後編
商人Bが気がつくと、そこは見知らぬ部屋だった。
村ではあまり見られない、西海風の部屋だ。
商人Bはその部屋の寝台の上に寝かせられていた、布団ではなく寝台なところがいかにも西海風だと商人Bはぼんやりと思った。
「やっと起きたか」
聞き覚えはあるがその口調のせいで強烈に違和感のある声がすぐ近くから聞こえてきたので、商人Bはそちらに顔を向ける。
従者の少年、ではなく謎仮面Xが機嫌悪そうな顔で寝台の真横に座っていた。
「…………ここはどこですか」
「オレの部屋」
一言で返された回答に、具体的にどこにある部屋なのかを問うかどうか悩む商人Bの右手に唐突に痛みが走る。
何事かと商人Bが自分の右手を見ると、その右手は謎仮面Xに握られていた、いつからそうなっていたのか商人Bには分からなかった。
謎仮面Xが商人Bを握る手に力を込める、骨でも折られたら困ると商人Bはその手を引き剥がそうとしたが、失敗した。
「お前は何者だ?」
「ただの商人です」
商人Bは正直に答えたが、謎仮面Xはその答えが気に食わなかったのか、眉間の皺を深くさせる。
「そういうあなたは何者です? 村長さんのところの従者さんと全く同じ顔じゃあありませんか。商人Bは吃驚仰天しましたよ、ええ」
「そういうお前は何故村長と同じ顔をしている?」
「さて、何故でしょうな? きっと他人の空似ですよ」
白々しい商人Bを謎仮面Xは睨みつける、それでも商人Bは顔色を変えなかった。
「まあ、お互い訳ありというやつなのでしょう。詳しくは聞かんでおきましょうか。あなたがどこの誰でも商人Bは別にどうでもいいので」
「どうでも良くない。お前はなんなんだ。……村長ではないんだよな」
「ええ、商人Bはただの商人ですよ。村長様のように特別な唄とかは歌えません」
おそらくそれが一番聞きたいことだろうと商人Bは推測して答えた、謎仮面Xが所属する謎の組織は村というか村長の持つ力に固執しているように見えたので。
「商人Bはただの商人、なんの価値もありません、利用価値とかもゼロなのです。ただの遺跡探索が趣味な旧文明オタク。……あなた方にとって有益な存在でもなければ、害がある存在でもない。言うなれば無益で無価値。どういう理由でこんなところに連れ込んだのかはわかりませんが……まあ、取り越し苦労のくたびれ儲け、ってやつですな」
大仰に商人Bは肩をすくめる、それから一秒、二秒、三秒と商人Bは待つが謎仮面Xは何の反応も見せない。
ただ機嫌悪そうな顔で商人Bの顔を睨むばかりだ。
十秒経っても無反応だったので、商人Bは溜息を吐く。
「そういうわけでお暇させていただいても? 商人の仕事は意外と忙しいのですよ、商人Bの場合は趣味にも時間をとってるので余計に忙しいのです」
そういって寝台から降りようとした商人Bだったが、謎仮面Xによって押し倒される。
そのまま馬乗りにされた商人Bは目を白黒させる、商人Bは逃げ足が早く生き汚いが、この状況で謎仮面Xを振り払えるほどの腕力を持ち合わせていなかった。
多少魔法が使えるが商人Bの魔法に基本的に火力は一切ない、完全に詰んだかもしれないと商人Bは辞世の句を考え始めた。
「逃がすとでも?」
怒りか憎しみ、そのどちらかかその両方を噛み殺しているような顔の謎仮面Xに至近距離から睨まれた商人Bは、相変わらず良い顔だなとどこか呑気なことを考えながら、表情を変えずに口を開く。
「逃げるっていうか、普通に帰りたいのですが」
「どこに?」
「自分ちに」
「……あの村に帰すとでも?」
「商人Bのおうちはあの村じゃなくて、あの村の隣の町にあるのですが」
「…………そうなのか?」
「そうなのです。あの町はカステラがとても美味しいので訪れる機会があればぜひご賞味くださいな」
甘くてふかふかなのですよ、と商人Bが続けると、謎仮面Xは深々と溜息を吐いた。
少しだけ表情が穏やかになったような気がするけど、誤差の範囲程度だなと商人Bは冷静に彼の顔を観察する。
「……どうでもいい。どこの誰だろうがお前を逃がすつもりはない」
「えー……商人Bはさっきも言いましたけどただの商人なのですよー? 利用価値とか特にないと思うのですが……商人としても駆け出しのペーペーなんで商人Bがいなくなったところで誰かがものすごく困るということもありませんし、あの村の物流が止まるとかもないですよ。というか商人Bが売ってるのって基本嗜好品の類が多いですからねー、ぶっちゃけあってもなくてもどうでも良いものなのです。皆様の人生の色を少しだけ鮮やかにする素敵なものを集めて売らせていただいてはいるんですけど、必需品を扱ってるわけじゃあありませんから……そういえば村長様がつけている簪は元々うちの商品だったのですよ、あれはですねー、実は結構頑張って手に入れたものだったんですよねえ、あの村の隣の隣のさらに隣にある集落に、すごく偏屈だけど腕のいい職人さんがいまして、結構頑張って交渉し」
「うるさい、話が長い、一旦黙れ」
話している最中だったが、刺々しい声でそう言われてしまったので商人Bは素直に口を閉ざした。
「いいか、余計なことは何も話すな、こちらが聞いたことだけ正直に『はい』か『いいえ』だけで答えろ」
凄まれた商人Bはどうしたものかと謎仮面Xの顔を見上げる、基本的に行儀のいいおとなしめな彼の姿しか見たことがなかったので、今の乱暴そうというか恐ろしく機嫌が悪いのを隠しもしないその態度が滅茶苦茶新鮮だなと場違いな感想を商人Bは抱いた。
別に嫌いじゃないけど、とも商人Bは思った、というか普通に今の悪そうな顔つきの方が自分好みかもしれないとも。
「返事は?」
「は、ハイ……」
凄まれた商人Bは余計な考えを捨てて彼の言葉に耳を傾けることにした。
「あの遺跡でオレを助けたのはお前か」
「…………」
商人Bはどう答えるべきか考えて、『はい』と『いいえ』の二択だと答えきれないことに気づいて頭を抱えたくなった。
あの遺跡地帯でボロクズみたいになっていた少年を商人Bは助けたが、そういえばその少年が従者の少年だったのか、それとも従者の少年と同じ顔の謎仮面Xだったのかはまだ商人Bの中で確定していないのである。
おそらく謎仮面Xだったのだろうが、一応あの少年が従者の少年であったという可能性はまだ残っている。
「答えろよ。『はい』か『いいえ』の二択だ。簡単だろう」
その二択だと不正確な回答になりそうだから答えられないんだけどな、と商人Bは謎仮面Xの顔を見上げる。
そうしてしばらくだんまりを続けた後、レギュレーション違反だけど仕方がないと諦めて口を開く。
「半年くらい前にあの遺跡地帯でボロクズ状態でぶっ倒れていたのがあなたであるのなら答えは『はい』。違うのなら『いいえ』です」
謎仮面Xは商人Bの顔を睨んだ。
『はい』か『いいえ』だけで答えなかったから多分気に食わなかったんだろうなと商人Bは思った。
「……なら、その後にあの遺跡でこの顔の男と会っていた村長と同じ顔の女は、お前か?」
「『はい』ですね。村長様が商人Bと同様にあの遺跡地帯に入り浸っていなければ、の話にはなりますけど」
その回答に謎仮面Xは舌打ちした。
商人Bは表情を崩さなかった、無表情のまま謎仮面Xの顔を見上げる。
「…………騙したな」
「『はい』……しかし、それはお互い様でしょうな。なんとも滑稽な話です、互いに互いが偽物だと気付かないまま、騙しあっていたのですから」
思い返してみるとなんとも頭の悪い話だなと商人Bは呆れて思わず笑ってしまった。
よくもまあ互いに気付かなかったものだと商人Bは思った、ここまで馬鹿な話は人生に一度きりであってほしいとも。
「…………何故、急に姿を消した」
『はい』や『いいえ』では答えられない質問をされた商人Bは少しだけ考えた後、極力短くなるように言葉をまとめてから答えた。
「簡単に本物と偽物の区別がつくようになってしまったので、バレる前にばっくれることにしたのですよ」
「…………あの簪か」
「『はい』。……あの簪を従者様に買われてしまいましたからね。あれは世界に一つしかないもの。そんなものを渡されてしまえば、本物と偽物の見分けなんて簡単です……偽物がいることさえ知られていなかったのですよ、あの村では。だから商人Bにはばっくれる以外の選択肢などなかったのです……そちらも偽物だったとは、夢にも思っていませんでしたし」
だから商人Bはあの簪を売った時点で彼の前から姿を消すことにした、あの少年が村か遺跡地帯か、そのどちらかであの簪を『村長』に渡したとしても、その時点でいずれあの村に同じ顔の女が二人存在することが露見するからだ。
簪を売った数日後にあの簪をつけている村長を見た時、商人Bは少しだけ心が痛くなった。
商人Bは心のどこかで期待していたのかもしれない、彼が実は本物の村長と自分の見分けがついていて、その上で自分を選んでくれればいい、と。
しかし現実はそんな小さな期待に応えなかった、というか現実は商人Bの思いもよらない方向に飛んでいった。
「……だからいなくなったのか」
「『はい』」
「……あの簪、オレも買うかどうか迷っていた」
「え……あ、あー……なるほど、あなたさては従者様のふりして村を彷徨いていましたね? 一回目に買うかどうか迷ってた従者様が本当はあなたで、二回目に買って行ったのが本物の従者様でしたか。……随分迷っていた様子だったのに二回目に迷いなき瞳で買っていったので、なんかおかしいなとはちょっと思っていたのですよ」
「…………そうか」
「ええ。とはいえ、どちらが買っていたとしても商人Bはばっくれてましたけどね」
「……そうか」
それから少しだけ沈黙が続いた。
そういえばあれからどのくらい時間が経ったのだろうか、そもそもここはどこなのだろうかと商人Bが余計なことを考え始めた頃に謎仮面Xが口を開いた。
「……あの簪をお前に渡して、それでお前を攫おうと思った。偽物を相手にしていたことに気付きもしなかったお前を馬鹿にして、それでもオレのものにしてやろうと……騙されて村の敵の手に堕ちればお前はオレのことを憎みだろうが、それでも手放すつもりはなかった」
「実行しないでよかったですね。商人Bは村長様ではなくただの商人ですから。偽物掴まずに済んでよかったじゃないですか」
商人Bがそう言うと謎仮面Xは凄まじい顔で右手を上げ、勢いよく振り下ろそうとした。
青痣になるだろうな、仮面で隠れるからどうでもいいかと商人Bは衝撃に備えた。
しかし、いくら待ってもその手が商人Bの顔を打つことはなかった。
「オレが欲しかったのは……『村長』じゃなくてあの遺跡でオレを助けて、オレの正体にも気付かない頭が悪くて旧文明が好きな変わり者のお前だ」
そう言う謎仮面Xの顔を見上げて、商人Bは彼から目を逸らす。
そしてなんてことないように取り繕いながら彼の言葉に答えを返すことにした。
「奇遇ですね。商人Bが好きになったのは村長様の従者様ではなく、あの遺跡地帯で私が偽物であることにも気付かず何度も私に会いに来たあなたですので」
顔を逸らしたままの商人Bは謎仮面Xがその時どんな顔をしていたのか分からなかった。
顔を背けたまま彼の名前を聞きそびれていたことに気付いて、どのタイミングで聞き出すべきかと商人Bは一人で悩み始めた。