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ACT・9

    ACT・9(七徳)


「やった!」

 魔物の最後の一体を倒した直後、シアルが喚声を上げる。

「新手が来る前に、先へ進みましょう」

 防御壁がその役目を終えて消滅し、エレアヌとミーナが立ち上がった。

 けれど城に到達する手前で、その行く手は再び遮られる。

 リオ達と城との間の地面が、突然パックリと割れた。

「うわっ」

 先頭を走っていたため、危うく落ちかけたシアルは、必死に体勢を立て直すと後退する。

 続いて大きな地響きと共に、一抱えもある岩が宙に浮かび上がった。

「これは…大地の力…」

「…ディオンが精封球を使ってるんだ…」

 賢者の言葉を、妖精の友が引き継いだ。


「大地の妖精よ、我に従え」

 人間が入れそうなほど大きな、漆黒の球に両手を置き、ディオンは命じる。

 精封球に閉じ込められた妖精が、ゆるやかに顔を上げた。

 ほっそりしたその顔は、仮面のように表情の変化が無い。

「大地を揺らせ。地割れを起こせ。あいつらの一人や二人、岩の下敷きにしてしまえ」

 ディオンの言葉に応ずる様に、栗色の長い髪が揺らめいた。


 巨岩が次々に飛んでくる。

 リオの瞳が瑠璃色に変わり、防御壁が全員を覆った。

「風の妖精!」

 澄んだ声が、薄暗い空間に響き渡る。

 大気のヴェールが、一同を包んだ。

「このまま上から城へ入りましょう」

 風の翼に運ばれながら、エレアヌが言う。

「走ってゆくより、少しは安全そうです」

「そうだね」

 リオが頷いた時、巨大な岩が飛んでくる。

 それは彼等に向かってきたが、当たる事はなく、空中で粉々に砕け散った。

「防御壁が無けりゃ、こっちも安全とは言えないよな」

 ふーっと溜め息をついて、シアルが言う。

「とにかく中に入ろう」

 リオが言うと、風は大きく旋回し、五人を城の中へと運んでいった。


「ちっ、侵入されたか」

 精封球から両手を離し、ディオンは舌打ちする。

 黒い球体の中、大地の妖精は肩で息をしながら、両手で身体を支える様に座っていた。

「貴様もあまり役にたたんな」

 それに冷ややかな視線を投げかけ、玉座に戻った青年は、傍らの卓に置いてある小瓶を手に取る。

 何か薬らしき液体が入った、褐色の小瓶… それを口にあてがうと、ゴクリと一口飲み下した。


「中だってちっとも安全じゃねーよっ!」

 石造りの廊下を走りながら、シアルが大声を張り上げた。

 魔物が、群れをなして襲ってくる。

 城の中は、怪物だらけであった。

「てめーら、塵になりたくなけりゃ、そこをどけーっ!」

 夜明けの光の剣が、破邪の光を放つ。

 聖剣を振るう銀髪の少年を先頭に、五人は廊下を駆け抜けた。

「…変だな、魔物ばかりで人がいない…」

 左右に首を巡らせつつ、リオは言う。

 ズラリと並ぶ扉は、どれも無残に壊されていて、そのほとんどが止め具ごと吹き飛んだように転がっている。

 丸見えの室内は全て埃だらけで、人が住んでいるようには思えない。

(黒き民は一体どこにいるんだ…?)

 遠い前世の母に頼まれ人探しをする彼は、怪物だけが居る無人の城内に嫌な予感がする。

(…そういえば、ニクスは「魔物は無差別に生き物を殺す」…って…)

 暗い考えが浮かびかけた時、前方が急に広がり、四角く開けた空間が一同を迎える。

 その奥に、大きな二枚の扉が見えた。

 勢いよく扉を開けたシアルに続き、リオ達は大広間に駆け込む。

 宝石を嵌め込んだ豪奢な彫刻が並ぶ先に、十段ほどの階段と真紅の絨毯が見えた。

 …しかし、それらは手入れを施している様には思えぬほど薄汚れ、彫刻などは埃を被っている。

(…一体何なんだ? この城は…。黒き民は豊かな生活を好むって事だけど、これじゃあまるで廃墟じゃないか…)

 周囲に目を向け、リオは思った。

 他の者も同感らしく、しばし呆然と辺りを見回した。


「来たか」

 階段の上にある玉座に座っていた青年が、ゆっくりと立ち上がった。

 その横に置かれた精封球の中では、華奢な青年の姿をした妖精が蹲っている。

「言われた通り、ここに来た。大地の妖精を解放してもらいたい」

 自分と同じ漆黒の瞳を見据え、リオは言う。

 拒否されるのは覚悟していた。

「いいだろう」

 …ところが、黒き民の長はあっさりと承知する。

「役立たずの妖精など、もういらぬ」

 ディオンは片手を伸ばし、精封球に触れた。

 短い呪文が唱えられ、漆黒の球体は瞬時に消え去る。

 後に残るのは、力が抜けたように倒れ込む、栗色の髪の青年。

「そら、返してやる」

 柔らかな長い髪を無造作に掴むと、ディオンは大地の妖精を乱暴に引き起こす。

「!」

 リオが息を呑んだ瞬間、妖精の身体は階上から投げ落とされていた。

 階段を転げ落ち、硬い床に叩き付けられた細身の青年に、黒髪の少年が慌てて駆け寄る。

「いけません、不用意に近付いては…!」

 エレアヌが制し、シアルが盾となるべく駆け出した時には、リオは大地の妖精を抱き起こすところであった。

 ほっそりした顔にかかる長い髪を取り除けてやりながら、怪我などを調べる。

 背は高いがその身体は華奢で、思ったよりずっと軽かった。

 閉じた瞼は長い睫毛に縁どられ、整った顔を一層女性的に見せる。

 死んだように動かぬ青年を見つめ、リオはふと気付いた。

(…衰弱してる…? 違う、これは階段から落ちたせいじゃない…)

 痩けた頬、よく見ると腕や足も関節が浮き出している。

「一体、何をしたんだ!」

 ぐったりとした青年を抱いたまま、リオはディオンを睨みつけた。

「お前達を歓迎しようと、そいつの力を少し使っただけさ」

 玉座の上で足を組み、ディオンは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「…そいつには、攻撃の力を出すのは少々きつかったようだが…。お前は聖なる力をもってるんだろう? それで治してやるんだな」

 そんな彼に、リオはきつい視線を向ける。

「エレアヌ」

 それから、背後に来ている賢者を見た。

「癒しの力って、妖精にも効くのかな?」

「効きますよ」

 大地の妖精同様に女性的な青年は、その手を意識の無い妖精の額に当てる。

 僅かな黄金色の光が大地の妖精を包むと、蒼白だった顔にほんの少し血の気が戻った。

(…そうか…妖精も「生きて」いるんだ…)

 それを見たリオは、自らも癒しの力を使い始める。

 柔らかな光に包まれて、大地の妖精が目を開けた。

「…リュシア…?」

 掠れた声が漏れる。

 弛緩した身体に、力が戻ってくる…

「助けに来てくれたんですね…ありがとう…」

 自分を抱く者が誰か分り、その目が細まる。

 弱々しい微笑みは、ほっそりした顔を一層女性的に見せた。

「今の僕の名は『リオ』だよ」

「…そうでしたね…あまりに前世と似ているので、つい間違えてしまいます…」

 友である少年の言葉に、妖精の青年はまた儚気な笑みを浮かべた。

 それから、ゆっくりと右手を上げる。

「…私はもう大丈夫ですから、どうか今度はあの人を救ってあげて下さい…」


 細い指が、示す方角…

 そこにいるのは、ディオンであった。


挿絵(By みてみん)


 目を向けたリオの表情が固まる。

「あいつを?」

 呆気にとられたのは、横にいるシアル。

「どういう事です…?」

 エレアヌも問うた。

「俺を救う? 何を寝ぼけた事を…」

 玉座で足を組んでいた黒き民の長は、口の端を歪め、冷ややかな笑みを浮かべる。

「貴様、階段から投げ落としてやった時に頭でも打ったか?」

「貴方はかわいそうな人です」

 リオに支えられながら身体を起こし、乙女の様に見える妖精はディオンを見据える。

「仲間も無く、憎しみだけで時代を過ごしてきた、不幸な人です」

「不幸だと?」

 ディオンの目が怪訝に細まる。

「大地の妖精、まさか…黒き民は…」

 そんな二人を交互に見つめ、リオは呟いた。

 城に入った時から感じていた、暗い予感…

「黒き民はもう、この世に存在しません…」

 返ってきた言葉に、リオは勿論、彼を囲んでいた四人も驚愕した。

 そんな彼等に、妖精は真実を語る…


「七千年前、二つの民が激しく対立していた時、自然を操る力に長けた黒き民は、四つの妖精の力を融合させ、異質な生物を生み出すことに成功したのです…」

 静かに語る大地の妖精は、この世界の初めから存在する。

 すなわち、すべてを見つめ続けた者なのだ。

「地・水・風・火…ラナーリア大陸に存在していた妖精は全て、巨大な精封球に封じられ、力を吸い取られて消滅…この地は死の大陸に変わってゆきました。そして、生み出された異質な生物…魔物…は、エメンの都を廃墟に変え、そこに住んでいた白き民の殆どを殺し、黒き民にとっては都合の良い結果に終わったかに見えたのですが…」

 そこでしばし、妖精は目を伏せる。

 哀れみに満ちたまなざしは、話の先を予感させた。

「…しかし、黒き民の手に余るほどの魔力をもった精封球は、やがて暴走し始め、次々に生み出された魔物は、もともと無いに等しい理性を完全に失い、主である筈の黒き民を獲物とみなし、食い殺してしまったのです…。そして生き残ったのは、唯一魔物を支配する事が出来たあの人だけ…」

 栗色の髪をもつ妖精は、オリーブグリーンの瞳で玉座に座る黒髪の青年を見上げる。

「ディオン、貴方は間違っています。貴方は、七千年前の憎しみのままにエルティシア大陸の人々を滅ぼそうとしているだけ。憎むべき相手など、もう何処にもいないのに…」


「黙れ!」

 珍しく、冷徹な男が怒りをあらわにした。

 肩にかかる黒髪が揺らぎ、同じ色の双眸が階下に座っている妖精を睨む。

 直後、脇にあった彫刻が宙に浮かび上がり、大地の妖精めがけて飛んだ。

「!」

 リオの瞳が、瞬時に瑠璃色に変わる。

 飛んできた彫刻を、防御壁が防いだ。

「憎むべき相手がいないだと?」

 眉間に皺を寄せ、ディオンは言う。

「俺は白き民すべてが憎い。奴等を根絶やしにするまでは復讐は終わらん。だが、その前に目障りな奴を殺す。…来い、転生者。俺と戦え」

 いきなり名指しされ、リオは返答に困った。

 戦いたくはなかった。

 自らが作り出した物に滅ぼされた民を、憎む気にはなれない。


 …それは、彼が居た世界でも、有り得る事なのだから…。


「来ないなら、そっちの四人と一緒に仲良く死ぬがいい」

 ディオンの目の端が吊り上がり、椅子から立ち上がる。

 同時に、大広間全体が震動し始め、彫刻が全て宙に浮かび上がった。

「手始めに、これでも食らえ!」

 怒声が響き、二十個はあると思われる彫刻が一斉にリオ達めがけて飛ぶ。

 しかし、それらは一つとして彼等に当たらず、全て空中で弾き返された。

「ばーか、リオには防御壁があるんだよっ!」

 シアルが怒鳴り返す。

「手始めと言ったろう?」

 ディオンは口の端で笑い、服の袖から黒い宝玉を取り出した。

「これが何か分るか?」

 それをリオ達に向けて掲げた後、彼は何か呪文の様なものを唱える。

 それはボソボソと呟かれただけで、階下にいる五人には聞こえない。

 だが、大地の妖精だけは、ビクンと全身を硬直させた。

 ふいに頽れる彼を、リオが慌てて支える。

「どうした?」

 俯いた顔を覗き込み、妖精の友は問うた。

「…力…が…」

 呟いたきり、華奢な青年は目を閉じる。

 意識を失い、座っていられなくなったその身体を、リオは横抱きに抱えた。

 その時、突然床がひび割れ、大穴が開き、当然、自由落下が始まる…

「風の妖精!」

 リオが叫ぶと、一同の身体はフワリと空中で停止した。

「精封球も無しに妖精の力が使えるか。だが所詮それは『協力』、大した事は出来ん」

 玉座を背に立つディオンが冷笑する。

 彼が再び何か小声で呟くと、リオに抱かれていた大地の妖精が、突然痙攣し始めた。

 同時に、崩れた床の破片が空中にいる彼等めがけて飛んでくる。

「…これは…まさか、大地の妖精の力は精封球に封じられたままなのでは…」

 嫌な予感がして、エレアヌが呟いた。

「…そんな…だって大地の妖精は解放されたんでしょう?」

 ミーナが問う。

 見た目より気丈な彼女は、悲鳴こそ上げはしないものの、その声は震えていた。

その横にいるオルジェも問いかけるように視線を向ける。

「確かに、大地の妖精の『心』は解放されていますが…この様子では『力』…つまり私達にとっての『生命力』のようなものは、あの男の手中にあるのかもしれません…」

 賢者の予想は当たっていた。

 ディオンが呪文を唱え、攻撃をしかける度に、か細い身体をもつ妖精は痙攣し、次第に弱ってゆく…

「ようやく分ったか?」

 小さな宝玉を片手に持ち、ディオンが笑みを浮かべる。

 冷やかな笑みを…。

「さっさと癒しの力とやらを使ってやったらどうだ?」

 リオ、シアル、オルジェ達の睨みを冷笑で受け流し、ディオンは更に呪文を唱える。

 大地の妖精の身体が跳ね上がった。

「そのままだとそいつは死に、エルティシア大陸は作物の育たぬ不毛の地となる。…まあ、俺にとっては好都合だがな」

『…いけません…』

 リオが癒しの力を使おうとした時、頭の中に「声」が響く。

『…癒しの力で私が回復すれば、精封球の力も回復…増加し…ディオンの思う壺…。そうすることで、彼は貴方を弱らせるつもりなのです…』

 大地の妖精の「声」であった。物質化した肉体で言葉を紡ぐ力が無くなった彼は、心で語りかけている。


 …それは、妖精が親友と認め、心を開いた者とだけ出来る「心話」…


(…だけど…このままじゃ…)

 心に思うだけで、それは相手に伝わった。

 閉じていた瞼が開き、オリーブグリーンの瞳がリオを見つめる。

『…構いません…』

 その「言葉」に、リオは息を飲んだ。

『…私が死んで、エルティシア大陸が不毛の地と化しても…他にも住める地とそれを守護する妖精は存在します…。ディオンは「支配」の力はありますが、それ以外は大した事はありません。私が消滅すれば、精封球の力も消える…そうしたら、彼に残るのは魔物だけ…貴方の敵ではない…』

「駄目だ!」

 再び閉じようとする瞼を、リオの叫び声が止める。

「僕は大地の妖精を助けに来たんだ。絶対に死なせないっ!」

 瑠璃色の瞳から溢れた涙が、腕の中の青年の頬を濡らす。

 穏やかな青銀の光が、瀕死の妖精を包んだ。

「…リュシア…」

 細い喉から漏れる、掠れた小さな声…

「僕はリオだ。間違えずに呼べるようになるまで、ルティの言う事はきかない」

 応ずるのは、よく通る凛々しい声。

 咄嗟に出た名に、青年の瞳が丸くなった。

 そして浮かぶ、慈愛に満ちた笑み…

 ルティとは、リオが前世で妖精たちからそれぞれの真名を聞き、呼びやすいように短い愛称にした1つで、大地の妖精の呼び名だ。

「…やはり貴方はリュシアです…私をその名で呼ぶのは、一人しかいない…」

 そこまで言った時、再びその身体が痙攣し始める。

 精封球に力が戻ったのを確認したディオンが、攻撃を再開したのだ。

 弓なりに背を反らす青年は、会話が出来る状態ではなくなる。

「…あいつから精封球を取り上げよう」

 それを抱えながら、俯いたまま小声で言うリオに、エレアヌが息を飲む。

「無茶です、彼はそう簡単に手放しはしないでしょう」

「でも、やらなきゃならない」

 意識を失った大地の妖精を抱き締め、もう一度癒しの力を使った後、リオは顔を上げた。

 揺るぎない意思を秘めた、瑠璃色の双眸…

 賢者は聖者の決意を悟り、軽くため息をついた。

「治癒の力、エレアヌに任せる」

「…分りました」

 エレアヌはリオと代わって大地の妖精を抱えた。

 身長はさほど変わらないけれど、衰弱した身体は細身の彼より更に軽い。

「俺も行く!」

 防御壁の中で立ち上がった聖者の腕を、守護者の誓いをたてた少年が掴んだ。

「…シアル…」

 その蒼い瞳を見つめ、リオはシアルが次に言うであろう言葉を予測していた。

「一人では行かせない!」

 …やっぱり…

 絶対に離してくれそうにない少年としばし視線を合わせた後、リオは先刻のエレアヌと同様の溜め息をついた。

「じゃあ、一緒に行こう」

 その言葉に、シアルは大きく頷いた。

「何だ、戦う気になったのか?」

 近付いてくる二人を見て、ディオンが問う。

「大地の妖精の『力』を、精封球から解放してくれないか?」

 その正面に降り立つと、リオはいつもより1オクターブ低い声で言う。

「…僕は戦うのは好きじゃない…。だけど、お前がルティを殺す気なら…」

「…戦うというのか?」

 言葉の先を、ディオンが続けた。

「面白い。ではお前の力、見せてもらおう!」

 そして、再び呪文を唱え始める。

 遥か上の空中で、エレアヌに抱かれた妖精が再び痙攣し始めた。

 しかし今度は尋常ではない。

 呪文は今までよりも長く、苦しみ方も激しい。

 呪文の詠唱を終えたディオンが冷ややかな笑みを浮かべたその時、広間の大穴から真紅の溶岩が吹き上がってくる。

 それは急速に形を変え、襲いかかってきた。

 東洋龍を思わせる、溶岩の怪物…

 さすがに警戒し、シアルが身構える。

「来やがれ化け物、俺が相手だ!」

 その右手から、聖剣が出現した。

「シアル」

 だが、それを制するのはリオ。

「その剣は今は必要ない…」

 言うと、彼はシアルを背後に庇った。

 直後、飛んできた溶岩の礫が、その両脇を掠める。

 何かが焦げる様な臭いがした。

「馬鹿、立場が逆…」

 言いかけて、シアルは絶句する。

 リオは穏やかな笑みを浮かべていた。

「大丈夫、僕たちはもっと大きな、強い力に護られてるから…」

 普段より低い、落ち着いた声。

(光よ…闇よ…風よ…水よ…火よ…そして地よ…全ての妖精たち、ラーナ神殿のみんな…僕に力を貸して…)

 迫ってくる溶岩の怪物を前に、小柄な少年は両手を広げ、そっと目を閉じる。

 その身体を、光が包み始めた。

「馬鹿め、こいつは防御壁ごときでは防げん。二人まとめて炭となれ!」

 ディオンが怒鳴り、リオ達を指差す。

 直後、真紅の龍は無防備に佇む少年に襲いかかった。

「リオーっ!」

 堪り兼ねて、シアルが叫ぶ。

 次の瞬間、眩い七色の光が視界を覆った。


それは、6つの属性の妖精と、人の祈りがもたらす輝き…

…支配で無理矢理に得る力ではなく、心を通わせる事で生まれる光。


「馬鹿な!」

 ディオンが目を剥く。

 溶岩の龍が急に向きを変え、支配者である筈の彼へと迫ってきた。

「邪悪な力は、その主へと返れ!」

 凛とした声が響き、リオの双眸が開かれる。

 …その瞳は聖者の証、神秘の瑠璃色…。

「うわぁぁぁっ!」

 ディオンが絶叫する。

 真紅の怪物の口が、彼を捕らえた。

 高温の牙が黒い長衣の胸元を焦がし、その下の白い肌にズブリと突き刺さる。

 喉が裂けるかと思われる、壮絶な悲鳴。

 全身が硬直する程の激痛に、闇色の双眸が見開かれた。

「…な…何で…?」

「奴の攻撃が、奴に返ったんだ」

 呆然とするシアルに、リオが言う。

「…僕たちが、七徳の光に護られてるのに気付かず、奴は攻撃を加え、跳ね返った力で傷ついた…黒き民が、自分の作った魔物に滅ぼされたように…」

 勝ったというのに、その表情は暗い。

 絶叫が途切れ、白目を剥いたディオンの身体が仰け反った。

 その口から、ゴボゴボと鮮血が溢れ出し、顎や頬を紅に染める。

 龍の牙をはずそうとしていた手が、力無く下がった。

 苦しみ悶えていた黒髪の青年が力尽きて動かなくなった時、支配から解放された大地の力は本来の主へと戻り、溶岩の龍は消えた。

 胸や腹を貫いていた牙が無くなり、鮮血を滴らせるディオンが床に開いた穴へと落ちてゆく…

「お…おいっ」

 いきなり、リオが駆け出し、シアルが声を上げた。

「風よ…!」

 風の翼を借り、黒髪の少年は同じ色の髪の青年へと近付く。

 衣服や腕が血に染まるのも構わず、リオは空中でディオンを抱き留めた。

 ぐったりとした身体は重いが、抱えられぬほどではない。

 足場のしっかりした所…玉座の辺り…まで移動すると、リオはディオンを抱え直した。

 溢れ出る鮮血が、薄汚れた絨毯に広がる。

(…まだ…息はあるな…)

 癒しの光が、瀕死の青年を覆ってゆく。

「何でそんな奴、助けるんだよっ!」

 少し離れた背後から、シアルが怒鳴る。

 その声に、ディオンが薄く目を開けた。

 視界に映るのは、自分と同じ黒い瞳の少年。

 そのまなざしは、哀れみに満ちている。

「…何…を…考えて…いる…?」

 やっと聞き取れる声で、彼は問うた。

「…どうすれば、最後の一人となった黒き民を救えるかを…」

 返ってきた答えに、ディオンの目が見開かれる。

「…同情…か? よけいな…お世話だっ!」

 回復しかけていた体力で、彼は自分を抱えていた少年を突き放した。

 激痛に構わず、気力で立ち上がる。

「待て、まだ傷が…」

 止める声を振り切り、玉座の向こうへと走ってゆく青年を、癒しの力をもつ少年が慌てて追った。

 重傷とは思えぬ速度で走るディオンの破れた長衣の胸元から、はずみで光る何かが落ち、石の床に転がる。

「…これは…」

 それを拾い上げた瞬間、リオの中に遠い記憶が蘇った。


 ―――「これ、あげる!」

 擦り傷だらけの手で、彼はそれを差し出す。

「本当は、ちゃんと首飾りにして渡したかったんだけど、僕より兄さんの方が上手だから…これ、このままあげる」

 小さな手のひらには、青い石が一つ…

「…守護石じゃないか…。よく見つけたな、こんな濃い色のを…」

 受け取るのは、十歳くらいの少年。

 切れ長の双眸は、彼に向けられると優し気に緩む。

 驚き、見つめる瞳は、黒曜石のような黒…

「父さんがね、兄さんは怖い人に狙われてるって言ってたから、探してきたんだよ。これ大事に持っててね。僕が護ってあげるから」

 舌っ足らずな声で言い、無邪気に微笑んだ彼を、五歳上の兄がふいに抱き締めた。

「…ありがとう…」

 耳元で囁く声は震えている

「大事に持ってるよ、セレ…」

 その白い頬を、温かい涙が伝った…―――


「…まさか…」

 リオが呆然としている間に、手負いの青年は広間の奥に続く扉を開け、中に入ってゆく。

「どうしました?」

 空中から降りてきた三名のうち、黄金色の髪をした青年が問うた。

「…エレアヌ…」

 振り返った少年の瞳が揺れる…

 その手には、青い石が嵌め込まれた首飾りが握られていた。

「…それはエメンの民が愛用したといわれる守護石ですね…色の濃い物ほど強い魔除けの力があるそうですが…何故こんな所に…?」

 怪訝そうに細い眉を寄せる賢者に聖者が事情を話そうとした時、広間の奥から何かが割れる音がする。


 同時に聞こえる、不気味な咆哮…


「あいつ…! 魔物を連れてくる気じゃ…」

 シアルが歯噛みした。

 それは、オルジェやミーナも同感で、三人は思わず身構える。

 しかし首飾りの守護石を見つめていたリオだけは別の不安がよぎり、突然駆け出した。

「リオ!」

 慌てて後を追うのはシアル。

 その後に、オルジェ、エレアヌ、ミーナ、力が戻り走れるまでに回復した大地の妖精が続いた。


 異変が起こっていた。


 真紅の巨大な精封球から、いつものように魔物を引き出そうとしたディオン…

 だが、出てきた魔物は彼の命令を聞かず、突然暴れ始めたのだ。


 …そして…


「やめろ! 俺はお前等の主だ!」

 叫ぶディオンに、五本の刃物のような爪をもつ二本足の怪物が襲いかかる。

「うわぁっ!」

 完全に塞がっていない胸の傷を引っ掻かれ、彼は悲鳴を上げた。

「危ない!」

 声が聞こえる。

 魔物の爪に貫かれる直前、誰かが覆い被さった。


 そして広がる、七色の光…


「…お前は…!」

 光が消え、自分を庇った者が誰か分った時、ディオンは驚愕した。

 魔物は全て消滅し、黒髪・黒い瞳の少年が、新たに傷を負った胸に手をかざし、癒しの力を使っている。


 …温かな光が、身体を包む…


 傷のせいで弱っていたディオンは一瞬、それに身を委ねてしまいそうになった。

 だがすぐに我に返り、彼は再度、リオの腕を払い除ける。

「何故だ! 何故お前はそこまで他人の為に動く? …優れた力を持ちながら、その力、何故自分の為に使わない?」

 気力で起き上がり、ディオンは怒鳴った。

 対するリオは一瞬キョトンとするが、すぐに人なつっこい笑みを浮かべ、答える…

「この力は、僕一人のものじゃない。みんなが少しずつ分けてくれた力が集まって、一つの大きな力になった。それなら、みんなの為に使って当然だろ?」

 そして片手を傷ついた青年に向け、癒しの力を使い始めた。

「俺は、お前に力なんぞ分けてはいないっ!何を企んでるか知らんが、俺に恩を売ろうとしても無駄だ」

「企みなんて無い」

 拒絶の意を示して後退するディオンの腕を、リオの片手が素早く掴む。

「動くな、傷がふさがらない」

 温かな光に再び包まれ、貧血を起こしかけている身体から力が抜けそうになった。

「…俺を…どうするつもりだ…?」

 倒れそうになるのを気力で堪え、黒き民の最後の一人である青年は問う。

「エルティシアに連れて帰る」

 返ってきた言葉に、ディオンは勿論、駆け寄ってきたシアル達もギョッとした。

「俺を連れ帰ってどうする、捕虜にでもするのか? だが、俺に仲間なんぞいない。全く意味が無いぞ」

「捕虜じゃない。同じ大地に生きる民として、移住してもらうだけだ。大地の妖精は既に、お前に手を差し延べている…」

 その言葉に、一同はその視線をリオの横に歩み寄った細身の青年に向ける。

 長い栗色の髪をもつ青年は、穏やかなオリーブ・グリーンのまなざしを、リオの正面に座っている手負いの青年に向けていた。

 視線が合うと、彼は微かに笑みを浮かべる。

「…貴方はここにいてはいけません。一緒に帰りましょう…白き民のもとへ…貴方の血の半分は、彼等と同じなのですから…」

 ディオンの片腕を掴んでいたリオが、空いている方の手をポケットに突っ込み、先刻の首飾りを取り出した。

「…それは…」

 途端に、ディオンの目が大きく見開かれる。

「返せ!」

 掴まれていない方の手が、首飾りをひったくった。

(…やっぱり…)

 黙って俯き、それを大事そうに握り締める彼を見て、リオは確信する。


 …そして前世の記憶をもつ少年は、一つの名を呼んだ…


「…ディリオン…」

 ぽつりと呟かれたその名に、黒髪の青年はビクッと肩を震わせる。

「…何故…その名を…」

「一緒にエルティシアへ行こう」

 呆然として顔を上げると、そこには澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめる少年がいた。

「…人は、独りで生きてるわけじゃない…。ものを見る為に光が、息をする為に大気が、涙や身体を流れる血に水が、肌のぬくもりには火が…妖精が、力を分けてくれている…。…そして、死した後は土に還り、新たな生命を育んでゆく…」

 その瞳の色は、鮮やかな瑠璃色…

 人の中で、妖精に最も近い証の聖なる青。

「…それから、心を…魂を支えるのは、一緒に喜び、怒り、悲しんでくれる仲間…。今のお前には、それが無い…。僕には分る…お前の心の闇は、淋しさ…」

「…だ…黙れっ!」

 怒声が響いた。

「お前は一体何なんだ! 何故敵である筈の俺にそこまで世話を焼くっ!」

 振りほどこうとする手は、しっかりと掴まれていたので離れなかった。

「ディー」

 ふいに囁かれた言葉に、ディオンは一瞬硬直する。

「…僕が誰か分らない…?」

 リオの瞳が、淋し気に曇る。


 そして彼は、澄んだ声で歌を紡ぎ出した。


 ―――夜になったら 明りを消して

   眠りの精を 待ちましょう

    遠くの空の 光の滴

   閉じたまぶたに 落ちるから―――


「…馬鹿な…何故お前がその歌を…!」

 青年の黒い瞳が揺れる。

「それに…その名で俺を呼ぶのは…一人しかいない…」

「…僕は白き民の長の生まれ変わりだけど、遠い昔、エメンの都に住んでいた者の生まれ変わりでもある…」

 歌うのをやめ、リオが呟く。


 その双眸が、スミレ色に変化した。


「…お前…!」

 ディオンの瞳が、いっぱいに見開かれる。

 そして、一つの名が唇から漏れた。


「…セレスティン…」


「…ディー、これは母さんからの遺言だ…」

 ずっと掴んでいた腕を引き寄せ、転生者の少年は驚愕する青年を抱き締める。

 言葉は不要となった。

 その腕のぬくもりが、七千年もの間凍っていた心を溶かしてゆく。

 小柄な少年の抱擁に、萎えた青年の身体が委ねられる。

 癒しの力がようやく受け入れられ、大量の出血で下がっていた体温が上がり始めた。

「…やっと分った…何故僕がこの姿に転生したか…。白き民のリュシアには出来なかった事、やり残した事…それは、お前を孤独から救う事だ…。大丈夫、今は姿など関係ない…。閉ざされていた心の扉は、僕が開けた…」

 年齢の割に澄んだその声を、孤独から解放された青年は、薄れゆく意識の片隅で聞いていた。

 安らいだ笑みが、その顔に浮かぶ。


「…還ろう…自然の輪の中へ…人の和の中へ…僕は、お前を迎えに来たんだ…」

 その声を聞くか聞かぬかの間に、七千年の時を経て再会した兄は意識を失った。


 …その表情は、眠る幼子の様に無防備…

 身長の割に軽いその身体を抱き締めたまま、リオは周囲を見回す。

 そして、銀の髪をもつ少年に視線を定めた。

「シアル、聖剣であの精封球を砕いてくれ」

「分った」

 少年は頷き、すぐ横で不気味な光を明滅させている巨大な血色の宝玉を睨む。

 深く息を吸い込み、右手を胸の前に構えた彼の掌から、光明が現れ剣の形をとった。

「夜明けの光よ、俺に力を…。闇より生れし偽りの生命を、永遠に消し去る力を与え賜え…」

 静まり返った広間に、凛々しい少年の声が響き渡る。

 そして、剣が宝玉に突き立てられた瞬間、赤みがかった金色の閃光が辺りを覆った。


 …それは、長き闇夜を退ける夜明けの光…。


 光が消えた時、七千年間魔物を生み続けていた闇の結晶体は消え去った。

 リオは再度皆を見回し、人なつっこい笑みを浮かべる。

「…僕の兄を受け入れてくれる…?」

「…勿論です…」

 彼の問いに、全員が頷いた。

 それを確認すると、聖なる青の瞳をもつ少年は、姿を見せていないが、いつも傍にいる小妖精に呼び掛ける。

「風の妖精、翼を貸して」


 大気のヴェールが、全てを優しく包んだ。



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