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ACT・8

    ACT・8(夜明けの光)


「風の妖精、僕たちに翼を貸して」

 澄んだ声が、天空へと響く。

 雨雲はいつの間にか去り、青く晴れ渡った空から、透き通った羽根をもつ小さき者達が舞い降りてきた。

 彼等は親友である少年を含む五人の周囲に集まり、その身体に触れる。

 大気のヴェールに包まれ、リオ達の身体が宙に浮かび上がった。

「リオ様!」

 神殿の中に居た人々が、外へ走り出てくる。

「お気をつけて!」

「無茶はしないで下さいね!」

 何人かが手を振り、声を張り上げた。

(…随分あっさり見送ってくれるなぁ…)

 心配そうな表情は残っているものの、前回に比べて明るい雰囲気に、リオは首を傾げる。

「そのお護りを貸していただけますか?」

 そんな彼にミーナが問うた。

 怪訝に思いながらも頷くと、少女は彼の首から守護石の付いたペンダントを外し、エレアヌの方をチラリと眺める。

 賢者である青年が、僅かな笑みを浮かべてみせると、ミーナは下にいる人々に向かってそれを放った。

 ペンダントは空中で陽光にきらめき、孤を描いて落ちてゆく。

 受け取ったのは、琥珀色の髪をした若い男。

「テイト」

 エレアヌが、その名を呼んだ。

「それを大広間の水晶にかけておきなさい。後は分っていますね?」

「はい!」

 賢者の言葉に、男は背筋を伸ばして答える。

 訳が分らずキョトンとするリオが、その意味を知るのは少し後の事。

 風の翼は、五人を南へと運んでいった。


(…ディオン…か…)

 澄み切った空を進みながら、リオは自分と同じ色の髪と瞳をもつ青年の顔を思い出す。

 …闇の色をもつ者は、危険な存在…

 白き民ならば、即座にそう思うだろう。

 けれど、同じ黒髪・黒い瞳をもつリオには、安易に決め付ける事は出来なかった。

(…黒き民って、一体何なんだ…?)

 冷ややかな笑みを浮かべる青年の顔が、鮮烈に記憶に残っている。

 倒れている大地の妖精の手首を掴んで引き起こす様子は、相手を物とでも思っているかのような扱い。

 妖精を友とする前世の心は、それに対して怒りを示した。

 しかしリオは、冷酷な態度や表情の裏側に、違う何かを感じ取っている…。

 それが何なのかを考えかけた時、足もとに黒ずんだ地面が見えた。

(ファルスの里が在った所か…)

 リオの瞳が、ふっと曇る。

 白き民とは異なる種族が住んでいた、立ち枯れの森…。

 そのすべてを消し去ったのは、魔物ではない。

『…聖者よ…』

 溜め息をつきかけた時、微かな「声」が頭の中に流れ込み、彼は息を飲んだ。

「風の妖精達、あそこに降ろして」

 言って、地面の焼け跡を指し示すと、五人の身体は降下し始めた。

 ふわりと着地したそこには、まばらに散らばる新緑色の芽がある。

 …以前、鷹に変身する少年と共に、この地を訪れた時には無かった、米粒ほどの小さな芽…。


 創始の炎に焼かれた枯れ木の群に代わり、ファルスの地は今、新たな草木の誕生を迎えていた。


「結界の外は、砂漠化してた筈…」

『…そう、ここ以外の植物は皆枯れ果てた…』

 呆然とするリオ達の前に、一人の男の幻影が現れる。

 黒い肌、黒い髪、澳火のような真紅の瞳…

 その顔には、見覚えがある。

「…ニクス…」

 その名を呟くリオに、男は実体の無い片手を伸ばしてきた。

「リオに触るなっ!」

 漆黒の肌に覆われた指が、肩に触れようとする寸前、銀髪の少年が素早く進み出た。

「…シアル…」

 さして背格好の変わらぬ者に背後へ庇われ、童顔の少年は目を瞬かせる。

『肩の傷は何ともないか?』

 しかし、男は穏やかな口調で問うた。

 彼はリオが頷くと、更にこう続ける。

『…俺は…貴方に詫びなければならない…』

 憎悪や邪気は感じられない。

 口元に微かに浮かんだ笑みは、好意を表していた。

「…違う…」

 シアルの背後で、リオは呟く。

 警戒する守護者に「大丈夫だ」と囁き、彼は以前殺されかけた相手と向き合った。

「詫びるのは僕の方だ。ファルスの里を滅ぼしてしまったんだから…」

 黒い瞳が、微かに揺れる。

『貴方は滅ぼしたんじゃない。朽ちた肉体に封じられていた魂を解き放ち、新たな命へと導いてくれただけだ』

 云うと、ニクスはゆるやかに片手を動かし、背後の地面を指し示す。

『…我々と共に生命活動を止めていた森も、こうして芽吹いてきている…。俺は、忘れていたんだ…物質の有限と、魂の無限を…』

 それから、静かなまなざしをリオに向け、漆黒の肌をもつ男は意外な言葉を漏らす。

『…俺もやっと輪廻の輪に還れる…せっかく命を繋げて下さった、ディオン様には申し訳ないが…』

「ディオン?」

 リオは一瞬、自分の耳を疑った。

『貴方と同じ色の髪と瞳をもつ御方だ』

 口の端に笑みを浮かべ、ニクスは言う。

『…ここから更に南へ、海を越えて行くと、死の大陸という地が在る。我々に不死の霊薬を下さったディオン様は、そこから来たと言っておられた。もしも南へ行くなら、あの方に伝えてほしい…「貴方の同胞達は、新たな生へと旅立った」と…』

「同胞?」

 リオをはじめ、一同は驚愕した。

「…それでは…貴方は、黒き民の血をひいているのですか?」

 しばし沈黙していたエレアヌが、恐る恐る尋ねる。

 警戒して常に身構えているシアルほどではないが、賢者の呼び名をもつ彼も慎重に事の成り行きを見つめていた。

『そう。…だがファルスの民は混血の種族、黒き民であり、白き民でもある』

 問うた相手の目をしっかりと見据え、男ははっきりと答える。

 その瞳に、卑屈な翳りは無い。

「馬鹿な…!」

 オルジェが声を上げた。

「それでは、白き民と黒き民は、過去に交わった事があるというのか?」

「魔物を生み出した奴等が、俺達と同じ人間だってのかよ!」

 シアルも負けずに怒鳴る。

 恐ろしい魔力で妖精を操り、全ての生き物を無差別に滅ぼしてゆく魔物を生み出した種族を、彼等は化け物の集団と思っていた。

『そうだ』

 しかし、即答するニクスに、二人は言葉を失う。

『何千年も昔、両者には交流があった。今は北と南に遠く離れているが、死の大陸が未だその名で呼ばれてなかった時代、かの地には二つの民族が共存していた。…我等の祖先は、その頃生まれた混血児だ…』

「…そんな…」

 ミーナの瞳が、潤んで揺れる。

 あの恐ろしい魔物を、作ったのは人間…

 認めたくはない事実に、勿忘草色の瞳から涙が溢れて頬を伝った。

「…それでようやく分りましたよ、あの地にエメンの都が在った訳が…」

 溜息混じりに呟くのはエレアヌ。

「…もとは仲の良かった民族が、何故こんな状態に…?」

 そんな中、比較的冷静なのはリオである。

 黒髪・黒い瞳の日本人として生まれ育った彼は、初めから黒き民を人間だと思っていた。

『考え方の相違…さ。白き民が自然を崩さぬ素朴な生活を好むのに対し、黒き民は様々な道具を開発し豊かな生活を送る事を好む…。正反対ともいえる両者が対立を始めるのに、それほど年月はかからなかった…』

 聞き入る少年の瞳を見据え、数百年間生き続けた男は忘れられた歴史を語る。

『…武力による争い…結果は、強力な武器をもつ黒き民の勝利。白き民は大陸を追われ、海を渡って敗走した。混血の民である我等の祖先は、それより遥か以前にこの地へ逃れていたのだが…』

「数百年前に、魔物の襲撃を受けたんだね?」

 ふと途切れた言葉の先を、ファルスの里を訪れた事のあるリオが続けた。

「…古い書物によれば、魔物は黒き民が生み出したという事ですが、彼等は貴方たちとも対立していたのですか…?」

 静かに聞き入っていたエレアヌが問うと、ニクスは「否」と首を横に振り、考え込む様に目を伏せる。

『…我等の存在は、白き民にも黒き民にも、あまり知られてはいない。現にディオン様は我等に会うまで混血の民がいる事を知らなかった様子…。それに魔物は、人も獣も植物も全て、無差別に滅ぼしてゆく…。俺には分らない。黒き民は一体、何をしようとしているのか…』

 それから、再びリオへと視線を向けた。

『…聖者よ、貴方達なら死の大陸に行ける。どうか、その目で見、その耳で聞き、真実を知っていただきたい…』

 真紅の双眸が、ひたと見据える。

「…分った」

 それに応え、聖者と呼ばれた少年は、自分に同行する四人を見回した。

「行こう、死の大陸へ」

 風の翼が、その身体をふわりと持ち上げる。 青く澄んだ空へと上昇し、南へ向かって飛翔してゆく彼等を、ニクスが穏やかな表情で見送った。


「リオ様」

 しばらく無言で空を進んでいた一同だが、やがて賢者である青年が口を開いた。

「貴方は知ってらしたのですか? 黒き民が私達と同じ人間であると…」

「ディオンの姿を見て、そう思ったんだ」

 笑みこそ浮かべてはいないものの、さほど衝撃を受けた様には見えぬ柔和な青年に対し、漆黒の髪と瞳をもつ少年は、僅かに微笑んで答える。

「角とか尻尾がはえてるならともかく、彼の身体つきは白き民と同じだった。…もっとも、裸を見た訳じゃないから、服に隠れたところに違いがあるのかもしれないけど」

 おどけた口調に、表情を失っていたミーナの顔が微かに緩んだ。

「それに…」

 彼女に笑みを向けた後、リオは急に真顔で呟く。

「ファルスの民が、僕の姿を見ても怯えず、ごく自然に接してきた時から、黒い髪や瞳をもつ人間がいるのかもしれないって思ってた。…そして、もしかしたら黒を嫌うのは白き民だけで、他の民族は何とも思ってないのかも…そう思ったりもした…」

「…閉鎖された環境の中では、人の心は偏ってしまう…。私達の偏見を、貴方は見抜いておられたのですね…」

 そこでようやく、エレアヌも微笑んだ。

 細く柔らかな金髪を、風が戯れに揺らす。

「僕は何故この姿に…日本人に生まれたのか、少し分ったような気がする…」

 前方を見据え、リオは低く呟いた。

 やがてその先に、灰色の空域が見え始める。

「…あれが…死の大陸…?」

 その下にある、空よりやや薄い色の大地を見つめ、ミーナが声をひそめて問うた。


「…この廃墟が、我々の祖先の…エメンの都だったのですか?」

 瓦礫の転がる地面に降り立つと、オルジェが周囲を見回し問う。

 静かに頷くエレアヌの横で、シアルが腰を低く落として構えた。

「気を付けろよ。前にここへ来た時は、変な奴等が襲ってきたんだ」

 その右掌から光明が発せられ、聖剣が姿を現した。

 直後、地面から黒い霧が吹き出し、無数の人面と化してゆく。

「出たな化け物!」

 シアルが、リオを背後に庇った。


「生きていたとはな…」

 薄暗い広間の奥、黒曜石に似た石の玉座に座り、ディオンは唇の端を吊り上げた。

 目の前にある水鏡には、眉を寄せて黒い霧を見つめるリオの顔が映し出されている。

「…あの傷では助かるまいと思っていたが、なかなかしぶとい…」

 薄い唇から、含み笑いが漏れる。

「だが、そうでなければ面白くない」

 ついと立ち上がり、黒衣の青年は自分の瞳と同じ色の宝玉に歩み寄り、片手を置いた。

「…古の怨霊宿りし闇人形よ、その憎しみのままに敵を滅ぼせ」

 玲瓏とした声が、薄闇の中に響き渡った。

『小僧、ソイツヲコッチニヨコセ』

『我等ノ手デ引キ裂イテクレル…』

 殺意…憎しみに満ちた、顔の群れ…

「誰が渡すかっ!」

 それを鋭い瞳で睨み、シアルは怒鳴った。

「かつては黒き民と交流のあった貴方達が、何故そこまで敵対心をもつのです?」

 その背後でリオを庇う様に抱き寄せながら、エレアヌが感情を抑えた低い声で問う。

『我等ハ、黒キ民ニ滅ボサレタ…』

『都ヲ破壊サレ、逃ゲマドウ我等ヲ、奴等ハ魔物ノ餌食ニシタ』

『我等ハ決シテ許サヌ、我等カラ全テヲ奪ッタ黒キ民ヲ…』

 大地が、鳴動し始める。

 現れた土の人形に、怨霊と化したエメンの民は次々と潜り込んでいった。

『闇ニ染マッタ者ヲ庇ウナラ、貴様等モ敵。一緒ニ冥府ヘ落チルガイイ』

 闇人形は集結し、次第に巨人と化してゆく。

「させるか!」

 シアルの手にした聖剣が、黄金の光を放ち始めた。

(…もう二度と、同じ過ちは繰り返さない…)

 命を救ってくれた者と、育ててくれた者。

 二人を背後に庇いながら、聖剣の主は大きなサファイアを思わせる瞳で悪しき巨人を睨む。

「リオとエレ兄は俺が護る。お前等なんかに殺させはしないっ!」


 強い意思を込めて叫んだ瞬間、夜明けの光の剣は激しい光を放った。


『…ソ…ソノ光ハ…馬鹿ナ、闇ニ味方スル者ガ何故ソンナ光ヲ…』

 初めて、怨霊が憎しみ以外の感情を示す。

 明らかに、彼等は狼狽していた。

「誰が闇に味方してるって言った? リオは黒き民でも、魔物でもない…。俺が護るって決めた、聖者の転生者だ。見た目だけで判断するなっ!」

 輝く剣を構えたまま、シアルは怒鳴る。


 白き民の祖先に対して、そして、かつての自分に対して…


「闇に染まってんのはどっちだ、お前等こそ冥府に還れ!」

 黄金の光がひときわ強くなった時、シアルは剣を振るう。

 朝日の光に似た神々しい輝きが、エメンの廃墟に広がった。

 何十人もの人間が同時に上げた様な断末魔の絶叫が、闇人形の体内から発せられる。

 次の瞬間、岩の巨人は粉々に砕け散った。

 怨霊は黒い霧の状態に戻り始める。

 陽炎のように揺らめく、怒りとも悲しみともつかぬ歪んだ表情…

 無数の顔が、銀の髪を風になびかせ正面に立つ聖剣の主を見つめる。

『…ソイツガ…聖者ダト…?』

 瞳の無い眼球がギョロリと動いて、シアルの後ろにいるリオを見た。

 武術に秀でているとは思えぬ女性的な青年が、自分の身体を盾にするかの様に抱き締めている、小柄な少年。

「…僕は、自分が聖者だなんて思ってない」

 二人がかりで庇われ、少々面食らっていたリオは、やがてぽつりと呟いた。

 エレアヌの腕から離れ、彼はシアルの隣に進み出る。

「リオ!」

 片腕を伸ばして遮る守護者に柔らかな笑みを向けた後、彼はかつてエメンの民であった者達と相対する。

「ただ、僕の中に強い意思をもつ魂が宿っていて、みんなはそれを慕ってくれてるだけ…」

 憎しみに満ちた顔の群れを前に、リオは自分でも信じられぬほど穏やかに言う。

「僕の前世は、白き民の長リュシア=ユール=レンティス。この地に住むという、黒き民に用があって来た…」

『…馬鹿ナ…白キ民ガ、ソノヨウナ姿ニ転生スルモノカ』

 黒い霧が揺らぐ。

「前世の同族と争うつもりは無い。先へ通してもらえないか?」

 不気味な顔が無数に浮かぶ霧に、黒髪の少年は真っ直ぐな視線を向ける。

 強い意思を秘めた、凛々しい双眸…

『世迷イ言ヲ…!』

 気押された怨霊が怒鳴り、鋭い岩の破片が宙を飛んだ。

「危ないっ!」

 シアルが叫び、身を翻して自分の背を盾にした。

 躊躇する暇は無かった。

 絶対に護ると決めた相手を抱き寄せ、身体を丸めて破片が刺さる瞬間を覚悟する。

 けれど衝撃も痛みも、訪れはしなかった。

 ギュッと目を閉じ身を硬くしていた少年が、恐る恐る瞼を開けた途端、視界に映ったのは七色の光…

 それは、岩の破片を空中でピタリと止め、こちらへ飛んでくるのを遮っている。

 シアルの蒼い瞳が、驚きに見開かれた。

(…これは…一体…)

 リオは呆然と、様々な色彩の混じった光を見つめる。

 虹の様な光は彼を中心として現れ、二人を護る様に包んでいた。

 それは穏やかで温かく、心地好い。

『…何ダ、コノ光ハ…!』

 まぶしさに、怨霊達が顔を歪める。

「あなた方も白き民なら、知っているのではありませんか? 真の聖者だけが得られる、七徳の光を…」

 まるでその光の発現を予測していたように、エレアヌの口元に笑みが浮かぶ。

「…リオ様、感じられませんか? 多くの人の『祈り』の波動が…」

 それから、賢者たる青年は、柔和な微笑みを聖者と呼ばれる少年に向けた。

 言われて、目を閉じてみるリオ。


…ミーナのお護りをかけた水晶の原石を囲み、一心に祈る人々のヴィジョンが浮かぶ…。


「…視える…。僕の身を案じてくれる、人々の姿…」

 一度リオの血を浴びた、青い守護石。

 それを媒体として、人々は「光」を送っていた。

「…分る…。みんなの『祈り』が僕を護ってくれてるんだ…」

 ゆっくりと目を開けたリオの言葉に応ずるように、七色の光は揺らぎ、明るさを増す。

「…ありがとう…」

 安らいだ笑みを浮かべ、無意識に呟いた直後…


 空中で停止したままの岩の破片が、粉々に砕け散った。


「エメンの民よ、これを見てもまだ、この方を殺そうとなさるか?」

 そんな彼に笑みを向けていたエレアヌは、真顔に戻ると怨霊に問うた。


「…これは…七徳の光…?」

 黒い玉座に座り、水鏡で成り行きを眺めていたディオンは、顔の端を僅かに歪める。

 目の前に置かれた水鏡は、映像のみで音声を伝えはしなかったが、黒き民の長たる彼は、リオを包む光の事を知っている様であった。

「信じられん…奴はそこまで白の奴等に受け入れられたというのか…?」

 常に冷ややかな印象を与える整った顔の、漆黒の瞳が僅かに揺れる。

「目障りな奴め」

 鼻で笑うと、彼は黒い長衣の裾を揺らめかせ、玉座から立ち上がった。

「…来るがいい…」

 玉座と水鏡に背を向け、黒き民の長は広間の奥へと歩いてゆく。

「お前は、俺の手で殺してやろう…」

 薄闇の中に、冷笑が響いた。


『…何トイウ事ダ…オ前ハ本当ニ聖者ナノカ…我等ハ、復讐ノ時ヲ待ッテイタトイウノニ』

 黒い霧の中、怨霊の顔が嘆きに揺らぐ。

「エメンの民よ、あなた方はここに縛られていてはいけない」

 低く、深みのある声で、諭す様にエレアヌが言う。

 彼は背後にいる二人に顔を向け、微かに目配せした。

 応じて、青年と少女が頷く。

 震えながらも悲鳴一つ上げずに凝視し続けていたミーナは、合図に気付くと背筋を伸ばし、大きく息を吸い込んだ。

 その横で、オルジェが肩から布袋を下ろし、中にある竪琴を取り出す。


 最初の弦が、弾かれた。


 ―――ラナーリア ラナーリア

   輝ける大地よ

    水と風に守られし

   時代の果ての 恵みの地よ…―――


 高く澄んだ歌声が、廃墟の上を流れ始める。

 密集する死者の顔が、一斉にミーナの方を向いた。

(…この歌は…)

 歌は同時に、転生者の少年の遠い記憶をも呼び覚ます。


 …竪琴を背負った細身の青年と共に、緑の草原を歩く銀髪の少年…

 流浪の民を思わせる衣服の、袖や裾から出ている手足は細く、旅が決して楽ではない事を示している。

 その顔立ちは、以前に夢に出てきた幼子のそれと似ていた。

 けれどその大きなスミレ色の双眸は、何か強い決意を秘めたかの様に凛々しい…。


 ―――人は緑を 緑は人を

   育み 育まれ 巡る生命の輪

    我が声は風に溶け

   遠き彼の地へ流れゆく―――


 ミーナの歌声は、オルジェの竪琴の音色と重なり、廃墟の隅々に響いてゆく…


 リオの記憶の時は流れ、緑の野山と澄んだ谷川に囲まれて建つ、土と石と木で作られた粗末な家々が現れた。

 青年に成長した少年は大木の根元に座り、竪琴を奏でながら歌っている。

 緑豊かな山里に、低いがよく通る声が流れていた…


 怨霊達が言葉にならぬ声を上げ、黒い霧の中に浮かぶ無数の顔が揺らぐ。

 瞳の無い両眼から、涙が溢れ出る…。

(…エレアヌ様がおっしゃった通りだ…)

 竪琴を奏でながら、オルジェは神殿の地下室での会話を思い出していた。


挿絵(By みてみん)


 ―――「…闇人形を倒すには、人間の心を取り戻させるより他に方法はありません…」

 片手では掴めぬほど分厚い本を胸の前に抱え、賢者は低く深みのある声で言う。

「オルジェ、ミーナ、あなた達はメランテの里の生まれでしたね。あそこに伝わる古い歌を覚えていますか?」

「はい」

 答えるオルジェは、里を出たのは十二の時。

 歌詞から旋律までしっかりと記憶していた。

「私も分ります。リュシア様が時々口ずさんでらした歌でしょう?」

 四歳で難を逃れたミーナも、同郷の出である聖者の歌声を聞き、充分歌えるまでになっている。

「そう。…オルジェ、貴方は確か竪琴を弾くのが得意でしたね?」

 ミーナに頷くと、エレアヌはオルジェの方を向いた。

「あの奥に古い竪琴があった筈です。探して手入れしておいて下さい」

 それから、細く白い指で、書棚の向こうを指し示す。

「竪琴をどうなさるのですか?」

 部屋の奥へ歩いてゆくオルジェに代わり、ミーナが問うた。

「闇人形に聞かせるのです」

 返ってきた答えに、オルジェは驚いて足を止め、エレアヌの方へ顔を向けた。

「あの魔物はかつてエメンの民であった者達、ラナーリアを想う歌は、彼等に人の心を取り戻させる鍵になる筈です」

 自信に満ちた笑みを浮かべ、賢者は言う。

「…何故なら、ラナーリアとはエメンの都があった大陸の名ですから…」―――――


『…カエリタイ…』

『清イ水ト、ソヨグ風ニ恵マレテイタ、アノ頃ニ…』

 嗚咽にも似た呟きが、怨霊達の間から次々に漏れる。

 黒い霧が、次第に薄れ始めた。

「還れますよ」

 エレアヌが、目元に笑みを浮かべて言う。

「あなた達が憎しみを捨て、安らかな心を取り戻した時、その魂は輪廻の輪に戻り、未来へ流れてゆくのです。そしていつか、新たな生命として生まれてくるでしょう…」

 小柄な少年の両肩にそっと手を置き、賢者である青年は優しく微笑んだ。

「その時を…未来を、自然に恵まれた時代に出来るのは、この方しかいません…何故なら、この方は今の時代で唯一人の、妖精の友なのですから…」

 虹色の光が、その役目を終えたかのように消えてゆく。

 入れ替わるように、微かな青銀の光がリオの身体から発せられ、黒い髪が深青色を経て青銀に変わる。

 もはや怨霊ではなくなった、エメンの民の残留思念を見つめる瞳が、鮮やかな瑠璃色に変わる。

「僕は大地の妖精を助けたい。先へ進ませてもらえるか?」

 よく通る声、その口調はどこか「リュシア」に似ていた。


 人々の心からの祈りに護られる彼はこの時、白き民の長・リュシア=ユール=レンティスであり、日本から来た転生者・古谷リオでもあった。


 強い意思と優しい心をもつ彼の、その双眸は妖精を愛し愛された証の聖なる青…。

『…信じよう…我等に人の心を取り戻させたお前達を…』

 はっきりとした声を残し、エメンの怨霊は消えた。

「これは…」

 入れ替わりに現れた物を見て、エレアヌが息を飲む。

「…地下への扉…やはり、黒き民の城はこの下に在ったのですね…」

 先刻まで地面にしか見えなかった部分が、青く円状に発光している。

 エジプトの遺跡に刻まれたヒエログリフを思わせる文字が、それを囲む様に並んでいた。

「行こう」

 若干躊躇する一同の中で、最初に進み出たのはリオ。

 魔法陣のようにもみえるそこに、彼が足を踏み入れようとした時、一人の女性の幻影が現れた。

「まだ何か潜んでやがったのかよっ!」

 シアルが駆け出し、素早く剣を出現させる。

「待て!」

 今にも切りつけそうな勢いの聖剣の主を制したのは、それに護られし者。

「この女性に敵意は無い」

 構えを解こうとしない守護者をなだめた後、リオは発光する円の中央に立つ、実体のない人を見つめる。

『…貴方は…あの子ではないの…?』

 長く、クセの無い赤毛を揺らめかせ、女性が問うた。

『…貴方を見てると…とても懐かしいわ』

 潤む瞳は、鮮やかなスミレ色。

 細いが形が良いとはいえぬ手が、リオの頬へと近付いてくる。

『…答えて…貴方はディリオンでしょう?』

 切なさに満ちた問いに対し、少年は首を横に振った。

『…違うの…?』

 女性の瞳が揺れる…。

 伸ばされた手が、遠慮するように退いた。

『…じゃあ貴方は誰…? こんなに懐かしいのに、他人である筈ないわ…』

 スミレ色の瞳から、涙が溢れて頬を伝う。

 けれど、幻影の涙は地面を濡らす事はなかった。

『…それとも…これは私の思い違いなの…?会いたいって思うから、少し似ている貴方がディリオンに思えてしまうの?』

 淋し気な笑み。

 涙が更に数滴、頬を伝った。

 彼女は両手で顔を覆い、しばし沈黙する。

「僕が誰か分らない…?」

 代わりに口を開いたのは、ずっと沈黙していたリオであった。

 彼は息を深く吸い込むと、一つの歌を紡ぎ出す。

 十五歳の少年にしては澄んだ声が、静かに響き始めた…


 ―――夜になったら 明りを消して

   眠りの精を 待ちましょう

    遠くの空の 光の滴

   閉じたまぶたに 落ちるから―――


『…その歌…じゃあ、貴方は…!』

 女性の目が、いっぱいに見開かれる。

 歌うのをやめ、リオはフッと目を細めた。

 その瞳が、女性と同じスミレ色に変わる。

『…セレスティン…』

 女性の唇から、呟きが漏れた。

 新たな涙が、その頬を伝う。

『…そう…そうだったの…ごめんね…母さん気付かなくて…』

 遠い昔に母であった人は、濡れた瞳のまま微笑んだ。

『…ああ…貴方を抱き締めたい…』

 細い両腕が差しのべられる。

 けれど、その手は我が子の生まれ変わりに触れる事は出来なかった。

 虚しく空を切る、実体のない母の腕…

 スミレ色の瞳が、淋し気に揺れた。

『教えて、セレスティン…貴方は無事に逃げられたの?』

 彼女は問う。

『都が滅びたあの日、私は無我夢中で貴方を空間移動させたわ。でも、私の生命力はもう尽きかけていて、どこまで飛ばしてやれたか分らなかった…』

「…僕はエルティシア大陸までたどりついて、吟遊詩人のエラルドに拾われたよ」

 母の言葉に呼応して、リオの中にセレスティンの記憶が蘇る。

 正確には「大陸」ではなく「大陸付近の海」に落ちて、溺れ死にかけた事は黙っておいた。

 比較的早くに海岸へ打ち上げられたのと、そこを散歩していたエラルドに発見され、手早い処置を受けられたのは幸運といえる。

「…そして僕はエラルドと一緒に旅をして、生き残った人を探した…」

 そこまで言うと、リオは背後に立ち尽くすオルジェとミーナに目を向けた。

「…見つかった人達の子孫が、メランテの里の人…僕の後ろにいる、この二人なんだ」

『…そう…ちゃんと生き延びられたのね…。よかった…』

 涙を流し続ける母の姿が、スウッと薄れ始める。

『…セレスティン…貴方にお願いがあるの。この扉の向こうへ行くのなら、ディリオンを探して。貴方ならきっと見つけられるわ…。私が愛してやれなかったあの子に、さっきの子守歌を聞かせてあげて…』

「ディーは黒き民の所にいるの?」

 咄嗟に出た「セレスティン」の言葉に、母は優しく微笑んだ。

『ええ。黒き民は、あの子の「力」を狙っていたから…。…レイルはそれを庇って死んだのに、私はあの子を恨んでしまった…』

 母の涙は泉の様に限りない。

 けれどそれは、彼女の心を洗い流すもの…。

 涙を流すたびにその姿は薄れ、消えつつあった。

『お願い…。…私の代わりに、あの子を抱き締めてあげて。強くて優しかったレイルの子の貴方なら出来る筈よ。私はもう、あの子に触れる事さえ出来ないから…』

「…分った…」

 リオが応えると、彼女は柔らかな微笑みを浮かべる。

 …そして、遥かな過去に母であった魂は、輪廻の流れへと還っていった…。

 後に残る魔法陣のような「扉」に、リオは一歩足を踏み入れる。

 円や文字と同じ青い光が、彼の身体を包んでゆく。

「こら待て、俺を置いて行くな!」

 慌ててシアルが腕を掴む。他の者も急いで円の中に駆け込んだ。

 青い光は全員を包み、異なる場所へと導き始める。

 瞬間、五人の姿はその場から消えた。


挿絵(By みてみん)


 闇人形が敗れた直後から、黒衣の青年は次の準備にかかっていた。

「闇の知恵が生みし偽りの生命よ、我が前に姿を現せ」

 血色の宝玉を前に、漆黒の長衣を纏った青年は玲瓏とした声を響かせる。

 宝玉といってもその大きさは半端ではない。

 それが、不気味な明滅を数回繰り返すと、主たるディオンの召喚に応え、魔物達が姿を現した。

 墨のように黒い、一つ目の怪物…

 手足の数は同じだが、その身体は人間より二まわり大きく、筋肉の量に至っては三倍はあると思われる。

 スルリと宝玉から抜け出てくる魔物の数は、ざっと数えて二十~三十といったところ。

「行け、獲物がやってきた。思う存分貪るがいい」

 ディオンが命ずると、化け物達は宝玉から離れ、外への扉へと歩き出す。

「…おっと、ただし黒髪の小僧だけは生かしておけ。俺が息の根を止めてやる」

 その背に、冷ややかな声が浴びせられた。

「…ここは…」

 リオは呆然と、辺りを見回す。

「…信じられない…空が黒いなんて…」

 見上げるミーナの瞳に映るのは、夜空より暗い空。

 …いや、それは「空」というのはおかしい。

 なにしろ彼等が立っているのは、地底なのだから…

 あまりに巨大な空間は、別世界に来た様な気分にさせられる。

 けれどそこは、確かに死の大陸地下なのであった。

「リオ様、あれは…!」

 周囲を見回したオルジェが、遠くに小さく見える黒い城に気付いて声を上げる。

「…黒き民の城…か…」

 リオが呟いた時、城の方から近付いてくる人影が見えた。

 その数は、およそ二十~三十。

 しかし、姿が確認出来る位置まで近付いて来た時、ミーナが悲鳴を上げた。

「早速お出ましかよっ!」

 シアルが、右腕を胸の前にして身構える。

 輝く光明が、その手から伸びた。

「来るなら来やがれっ、みんなぶった切ってやる!」

 現れた聖剣を掴み、彼はキッと魔物の群れを睨みつける。

「夜明けの光よ、俺に力を! 聖者を護る、強い力を!」

 叫んだ直後、剣は金色に輝いた。

「…あの魔物には、歌は効かないのですか?」

 その後ろで、ミーナがエレアヌを見上げて問う。

「あれは黒き民の魔力が生み出した、本当の意味での化け物です。人間らしい感情など、最初からありはしません」

 嫌というほど見てきただけに、考えなくとも答えは出された。

「生命を蝕む偽りの生き物、お前達に遠慮はしない!」

 リオの瞳が、瑠璃色に変わる。

 黒髪が青銀に変わり、その身体を青みがかった銀の光が包んだ。

「私も戦います!」

 オルジェも腰に下げていた剣を抜いた。

「ミーナ、エレアヌ、そこから動かないで」

 戦いには不向きと思われる二人を、リオの防御壁が包み込む。

 最初に一撃を加えたのは、血の気の多いシアル。

 瞬時に切り伏せられた魔物が、塵と化して消え去った。

「僕は戦いに来た訳じゃない。だけどお前達が危害を加えるつもりなら、容赦はしない」

 1オクターブ低い声で、リオは言う。

 スッと掲げられた片手が、閃光を放った。

 身体を包む光より激しい、青銀の輝き…

 次の瞬間、光球が魔物を粉砕した。


「なかなかやるじゃないか」

 水鏡を前に、ディオンは冷ややかな笑みを浮かべる。

「…それとも、魔物の質が悪かったかな…?」

 黒い水盤、その面に映るのはリオ達の様子。

 戦況は殆ど人間側の優勢であった。

「もう少し遊んでやるか」

 言うと、闇の王は玉座から立ち上がった。


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