2-1 暴走の記憶
その地下には、焼け焦げた多くの死体と泥炭の臭いが満ちていた。破壊を免れた魔導トーチがいくつか壁から垂れ下がっていて、かろうじて視界が利く。
壁際の残忍な供犠台に、俺は駆け寄っている。全力で、息が切れるほど走っているのに、全く進まない。
と、俺は供犠台の脇に立っている。呆然と。供犠台に寝かされているのは……エリスだ。周辺は破壊され尽くしているのに、エリスには傷ひとつない。ただ……顔が蒼い。唇も真っ白。死にかけているのだ。うっすらと瞳を開けると、エリスは震える手を上げた。俺の頬を、優しく撫でてくれる。
──ゼノ……あなたの……せい……じゃな……いわ──
それだけ口にすると、手がことりと落ちる。もう、エリスからは命の光を感じない。
俺の口が、絶叫の形に開く。そこからは大量の悪鬼が湧き出してくる。世界全てを焼き尽くしてやろうと。その悪鬼はしかし世界には向かわず、俺の体を貪り始める。俺はそうしてほしいと願う。エリス亡き世界になど、生きていてほしくはないから。
──ゼノ……愛してる──
エリスの声が頭に響き、俺は絶叫する。今度こそ、魂と命を全て吐き出そうと。
「エリスーっ!」
自分の絶叫で、目が醒めた。寝床の上で全身を硬直させた俺の頭は、誰かに抱えられている。温かく柔らかな体に。フィオナの体に。フィオナは俺の頭を胸に抱え、そっと撫でてくれている。隙間から細く射す朝日が、屋根裏に長い影を引いている。まだ夜が明けたばかりだろう。
「はあ……はあ……」
「ゼノ……」
耳元で、フィオナが囁く。
「怖くない」
「……」
「怖くないよ」
「……あ、ああ」
力をなんとか抜き、ぐったりとフィオナに体を預けた。汗まみれの俺を、嫌がることなく撫で続けてくれる。
「あり……がとう」
五分ほどもそうしていただろうか、俺はかろうじて身を起こすことができた。眠ったはずの朝だというのに、徹夜明けほどにも疲れ切っている。
「だい……じょう……ぶ?」
汗で額に張り付いた髪を、フィオナは整えてくれた。コレットが買ってきてくれた、地味な寝間着姿だ。首に巻いていた銀のチェーンを外すと、通していた「祖霊の指輪」を、左手の人差し指にはめた。
「もう少し……寝て。指輪がきっと……楽にしてくれるから」
促されるまま、フィオナに体を預けた。フィオナは小声で、なにか歌い始めた。転調の多い、不思議な旋律。聞いたことのない言語。古代エルフィン語かなにかだろうか。とくとくというフィオナの胸の鼓動を感じ、その歌を聞いているうちに、心に安らぎが舞い降りてきた。睡眠の女神が微笑み安らぎの世界へと、俺は落ちていった。
◇ ◇ ◇
昼近くまで、気絶したかのように眠っていた。目覚めるとフィオナはもう起きていた。窓に肘を乗せ、ぼんやりと空を見ている。柔らかな髪が、風に揺れている。最下層の無法区にも、風は優しい。王宮を囲む森からの、いい香りを運んできてくれるから。
「悪いな、ずっと寝ていて。腹減ったろ」
「……」
首を振った。
「……平気」
「まあエルフだもんな。細い体でも体力はある。……どれ」
近くで確認した。顔の傷はもうすっかり塞がっている。治癒力の高さもエルフの特性ではある。体内にマナを溜め込んでいるからな。とはいえ……縦横無尽に走る傷跡は赤く盛り上がり、不吉な条虫のようだ。こちらはおそらく、一生消えないだろう。
「ここでもう一か月か……」
俺の言葉に、フィオナはびくっと体を震わせた。
「どうだ。そろそろここを出るか。……お前にも、親族や里があるだろ」
傷の経緯や家族のことなどを、フィオナは決して教えてくれなかった。嫌……というより、俺になにか不幸が訪れるのを、恐れているように感じる。
「出て……ほしいの」
不安そうな瞳で俺を見ると、すぐ視線を落とした。
「いや、そんなことはない。迷惑なんかじゃない。お前がいたいだけいてくれていい」
先回りして言っておいた。フィオナは繊細だ。変に気を回して、失踪してしまうことすら、考えられる。
「それにな……」
髪を撫でてやった。ゆっくり。
「俺は居てほしい。お前はまだ心が壊れてるだろ。それをずっと癒やしてやりたい。そうすると……俺も……癒やされる気がするんだ。お前を癒やす……俺の罪滅ぼしなのかも」
「ゼノ……」
澄んだ瞳で、俺の瞳を見つめてきた。互いの心が行き交うかのように。
「ちょっとおっ」
どん、と床が揺れた。三階の自室から、コレットがほうきで天井を叩いているんだ。
「いつまで寝てるのさ。朝ご飯食べてよ。傷んじゃうじゃん」
「今降りる」
叫び返すと、フィオナの手を取った。
「飯にしよう。俺もこの後、出ないとならないからな」
◇ ◇ ◇
「どう。おいしい朝ご飯でしょ」
食堂のテーブルで、エプロン姿のコレットが、自慢げに胸を張った。
「ああ。竜の喉笛亭は、飯だけは最高だ」
「だけはってなによ」
「酒はヤバいだろ。飲み過ぎると死ぬんだから」
「無法区の酒だもん。お客さんもみんなわかってるよ。ちゃんと死なない量だけ飲むからね。まあ……年に何人かは死ぬけど」
「……おいしい」
俺達の馬鹿な話を聞き流しながら、フィオナは淡々と食べ進んでいる。
「おいしい……のは確かだな。残飯だけど」
「ちょっとおっ」
コレットはぷくーっと頬を膨らませた。
「残り物と言ってよね、昨日の夜の」
雨漏りコウモリ上等の屋根裏とはいえ、格安で借りている。酒場の残飯を食わせてもらえるだけでも大助かりだ。夏はたまに食あたりするがな。
「おいしい」
「うまそうなスープだな」
「なあに、それ自分にもくれって嫌味? ゼノさん」ぷくーっ
フィオナだけは、残飯だけでなく特別に「商品の」スープも付いている。溶き卵を流した奴。傷を癒やすためだ。そのために生薬が加えられているし、栄養満点だ。時には魚のアラも入っているし。
「ゼノさんは働いて、自分の稼ぎで注文してよね。ゼノさんにタダ同然でお部屋貸して、ウチは大赤字だよ」
「わかったわかった」
「おいゼノ」
厨房から、オルクスが顔を覗かせた。
「ちょっとこっち来い。……今すぐだ」
「おう」
狭い厨房はに、下働きの小僧とオルクスが詰めていた。せっせと今晩の酒場の下ごしらえ中だ。
「実はな……」
小僧やコレット達に聞こえないよう、隅で小声になる。
「フィオナ、傷は塞がったろ」
「ああ。コレットには感謝してる。毎日一緒に風呂に入ってくれて、治療や治癒魔法を施してくれるからな」
「それでな、傷に隠れていた刻印が、見えるようになったんだと」
「刻……印?」
「ああ、コレットが風呂で見つけた。銅貨より小さな奴で、背中の腰のあたりにあるそうだ」
「傷跡じゃないのか」
「刻印だ。巻き貝のような、天に伸びる塔の形のな」
「……そうか」
オルクスも俺も口に出さなかったが、「嘆きの塔」の刻印だ。連中は刻印を、仲間の証や所有物の印、それに魔導力の注入口として使っている。
「ゼノお前、なにか心当たりあるか」
「そうだな……」
塔主ベルナルドの名をフィオナが寝言で口にしたことは、誰にも話していない。
「なにもわからんな」
「そうか」
オルクスは、俺の目を、じっと覗き込んできた。獣人特有の強い力のある瞳には、真実を見抜く力があると噂されている。
「ならいいが、これまでにも増して注意しろ。連中に目を付けられると厄介だぞ」
「わかってる。……なに、ただの背中の染みだ。それが偶然なにかの形に似ていたとしても、関係ない。そうだろ」
「違いない」
オルクスは、顎の長毛を撫でた。笑ってはいない。
やはりか。寝言、刻印、そして「もっと上」。とてつもない陰謀の香りがする。だが……。
大きく息を吸うと、俺は一気に吐き出した。
──陰謀だろうが塔カスだろうが関係ない。フィオナを痛めつけたクソ野郎どもは、全員まとめてぶち殺す。
長く封印してきた、黒い欲望が頭をもたげるのを感じた。俺の一族の闇の声が。そいつは俺に語りかける。祖霊に授けられた力を用い、邪悪な世界を叩き潰せと。




