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点と線の証拠〜新米警官マイルズの奮闘〜

作者: 網笠せい
掲載日:2026/03/29

 薄手のコートを着込んだ一人の男が、警察署に入っていく。すれ違う警官たちと二言三言あいさつをかわして、男は警察署の職員用トイレに入った。


 掃除用具入れのドアを開け、壁をスライドさせる。隠し通路の入り口が出現した。


 男はそっと隠し通路に身を滑り込ませると壁を戻し、タラップをのぼる。タラップの先のふたを開けると、薄暗い部屋に出た。


「遅くなりました」


 中折れ帽をコート掛けに乗せると、男は自分のために用意された椅子に座った。脇に抱えていたカバンを机に置いて、中から書類の束を取り出す。


「ミレー警部、本日ターゲットから入手した情報です」


 影のように潜んでいたもう一人の男……ミレー警部が、ゆっくりと壁から身体を起こした。


 ここは諜報活動などの特殊任務にあたる警官が所属する部署だ。


「報告は?」

「はっ。ターゲットがあやしげな廃屋に入っていくのを目撃しました」


 ミレー警部はあごに手をやると、ゆっくりとまばたきをして、話のつづきをうながした。


「一時間ほど滞在していたようです。テロを画策をしている可能性があります」

「……場所はどこだね? マイルズくん」


 地図を机の上で開いて、マイルズと呼ばれた男は指を差す。


 ミレー警部の表情がふっとゆるんだ。


「そこは孤児院だな」

「廃屋ではなく!?」

「まあ、ずいぶん古い建物だから、見間違ってもおかしくはないが」


 ミレー警部はマイルズの肩にそっと手を置いて、苦々しい笑みを浮かべた。


「住所を覚えていたのはよしとしよう。今度はどういう建物かも、一緒に覚えなさい」


 マイルズは言葉に詰まり、顔から火が出そうになりながら、しどろもどろになって応えた。


 先ほど意気揚々とタラップを上がってこの部屋に来たのが、まるで嘘のようだ。


「孤児院で、いったい何をしていたのでしょうか?」

「さてなぁ。……祝祭の日が近いから、バザーのための品を寄付したのかもしれんな」


 ミレー警部はゆっくりとソファに身を沈めると、傍にあった観葉植物の葉のほこりを拭った。


「マイルズくんは、証拠を見つけたと鼻息を荒くして、そこで調査がおろそかになる癖がある。……気をつけなさい」

「はっ。大変申し訳ありませんでした」


 先日この特務課に所属になったばかりの新米警官マイルズが、背筋を伸ばして敬礼する。


 ミレー警部は「敬礼すると警官だとバレるだろう」と苦笑いした。


 マイルズはますます恐縮して「気をつけます」とこわばった声で応えた。


 しかしマイルズは、躍起になった。もっとターゲットの情報を手に入れなくてはならない。


 その焦りはますます彼の猪突猛進ぶりに拍車をかけた。


「ターゲットですが、駅の売店であやしげな男と話をしていました」

「あやしげな男? 写真はあるかね?」

「はっ!」


 ミレー警部の眼光がきらりと鋭くなる。


 マイルズは内心嬉々としているのに気付かれぬよう、写真をそっと机に置いた。


 写真を手に取って見つめていたミレー警部は、ふっと微笑んだ。


「これは協力者だね」

「協力者! では早速、ターゲットをしょっぴいて……」

「いいや。その必要はない。うちの……つまり警察の協力者だ。君に情報を伝えていないのだから、わからんのも無理はない。しかしターゲットに接触するように依頼したのは、警察だよ」


 ミレー警部の淡々とした言葉に、マイルズはしょげかえった。


 しかし次の瞬間には、今度こそは! と鼻息を荒くしている。


 せっかく重要任務を任されたのだ。そうやすやすとあきらめるわけにはいかない。


 数日後、マイルズは特務課にやってくるなり、一枚の写真をテーブルに置いた。


「どうやら浮気をしているようです。女性と会っていました」


 密会の写真を見たミレー警部は肩をすくめた。


「……妹だな」

「妹。……妹に、花なんて渡しますか?」

「誕生日だったはずだよ」


 唖然とするマイルズに、ミレー警部は破顔して、胸ポケットから煙草を取り出した。


「こりゃあ、シロだな」


 ミレー警部は煙草の葉の偏りをとんとんと箱の上で整え、火をつける。


 警部はターゲットを潔白だと言うが、マイルズはターゲットにさして問題がないことを、逆にあやしんだ。


 こんなに問題が出てこないことがあるものだろうか? 人間、生きているなら一つや二つの間違いを犯すものではないのか──。


「マイルズ、君はまだ若い。情報の取り扱いの仕方を学びなさい。……証拠を見つけたと興奮しないこと。証拠というのは一点ではないんだ」


 ミレー警部がゆっくりと煙を吐き出すと、煙は天井のシーリングファンに吸い込まれるように消えて行った。


「情報源や情報の入手ルートを一つに絞らないことだ。ターゲットにいい感情を持つ者も、悪い感情を持つ者もいる。全ての人間に好かれる人間なんてものはいないのだからね。両方から得た証拠が指し示す方向を探るんだよ。そうして頭の中で、もしも自分の見つけた証拠と真相が違ったら? と考えなさい」


 ミレー警部にこうまで言われてしまっては、さすがのマイルズも折れぬわけにはいかない。


「面目次第もありません」

「証拠というのは、往々にして、いくつもの点でつながっているものだ。一点ではなく、線や面で見なさい。……我々の扱う情報は、良くも悪くも人の生き方を左右してしまうんだ。慎重にな」


 ゆるやかに動くシーリングファンが、ソファ横の観葉植物を揺らしている。


 ミレー警部はゆっくりと煙を吐き出すと、灰皿で煙草の火を消した。


「……ところでマイルズ、君にも妹さんがいるだろう。誕生日くらいは、花を贈ってやりなさい」


 マイルズが言葉に詰まる。妹の誕生日はなんとなくしか覚えていない。


 その様子を見たミレー警部は笑い声をあげると、そっとマイルズの妹の誕生日を耳打ちした。


<おわり>

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