二章 その二
店を後にしたルミエラは、軽い足取りで鼻歌を口ずさみながら名刺の会社へ向かっていた。
日は高くなってきて、もう肌寒さは感じない。
吹き抜ける風を全身に浴びながら歩いていると、その建物が見えてきた。
表通りに面した、五階ほどはありそうな建物だった。
通り沿いに大きなガラス扉があって、それが入口であることは一目で分かった。
ガラス扉に手を掛けて、ルミエラは室内へと足を踏み入れる。
正面にエレベーターがあり、右側にカウンターがひとつ。内側にスーツを着た女が一人立っているので、受付だと察しがついた。
左側にはテーブルと椅子がいくつか置いてある。商談などに使うのだろう。
「本日はいかがされましたか?」
人影を確認すると、女はそう尋ねた。
受付に近寄って、ルミエラはシオンの名前を出した。
「シオン様のお客様ですね。左手にあるエレベーターで五階へお上がりください」
エレベーターを手で指しながら言った女に、ルミエラは小さく頭を下げて、エレベーターの前までゆっくり移動する。
ガラス扉の横に、大きな縦長の窓が並んでいる。
日の光が優しく差し込み、ここはとても明るかった。
エレベーター脇のボタンを押して、すぐに開いた扉の中に乗り込むと、背面にある鏡に映る自分を見て髪に手をやった。
風の影響か、数か所跳ねている。
やさしく撫でつけて、整ったのを確かめたとき、チンと音が鳴ってエレベーターが停止した。
五階に着いたのだ。
ルミエラが一歩前に踏み出すと、正面の長机の奥に座っていた人影が縦に伸びた。
「ルミエラさん、お待ちしていました」
丁寧に頭を下げたその影は、昨夜言葉を交わしたシオンだった。
「昨日ぶりです、シオンさん」
シオンの元まで歩きながら、ルミエラは軽く頭を下げた。
「今日は俺の会社まで来ていただいてありがとうございます」
再度シオンが頭を下げたので、ルミエラは「こちらこそ招待してくれてありがとうございます」と首を横に振った。
シオンは真っ直ぐルミエラを見て、一拍置いてから口を開いた。
「単刀直入に聞きます。貴方は何故『水路の底の秘宝』について知りたがっているんですか?」
シオンの視線は逸らされない。じっと口を閉じたまま、同じく視線を逸らさず見返していたルミエラは、ふと視線を床に落とした。
「……それは、秘密です」
秘密。
シオンは再び顔を上げたルミエラと視線が交わって、肩をすくめた。
「秘密ですか。それなら仕方ない」
そうして、それ以上は何も聞かなかった。
「私からも、質問、いいですか?」
そう言ってルミエラが小さく首を傾げると、シオンは小さく頷いた。
「昨日、貴方は賊達を従えているように見えたんですが、貴方は……その、賊達の親玉みたいな感じなんですか?」
昨晩。
シオンが声を発した瞬間、空気が冷えたのをルミエラも感じていた。
賊達がいっせいに腰を低くして、顔色を窺うように下手に出る。
賊達の親玉、という言葉に、シオンは目を丸くした後、肩を揺らして笑い声をあげた。
「親玉、そう見えましたか。確かに、昨日の俺はそう見られてもおかしくはない」一度息を吐いて続ける。「俺はあの裏路地……裏通りの管理人のようなものなんです」
裏通りの管理人。
不思議と抵抗なく胸に落ちた。
そう言われると納得できる。
「なるほど……。ということは、シオンさんからすると、裏路地に溜まっている賊達は邪魔者みたいな感じなんですか?」
「俺は賊達を邪魔だと思っているわけではありません」シオンは首を横に振った。「この町はどんな人間でも受け入れる。身柄や身分で判別はしない」
裏通りにいる賊達の多くは、最初から賊だった人間ではない。居場所をなくして彷徨い、たどり着いた先が『賊』だった。
「ですがね、本来、賊の争いは賊の中だけで完結するべきなんです。そこに賊ではない者……貴方のような人間は巻き込まれるべきではない」
『水路の底の秘宝』を信じるのも、それを巡って争うのも自由。
だが、それは『裏』の住民同士でやるべきもので、『表』の住民は巻き込んではいけない。
「……昨日、貴方が声を掛けてくれたのは、私が賊に絡まれていたからですか?」
シオンは大きく頷いた。
「今日、貴方をこうやって呼んだのは、ある提案をするためです」
そうシオンが切り出し、「提案……ですか?」とルミエラは首を傾げた。
「はい。貴方は『水路の底の秘宝』について知りたがっている。ですが賊達に協力を仰ぐのは率直に言って危険です。俺は、貴方が求めていることについて、ある程度は知っている」
その言葉に嘘がないということは、先程のシオンの言葉から理解できた。
シオンは真っ直ぐルミエラを見ていた。その視線には迷いがなかった。
「……それで、私は何をしたらいいですか?」
「この町……リュミエールが抱えている問題に、貴方の力を貸してほしいんです」
「リュミエールの問題?」
この町がどんな問題を抱えているのか、すぐに想像つかなかった。
リュミエールには来たばっかりだが、ルミエラは既にこの町を心地よく思っていた。
「貴方も昨日裏通りにいたので知っていると思いますが、この町は今、賊があまりにも多い。夜間はともかく、昼間でも裏通りに近付かないほうがいいレベルで」
ここまで聞いて、ルミエラの中で、シオンの意図が形を持ち始めた。
賊の争いは賊の中だけで完結するべきだとシオンは言った。だが、昨日ルミエラは賊に絡まれた。
ルミエラ以外にも賊に絡まれて、被害に遭っている人間がいるのだろう。
賊が増えれば増えるほど、そういった被害者も増えていく。
この町は、誰にも知られないうちに、どんどん危うい場所へと進んでいた。
「つまり……賊を減らしたい、ということですか?」
「結論はそうです。ですが、そのためにはこうなった元を絶たなければならない」
どうして賊達はリュミエールに集まるのか。
彼等は皆、一筋の光に吸い寄せられてやって来る。
その光を絶ってしまえば、やがて寄り付く者はいなくなる。
「貴方には、『水路の底の秘宝』という噂を絶つための方法を考えてほしい」
それは、ルミエラの願いを叶えるひとつの方法でもあった。
ルミエラは胸の前で両手を握り、小さく息を吸った。
「わかりました。協力させてください。……シオンさん」
覚悟のこもった視線を受けて、シオンは一瞬だけ視線を逸らし、それから一拍置いて「よろしくお願いします、ルミエラさん」と薄く微笑んだ。




