五章 その二
五十五年ほど前になるだろうか。
あの頃のリュミエールに、「せせらぎ」なんて優しい音はどこにもなかった。
あるのは、吸い込むたびに喉の奥を焼く乾いた砂埃だけだ。
地底からは、ツルハシを打ち込む重い音が、足の裏を震わせながら響き続けていた。
街はいつも、白紫色の霧に閉じ込められていた。それは霧ではなく、採石場から舞い上がる微細な石粉だった。
空を舞う粉は、陽の光を浴びて、どこまでも美しく煌めいていた。それは一見すると、天から静かに降り注ぐ、音のない光の祝福のように見えた。
かつてリュミエールには、広大な採石場があった。
切り出された石は、冷たい炎のような、白紫の光を放っていた。その輝きは、瞼を閉じても残る、古い銀貨の鈍い光に似ていた。
男達は、朝から晩まで石を掘り続けた。
金属が岩を叩く音は、耳を塞いでもなお、直接鼓膜を打ち据える。
時折、古い建物の建具がいっせいにがたがたと喉を鳴らすような、重く低い地鳴りが聞こえた。
朝早くから夜遅くまで、金属音と爆発音は止むことがない。
掘り起こされた石達は、そのまま売られ、あるいはアクセサリーや調度品へと姿を変えた。
人々の欲望を惹きつけるその輝きは、リュミエールへ休むことなく富を運び込み続けた。
『その石を一つ手に入れれば一生遊んで暮らせる』――そんな熱に浮いた噂は、リュミエールの外へ瞬く間に浸透していった。
やがてリュミエールには見知らぬ足音が絶え間なくなだれ込んでくるようになった。
一攫千金を夢見て重いツルハシを担ぐ男達も、その希少な輝きを所有しようと仕立ての良い外套を揺らし、指先に嵌めた宝石を光らせる者達も、皆が同じ瞳をしていた。
どれだけ水を与えても満たされることはない、ひび割れた砂漠のような乾いた瞳だった。
街の静寂は、際限のない強欲によって無残に引き裂かれた。
始まりは、ほんの些細な境界線の引き直しだった。
どちらの採掘権が数センチ広いか。どちらが先にこの地層を見つけたか。
喉元までせり上がった強欲を、どうにか「不満」という形に整えて吐き出していた。
しかし、掘り出される石が放つ白紫の眩い輝きは、甘い毒のように人々の脳を溶かしていった。
やがて、争いは奪い合いへと変質した。
誰かが掘り当てた石の塊を、誰かが掠め取っていく。
他人の懐へ手を伸ばし、石を掴み取っては、背後から無残に引きずり倒される。そんな報復の円環が、暗い坑道のあちこちで絶え間なく繰り返されていた。
かつて隣人と呼び、盃を交わした者達の面影は、もうどこにもない。
彼等は今や、隙さえあれば喉元を食い破ろうと狙いすます、名もない飢えた獣だった。
昨日の友の瞳には、親愛の情など一滴たりとも残っていない。そこにあるのは、獲物の値踏みする、冷たい殺意だけだった。
欲望の重みで沈みゆく街に、今日もまた新たな足音が吸い込まれていく。
掘り出される石の冷たい煌めきは、人々を終わりのない争いへと引きずり込んでいった。
いつからだろうか。リュミエールの空気を震わすのは、岩を打つ無機質な金属音に重なった、鋭く激しい怒号がばかりになっていた。
人も、富も、膨張を続ける欲も、リュミエールという小さい器からはとうに溢れ出し、濁流となって辺りを呑み込んでいた。
かつて人々が愛した、あの穏やかで静かな街の面影は、もうどこにもない。
踏み荒らされた故郷を前に、地元民達は重く閉ざした口で立ち尽くし、冷たくなった指先を固く握りしめた。
どうしてこうなってしまったのか。
愛した街は、どこに消えてしまったのか。
旨の奥を、空虚な問いが何度も巡る。
すべてを狂わせたのは、あの石だ。
彼等は無言のまま、土のついたスコップを手に取った。
誰も二度と足を踏み入れられないよう、坑道の口には冷たい鉄の蓋が落とされ、重い錠前が掛けられた。
しかし、わずかな蓋の隙間からは、あの忌々しい白紫の光が未だに漏れだしている。
人の心を狂わせるその光を、永遠に絶たねばならない、
彼等は蓋の上に重い水を這わせ、深い水底へと封じ込めることにした。
誰が言い出したのかは分からない。ただ、いつしか街中を静かに流れる穏やかな水路は、人々の欲望と狂乱の歴史を、その暗い底へと沈めるものになっていた。




