五章 その一
運河の水は逃げるように消えていき、残ったのは光を滲ませる湿った底だけだった。
人々のざわめきの中で、光だけが静かに溢れていた。大通りからも、建物の窓からも、無数の視線が掘りの底に注がれていた。
チン、という場違いな音がして、ロザリアはふと振り返った。エレベーターの前に立っているのはルミエラ。『下』と書かれたボタンを押しながら、ロザリア達を見ていた。
慌ててロザリアがエレベーターまで移動すると、同じようにシオンもそこへ乗り込んだ。
エレベーターが下降していく音と振動だけが、やけに大きく聞こえていた。
あの光は何なのか。『秘宝』の正体は。
誰も口を開かなかった。
一階に到着したエレベーターから駆け降りた三人は、建物を飛び出して運河の端へ向かう。
開いている隙間を見つけて柵から身を乗り出すと、運河の底、光が溢れるそこに誰かがいた。
複数の影が、湿った底に沈むように立っていた。
その靴音だけが、やけに乾いて響いていた。
「あれは……」
シオンが影を見下ろして口を開いた。
「賊達が……?」
「賊の人達だけでは、水を全部抜くなんて出来るとは思えません」
ルミエラはシオンに顔を向けた。互いの視線が短く絡んだ。
「……そうですね。俺もそう思います。なら、一体誰が……」
先に視線を逸らしたのはシオンだった。
裏通りにいた賊達は皆『秘宝』を求めていたが、彼等に水路の水を抜く力はない。
ならば、彼等には協力者がいるはずだった。
だが、思い当たる顔はひとつも浮かばなかった。
賊達は靴底を鳴らしながら石を踏みしめる。不意に一人が「ん?」と石の隙間へ視線を落とした。
何度もそこを踏む。やけに石が沈むような気がした。
「ここ、なんかおかしいぞ」
「あ?」
声に釣られて賊達が次々と集まる。同じ場所を踏みつけるたび、地面が浮くような反発があった。
身を屈めて石の隙間を調べると、細い影が走っていた。
その隙間に指を差し込み、力を込めて引いた。
鈍い音が奥で鳴って、底が、わずかに浮き上がった。
「ここだ!」
その叫びと共に、賊達は我先にとその隙間を広げようとした。
尖った靴の先を差し込んで、蹴り上げるように食い込ませると、光がいっそう強くなった。
数人の賊が、浮き上がった石の底の下に体をねじ込んで、石の塊を石壁に立て掛ける。
金属の蓋のようなものが、光の中に眠っていた。
三人ほどが並んで通れそうな、四角い穴を塞いでいるように見えた。
「これを開けるんだ! 早く!」
「でも、鍵なんてねえぞ?」
「こじ開けんだよ!」
白紫の光に包まれた蓋の間に爪を差し込むことはできても、それより先は入らない。
蓋に掛けられる指が、次々と増えていく。
だが、びくともしなかった。
「テメェら、何のためにこれがあると思ってんだ?」
そう言いながら一人が懐から取り出したものを見て、傍観していたシオンは「待て!」と声を張り上げた。
賊の手にあるものを見ても、ロザリアには、彼等の声が遅れて届いた。
賊達が一斉に顔を上げる。鋭いシオンの眼差しを受けて、いつもなら怯む彼等は小さく震えながらも、運河の影に身を寄せ、シオンを睨み返した。
「待ってられるか! もうここまで来たんだ、あんたなんて怖くも何ともねえ!」
それ――銃火器を構えた賊は、それを上に向ける。掘りの中を見下ろしていた視線達から小さく悲鳴が上がる。
賊はそんな悲鳴には目もくれず、シオンと蓋を交互に睨んだ。
ルミエラの静かな目がロザリアと一瞬交わり、すぐにシオンに向けられた。シオンは賊と向けられた銃口を見据えたまま、ルミエラの視線と交わることはなかった。
空気が少しずつ沈んでいく。シオンの目が細められ、賊の手に力が入ったとき、「やめんか!」と大きな声が掘りの中を反響した。
賊達が音のありかに目を向ける。運河の端に集まっていた人々を掻き分けて、一人の老人が肩を揺らして現れた。
柵を両手で握った後、老人は掘りの中に叫んだ。
「その下にあるのは『秘宝』などではない! この町の……負の遺産じゃ!」




