一章 その二
日が落ちると、リュミエールは一気に静けさを増す。
観光客達は姿を消し、あれだけ聞こえた話し声は息を潜めた。
耳に入るのは、水の流れる音と風が通り抜ける音、それから石畳を打つ足音だけ。
街灯のぼんやりとした明かりと月の光のみが辺りを照らす空間。
その中で、光の届かない裏路地へ足を進める影が一つあった。
裏通りは、日が落ちると更に空気が沈む。
昼間は人の気配も薄いそこは、夜になると不自然なほど人影が増える。
酒瓶を持った男、顔に傷のある大男、胡散臭い笑みをたたえた細長い男――
その並びだけで、この場所が何であるかは充分だった。
細くて入り組んだ道を塞ぐように陣取っていた男達の間を縫うように、早足で歩く影があった。
空間に合わないスーツを着た男だった。
異界から迷い込んだような違和感を発するその男は、慣れたように路地を進み、やがて「おい」と声を掛けられた。
男が立ち止まる。振り返ると、男女が混ざった五人程の連中が薄ら笑みを浮かべながら男を見ていた。
よくいる賊の連中だ。運が悪い。小さく息を吐いてから男は「……何でしょうか?」と丁寧に対応する。
「あんた、『環境都市開発』の責任者だろ?」
賊の一人が言った。ヘラヘラしている男だった。
「困るんだよねぇ。水路を埋め立てられちゃあ」
空の酒瓶を担いでいる男が続けた。
「お兄さんは知らないかもしれないけど~、この町の水路の底には『秘宝』が埋まってんの」
腕に傷のある女が物色するように男を見ながら言った。
『秘宝』。
その言葉を聞いた瞬間、男の視線がわずかに落ちた。
同じ音を、同じ熱を、何度耳にしたことだろう。
「迷信ですよ。水路の底に『秘宝』なんてあるわけがない。どこかの誰かがこの町を観光地にするためにでっち上げた作り話です」
そうして小さく息を吐いた。
もう何度もされた話だった。
『この町の水路の底には秘宝が埋まっている』などという、根も葉もない作り話。それを本気で信じている輩が大勢いるのだ。
水路の水を実際に抜いたことはないが、底の調査をしたことはあった。
だが、異変など何もない。
少し濁った水と冷たい石壁が、どこまでも続いているだけだった。
「水路については我々も調査済です。ですがこの町の水路は何の変哲もないただの水路ですよ」
言っている最中に、男は体を硬直させた。
ヘラヘラ男が、大きなため息をつきながら片手を持ち上げ、男の額に何かを突き付けていた。
「だから、そういうのいいから。水路の埋め立てをやめろっつってんの」
それは拳銃だった。
黒く光るそれを、男に突き付けながら、賊達は逃げ道を塞ぐよう男を取り囲む。
そのとき、喉を鳴らす下品な笑い声が聞こえてきた。
「お嬢ちゃんよぉ、夜の町は気を付けろって言われなかったか?」
賊達は「あん? 何の騒ぎだ?」と声の方角を睨む。
硬直したまま、男も思わず目線だけで声の行方を追っていた。
そこでは、背の高い女が賊達に囲まれていた。
薄汚れた路地には似付かわしくない、明るい服を着た女が観光客であるということは一目瞭然だった。
賊達の顔を見回す女は、「えっと……皆さん、何かの集まりですか?」と小首を傾げている。
一瞬、風の音だけが路地に残った。
直後、耳をつんざくような賊達の大笑いが辺りをこだました。
「お前、本当にこの状況を分かっていないのか!?」
「世間知らずもここまでだと面白ぇ」
手を叩いて大口を開けて笑っていた賊は、一度呼吸を整えた後、舐め回すように女を見る。
薄汚れた路地の中で、その女だけが場違いに明るかった。
「あの……私、『水路の底の秘宝』に興味があって……」
そう言った女に、賊達は更に笑い声を上げる。
「それで何だ? 『仲間に入れてください』ってか?」
賊の一人が鼻で笑いながら女を見る。
そうやっていれば今まで何でも思い通りにいっていたのだろう。女の仕草を見れば、どう生きてきたのかは賊にも分かった。
「いいえ。仲間に入りたいわけじゃないです。『水路の底の秘宝』について、皆さんが知っていることを聞きたいんです」
「あぁん?」
賊達は眉をしかめた。
女の目的を計りかねていた。
「お嬢ちゃんや、何が目的なんだぁ?」
中身の入った酒瓶を片手に、顔を赤くしてふらふらしている賊が女に近寄りながら言う。
「そのお顔を使って情報を抜こうってかぁ?」
そうして酒臭い顔を、ぐいと女に近付ける。女と目が合って、ニヤリと下品な笑みを浮かべた。
「何をしている?」
凛とした声が辺りに落ちた。
その瞬間、空気が凍り付き、誰も動けなくなった。
賊に銃を向けられていた男も例外ではなかった。
賊達の背後、細い路地の闇の中から、一人の男が歩いてくる。
伸びた背筋でスーツを着込んだその姿は、一見すると有名企業の若社長のようだった。
しかし、男を取り巻く空気は、冷たくて静まり返っている。
「あ……」
言葉をどうにか絞り出した賊は、すぐに腰を低くして「これはこれはシオン様。いかがお過ごしでしょうか?」と引きつった笑顔を浮かべてその男に近付いていく。
「俺は『何をしているのか』を聞いている」
そんな賊に鋭い視線を向けて、シオンは銃口を突き付けられている男達に歩き寄る。
拳銃を持っていた賊はあわてて手を下ろし、隠すようにそれをしまった。
「こ、この男が……『水路を埋め立てる』って言うもんですから……」
そうして視線を漂わせながら、早口で言った。握った手には汗が滲んでいた。
シオンが男に視線を向ける。男は背筋が冷えるのを感じたが、シオンは存外普通に「ああ、貴方は『環境都市開発』の方ですね。お勤めご苦労様です」と丁寧に頭を下げた。
そんなシオンを、男は口を半開きにしたまま眺めていた。
「『環境都市開発』の方は日頃からこの町を良くしようと色々考えていらっしゃる。俺は昔からこの町に住んでいてね、この町がもっと良くなるなら本望というやつなんですよ」
頭を上げて薄汚い壁々に目をやりながら続けたシオン。生ぬるい風が通り抜ける。
「俺もこの町の表と裏はどうにかしたいと考えている。貴方方と同じです。ここは表と違って薄暗い。裏を積極的に開発しようと考える貴方方の意見には賛同します」
続いてシオンの視線はあちらこちらに溜まっている賊達に移動した。昔は裏通りもここまで荒れてはいなかった。賊が集まることもなかったし、こうやって溜まり場になることも無かった。
シオンの目が細められる。
「ですがね、俺も『水路の埋め立て』は辞めておいた方がいいと思いますよ」
まっすぐと男を見ながらシオンは告げた。それは忠告というよりは警告のようだった。
「……そうですか。やはり地元の方は『水路の埋め立て』には反対してらっしゃるんですね」
男は一拍置いてから、ようやく口を開いた。背中に冷たい汗が伝っていることを悟られないように、胸を張って口を大きく開いた。
「もう一度検討してみます」
「そうですね、そうするのが賢明かと」
シオンは再度男の顔を見た。男は無意識に唾を呑み込んだ。
そうして、今度は賊達に囲まれていた女の元へ近付いて行った。
「お嬢さん、夜に裏路地を通るのは危険です。賊が集まっていますからね」
女に絡んでいた賊はシオンと目が合って三歩後退した。女はシオンと賊を一瞥した後、「私、どうしても『水路の底の秘宝』について知りたかったんです……」と眉を下げた。
「……貴方は観光のためにこの町に?」
「はい。リュミエールには観光で来ました。この町と水路の繋がりについて知りたくて、昼間に地元の方に『水路の底の秘宝』について聞いたんです」
観光としてやって来る人の中には、女のように『水路の底の秘宝』について興味を示す人も多い。
だが、地元の住民はその話について基本的にはしたがらない。
彼等は皆、昔の静かな町を思い出しては、小さくため息をつくのだ。
それなのに、女は今『地元の方に聞いた』と言った。
シオンは改めて女を見た。
その視線が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……そうですか。ですが夜の町をうろつくのは辞めたほうがいい。特にお嬢さんにここは似付かわしくない」
薄黒い欲に塗れたこの裏通りに、光は似合わない。
シオンは心の底からそう思っていた。
「……忠告、ありがとうございます。ですが、私は……どうしても、『水路の底の秘宝』について知る必要があるんです」
そう言った後、女は一瞬だけ視線を伏せた。
その足は一歩も引かなかった。
シオンは小さく息を吐いて、「そんなに『水路の底の秘宝』について知りたければ、明日の昼間、この場所に来てください」と小さくて四角い紙を取り出した。
会社の情報が書かれている名刺だった。
「お嬢さん、名前は?」
「ルミエラ、と言います」
ルミエラ。その名前だけが、夜の裏路地には不釣り合いだった。
「ではルミエラさん。明日の昼間、時間は……昼前くらいが良いでしょうか。受付で俺の名前を出せば通してもらえるでしょうから」
「わかりました。シオン……さん、では、また明日、よろしくお願いします」
小さく頭を下げた後、ルミエラはシオンに背を向けて歩き去った。
ルミエラの姿が見えなくなるまで彼女の背中を見ていたシオンは、路地の曲がり角を彼女が曲がっていったのを確認すると、賊達を一瞥してからその場を立ち去った。
シオンの姿も見えなくなった後、賊達は伸ばしていた背筋の力を抜いて、大きく息を吐いた。
誰かが「昼間、あの男の姿を見かけた」と呟いた。静まり返った裏通りに、その声はよく響いた。
「あの男?」
「ああ、あのシオン様も恐れる『強すぎる男』を……」
賊の一人はそう言って体を震えさせた。
『強すぎる男』。
その言葉が落ちた瞬間、賊達の間に沈黙が広がった。
誰も名前を口にしない。
だが、思い浮かべたものが同じであることだけは、互いに分かっていた。
「なら、ますます『水路の底の秘宝』を早く見つけ出さねえと、その前におれらが殺されちまいますよ」
「ああ、一人残らず殺られるだろうな」
「でも、『水路の底の秘宝』を見つけるには、やっぱり水路の水を全部抜かないと無理じゃねえか?」
「どうやって抜くんだよ?」
「それが分かれば苦労はしてねえ」
賊達はため息をついて、頭を押さえた。
『水路の底の秘宝』のためにこの町にやって来たが、それで殺されちゃあ意味がない。だが、何もせず帰るのもプライドが許さない。何も手立てがない。
「……『環境都市開発』の会社に行けば、何か分かるんじゃねえか?」
賊の一人がそう言った。周りの賊達が一斉にその賊の顔を見る。
「奴は言っていた。『水路を埋め立てる』と。ということは、埋め立てるための算段があるっつうことだ。それはつまり……」
賊達が顔を見合わせる。
「つまり、水路の水を抜く方法も分かるかもしれない」




