1-1 廃棄物処理場の出会い
「あっ!」
悲鳴と共に、フィオナは目覚めた。俺の腕に抱かれたまま。
「また悪夢を見たのか、フィオナ」
「う……うん」
寝床で抱き寄せてやると、俺の胸に顔を埋めてくる。
「怖い……ゼノ」
「安心しろ。俺が癒やしてやるからな。傷と心が治るまで。いや……治ってからも、お前が俺を必要とする限り」
「ずっ……と……がいい」
強く抱いてきた。フィオナの胸や体を感じる。俺を信頼し頼り切っているエルフの。
「よしよし」
撫で続けていると、瞳に涙が浮かんだ。
「ゼノ……大事な人……」
やがて俺はフィオナと、永遠の誓いをすることになる。過去の傷を癒やし合いながら。
そう。全ての発端は、一か月ほど前のことだ。つまり──。
◇ ◇ ◇
「さて……『掃除』にかかるか」
俺は空を見上げた。ふたつの太陽が、それぞれ東と真上で輝いている。早春の配置だ。これからどんどん暖かくなると思われた。
「あとひと月もすると、死体が腐るのが早くなるな。まあ……構わんが」
王都ヴァルグレイス外縁、無法区。ここ廃棄物処理場は、なじみの仕事現場だ。広い処理場の周辺一帯、焼け落ちた木材だの疫病に倒れた家畜だのが投げ捨ててある。もちろん周囲には誰もいない。物乞いの孤児ですら、処理場の入口近辺で廃棄物漁りをする程度で、こんな危険地帯には近寄らない。
荒れ果てた地上にぽっかり空いた暗い穴からは、早くも死臭と硫黄の混じった悪臭が漂っていた。この穴の中を使う一般人はいない。言ってみれば犯罪組織専用だ。
「魔族とかじゃないしな。まだマシか……」
魔族の死体はとてつもなく臭い。人間の死臭なら毎日嗅いで慣れている。懐から乾燥魔草の束を取り出すと、口に放り込む。噛んでいると軽い麻痺効果がある。ま、気晴らしだ。
俺が穴に踏み出すと、足元で砂利が鳴った。
◇ ◇ ◇
「やれやれ……」
死体の山を前に、俺は溜息をついた。
「ばらばらになってやがる。しかも拷問跡つきと来た。これは……五人……いや六人か」
今日の依頼は、犯罪組織裏切り者の死体処理だ。廃棄物処理場、ましてこんな治安も空気も最悪な地下にまで下りてくる馬鹿はいない。それでも稀に王立騎士団が検分に来る。骨でも残っていたら、いくら「嘆きの塔」の権勢と言えども、賄賂でもなかなか揉み消せなくなる。「嘆きの塔」は王都最大の暗黒組織とはいえ、騎士団は今の時代にしては奇跡的に高潔だからな。
腰から魔導熱線鞭を抜く。もちろん俺だけの装備だ。人前でこれを抜くと、冒険者や悪党にはだいたい馬鹿にされる。ただの短い五又鞭形状だから、臆病者が離れたまま威嚇に使う、護身用中衛武器に見える。
最弱武器に偽装されてはいるが実は、世界最強・SSSクラスの武器だ。世界に最強クラス武器は五つしか知られていない。どれも世界にひとつだけの貴重アイテムだ。俺はそのうち三種類を隠し持っている。
「ま、瞬殺だ」
鞭を振るうと屍蔓──つまり鞭身が五倍にも伸び広がって死体を包んだ。死体は瞬時に分解され、悪臭と血の跡だけを残して消滅する。血の跡なんざやがて土に溶けるし、たとえ騎士団の正義野郎が見つけたとしても、不法投棄された汚物くらいにしか思わないだろう。
「下宿に帰るか。溜めてる宿代を払わないと、オルクスの親父に叩き出されちまう、今日こそ」
──どんっ!──
鞭を収め、遠く輝く入り口へと反転した途端、背後から轟音が響いた。
「……」
振り返ると、巨大なハッチが吹き飛んで空中を舞っている。聖魔戦争で汚染された地下水路からの汚水逆流を防ぐハッチが。
──ぐおおおおおーっおっ──
太い咆哮がこだまを呼ぶ。穴から這い出てきたモンスターが、俺を睨んでいた。
「オーク、いや……なんだこいつは」
オークらしきモンスターだが、極端にでかい。三メートルはあるだろう。体型も異様だ。極端に筋肉が発達しているが、なぜか左右非対称。しかも目が発光していてイッている。低知能の脳筋モンスターという属性からも外れた、狂気を感じる。
もう一度叫ぶとそいつは、俺に向かって突進してきた。
「……」
腰のホルダーから俺は、「清掃用カッターナイフ」を取り出した。作業員が使う大型ナイフに偽装してあるが、もちろん違う。
凄い勢いで突っ込んでくる謎オークもどきをぎりぎりまで引き付けると、体を展開しかわす。その回転モーメントを生かしたまま、オークの腰を水平に斬る。腰の神経結節点を狙って。
筋だらけの硬いオーク体幹に刃が、バターのように食い込む。狙いは斬撃ではない。脊椎を走る魔力巡回路を切断するためだ。
オークは瞬時に固まった。走り込んだ勢いのまま、倒れ込む。どうっという音と共に、土が大量に舞い上がった。
「ふん」
頭を蹴り飛ばして、絶命を確認する。地下水路からは、もうモンスターは出てこないようだ。
「どれ。……むっ」
死体を検分して驚いた。異様な汚染痕がある、魂に。
「タダ働きか」
うんざりしたが仕方ない。鞭でオークの死体を分解してやった。
「それにしても……なぜ王都にモンスターが」
アルヴィス王の治世は乱れつつある。なので王立兵の士気が落ち、辺境にモンスターや魔族の侵入が相次いでいることは知っている。だが治安が悪くなったとはいうものの、ここは曲がりなりにも王国中央にそびえる王都だ。モンスター侵入など、百パーセントあり得ない。しかも……このオークの変異は自然なものじゃない。どこかで禁忌の魔術が漏れ出しているのか、あるいは……。
「……ま、俺には関係ないか。王都など、勝手に滅びりゃいいさ。俺は逃げるからな。まあ……オルクスとコレットは連れてやるとして」
念の為、奥まで進み、ハッチ跡を確認してみた。特におかしなところはない。地下水路と言ってもかつて豊かだった水は汚染され流量も激減した。穴の奥は真っ暗なだけで、はるか下から汚水のとどろきが聞こえるだけだ。
「……?」
ふと、横になにかを感じた。なにか……予感か魔力のようなものを。見ると、暗い洞窟の奥、人影がかろうじて暗闇から浮かんでいる。壁によりかかるように崩折れて。
「……生きてるのか」
声を掛けてみた。腰のカッターに手をかけたまま。
返事はない。小柄な体を一瞬びくっと震わせたが、うなだれているだけだ。いずれにしろ、死体ではないということだ。
「幽霊でもモンスターでもなさそうだな」
警戒しながら、ゆっくり近づく。ぼんやり浮かぶ人影はどうやら女のようだが、それならそれで、罠の餌である可能性が高い。
「おい」
返事はない。俺が近づくと、壁に身をこすりつけるようにして、隠れようとしている。後ろ手だ。
「縛られているんだな」
懐から魔導トーチを出すと、指で捻って点火した。オレンジの炎に女がまた、怖がるように体を縮める。
「こいつは驚いた……エルフじゃないか」
少数とはいえ、王都にもエルフはいる。だがもっぱら王宮や貴族の館に滞在し、政や退屈しのぎの相手をしていることが多い。稀に冒険者ギルドに出入りする血気盛んな奴もいる。だがこいつはどうだ。まだ若い少女で、エルフらしからぬ粗末な服を着ている。……というかサイズはぶかぶかだし、おそらく「着せられて」いる。
おまけに顔にも体にも、ひどい傷が縦横無尽に走っていた。刀傷でも擦り傷の類でもない。なにか……謎の武具で傷つけられたような。跡ではなく、まだ傷が開いている。しかも見えている腕や脚、顔だけでなく、服の中もかなり酷そうだ。その証拠に、乾いた血の跡だけでなく、服はまだ血液で濡れている。数日間に及ぶほど長時間の拷問傷、それは明らかだ。
「誰にやられたんだ」
「……」
返事はない。子猫のように震えるばかりだ。
「お前の名は」
「……」
注意深く、俺は周囲を見渡した。敵の気配はない。罠の可能性は消えたと判断してもいいだろう。
「……しかし」
どうすべきか迷った。面倒を抱え込む気はない。ほっておけばいい。飢える前に、ネズミにでも齧られてすぐ死ぬ。だが……。
なにかよくわからない痛みと傷が、心の奥で疼いた。
「今、縄を切ってやる。ナイフを出すが、怖がるな。お前を傷付けはしない」
驚いたことに、高価で入手困難な魔導ロープだった。結び手でなければ絶対に結び目が解けず、切れもしない奴だ。俺の武器の前にはもちろん、糸も同然だが。
「ほらよ……立てるか」
腕で膝を抱えたまま、首を振っている。
「まあ当然か……」
手を差し出すと、おそるおそる……といった様子で、握ってくる。温かな手だが、手の甲にまで無惨な傷が広がっている。
「ほら……」
起こした勢いで、俺に体を預ける形になった。びくっとして飛び退く。初めて俺の顔を見た。恐怖に目を見開きながら。
「お前……エリス……いや……」
混乱した。エリスに顔が似ていたわけじゃない。深い傷がたくさん走った、無惨なエルフだ。ただ……なにかが俺の心をかすめた。この少女を救ってやらねばならないという、強い情動が。
「お前の……名は」
「フィ……」
震え声で言い淀んで、口をぱくぱくさせた。教えていいのか、迷うように。やがて、決意したかのように俺の目を見ると、口を開いた。
「フィオ……ナ」
こうして「救済」という名の最も危険な任務をその日、俺は己に課した。フィオナと名乗った傷だらけのエルフ少女のため、そして俺自身のために。




