嘉藤家のやり方
菜摘の実家は、都心郊外の閑静な住宅街の中にあった。
ドラマでしか見たことのないようながっしりとした鉄の門が、重い音をきしませてゆっくりと開くと、俺たちを乗せたハイヤーはゆっくりと中へと入っていった。
俺は、門の横にかけてある【嘉藤】の表札をじっと見送った。
そもそも、駅に迎えに来ていたこのリムジンから、俺の動揺は止まらない。 ベロアに包まれた車内のあちこちを触ったり、庭先に整理された植え込みや花を見て回りたい衝動に駆られていたが、今日はそんな軽い気持ちで来たのではない。
俺は、菜摘の親に一言ガツンと言ってやりに来たのだ。
俺が菜摘の家で一夜を過ごしてから数日が経っていた。
菜摘が実家に連絡を取ってくれていたこの数日の間、迷いがなかったわけではない。 何度も怖くなって、何度も撤回しようと思った。 けれど次に思い返される菜摘の笑顔を、どうしても無くしてほしくなかった。 多分、今俺を動かしているのは、それだけの理由だ。
菜摘は、俺一人で行かせるのは心配だからと、ついてきてくれた。 その横で俺は、あらゆる挑発と緊張から自分を守るのに精一杯だった。
「涼太くん、大丈夫?」
菜摘がそっと尋ねた。
「本当なら、俺一人で来なきゃならないのにな。 悪い。 付き合わせちゃって」
苦笑する俺の手を、菜摘はそっと握った。
「菜摘?」
「謝らないで。 私も、いつかはけじめをつけなきゃって思っていたから。 むしろ感謝してるのよ」
そう言った菜摘の笑顔で、俺はだいぶ落ち着くことができた。 握っている菜摘の手のひらも汗ばんでいた。 それでも、俺にずっと笑顔を見せている。 気丈な子だ。
やがてハイヤーが広い庭を抜け、少し開けた場所に出ると、静かに停車した。
「涼太くん、着いたわ」
車から降りると同時に、俺は圧倒された。
「これが、菜摘の家?」
にわかには信じられず、俺は立ち尽くしたままで目の前の建物を見上げていた。 まるでヨーロッパにでも来たかのような洋館がそびえ立っている。
「こっちよ」
菜摘はどっしりと構えた玄関とみられる扉へと歩いていく。
『この扉の向こうに、菜摘の両親が居る……』
俺は改めて覚悟を決めて、菜摘の背中を追った。
「今更、何をしにきた? 男の紹介なら、もう必要ないぞ。 私たちとは関係ないのだからな」
窓の外を眺めたままパイプを吹かし、明らかに無愛想な口調で、菜摘の父親は冷たく言い放った。 菜摘が何かを言う前に、俺が口火を切った。
「ボクはあなたに物申したくて来ました。 菜摘さんは、ここまで案内してくれただけです」
「ほう? 私に何か、用ですか?」
静かに言いながら振り向いた菜摘の父親の顔には、余裕の微笑みが浮かんでいた。
俺は、通された部屋の装飾品の高価そうな輝きにさえ、イラついていた。 この無駄に高価な物品をひとつ残らず売ってしまいたい。 金でなんでも買えるとか、なんでも動かせると思ったら大間違いだ。 俺は菜摘を見た。
「ごめん。 二人で話をさせてくれないか」
「涼太くん?」
菜摘の心配はごもっともだったが、俺は、敬語だとか言葉を選べる自信はまるでなかった。 でも、俺の今の気持ちを伝えなきゃ済まなかったのだ。 だから後は、玉砕しようが、俺の勝負の場を作って欲しかった。
菜摘は心配げな表情をいっぱいに浮かべながら、そっと部屋を出ていった。 俺は、静かに扉が閉まる音を聞き終わると、改めて菜摘の父親に胸を向けた。
「あなたは、彼女のことを何だと思っているんですか?」
「うむ?」
「彼女から聞きました。 詳しい事情とか、家族の中でしか分からない複雑なものもあるかもしれないけど、人として――」
「キミは、ちゃんと仕事をしているのかね?」
「はあっ?」
いきなり言葉をさえぎられ、突拍子もないことを聞かれた俺は、思わず荒い返答をしてしまった。
「今はそんなことを話しているんじゃ――」
「私はね!」
「うっ……」
菜摘の父親の覇気に、俺は思わず息を飲んだ。 菜摘の父親は再び窓の外を見ながら、俺をちらりとも見ずに話し始めた。
「私は、代々ある企業の重役を勤める家系に生まれ、それが私の使命だと思って今まで生きてきた。 先代からの歴史を絶やしてはいけない。 そう思ってきたのだよ」
菜摘の父親はパイプを噛んだ。 たくわえた黒い髭が、きしむように揺れた。
「前ばかりを見てきた。 前ばかりを……」
父親はくるりと振り返ると、眉をしかめた。
「菜摘のこともそうだった。 彼女は私達の子ではない。 だが、養女として引き取った以上、私達の家族としてやらなくてはならないことがあるのだ」
「それが、この家のやり方ですか」
俺は、胸にこみあげる熱いものを押さえるのに精一杯だった。 ともすれば、殴りかかりそうな拳を握りしめて、ゆっくりと話すことに集中した。
「菜摘は何も知らないまま、あなたに駒のように扱われていた。 ピアノも、結婚も、彼女の意志ではなかった。 あなたは」
俺は父親をぐっと睨みつけた。
「そんな娘を見ていて、それで幸せだったんですか? 彼女は幸せに生きていると、信じていたんですか?」
父親は黙っていた。 彫りの深い目の奥で、何を考えているのか分からなかったが、俺はなおさら、言いたいことを放ってやった。
「菜摘は今、自分を責めています。 こんな身体じゃなかったら、って。 養女とはいえ、育ての親を裏切ってしまった自分は、幸せになってはいけないんだと。 それでも、自分の生きる道を一生懸命になって、探しているんです! たった一人で抱えて、生きようとしてるんです!」
父親は小さく息を吐いた。 そして再び窓の外を眺めると、
「言いたいことは、それだけかね?」
と静かに言った。企業の重役特有の気迫に、俺は言葉を失った。
『やべえ。 俺、勢いに乗って言いたいことを言ったけど、生きて帰れないかもしれない』
と、今更ながら背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
「話が終わったなら、帰りたまえ」
その一言に、俺はたがが外れたようにきびすを返した。 その時、再び声がかかった。
「今……菜摘は幸せなのか?」
俺はちらりと振り向いた。 逆光に隠れて、恰幅の良い体型がか細く見えた。
「分かりません」
そう答えて、俺は部屋を出た。
「涼太くんっ!」
菜摘は部屋から少し離れた廊下にいて、俺が出てくるのに気付くと、心配そうに駆け寄ってきた。 その後ろに、年配の女性が静かに立っていた。
「母よ」
菜摘が紹介すると、菜摘の母親は俺に小さくお辞儀をした。 その顔には、わずかな疲れと、悲しみと、そして、微笑みが浮かんでいた。




