4-母信仰2
講義が終わると、詩織はその足で大学の図書館へ向かった。
民俗学関連の棚は、地下の静かな閲覧室にある。
陽の光が届かず、空気は少しひんやりとしている。
(母信仰って、なんなんだろう)
教授の言葉が耳に残っていた。
自分が住む町の外れで、そんな信仰があったなんて聞いたこともなかった。
検索端末で「母信仰」「関東」「招魂」などのキーワードを入力し、引っかかった数冊の古文献を引き出して机に並べる。
その中の一冊――『関東民間信仰拾遺集』。
黄ばんだ和紙のページをめくると、ある一文が目に飛び込んできた。
「母さま」と呼ばれる霊的存在に子を取られぬよう、戸口に名を札して魂の所在を明らかにした。
母さまは声を持たぬゆえ、名前を繰り返し呼ぶことで、己の子を探し続けると伝えられる。
よって、秋分の夜には「名前のない者」は連れて行かれる、とされた。
(……母さま?)
心臓が小さく脈打つ音を、はっきりと耳の奥で感じた。
その言葉は、どこかで聞いたことがある。けれど、思い出せない。
ページの下部には、手描きの図があった。
古い木造家屋の前に、白い布をかけた女の後ろ姿。
玄関には、名を記した札がぶら下がっている。
――その家の形が、昨日通った「あの家」と酷似していた。
急に、背後で本が落ちる音がして、詩織はびくりと肩を震わせた。
振り返ると、誰もいない。
ただ、閲覧棚の隙間に風が吹き抜けたような気配だけが残っていた。
(……なんか変な感じ)
急いで本を閉じようとしたその時だった。
ページの隙間から、古い新聞の切り抜きが一枚、ふわりと落ちた。
【行方不明:1998年 秋分の夜、七歳の少女が自宅近くで失踪】
「白い服を着た女の人に名前を呼ばれた気がした」
そう話していた直後に消えた、と母親は語る。
なお、少女は近隣住民との血縁関係が確認されておらず、詳細は現在も不明である。
詩織の手が、無意識にその記事の写真部分に触れる。
そこに写っていた小さな女の子。あどけない顔。丸い目。癖のある髪――
――まるで、自分に見える。
次の瞬間、心の奥で何かがカチリと音を立ててはまった気がした。
(私……この子を……知ってる?)
だがそれ以上思い出そうとしたとき、頭の奥が締めつけられるように痛んだ。
「……いけない」
誰に向けたのかもわからない呟きが、自然と口からこぼれた。
*
図書館を出ると、日が傾いていた。
スマートフォンには何件も兄・真澄からの着信とメッセージが並んでいる。
《どこにいる?》
《何を見た?》
《あの家のことを調べるな!!》
最後の一文だけ、明らかに文体が変わっていた。
優しい兄のものとは思えない、まるで命令のような口調だった。
詩織はスマホを胸元にしまい込むと、空を仰いだ。
茜色の雲が流れていく。
――その向こうに、何かがこちらを見ている気がして、目をそらした。