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5-母さまの家

 平日の午後、陽は傾きかけていた。

大学の講義が早く終わった詩織は、帰路をほんの少し遠回りした。


何の気なしに足が向いた先――それは、あの家だった。


「母さまの家」と呼ばれる、町のはずれの古びた一軒家。


白い壁は斑に剥がれ、草の匂いを吸い込んだ古木が庭に立っている。

人の気配はない。けれど確かに、昨日よりも近い。

そんな感じがした。


引き寄せられるように、詩織は門の前に立った。


(なにか、思い出せそうで……思い出せない)


玄関には札が掛かっていた。

白地に黒筆で書かれた名――

それは、うっすらと滲んで読めない。

けれど、どこか既視感があった。


風が吹いた。

木々がざわつき、どこかで金属の軋む音がした。

戸が――開いている?


「……誰か、いるの?」


返事はない。

けれど、空間が『こちらを待っている』ように感じられた。


思わず足が動く。

かすかに軋む床板の音が、玄関から廊下へ続いていた。

昔の木造家屋特有の、湿った木と埃の混ざった匂いが鼻をくすぐる。


「失礼します……」


誰に向けた挨拶なのかもわからない。

ただそうしなければ、何かに触れてしまう気がした。


廊下の奥に、扉がある。

そこだけが、他と違って新しい。

まるで、誰かが最近になって付け替えたかのようだった。


手をかけると、ひやりと冷たい。

一度深く息を吸って、ゆっくりと押し開けた。


――そこは、小さな誰もいない部屋だった。


畳の部屋に、古い箪笥。

壁には女の子の描いたような絵が、いくつも貼られていた。

クレヨンの色は薄れ、儚げにそこに存在している。

しかし、それでも『まま』『おかあさん』『しおり』という文字が見える。


(私……ここに、いた?)


足元には、小さな髪留めが落ちていた。

手に取った瞬間、脳裏に電流が走るような痛みが走った。


    *


「……おかあさん……」


そう口にしていた。無意識に、低く、ひとりごとのように。


そのとき、背後で何かが動いた音がした。

振り向くと、開け放ったはずの扉が――いつの間にか、閉まっている。


カチリ。


鍵のかかる音。外から。


「……え?」


ぞっとして、喉が鳴った。

だれか、いる。外に。

誰かが「鍵を閉めた」


「誰か、いませんか!」


声を張るが、返事はない。

ただ、ふいに背中にぴたりと“気配”が張りついた。


(見られてる……!)


振り返るのが怖くて、足がすくんだ。

だけど、次の瞬間――部屋の中に響いた声は、誰のものでもなかった。


「――しおり」


女の声。やさしくて、懐かしくて、それなのに、耳の奥が焼けるように痛い。


「おかえりなさい。……ようやく、帰ってきたのね」


 

    *



ふっと意識が遠のいた。

気づけば詩織は、玄関の外に座り込んでいた。

日が暮れかけている。

どれだけの時間が経ったのかわからない。

ポケットのスマホが震え、兄からの着信が表示されていた。


手が震えながらも、通話を取る。


「……しおり!? どこにいる! まさか、おまえ、あの家に――」


「……お兄ちゃん」


声が掠れる。


「ねえ。……私、あの家、知ってる」


返ってきたのは、一拍の沈黙。そして。


「……今すぐそこから離れろ。いいな。今すぐだ」


真澄の声が、本当に怯えていた。

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