ある投資家の宗教遍歴
あなたもNISAで積み立て投資!
きっかけは、メディアの煽り。
「みんなやってるらしい」
というだけの理由で、旧NISA教の門を叩いた。
いわばファッション入信だった。
ところが、すぐに相場は伸びた。
みるみる膨らむ含み益。
「NISAすげえ!」
「NISA神!!」
こうして私は、いつしかNISA教の敬虔な信徒となった。
そして始まるNISA新教。
「投資は種銭!」
「枠は埋めてこそ!」
成長枠へ、どんと入金。
この頃にはすでに、穏健な信徒ではなかった。
私はNISA新教原理主義・ターネセン派へと進んでいた。
やがてトランプ関税で相場が崩れ、含み益が吹き飛ばされる。
しかし私は動じなかった。
「ここは買いだ!!」
信仰心を証明するかのように買い増しを敢行。
NISA新教過激派組織・ナンピン派への鞍替えである。
そして相場が反発する。
爆益。
「NISA神は素晴らしい」
「NISA神にすべてを委ねよ」
私は確信した。
儲かるは信者と書く。
信じる者が儲かるのだ。
――しかし、試練は突然訪れる。
利上げ。
円高。
続落する含み益。
「……あれっ?」
ここにきて初めて、私は自らの信仰を疑い始めた。
答えを求め、私はNISA教よりさらに古い、ほぼ失われた教義――NISAの源流をたどる。
投信教。
歴史の影に埋もれた、古い宗教である。
そこで私は、これまで知らなかった、忘れ去られた数々の苦難の歴史を知ることになる。
黒き月曜。
崩壊・失われた30部族。
出ドットコム記。
リーマン捕囚。
先人たちは幾度となく市場に打ちのめされ、それでも市場から離れなかった。
私はそこで、ようやく理解した。ひとつの真理にたどり着いた。
相場を読もうとすること。
底を当てようとすること。
上がったら喜び、下がったら神の御心を疑うこと。
それこそが、迷いだったのだ。
毎月、決まった日に。
決まった額を。
淡々と積む。
功徳を「積む」。
私はナンピン派に少し距離を置き、
現在は投信教穏健派の流れを汲む、ドルコス師の教えを受けながら、
NISA教徒として月に一度、静かに功徳を積んでいる。
相場が上がっても騒がず。
下がっても騒がない。
ただ積んでいく。
かつての私は、NISA神の奇跡を求めていた。
今はもう、奇跡を求めない。
積立こそ功徳。
継続こそ信仰。
そう信じている。
どうか出口で暴落は勘弁して下さい。
なんなら早めに1・2回暴落来て下さい。
と祈りを捧げています。合掌。




