点と線の証拠〜新米警官マイルズの奮闘〜
薄手のコートを着込んだ一人の男が、警察署に入っていく。すれ違う警官たちと二言三言あいさつをかわして、男は警察署の職員用トイレに入った。
掃除用具入れのドアを開け、壁をスライドさせる。隠し通路の入り口が出現した。
男はそっと隠し通路に身を滑り込ませると壁を戻し、タラップをのぼる。タラップの先のふたを開けると、薄暗い部屋に出た。
「遅くなりました」
中折れ帽をコート掛けに乗せると、男は自分のために用意された椅子に座った。脇に抱えていたカバンを机に置いて、中から書類の束を取り出す。
「ミレー警部、本日ターゲットから入手した情報です」
影のように潜んでいたもう一人の男……ミレー警部が、ゆっくりと壁から身体を起こした。
ここは諜報活動などの特殊任務にあたる警官が所属する部署だ。
「報告は?」
「はっ。ターゲットがあやしげな廃屋に入っていくのを目撃しました」
ミレー警部はあごに手をやると、ゆっくりとまばたきをして、話のつづきをうながした。
「一時間ほど滞在していたようです。テロを画策をしている可能性があります」
「……場所はどこだね? マイルズくん」
地図を机の上で開いて、マイルズと呼ばれた男は指を差す。
ミレー警部の表情がふっとゆるんだ。
「そこは孤児院だな」
「廃屋ではなく!?」
「まあ、ずいぶん古い建物だから、見間違ってもおかしくはないが」
ミレー警部はマイルズの肩にそっと手を置いて、苦々しい笑みを浮かべた。
「住所を覚えていたのはよしとしよう。今度はどういう建物かも、一緒に覚えなさい」
マイルズは言葉に詰まり、顔から火が出そうになりながら、しどろもどろになって応えた。
先ほど意気揚々とタラップを上がってこの部屋に来たのが、まるで嘘のようだ。
「孤児院で、いったい何をしていたのでしょうか?」
「さてなぁ。……祝祭の日が近いから、バザーのための品を寄付したのかもしれんな」
ミレー警部はゆっくりとソファに身を沈めると、傍にあった観葉植物の葉のほこりを拭った。
「マイルズくんは、証拠を見つけたと鼻息を荒くして、そこで調査がおろそかになる癖がある。……気をつけなさい」
「はっ。大変申し訳ありませんでした」
先日この特務課に所属になったばかりの新米警官マイルズが、背筋を伸ばして敬礼する。
ミレー警部は「敬礼すると警官だとバレるだろう」と苦笑いした。
マイルズはますます恐縮して「気をつけます」とこわばった声で応えた。
しかしマイルズは、躍起になった。もっとターゲットの情報を手に入れなくてはならない。
その焦りはますます彼の猪突猛進ぶりに拍車をかけた。
「ターゲットですが、駅の売店であやしげな男と話をしていました」
「あやしげな男? 写真はあるかね?」
「はっ!」
ミレー警部の眼光がきらりと鋭くなる。
マイルズは内心嬉々としているのに気付かれぬよう、写真をそっと机に置いた。
写真を手に取って見つめていたミレー警部は、ふっと微笑んだ。
「これは協力者だね」
「協力者! では早速、ターゲットをしょっぴいて……」
「いいや。その必要はない。うちの……つまり警察の協力者だ。君に情報を伝えていないのだから、わからんのも無理はない。しかしターゲットに接触するように依頼したのは、警察だよ」
ミレー警部の淡々とした言葉に、マイルズはしょげかえった。
しかし次の瞬間には、今度こそは! と鼻息を荒くしている。
せっかく重要任務を任されたのだ。そうやすやすとあきらめるわけにはいかない。
数日後、マイルズは特務課にやってくるなり、一枚の写真をテーブルに置いた。
「どうやら浮気をしているようです。女性と会っていました」
密会の写真を見たミレー警部は肩をすくめた。
「……妹だな」
「妹。……妹に、花なんて渡しますか?」
「誕生日だったはずだよ」
唖然とするマイルズに、ミレー警部は破顔して、胸ポケットから煙草を取り出した。
「こりゃあ、シロだな」
ミレー警部は煙草の葉の偏りをとんとんと箱の上で整え、火をつける。
警部はターゲットを潔白だと言うが、マイルズはターゲットにさして問題がないことを、逆にあやしんだ。
こんなに問題が出てこないことがあるものだろうか? 人間、生きているなら一つや二つの間違いを犯すものではないのか──。
「マイルズ、君はまだ若い。情報の取り扱いの仕方を学びなさい。……証拠を見つけたと興奮しないこと。証拠というのは一点ではないんだ」
ミレー警部がゆっくりと煙を吐き出すと、煙は天井のシーリングファンに吸い込まれるように消えて行った。
「情報源や情報の入手ルートを一つに絞らないことだ。ターゲットにいい感情を持つ者も、悪い感情を持つ者もいる。全ての人間に好かれる人間なんてものはいないのだからね。両方から得た証拠が指し示す方向を探るんだよ。そうして頭の中で、もしも自分の見つけた証拠と真相が違ったら? と考えなさい」
ミレー警部にこうまで言われてしまっては、さすがのマイルズも折れぬわけにはいかない。
「面目次第もありません」
「証拠というのは、往々にして、いくつもの点でつながっているものだ。一点ではなく、線や面で見なさい。……我々の扱う情報は、良くも悪くも人の生き方を左右してしまうんだ。慎重にな」
ゆるやかに動くシーリングファンが、ソファ横の観葉植物を揺らしている。
ミレー警部はゆっくりと煙を吐き出すと、灰皿で煙草の火を消した。
「……ところでマイルズ、君にも妹さんがいるだろう。誕生日くらいは、花を贈ってやりなさい」
マイルズが言葉に詰まる。妹の誕生日はなんとなくしか覚えていない。
その様子を見たミレー警部は笑い声をあげると、そっとマイルズの妹の誕生日を耳打ちした。
<おわり>




