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運転見合わせの夜に

作者: 天音伽


「運転見合わせ…か」


 会社の最寄駅。無常の電光掲示板に、私と先輩は揃ってため息を吐く。

 そもそも、急に私のプロジェクトリーダーが『業務命令。明日までに中間報告書を作るように』と言ってきたのが悪いのだ。言ってきたの何時だと思う、15時だよ15時。

 突然そんなことを言い出すもんだからどうしたのかと思ったら、ウチのプロジェクトの進捗が悪いもんだから急に幹部に呼び出されてミーティングを開く羽目になったらしい。そんなの、意思決定の遅いプロジェクトリーダーのせいなのだが、言ったところでどうしようもない。やると言われたらやるのだ、会社組織というのはそんなもんである。

 で。

 定時で悠々帰ろうとした先輩が、血眼になって方々駆け回って報告書を書こうとしていた私の代わりに、プロジェクトに関わる部署から進捗やら数字を掻き集めてきてくれたのだ。


「……まあ、ドンマイ。業務命令だって言葉、なかなか横暴だよな…」


 先輩も呆れ顔だった。そりゃそうだよ、無茶振りにも程があるもん。

 とはいえ、先輩は数字を集めることはできてもプロジェクトの当人ではないため報告書を書くことはできない。結局私が報告書を書いている横でコーヒーを買ってきたり肩を揉んでくれたり、付き合ってくれた先輩に申し訳なくなりつつ、報告書が終わったのは夜の11時だった。

 で、帰ろうとしたらゲリラ豪雨。なんとか濡れないように駅まで走ってきたら、雨のせいで運転見合わせ、と来たもんだ。


「……すみません」


「何故お前が謝る。お前は頑張った側だろ」


 先輩が背中をドン、と叩いてくれる。不覚にも泣きそうになった。先輩、男の人としては普通の体格なんだけど、手、大きいんだよね。

 その先輩の大きな手のおかげで、私がどれだけ助けられたかわからない。先輩は私より数年早く入社して、最初に仕事の相棒になった時からこうして気にかけてくれている。


「後悔するくらいなら、最初から一生懸命やれ」


 仕事が失敗した時にかけてくれた先輩の言葉だ。そうやっていつも先輩は私のことを励ましてくれる。

 一つ不満な点があるとすれば、ずっと名前を呼んでくれないことか。まあ、それは私もお互い様ではあるのだけど。


「……先輩」


 先輩はわたしがぼおっとしている間にも、駅の改札に駆け寄って駅員さんに何やら話を聞いている。やがて首を振りながら戻ってきた先輩は「どうも動く気配はないらしい。タクシーでも呼ぶか」と言った。

 ただ、同じことを考える人はたくさんいるようで。タクシープールに行けば長蛇の列。参ったな、と頭を掻く先輩に、私は言う。


「泊まり、ますか」


「それが一番楽だな。ホテルがあっただろう、電話してみる」


 言うよりか早く、先輩はもうスマホを手に取っている。程なく電話は繋がったらしい。先輩が話す内容は私にも伝わってきた。


「……シングル一室、だけですか。そうしたら一人、手配してもらえますか?」


 手配? 誰の?

 そう思う私に、先輩は私に言った。


「一室だけ空きがあるそうだ。お前、泊まれ。俺はその辺の漫喫で時間を潰すから」


 確かにこの辺りにまともなホテルは一棟しかない。そこに空きがないというのであれば、きっと先輩は本当にそうするしかないのだろう。

 だけど。

 でも。


「私はいいです。先輩泊まってください」


「バカ言え。今日頑張ったのはお前だろ」


「巻き込んだのは私です。先輩はそうする必要なんてないです」


 膠着。先輩は嘆息する。


「……行け」


「嫌です」


「業務命令だ」


「それ、横暴ですよ」


「……口は立つようになったな」


苦い顔に一本取った気になっている場合ではない。断ったところでさあどうするか。


答えは、決まっていた。


「……先輩。ホテルもう一つあるの、ご存知です?」


私はスマホの画面で『もう一つのホテル』を示す。「お前」と息を呑んだ先輩に、私は言った。


「行きましょう。私は一つも、構わないので」



 それで襲われてもいい、なんて私は思ったのだ。

 やたら薄暗い部屋に通された私達。先輩はすぐに「寝る。邪魔をするな」と言って布団に潜り込んでしまった。いや、そんなことある?


「先輩。女の子が勇気を出したのにそれですか」


「……」


 狸寝入りだ。そうに決まっている。先輩は自分から作り出した沈黙に耐えきれなくなったのだろう、私に言う。


「俺とお前は先輩と後輩だ。そんな……」


「じゃあ呼びますよ。諫山いさやまさん」


「……お前」


「お前じゃ嫌です。私の名前も呼んでください、諫山さん。なら、こんな関係になっても別にいいでしょう?」


 はーあ。何してんだろうな、と思いながら私は先輩のベッドに潜り込む。先輩の大きな手のひらは汗をかいていて、なんだ、先輩にもそんなところがあるんだなぁ、なんてホッとした。


「……っ」


「ほら、早く」


「……内藤ないとうさん」


「良くできました」


「……なんだかお前に手玉に取られてるような気がするんだが」


「そう思います?」


 私は先輩の手を引いて、自分の胸の下に押し当てる。早くなった鼓動に先輩は「……後悔しないんだな」と言った。


「後悔するくらいなら、一生懸命やれ。先輩の言葉です。私は、後悔なんかしません。だって……ここに来るまで、一生懸命やりましたから」


 それは仕事のことでも、或いは先輩をホテルに連れ込んだことでもあったけれど。


 先輩はそこで初めて私の顔を見ると、言ったのだ。


「……じゃあ、俺も一生懸命やらないと失礼だな。内藤さん」



 その後のことは、あまり覚えていない。

 一つ残念なことがあるとすればそれはーー。


「お前、プロジェクトの発表上手くいったのか」


「なんか呼び方元に戻ってませんか!?」


 先輩はぽりぽりと頬を掻きながら、言った。


「職場では先輩と後輩だからな。まあ……またああいう場になったら、名前で呼んでやらんこともないが」


 私は嘆息して、先輩の頬を抓った。

 あれ、私もそう言えば呼び方が戻っているような。


 人間、一日ごときでは変わらない。そう言うことなのかも…しれない。

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