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ACT・6

     ACT・6(既視感(デジャヴ)


 ―――…「闇の色をもつ者を、聖者と呼ぶとは…」―――

 それは、もはや聞き慣れた言葉…

 …けれど、それを発したのは、宝石の様な色彩をもつ民ではない。

 肌の白さが妙に際立つ、肩まで伸びた漆黒の髪、黒曜石を思わせる双眸…

 纏った長衣すら、月や星の無い空のような夜色。

 冷淡な笑みを浮かべる青年は、黒き民の長と名乗った。

「…リュシア…!」

 前世の名を呼ぶのは、邪気を秘めた精封球に覆われてゆく、栗色の髪の青年。

 ほっそりとした顔立ちの、大地の妖精…

 …そのすがるようなまなざしは、柔らかなオリーブ・グリーン。

 助けを求めて伸ばされた手は、墨のように黒い球体の中へと引き込まれていった。

 …そして、見えない力によって飛んでくる、幾つもの岩の破片…―――。


「…早く来い…転生者(リーンティア)の少年よ…」

 薄暗い広間で、一人の青年が呟く。

 四角い石盤が組み合わさった床も、ローマの遺跡を思わせる柱も、色彩の淡い部分だけがボウッと浮かび上がっていた。

「その容姿で、どうやって民に受け入れられたかは知らんが…」

 冷ややかな声が流れ、柱の向こうの闇へと吸い込まれてゆく。

 肩にかかる黒炭のような髪、同じ色の瞳、身に纏った長衣も黒い為、白い顔と両手だけが闇の中に浮かんで見える。

「さっさと来るがいい、我が宿敵たる者よ…」

 口元だけで冷笑した彼の傍らには、大人が入れる大きさの、漆黒の宝玉があった。

 よく目をこらすと、その中で誰かが身体を丸めて座っているのが分かる。

「…殺してやるよ…貴様が救おうとしている者の力で…」

 静まり返った墨色の空間に、青年の嘲笑が響き渡った。


「本当に行かれるおつもりですか?」

 声を低くして囁きかけるのは、ラーナ神殿の長老格である「地」の神官。

「死の大陸は化け物しか住まぬ、呪われた地と言われています…」

 地肌が僅かに見える薄い毛髪も、山羊に似た顎髭も白く、絹糸のように柔らかい。

「…いくら聖なる力をお持ちのリオ様でも、危険すぎるのでは…」

 面長で深い皺が刻まれた顔の、細く白い眉を寄せ、老神官は嗄れた声で懸念の意を示す。

 ディオンとの出会いから二日後、傷が癒えた途端に旅支度を始める少年の元へ、その身を案ずる人々が集まる。

 窓から差し込む陽光が、様々な色合いの髪を艶やかに照らしていた。

「私達もそう思います」

「せめて同行する者を増やしてください」

 先のファルスの里行きでは黙って見送った者も、二度も結界の外で負傷した彼を見てはそうもいかない。

「私を同行させて下さい」

 深青色の髪をもつオルジェは、紫水晶色の瞳でリオを見据えて言う。

「これでも、護身用にと武術の修行を積んでおります」

 リュシアの性格をよく知っている幼馴染みは、その生まれ変わりが危険な旅に出ようとするのを止められぬなら、護衛の役を買って出ようと考えていた。

 骨太で肩幅の広い彼は、背が高い為に細く見えるが、似たような身長のエレアヌよりも筋肉質な体格をしている。

「私も行かせて下さい」

 何人かの若者が、続いて名乗り出る。

 背の高い人々に囲まれ、中心にいるリオは随分小さく見えた。

「ありがとう」

 その声は、十五歳の少年にしては高い。

 人なつっこい笑みは、年齢より幼く見えた。

 けれど深奥に強い意思を宿す彼は、若者達の申し出に対し、きっぱりと答える。

「…でも、そんなに沢山ついて来てもらっても困るな」

「何故ですか?」

 真っ先に問うのはオルジェ。

「聖なる力や聖剣が無くとも、我々も魔物と戦うつもりです」

 紫色の瞳は、リオの背後で布袋の紐を縛ろうと引っ張っている、銀色の髪をもつ少年にチラリと向けられた。

 シアルは気付かず、手際良く荷造りを進めてゆく。

「お願いです、御共させて下さい」

「足手纏いになったりはしませんから」

 オルジェほどではないが、ガッチリとした体躯をもつ者等も、口々に懇願する。

「違うんだ」

 意気込む若者たちを、リオはよく通る声で制した。

「死の大陸へは、戦いに行く訳じゃない…。大地の妖精(ウルディム)を解放しに行くだけだよ」

 言いながら彼は、人々の間にゆっくりと視線を巡らせる。

 澄んだ瞳が、民の一人一人を見つめた。

「…黒き民が何をしようとしているのか、僕には分からない。…でも、僕の中で『南へ、死の大陸に向かえ』という声がする…」

 その口調に、迷いの気配は無い。

「…あの地には、救いを求める者がいる…。大地の妖精(ウルディム)だけじゃなく、他にも…」

 そこまで言うと、リオは自分が発した言葉の意味を考えるかのように、しばし沈黙した。

 誰が救いを求めているのか、それは彼にも分からない。

「…大丈夫、危なくなったらすぐ逃げる」

 そして思い付いたように言い、悪戯っぽい笑みを浮かべると、周囲を囲む人々の表情は僅かに緩んだ。


風の妖精(エアリゥセ)

 広場に出たリオが、青く澄んだ空へと呼び掛けると、羽根のある小さな妖精たちが集ってくる。

「死の大陸へ行くの?」

 少女の姿をした小妖精の一人が、目を合わせるようにフワリと降りてくると、柔らかな風がリオの前髪を揺らした。

「そう。大地の妖精(ウルディム)を解放する為に…」

 真っ直ぐな視線で相手を見つめ、童顔の少年は揺るぎない考えを示す。

「翼を貸してくれる?」

 目尻に僅かな笑みを浮かべ、彼は問うた。

「もちろんよ」

 妖精の少女が微笑むと、リオとその両脇に立つ銀髪の少年と金髪の青年の身体が、空へと浮上し始めた。

「どうしても同行させてもらえませんか?」

 見送る人々の中から問うのは、鮮やかな紫の瞳と青い髪をもつ青年。

「リオ様…!」

 ほとんど同時に進み出るのは、勿忘草色の瞳と白金色の髪をもつ少女。

 他の人々も心の奥に不安の翳を宿し、何か言おうとするかのようにリオを見つめた。

 …けれど、そんな人々に対し、黒髪をなびかせて緩やかに上昇する少年は、柔らかく微笑んで応える。

「大丈夫」

 言って、彼は上着の胸元から青瑪瑙に似た石のペンダントをつまみ出した。

「必ず、戻ってくるから」

 途端に、エレアヌの肩がピクリと震える。

 足首まである黄金の髪をもつ青年が、リオの方を向いて一瞬何か言いかけ、すぐにやめてしまった事に気付いた者はいない。

 風の翼に運ばれ、二人の少年と一人の青年が南方へと飛び去っていった。


「古い書物によれば、黒き民は戦いを好み、闇の力で妖精を捕らえ、意のままに操ろうとしたそうです」

 空を進みながら、エレアヌは神殿の地下にある書物から得た知識を伝える。

精封球(メロウ)は魔力が結晶した物、それに捕らえられた妖精は『心』を封じられ、『力』だけの存在となってしまいます…」


 ―――『…助けて…下さい…。私が…闇に飲まれる…前に…』―――


 途切れがちに伝わってきた「声」が、リオの脳裏に蘇る。

創始の炎(イフリィト)を封じていたものは、さほど強力ではなく『閉じ込める』だけだったようです。しかし黒い精封球(メロウ)ともなると、手にした者は封じた妖精の力を意のままに使う事が出来るのです。…これがどんなに危険な事か、分りますか?」

 エレアヌの問い掛けに、リオは頷いた。

 大地の妖精がディオンの精封球に封じられた直後、割れた岩の破片が飛んできた。

 …それは、大地の「力」が使われたのだと分ったのは後の事。

「…最上級の魔力をもつ黒き民の長…。その手から妖精を救い出すのは、多分…容易ではありませんよ」

 黄金の髪をなびかせたエレアヌの、橄欖石に似た淡緑色の瞳に、今は笑みが浮かばない。

 神殿から離れる際の、リオの言葉を聞いた時から、柔和な雰囲気をもつ青年はいつもの温かい微笑みを失っていた。

「…気をつけて下さい、貴方は闇に浸食されませんが、自然物を使った物理的な攻撃を受ければ肉体は傷つくのですから…」

 以前に水の妖精を蝕んでいた、アメーバ状の魔物…。エレアヌは、それが実体をもたぬ存在であった事を教えてくれた。

 …けれど、ファルスの里に居た漆黒の獣については、多くの知識をもつ彼も首を傾げた。

 …何百年も昔に滅んだ民に関する記録は、古い書物にその名が残るのみ…。

 半人半獣についても僅かに噂されるだけで、実際に見た者はいなかった。

「…魔物って何だろう…何故黒き民はそんなものを生み出した…?」

 眼下に広がる赤錆色の大地を見つめ、リオはポツリと呟く。

 黒き民は、魔物よりも危険な存在、そして死の大陸は、敵の本拠地ともいえる場所…。

 そう言われたけれど、彼には心の隅に何かひっ掛かるものがあった。

「詳しい事は分りません…。彼等についても僅かな伝承が残っているだけで、今まで実物を見た者はいなかったのですから…」

 細い眉を微かに寄せ、エレアヌは答える。

 しばらくして、三人の進む先に青灰色の海が見え始めた。

「見て」

「あの向こうに、死の大陸があるんだよ」

 風の妖精達が告げた時には、広大な海原が視界に姿を現わしていた。

 眼下に広がる、灰色がかった青色の水面…

 …リオが生まれ育った世界の海と、さほど変わりはなかった。


 ―――ただ、一つだけ違うのは、海鳥などの生き物の姿が全く無いという事…―――。


 更に進むと、濃い灰色に曇った空域が現れ、灰色の大陸が見え始めた。

「気を付けて、ここから先は魔物の領域よ」

 少女の姿をした妖精が言い、シアルとエレアヌは勿論、リオも周囲に視線を巡らせる。

「黒き民の城は、どこにある?」

 粘土質の大地に降り立つと、リオは問うた。

 やけに見晴らしの良い、乾いた地表…

 植物も動物も存在しないのか、見渡す限り岩がゴロゴロしているのみ。

 それに混じって、何かの遺跡らしい瓦礫もあるが、城らしき物はどこにも見当たらなかった。

「分らない」

「この地で城なんて見た事ないよ」

 風の妖精達も知らないらしく、それぞれ首を横に振る。

「『魔物は地の底より生ずる』という伝承があります。もしかすると、この下に城があるのかもしれませんね…」

 言いながら、倒れた石柱らしき物に刻まれた文字に目を向けたエレアヌは、それを読み取った途端ギョッとした様に目を見開いた。

「…これは…」

 呟いたきり、文字を凝視する彼を、二人の少年が怪訝そうに眺める。

 古代エジプト文字に似たそれは、彼等には読めなかった。

「…エメン…白き民の遠い祖先が住んでいたという都が、何故こんな所に…?」

(エメン?)

 緑の賢者の口から漏れた呟きに、転生者の少年は既視感に似た感覚に陥る。


 …どこかで聞いた気がするけれど、それをいつ誰に聞いたのかは分らない。


「エメンは、何千年も昔に黒き民に滅ぼされた都です…」

 エレアヌが言った時、周囲に黒い靄の様なものが漂い始めた。

『…ソノ髪ト瞳ノ色…オ前ハ黒キ民ダナ…』

 突然、頭の中に響いた囁きに、三人の表情は凍り付く。

『…都ヲ滅ボシタ悪魔メ…』

 靄の中に浮かぶのは、憎しみに歪んだ人面。

「何だよ、こいつら…!」

 シアルが、それらを見回し怒鳴った。

 スッと腰を落とす構えは、いつでも攻撃に出られる体勢。

 何百…いや何千という数の実体の無い顔は、彼の隣に立つ黒髪の少年に、その血走った目を向けていた。

「…これは…残留思念…?」

 驚きに揺れる淡緑色の瞳でそれを見つめ、博識の青年が呟く。

「…まさか…何千年も昔に滅んだ都の人々の念が、未だに残っているなんて…」

 その時、人面の靄がねじれる様に揺れた。

 付近一帯の地面も震動し始め、あちこちがボコッボコッと盛り上がる。

 そして出現したのは、身長二メートル程の人の形をした土の塊…

 手足や頭部はあるものの、顔は無いそれらの数は、一体や二体ではない。

闇人形(デスドール)…!」

 知識として記憶に残るその名を、エレアヌは口に出した。

 しかし、黒き民が生み出した魔物の一種、それ以上の事は分からなかった。


「…さあ、どうする?」

 明りの乏しい広間で、闇色の髪と瞳をもつ青年は、薄い唇の端を吊り上げた。

「エメンの民は白き民以上に黒髪を嫌うぞ。お前が、どうやってラーナ神殿の奴等に受け入れられたか知らんが…こいつらは憎悪の念の塊だ。そう簡単に心を開きはしない…」

 彼の前には、黒水晶に似た石の水盤があり、円形の画面にリオ達の様子が映っている。

「…皮肉なものだな、前世の祖先に襲われるとは…」

 侮蔑を含んだ笑い声が、薄暗い広間に響き渡った。


『…殺シテヤル…』

 物騒な囁きと同時に、人面の靄は分離し、それぞれ土の人形へと潜り込んでゆく。

 何十体もの不気味な土の人形達は、三人を取り囲み、ノロノロと近寄ってきた。

「来るんじゃねぇ!」

 シアルが怒鳴り、右手を胸の前にして構えると、掌から伸びる様に剣が出現する。

「てめーら! リオには指一本触れさせないからなっ!」

 その柄を素早く掴み、銀の髪をもつ少年は手近な闇人形(デスドール)を袈裟掛けに切り伏せた。

 両断されたそれは、瞬時に砂となって崩れ去る。

 シアルは即座に次の魔物へと切りかかり、片っ端から砂に還してゆく。

「すごいなぁ、この勢いだと一人で全部倒せるんじゃないか?」

 熱血するシアルとは対称的に、呑気なのはリオ。

 聖剣の主と闇人形(デスドール)との動きの差は大きく、戦況は完全にシアルの優勢。

 リオが「力」を使うまでもないかに見えた。


 …けれど、鈍い動作ながらも魔物達はジリジリと後退し、次第に集結し始める。


「…気を付けて下さい、彼等の動きが変です」

 最初に異変に気付いたのは、リオと並んで様子を見ていたエレアヌであった。

「シアル、一人で突っ込んではいけません!」

 彼は、孤立しかかる少年に警告を発する。

「逃がすもんか!」

 勢いに乗ったシアルは気付かず、後退する魔物を追おうとした。

 更に数体の闇人形(デスドール)が、その剣によって土に還される。

 直後、彼はふいに横から衝撃を受け、地面に転がった。

「…今のは…?」

 状況が飲み込めず、首を振って起き上がる少年の蒼い瞳に、巨大な腕の形をした岩の塊が映る。

「危ない!」

 リオが叫んだ時、銀の髪の少年は岩の巨人と化した闇人形(デスドール)に再度殴られ、数メートル後方へ吹っ飛んでいた。

「シアルっ!」

 倒れた少年へと更に振り降ろされる腕を、リオの手から放たれた光球が粉砕する。

 巨人の動きがしばし止まった隙に、聖なる力をもつ少年は、聖剣をもつ少年を抱え上げ、その場から駆け出した。

「風の妖精、僕たちを空へ逃がして」

 エレアヌの所まで戻ると、リオは周囲に集ってくる妖精達を見回して言う。

 大気の薄絹が、三人を優しく包んで持ち上げた。

 死の大陸上空に浮かび、リオはシアルの傷を癒し始める。

 幸い骨折などは無く、打ち身と擦り傷程度だが、脳震盪を起こしたらしく、意識は無い。

(…一度神殿に戻った方がいいな…)

 思った時、妖精達の間で悲鳴が上がった。

「うそ、あいつ飛べるの?」

 見ると、巨大化したままの闇人形が、地面を離れてこちらへと近付きつつある。

 最初の動きの鈍さからは考えられぬ速度で、岩の巨人は上昇しながら、片腕をこちらへと向けた。

「リオ様、結界を!」

 その動きから把握し、知恵者の青年が叫ぶ。

 リオの瞳が、鮮やかな瑠璃色に変わった。

 直後、飛んできた岩の破片を、透明な球状の「壁」が跳ね返す。

「…危ないなぁ…」

 間一髪で難を逃れ、リオは溜め息をついた。

 そして彼はエレアヌの腕にシアルを抱かせ、接近してくる魔物の方を向く。

「あんなのに追いかけられたら厄介だな」

 二人を結界の中に残し、聖なる力を持つ少年は岩の怪物へと近付いていった。

「…いけません! 不用意に近付いては…」

 その背を見つめるエレアヌは、胸の内側が締め付けられるような感覚に陥る。

 神殿を出る時から感じていた、訳の判らない焦り。

「エレ兄?」

 やがて、シアルが意識を取り戻し、大きな蒼い瞳で世話役である青年を見上げる。

 その向こうでは、リオが両手を頭上に掲げ、自分の内にある「力」を掌の間に集結させていた。

 水の妖精を襲っていた魔物を消し去ったのと同じ「光」を…

「闇に属するものは、闇へと還れ!」

 …そして、今の自分に出せる精一杯の力を放とうとした時…


 ―――…違う…―――。


 微かな「声」が、聞こえた様な気がした。

「…え?」

 一瞬戸惑った時、闇人形の胸元がグニャリとねじれる。

 次の瞬間、彼は胸の辺りに衝撃を感じた。

「リオ様っ!」

 悲鳴に近い声で叫んだ、エレアヌの緑の瞳に映ったのは…

 …巨人の胸元から突き出した鋭く長い岩の槍に胸を刺し貫かれる、黒髪の少年の姿であった…

 声も上げられぬほどの激痛に、リオの顔が苦悶に歪む。

 その口から、鮮血が迸った。

 シアルが、言葉にならぬ引き吊った悲鳴を上げる。

 守護者になると誓った彼は、エレアヌの腕を振りほどき、リオの方へ行こうとするが、空に浮かぶ防御壁の中では不可能だった。

 闇人形(デスドール)が無造作に槍を引き抜くと、胸から背まで貫通した傷口から、大量の鮮血が溢れ出る。

「早く、彼を結界の中へ!」

 風の妖精達が、素早くリオの身体を背後の二人の方へと移動させる。

「しっかりして下さい!」

 くぐもった呻き声を漏らす少年を抱えると、エレアヌは叫んだ。

「…風の妖精達、お願いします…。私たちを神殿へ…せめてリオ様だけでも運んで下さい」

 そして、周囲に視線を巡らせ懇願する。

 うっすらと目を開けたリオの視界の端に、こちらへ接近してくる巨人が映る。

(…駄目だ…風の翼では、あいつから逃げられない…)

 半ば薄れかけた意識の中で、彼は一つの決意を固めていた。

 何事か言いかけたリオの口から、咳と同時に鮮血が溢れ出る。

「…よくも…!」

 その横で、シアルが剣を握り締め、魔物の方を睨んだ時…

「…シア…ル…」

 やっと聞き取れる名が呟かれた。

 振り返った少年の蒼い瞳に、長い金の髪をもつ青年に抱かれた、黒髪の少年が映る。

「…手…を…」

 幾分はっきりした声で、リオは言う。

 そっと差し延べられるシアルの腕を震える手で掴み、彼は薄れかける意識を必死に集中させた。

 伏し目がちの黒い瞳が、瑠璃色に変わる。

「…いけません!」

 気配を察知したエレアヌが叫んだ瞬間、三人の姿はその場から消えた。


 神殿前にある広場に突如現れた3人を見て、白き民達は思わず身を引いた。

 相手が誰か理解した途端、人々はすぐに駆け寄ったが、状況を見て再び硬直した。

「何て無茶を! そんな身体で空間移動するなんて…!」

 めずらしく怒るエレアヌ。

 その腕に抱えられた少年は応えない。

 閉じられた瞼、鮮血が溢れ続ける胸の傷…

 弛緩した身体は、ピクリとも動かない。

 …次第に下がってゆく体温は、命の流出を告げていた。

「…まさか…」

 絞り出すような呟きが、エレアヌの唇から漏れる。

「…また…ですか…?」

 囁く様に問うても、少年は答えない。

「…また…私に貴方を…貴方の転生者(リーンティア)を探せというのですか…?」

 淡い緑の瞳から溢れ落ちる滴が、血の気を失ったリオの頬を濡らす。

「…おねがいです…死なないで下さい…!」

 瀕死の少年から魂が抜け出そうとするのを止めるかの様に、緑の賢者はその身体を強く抱き締め叫んだ。


 …そして、彼は一つの名を呼ぶ。


 現世ではなく、前世でもなく、遠い昔の…


「エル=トゥース=リュ=シオン…!」

 …それは、リオの内に眠っていた、創始の精神…


 ―――…彼は、白い光の中に居た…

 …何も無い、純白の空間…

「貴方を愛しています…」

 澄んだ高い声が響く。

「…誰…?」

 ぼんやりと、彼は呟いた。

 陽炎の様に空間が揺れて、彼の前に一人の乙女が現れる。

 波打つ黄金色の長い髪、淡い緑の瞳…

 …白鳥を思わせる、穏やかな微笑み…

「私をお忘れですか…?」

 緑の刺繍が施された、白いドレスを纏った乙女は、笑みを絶やさずに首を傾げた。

「…いつも…貴方の側に居ますのに…」

 その笑みが、フッと寂し気に翳る。

「悠久の時の中、私達は親友となり、親子となり、兄弟となり…恋人となった事も…ありましたのに…」

 乙女の姿が霞み、様々な人物に変貌する。

 その中の一人は、確かに見覚えがあった。

「…エレアヌ…」

 彼は呟く。

「思い出せましたか?」

 柔和な顔立ちの青年が、穏やかに微笑む。

「…エル=ケァーヴ=エリ=エーヌ…」

 そんな名が、続いて紡ぎ出された。

「…そう…」

 相手は最初の乙女に戻り、微笑む。

 けれど、その橄欖石の様な瞳には、煌めく滴が浮かんでいた。

「…たとえどのような姿、どのような関係に生まれても、私は…あなたを…あなたの魂を愛しています…」

 その微笑みと姿が、白い光に溶けてゆき、次第に見えなくなり始め、消える刹那、乙女は言う。

「…どうか…生きて下さい…リオ…」

 低く深みのある穏やかな青年の声が、それに重なった…―――


「私達も力をお貸しします…」

 その声を、彼は夢と現の狭間で聞いていた。

「…お願い…死なないで…」

 祈りにも似た、清らかで温かな力が、彼の体内に流れ込む。

「私は信じています。貴方は必ず生きていて下さると」

 同時に、力強い言葉と同じ輝きを秘めた力も注がれた。

「俺は、お前じゃなきゃ嫌だからな」

 更に続く、闇を退ける夜明けの光…

(…僕は…どうなったんだ…?)

 ゆっくりと意識が浮上し、彼は目を開けた。

「意識が戻られたぞ」

 途端に上がる、多くの人々の歓声。

 ぼやけた視界が鮮明になると同時に、彼は沢山の人間に囲まれている事を知った。

「具合はどうですか?」

 穏やかな低い声が問う。

 見つめる瞳は、春の木洩れ日を思わせる、優しい淡緑色。

「…エリエーヌ…?」

「いいえ、『エレアヌ』ですよ」

 寝ぼけた声で呟く少年に、女性的な青年は悪戯っぽく微笑んだ。

「…ここは…?」

 僅かに顔を動かして、リオは周囲に視線を彷徨わせる。

 見覚えのある天井のレリーフ、白い石壁。

 目を潤ませて見つめてくる、宝石の様な髪と瞳をもつ人々…

「…神殿に…帰ってこれたのか…」

 彼は、吐息を漏らす様に呟いた。

「必ず戻ると約束されたではありませんか」

 いつもの穏やかさを取り戻したエレアヌが、溜め息混じりの声で言う。

「…リュシア様が亡くなる前に言った言葉を、リオ様からも聞かされた時は焦りましたよ」

 優しいまなざしが、フッと翳った。

「…これからは、生命に関わるような無茶はしないでくださいね…」

 淡緑色の瞳から溢れ出た水晶の様な滴が、その顔を見上げる少年の頬に落ちる…

 …そこでリオは、エレアヌの腕に抱かれている事に気付いた。

 すぐ横には、右腕でしきりに目をこすっているシアルもいる。

 周囲には、ラーナ神殿に住む白き民全員が集まっていて、少しやつれた顔に安堵の笑みを浮かべていた。

「…心配かけてごめん…。それから、ありがとう…」

 賢者の腕の中で、聖者の呼び名をもつ少年は微かな笑みを浮かべる。

 命を落としかけた自分を救ってくれたのは、僅かながら癒しの力をもつエレアヌと、エレアヌに感情を同調させた人々の、祈りにも似た力であった事を彼は後に知った。


挿絵(By みてみん)

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