ヤドリギの下で3
「ヌーベス……!」
『雲』の呪文を唱えた直後、ジャッキーは馬車の外にひょいっと飛び降りた。
「えっ――ジャッキー!?」
慌てて馬車の扉から、身を乗り出そうとしたリディアを、
「危ないよ――ディア!」
対面の席から、ヴィンスが抱き留める。
「だってジャッキーが――!」
「大丈夫、見てごらん」
『使い魔探偵』の穏やかな声に促されて。
リディアが見上げた視線の先には――馬車の降り口に並んで浮かぶ、渦を巻く白い小さなかたまり――『雲』の上に、すっくと立つジャッキーの姿が。
ヴィンスとリディアが見守る中、
「フラーメン……!」
『突風』の呪文を唱えた身体を、ぶわっと緑色の空気が包み、次の瞬間、ジャッキーの全身が『風』になった。
雲の上で突風に乗り、金色の髪をなびかせて、軍服姿の身体がしなやかに飛ぶ。
使い魔のハヤブサを従えて。
馬車の後ろを、追跡するかのように走っていたのは、まだこの国では珍しい自動車。
屋根の無いオープンカーの運転手が、空中を飛んでくる姿に驚き、慌てて急ブレーキを踏んだ。
キキーッ……!
「あっぶな――うわっ!」
ゴーグルと飛行帽を付けた運転手が、額の汗を拭ったとき、
その目の前、ボンネットの上に、ジャッキーがふわりと降り立った。
ハーフアップにきりっと縛った金髪をきらめかせて、黒い軍服、ヒールの高いロングブーツを身に纏った、すらりとした姿。
「まるで、勝利の女神だ……」
うっとりと見とれる運転手を、ボンネットの上で腕を組み、仁王立ちした『女神』が、冷たい瞳で見下ろす。
「半年ぶりに会った『婚約者』に、他に言う事は……?」
はっと我に返った運転手が、ゴーグルと帽子をかなぐり捨てた。
明るい水色の瞳をキラキラさせながら立ち上がり、整った男らしい顔に、にっかり満面の笑みを浮かべて。
濃い茶色の髪と同色のコートの腕を、ゆったり広げる。
「会いたかった、ジャッキー……!」
「……それだけ?」
腕を組んだまま、ぴきりと額に青筋を立て、冷たく見下ろすジャッキー。
「あっと――ごめんっ! 本当にごめんなさいっ!」
慌てて勢いよく、頭を下げる運転手。
その胸元から、ぴょんっと万年筆、ファウンテンペンが飛び出し、助手席に転がる。
と、そこからしゅるりと出たのは、むくむくした茶色の身体に、短い尻尾の使い魔。
白い顔に小さな丸い耳、つぶらな瞳の周りに細く、縦に伸びる黒い模様が特徴的な『アナグマ』だった。
「ジャン――!」
ジャッキーの嬉しそうな呼び声に、むくっと後ろ足で立ち上がった使い魔は、隣の主人を真似するように、短い前足をぴんっと伸ばした。
「ぴゅるっ……!」
「むむっ――やるな、ジャン!」
それを横目で見た運転手は、競う様に指先まで広げる。
「もうっ、ずるいよ二人して……わたしも会いたかった、ダンッ!」
くしゃりと泣き笑いの顔で、『女神』は、がっしりと逞しい腕の中に飛び込んだ。
「えっ……あれ、ダニエル兄様!? 兄様がジャッキーの婚約者なの!?」
久しぶりに会う兄が、ジャッキーを抱き締める姿を見て、馬車の中で目を丸くするリディアに、
「そうだよ。ジャッキーが俺らの二歳下、同じ魔法学校の後輩で。その頃からあの二人、付き合ってたんだ」
ヴィンスが教えた。
「そうなの!? 全然知らなかった!」
「全男子学生憧れの的を、何故かあいつが射止めたのは――今でも『学園の七不思議』になってる。
でもダンは土魔法持ちで昔から、『考古学者』を目指してたろ?」
「そういえば、『考古学はロマンだ』が、ダン兄様の口癖だったわね」
「そうそう! 在学中から発掘調査に夢中になると、他に気が回らなくて。
音信不通になっては、ジャッキーに心配かけてた。
でも今回は――半年近く、連絡が取れなかったんだ。魔力が届かない、海外とはいえ!」
呆れ顔で、ヴィンスが肩をすくめる。
「えっ、半年も!? そんなの、ジャッキーが怒って当然よ! 酷いわっ!」
ぷんぷんと怒るリディアの、右手をそっと手に取り、
「俺は、ディアを放っておくなんて、絶対にしないよ?」
ヴィンスが、親友にそっくりの、空色の瞳をのぞき込んだ。
「ほんと……?」
「うん。半年も離れ離れなんて――絶対、俺の方が耐えられないし?」
わざとおどけた口調で言えば、くすくすと笑いだすリディア。
『可愛いなぁ……』
うっとりと、その唇にキスをしようとすると
「待って!」
左手で顔を、ぐっと止められる。
「えっ――イヤなの?」
がーん!とショックで固まる、使い魔探偵。
リディアさん? 俺、何かしましたっけ?
うっかり、地雷を踏むような事――そもそもディアの『地雷』って何だっけ!?
ぐるぐるとヴィンスが、脳内フル回転させていると
「イヤじゃなくて、えっと……その子たちが見てるから」
恥ずかしそうに告げられる。
くるりと横を向くと、子犬とトビネズミが揃って、わくわくとこちらを見つめていた。
あーっ、可愛い!
リディア・バートン選手、『世界で一番可愛い選手権』ぶっちぎりで優勝です!
こんな可愛い子が婚約者って、幸せすぎる俺!
ふわふわ舞い上がる気持ちと、緩む頬をぐっと押さえて、
「インターカペレ……!」
『遮断』の呪文を、唱えるヴィンス。
途端に使い魔たちがそれぞれ、小さな両手でもふっと、自分達の目を覆った。
「これで、見えないよ?」
こくんと頷く、ほんわり染まった頬に両手を添えて。
『くぅーん』
『きゅっ?』
不満そうな使い魔たちの声をBGMに、
使い魔探偵は幸せを噛み締めながら、世界一愛らしい婚約者に、キスをした。