穢れた魔法使い
「ヴィンス兄様―っ!」
昨日と同じカフェのテラス席で待っていたヴィンスに、リディアは手を振りながら駆け寄った。
「おはよう、ディア……今日は一段とキレイだ。その髪型、良く似合ってる!」
がたんっと、椅子から立ち上がったヴィンスが、うっとりと右手を差し出す。
「あっ、ありがとうございます」
ぽぽっと頬を染めて、左手を重ねたリディアに
「昨日は寒い中、こんな外に座らせてごめん! 今日は、カフェの中で話そうか?」
眉を下げた『使い魔探偵』が、申し訳なさそうに謝罪した。
「いえっ、そんな事……今日もここで、大丈夫です!」
急いで答えると、
「本当に? 昨日の話をしたら、ジャ――そのっ同僚に、『寒い中、女性を外に座らせるなんて、デリカシーが無さすぎる!』って、叱られたんだ」
苦笑いで伝えて来る。
「そんなこと――市場の人達の温もりや活気が感じられて、わたしはこの席、好きです!」
『同僚って……女のひと? すっごく仲が良さそう』
なぜかツキンと痛む胸を、リディアは笑顔で隠した。
ふと傍のチーズ屋が、今日は閉まっているのに気付く。
『珍しいな』と思いながら、昨日と同じ席に改めて座った。
コーヒーとホットチョコレートを店員にオーダーしてから、
「そうだ……これを」
ヴィンスが立ち上がって、襟にファーの付いた黒いコートを脱ぎ、リディアの肩にふわりとかけた。
「あったかい……」
コートに残る、ヴィンスのぬくもり。
幸せそうに両手で、襟元を押さえてから、
「あっ、でもわたしがお借りしたら――ヴィンス兄様が、風邪をひいてしまいます!」
はたと気付いたリディアが、慌てて声を上げる。
「大丈夫、寒さには強いんだ」
にっと細めた、琥珀色の瞳。
「それに今朝は……こいつをディアに、紹介したくて」
ぱちん! ヴィンスが指を鳴らした途端、
「えっ――?」
コートの襟元から、するりと抜けたファーが空中で、もふもふっと膨らみ。
目を見張るリディアの膝に、ふわりと着地したのは
「犬……?」
重さをほどんど感じない、黒い子犬だった。
ふかふかの黒い毛並み。
垂れた小さな耳に、黒い鼻。
つぶらな金色の瞳で見上げて、嬉しそうに一声。
「わふんっ!」
「かっ、かわいいーっ!」
両手で口元を押さえながら、うるうるした目で、リディアは子犬に視線を合わせた。
「この子って、ヴィンス兄様の……?」
「そう、俺の『使い魔』」
「すっごく可愛いわ! あのっ――少しだけ撫でても、大丈夫ですか?」
「うん!」
ヴィンスが頷くのを見てから、ゆっくりと手を差し出す。
ふんふんと、子犬が匂いを嗅いでから、その手をそっと首の周りに滑らせた。
「うふっ……気持ちいい?」
嬉しそうに目を細める姿に、釣られてリディアも笑顔になる。
そんな一人と一匹を見つめながら、ヴィンスがためらいがちに口を開いた。
「ディア、その――気持ち悪くない……?」
「えっ、何がですか?」
きょとんと首を傾げた、落ちこぼれ聖女に
「こいつの色で、分かっただろ? 俺が――『黒魔法持ち』だって」
使い魔探偵が、目を伏せて告げた。
使い魔の色は、それぞれの魔法属性が反映する。
そういえばダン兄様からも、ヴィンス兄様の魔法属性の話は、聞いた事なかったわ。
兄様たちが『使い魔召喚』をした頃は、わたしも学園に入学して、ほとんど会わなくなってたし。
リディアが子供の頃を思い返していると、ヴィンスが辛そうに眉をひそめて、言葉を続ける。
「『黒魔法』は闇属性。『穢れた魔法』だって言うヤツもいるし。
学校でも、『関わるな』って言われてるんじゃ」
「誰ですか?」
被せるように強い声で、リディアが尋ねた。
「えっ?」
「誰がそんな、失礼な事を――?
『黒魔法は白魔法と表裏一体。お互いを補い合えるパートナー』だと、わたしは教わりました! お母様から」
まっすぐに、ヴィンスの瞳を見上げて。
「それにこんな綺麗な、お日様色の瞳を持つ人が、『穢れた魔法使い』なんて――わたしは信じません!」
きっぱりと、リディア・バートンは宣言した。
「わふん!」
賛同するように、子犬も声を上げる。
「いい子ね、お名前は?」
「ディッキー……」
「えっ?」
「『ディッキー』だよ、そいつの名前」
泣き出しそうな、嬉しそうな顔を右腕で隠して、くしゃりとヴィンスは、前髪をかきあげた。
「俺の、『大切なひと』の名前から、半分借りたんだ」
腕の影から、ちらりとリディアを見る、琥珀色の瞳。
「『大切なひと』……?」
って、わたし?
びっくりして、ぱちりと見開いた、空色の瞳を見返して。
『使い魔探偵』は、それは幸せそうに笑った。
「そうだこれ――昨日のハンカチのお礼」
帰り際に『また明日』の約束をしてから、ヴィンスが差し出した、ラッピングされた薄い箱。
「ハンカチ……? あっ!」
そういえば、額をぶつけた兄様に、治癒魔法を付けて渡したんだっけ。
「あんな使い古しのハンカチ、お礼なんて……」
「いいから――受け取って? じゃ、また明日!」
早口で告げて、去って行った使い魔探偵。
その夜、屋根裏部屋に戻ってから、リディアは箱を開けてみた。
「可愛い……!」
中に入っていたのは、水色で縁取りと花の刺繍がされた白いハンカチ。
添えられたカードには、『お守りだよ。いつも持っていて』の文字が。
「この花……『勿忘草』かな?」
毎年春になると、屋敷の庭に咲いてたっけ。
お母様が教えてくれた花言葉は、確か――『真実の愛』。
「いやいやいや……ヴィンス兄様が花言葉なんて、知ってるわけないし! 偶然よ、偶然!」
リディアは真っ赤になった顔を隠すように、薄い毛布を頭から、勢いよくかぶった。