わたしだけの使い魔
翌日の夜7時過ぎ、教師や寮生達が食堂ホールで、夕食を取っている時間。
そっと厨房を抜け出したリディアが、棚のカゴから小袋を取り出した。
掃除用具入れや階段の裏側等、『迷子の使い魔』がこっそり潜んでいそうな、まだ探していない場所に少しずつ、小さく切った紙に乗せた、小麦粒やナッツ類を置いて行く。
「今度こそ、食べてくれますように……! えっと後は」
教職員の控室等が並ぶ、普段は生徒が通らない廊下を抜けて。
『召喚の儀式』以来、近寄っていない神殿に、向かおうとしたリディアの足が、ふと止まった。
「きぃっ……」
確かに聞こえた、小さな鳴き声。
歴史ある学園の中で、一際立派な――『学園長室』の扉の向こうから。
「クラーウィス……!」
カギの解除呪文を、そっと唱える。
つい先日、補修授業で習ったばかりの呪文だ。
「教えてくださった、ネルソン先生に感謝!」
『召喚の儀式』で、ドアを開けてしまった事に責任を感じて。
学園長の間に立ってくれたり、補修授業もほとんど引き受けてくれている、ネルソン副学園長。
その優しそうな丸顔を思い出しながら、感謝を捧げて。
細く開けた扉の隙間から、リディアはそっと、暗い部屋の中に忍び込んだ。
床に敷かれた分厚い絨毯を踏みしめて、
「ルクス!」
小声で、『光の呪文』を唱える。
暗いベッドの中でこっそり本を読むために、最初に覚えた呪文。
「おかげでメガネのお世話に、なってしまったけど?」
首をちょっとすくめて、手のひらにぽっと灯った淡い光を掲げながら、暗い室内をぐるりと見渡した。
手前に来客用の、豪奢なソファーセット。
奥手には、艶のある飴色に輝く、大きな執務机と椅子。
その背後に一面、書棚と書類棚が並んでいる。
そして、リディアの目に飛び込んで来たのは、低い書類棚の上にぽつんと置かれた、小さな鳥籠。
「チチッ……」
そこから、かすかな鳴き声が聞こえた。
思わず駆け寄り、ドキドキしながら籠を覗き込む。
細い格子の中に、大きな後ろ足で立ち上がる、小さな姿が見えた。
丸い大きな耳に長い尻尾。
まるで前世のカンガルーをミニチュアにしたような、短めの白い毛にほわほわ覆われた、愛らしい姿。
そして、こちらをじっと見上げてくる、つぶらな黒い瞳の『トビネズミ』。
「見つけたっ……!」
ほっとして思わず、座り込みそうになる足に、ぐっと力を込めて立ち。
深呼吸をしてから、格子の間にゆっくりと、右手の人差し指を差し入れる。
「はじめまして、わたしの『使い魔』さん。
リディア・バートンです……やっと会えたね?」
「きゅっ?」
首を傾げたトビネズミが、小さな両手を伸ばして、リディアの指に掴まった。
『握手だよ、「よろしく」って』
『ディアのことが「好き」だって』
幼い頃の、ヴィンス兄様の言葉を思い出して、ほっこり温かくて幸せな気持ちが、波のように溢れてくる。
「わたしの事、『好き』なの?」
「きゅっ!」
「嬉しい……『ディア』って呼んでね! よろしく、えっと――ヴィ、『ヴィクター』?」
思わず、『ヴィンス』に似た名前を付けてしまった。
「きゅっ!」
『よろしく、ディア』
心に響く、わたしだけの『使い魔』の声。
「『魔法使いとその使い魔は、名付けた時に「契約」が済み。その瞬間から心で会話が出来る』……って、ホントだったんだ!」
リディアは左手でそっと、嬉し涙を拭った。
「すぐに出してあげたいけど――『学園長の仕業』だって、他の人にも見てもらいたいから。ちょっとだけ我慢してね、ヴィクター!」
『わかった!』
約15センチ四方の、小さな鳥籠。
その上部に付いた取っ手を持って、急いで学園長室を抜け出す。
ヴィンス兄様が今朝、教えてくれた。
『ここ数年あちこちの学園で、召喚したばかりの「使い魔」が誘拐されて、国外に高額で、売り渡される事件が起きてるんだ。
今まで「聖ヴェリティ女学園」は無関係だったし、ディアの場合は、逃げただけだと思うけど……』
まさか本当に、誘拐されてたなんて……!
この子を売ろうとしたなんて、許せない!
「食堂ホールに行けば、夕食を取っている生徒と先生方全員が、証人になってくれるわ!」
足早に廊下を進みながら、ヴィクターに尋ねる。
「そういえば、お腹は空いてない? 何か食べさせてもらった?」
『うん! だいじょぶ』
籠の中を覗くと、餌箱にキレイな飲み水と、食べ残しのクルミの欠片が見えた。
「良かった――学園長にも、少しは優しい心が……ん? クルミ?」
ほっとしながら、何かが引っかかって首を傾げたとき、
「リディア……?」
廊下の暗がりから、いきなりかけられた声。
びくっとして振り返ると、柱の影から現れたのは、
「ネルソン先生!」
優しい副学園長だった。