう思ったとき、ふと頬が緩んだ。 途端に俺の体がぬくもりに包まれた。 菜摘が俺に抱きついていた。
「菜摘? どうした……」
「私、あなたが弾いている姿を初めて見たときから、ずっと惹かれていたの。 でも私は、もう誰とも一緒になることはできないから…………けれど、あなたがギターを弾くたびに思うの」
菜摘の腕に力がこもった。
「私は、私になりたい! 誰かに縛られたものじゃなくて、私が感じた、なりたい私になりたい! あなたのように」
俺は肩を震わす菜摘の頭をポンポンと撫で、その顔を覗き込んだ。 くしゃくしゃに泣きじゃくる菜摘の頬を手のひらで拭き、言った。
「いいじゃん、なれば」
「だって私……」
「なりたいんだろ? 自分の家族だとか、体のことだとか、関係ないよ。 きっと受け入れてくれる、そんな人に、きっと巡り会えるから」
子供のようにしゃくりあげる菜摘は、俺の顔をじっと見つめた。
「あなたでは、ダメですか?」
「えっ?」
「あなたは、私を受け入れてくれませんか?」
「菜摘……?」
俺は視線を泳がせて、いったん頭の中を整理することにした。
『今、俺は何を言われてるんだ? 俺は確か、菜摘にふられた男だよな? こいつ、記憶喪失なのか? いや、まさかな……? んっ?』
ただ言葉を無くして動揺する俺に、菜摘はもう一度、それでもさっきより頼りない声で言った。
「私、あなたと一緒にいたいです」
「ど、どうして……?」
不意についた言葉に、菜摘の瞳がまた潤んだ。 それを誤魔化すように、言葉を続けた。
「俺は、キミにふられたはずだろ、あの時……『ごめんね』って」
「あ……」
菜摘は慌ててかぶりを振った。
「違うの、あれは……」
菜摘は目を伏せ、一呼吸置いてから口を開いた。
「あれは、怖かったから……本当の私のことを知ったとき、あなたの態度が変わるのが、怖かった」
「あ……っははっ!」
思わず笑った俺を見上げて、菜摘は不思議そうに首を傾げた。
「そんなに信じられてなかったんだな、俺って」
「ご、ごめんなさい! そういう意味じゃなくて……」
申し訳なさそうに唇を噛む菜摘の頭を撫でた。
「仕方ないさ。 遊び人だもん」
からかうように舌を出した俺を見て、菜摘は少しだけ笑みをこぼした。
「ごめんなさい。 やっぱり……ね」
菜摘は俺から離れると立ち上がり、自分の小さなバッグを手に取った。
「えっ、帰るの?」
「ええ。 ありがとう、私、あなたのおかげで、前に進めるような気がする。 そのお礼を言いたかったの」
その寂しげな肩ごしの横顔が、胸を刺した。
「菜摘っ!」
俺の手は菜摘の手をつかむと、一気に引き寄せて抱き締めていた。
「りょ……たくん?」
胸元から戸惑いの声が聞こえた。 なお強く抱き締めて、菜摘の細い体を感じた。
「こんな遊び人でいいなら、一緒にいてよ」
菜摘は小さく息を吸ったあと、小さな声で言った。
「くるしい……」
「あっ、ごめん!」
慌てて手を離した拍子に、菜摘は大きく息を吸った。 そして、少し乱れた髪の毛を手で梳くと笑顔で見上げてきた。
「その遊び、教えてくれる?」
一瞬で俺は、今までしてきたいろんな【遊び】を思い出した。 次に、貫禄を備えた菜摘の父親の顔が浮かんだ。
『やっぱり、教えちゃまずいよな……』
俺の言葉を待つ菜摘に苦笑いをしてみせ
「じゃあ、軽いやつからな」
と答えると、菜摘はパアッと明るい表情で頷いた。
まるで無垢な少女のような笑顔を見ながら、心のどこかで罪悪感が生まれていた。 俺の方こそ、こんな格式高いお嬢様には似合わないだろう。 でも、今目の前に居る菜摘は、これからの道が楽しみで仕方ないかのように微笑んでいる。
俺は、かたわらに寝かせていたギターをつかんだ。
「行こうか」
「えっ、どこに行くの?」
きょとんとする菜摘に笑いかけた。
「マスターに謝らなきゃ。 それと、また雇ってくださいって、頼まなきゃならないしね!」
菜摘の顔がさらに明るく花咲いた。 そして大きく頷くと、俺と一緒に立ち上がった。
夜の街には、暖かい風が吹き抜けていた。
まだ人通りの多い、ざわめいた商店街を歩いていくと、はずれのビルの中にマスターの店【ユリラン】がある。 小さな店だけど、確かに俺の居場所だった。
マスターには到底適わない。 あんなに大きな人になるのは、何十年かかるか、もしかしたら死んでもなれないかもしれないけれど、マスターの後をついていくことならできる。
俺は、大好きなマスターの居るあの店で奏でたい。 俺が感じた想いを、メロディという形にして、あの店を旋律で満たしたい。
菜摘は、俺の腕に軽く腕を絡めて一緒に歩いている。 とても楽しそうに。
あらゆるキズを治すのは無理かもしれない。 けれど、なにか一つでも救いになるなら、俺は何でもするつもりだ。
ふと思ったことが、言葉になって漏れた。
「今度さ、菜摘のピアノと一緒に演奏したいな」
「えっ?」
驚いた表情の菜摘が俺を見上げ、一拍の沈黙があった後で、ふっと笑った。
「そうね。 私、あなたとならまた、弾けるような気がする!」
「じゃ、決まりなっ!」
俺は菜摘の頭を撫で、立ち止まった。
ここから俺の道も開けることを祈って……。 俺は、【ユリラン】の扉をゆっくりと開けた。
読んでくださって、本当にありがとうございました。
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次回作も誠心誠意を持って、お送りいたします♪
♪ 天猫紅楼 ♪




