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第二話

 高飛車に命じた任熒瑶(じんけいよう)にはまるで取り合わず、袁茫生(えんぼうせい)はじっと思案した——向こうはすでに己の素性を知っている。そしてひと月前、たしかに袁茫生は依頼を受けてひと組の夫婦を殺した。それもこの炫華山に連なる山脈の、最も険しい一画に夫婦を呼び出して、だ。


 とはいえ袁茫生に課されたのは、夫婦に最後のとどめを刺すことだけだった。現場に至るまでのお膳立ては全て依頼主が整える手筈になっていたからだ。


「お前、どこまで知っている?」


 袁茫生は手短に尋ねた。任熒瑶はフンと鼻を鳴らして「聞きたいか?」と応える。


「是非ともお願いしたいね。それと、俺に顔を見せてくれないか。そんな薄暗いとこにいちゃあ、そっちだって俺のことなんざろくに見えねえだろ」


 これは取引だ。上手く運べば、少なくとも解放されて野垂れ死にぐらいには最期の惨めさが軽減するかもしれない。そう思えばこそ、袁茫生はにわかに挑発する気力が湧いてきた。それに、己の命運を決めようとする男の顔を拝んでみるのも悪くない。


 任熒瑶はじっとしていたが、やがて線の細い影が松明の火とともにこちらに向かって歩き始めた。

 砂地を踏みしめる音がやみ、格子の向こうがにわかに明るさを増す。目線を持ち上げると、こちらを見下ろす色のない丹鳳眼(たんほうがん)と目が合った。


 任熒瑶は、一目見ただけで美しいと感じさせる容貌をしていた。しかも結い上げた前髪が後頭部で丸くまとめられているおかげで、その美貌を余すところなく見ることができる。

 切れ長で吊り上がった目、こめかみに向かってすっきり伸びる柳眉、そして小さいながらもつるりとした額。線の細い体に見合って顔全体が小さく、小さく突き出た喉仏が見えていなければそれこそ女子かと勘違いしてしまいそうだ。


 ところが、任熒瑶は、牢に転がされた袁茫生を一目見るなり丹鳳眼を嫌そうに細め、「汚らわしい」と吐き捨てるように言った。


「見世物にもならないな」


「おいおい、結構な言い草じゃないか。話をしたいなら礼儀ぐらいわきまえないと、広い江湖じゃやっていけないぞ」


 畳みかけるように言い返しながらも袁茫生は内心安堵した。相手がかかったからには、話もしないで捨て置かれることはないだろう。

 一方の任熒瑶は不満そうにため息をついただけだった。自ら話せと言った手前、袁茫生を罵って離れるわけにもいかないということは分かっているらしい。


「それで、どこまで知ってるんだ」


「お前は墨世楼(ぼくせいろう)の殺手で、炫華山の接陰峡(せついんきょう)で私の両親を殺した。だが墨世楼は暗殺の依頼を取り捌くだけだから、六玉道の聖主(せいしゅ)聖娘(せいじょう)を殺したい何者かが依頼したに違いない」


 任熒瑶は淡々と答えた。丹鳳眼が歪み、秘められた恨みが見え隠れする。


「そうだ。俺はたしかに依頼を受けてお前の両親を殺した。接陰峡に二人が乗った馬車を落としたのは俺だ」



 袁茫生は言いながら、馬車とともに奈落へと落ちていく感覚を思い出していた――崖路を徐行する馬車に飛び乗って御者を気絶させれば、馬が暴れるままに車は道を逸れる。あとは底に着くまでの間に中の二人を無力化させて脱出する、というのが当初思い描いていた光景だった。


 転落した馬車に乗り込み、妻に点穴をして動かなくさせるところまでは上手くいった。ところが夫の方——教主が思いの外に抵抗し、縄鏢を繰って外に逃げたときには袁茫生の方が死にそうになっていたのだ。


 六玉妖道は「妖」の字が示すとおり、異境から伝わった呪術が中原の方術と混ざり合って生まれた下法の術を使う。とりわけ教主が持つ呪具は強力で、それを介して術をかけられたら助かる見込みはまずないという代物だ。そして袁茫生は不幸にも、その呪具からの術を受けてしまったのだ。

 全身の筋骨が強張る感覚に、経絡に溶けた鉄を流し込まれるような激痛。谷底に吸い込まれる馬車の窓から無理やり内功を巡らせて岩肌に縄鏢を打ち込んで脱出し、粉々に砕けた馬車を確かめてから現場を離れたものの、仲間に助けてもらって全身に点穴を施すまでの苦痛は耐えがたいものだった。このまま気が触れてしまうのではないかと本気で思ったほどだ。

 袁茫生は墨世会には戻らず、江湖の名医や高名な方術師を訪ね歩いて術を解く方法を探したが、全て徒労に終わっていた。日を追うごとに点穴も効きにくくなり、今やほとんど役に立っていない——餅は餅屋、妖道の呪術ならやはり妖道そのものに頼るのが一番だとようやく悟った袁茫生は、文字通りに軋む身体を引きずって再び炫華山に忍び込んだ。そこで任熒瑶の配下に見つかり、大した抵抗もできずに捕えられてしまったのだ。



 暗がりに見える背格好から考えるに、己を捕らえた男と水を浴びせた男は同一人物だろう。任熒瑶が単独で動いている可能性だけが袁茫生にとって唯一の希望だった。これが妖道の連中に包囲されて捕まっていたら、今頃何をされているか分かったものではない。


「接陰峡の崖路は余程の必要がない限り誰も通らない。道幅が極端に狭く危険な上、不安定な道から転落して死んだ無数の霊魂が彷徨っているせいで陰陽の均衡も崩れている。わざわざそこを現場に選んだのはなぜだ?」


「言っとくが、今回俺は二人を谷底に落とす以外のことはやっちゃいない。場所も時間も全部依頼主が指定してきた。俺は依頼されたとおりに動いただけだ」


 先回りするように任熒瑶の詰問に答えれば、任熒瑶は怒りをこらえるように唇を嚙みしめる。今日に至るまで何度も噛まれたのか、薄い唇は下辺が腫れて色付いていた。


「その依頼人が誰か知っているか」


 任熒瑶が絞り出すように問う。なるほどこれが主題かと袁茫生は瞬時に察した——同時に、ただの請負人である自分にあるのは冷酷な事実だけだということも再認識する。

 だが袁茫生は、事実をそのまま伝えることを厭わなかった。知らないものは知らないのだ、向こうの期待など知ったことではない。


「いや」


 自分でも少し驚いたほど、出てきた声は冷めていたが、袁茫生は構わず言葉を続けた。


「知らないね。俺は依頼の内容しか聞いてないし、依頼主の顔も見ていない」

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