PROLOGUE~ACT・1
中学生の頃に書いた作品です。
この小説を完結させた時、筆者は主人公と同じ15歳でした。
ワード文書で残していた子供の頃の文章をここに残します。
PROLOGUE(転生者)
…白銀の…光…
「いけない、それ以上『力』を使ったら…!」
背後で叫ぶ、声…
「お願いです、無茶しないで下さい!」
まばゆい光が満ちていて、姿は見えない。
「―――!」
叫び声が、遠くなってゆく…
…静寂…
在るのは白銀の光だけ…
『…ダイジョウブ…』
…呟き…
光の中心に居る、姿なき者の…
『…カナラズ…モドッテクルカラ…』
光が遠のいてゆく。
…闇の彼方へ…
…刹那、視界をかすめる白亜の神殿…
ACT・1(風の妖精)
―――目に映るものがすべてじゃない
耳で聞くものがすべてじゃない
…僕は信じてる…
妖精が集う、夢の国があると―――
…平年より、冬の気配が強い十一月…。
明治か大正時代を思わせる、アンティークな木造平屋建ての図書館。
昼間は、観光客や読書家や受験生等で賑わうけれど、真夜中…それも午前零時の現在は静まり返っている。
「古谷、お前が先に行かなきゃ判んねーよ」
フェンスの破れ目から、侵入者が三人。
「夜の図書館って不気味だよな~」
言いながら、ほふく前進で抜け穴をくぐったのは古谷リオ・十五歳(男)。
しかし童顔のせいで中学生に見える。
体格は高校生の平均値程度で、中肉中背といったところ。
彼は立ち上がると、ジーパンの膝辺りに付いた砂埃を両手で払った。
「光る木ってのは?」
後から、同級生らしい少年二人が抜け穴をくぐった。
彼等も同様に衣服をパタパタ叩き始めると、その背格好は三人とも大差無い事が判る。
「あれだよ」
リオの指差す先には、樹齢数百年と言われる菩提樹が立っている。
その幹が、ポウッと蛍火のような光を放ち始めた。
「わ…」
「シッ、静かに」
思わず声を上げかけるボサボサ髪の少年の口を、隣にいた眼鏡小僧が片手で塞いだ。
光は位置を変えず、その輝きを強弱させている。
リオはソロリソロリと近付くと、木の側の茂みにしゃがんで二人に手招きした。
二人は顔を見合わせた後、背中を丸めてコソコソと歩み寄ってくる。
青白い光は人間の鼓動に近いテンポで明滅し続けているけれど、じっと見つめていても正体は判らなかった。
意を決して、リオは更に歩み寄ってゆく。
「お、おい…」
背後の二人が慌てた。
「光の正体、知りたいだろ?」
が、リオはそう言い残して木に近付く。
間違いなく、太い幹が光っている…
(…この光は…一体何なんだ…?)
彼は恐る恐る手を伸ばし、触れてみた。
―――パァ…ッ!
途端に、菩提樹はマグネシウムを燃やしたように強く輝いた。
「うわっ!」
同時にリオは、見えない何かの力で木の中に引きずり込まれてゆく。
「古谷っ!」
残された二人が慌てて叫んだ時…
「誰じゃ!」
建物の中から嗄れた怒鳴り声がした。
「やべぇっ、守衛のじーさんだ」
うろたえながら、二人は建物に目を向ける。
暗かった窓が次々に明るくなり、廊下を走る人影が見えた。
「…ど…どうする?」
「…とりあえず、逃げようっ…!」
木の中に吸い込まれた仲間を気にしつつも、少年達はパタパタと走り去ってゆく。
図書館の管理人である痩せた老人が走って来た頃には、菩提樹の光は消え、侵入者達の姿は無かった。
「コソ泥か…? ここには金目のもんなんぞ無いっちゅーのに…」
老人はブツブツ文句を言いながら、建物の方へ引き返してゆく。
一方、リオは奇妙な空間に閉じ込められていた。
…前も後ろも右も左も上も下も、どちらを見ても緑柱石色の水のような液体があるのみ。
といっても呼吸は可能で、彼は息苦しさを感じることなく、ただ呆然と液体の中を漂っていた。
『…やっと逢えましたね…』
不意に、頭の中に「声」が響く…。
気配を感じて振り返ると、背後に一人の青年がいた。
歳は二十代半ばだろうか…足首までのびた黄金色の髪、淡い緑色の瞳、ミルク色の肌…優し気な顔立ちは中性的で美しく、白地に緑の刺繍を施した長衣を纏っている。
…けれど、その姿は実体ではない…。
青年は立体映像のように、淡い金色の光を放って佇んでいた。
(幽霊…?)
リオは思うが、不思議と恐怖感は無い。
おそらく、相手の雰囲気が好意的である上、春の陽光にも似た暖かさを感じた為だろう。
『…来て下さったのですね…予言通り…』
ともすれば女性のようにも見える青年は、穏やかな微笑みを浮かべている。
「え?」
リオは目を丸くした。
…彼が今日ここに来る事を、一体誰が予言したのか…
『私はエレアヌ。…貴方を迎えに来ました…今…「時の気」は満ちています…』
(…時の気…?)
『…長い年月を重ねると、木には不思議な力が宿り、異なる世界への扉を開く鍵となるのです…私達の世界のような…』
キョトンとするリオに、エレアヌと名乗る青年は説明した。
(…私達の世界…?)
『エルティシア…こことは違う時空間に存在する世界です…』
相手の心を読み取るかのように、彼は言う。
白く細い腕が、リオに差し延べられた。
『…行きましょう…』
「…って言われても…」
リオは戸惑う。「不思議」を素直に信じるほど、彼は子供ではない。
…けれど、否定するほど大人でもなかった。
『…戻って来て下さい…リュシア=ユール=レンティス様…』
そんな彼に片手を差し延べたまま、美貌の青年は呼び掛ける。
「…え…?」
その瞬間、リオの内界で光が弾けた。
まるで、その名が鍵であったかのように、彼の中に眠っていたものが目覚めてくる。
(…行カナケレバ…)
音無き「声」、しかしエレアヌのものではない何かが、心の奥底で呟く…
無意識の内に、リオはエレアヌに歩み寄っていた。
緑の刺繍がついた長い袖が、リオをそっと包み込む。けれど、触れた感触は無い…
『目を閉じて…』
言われて瞳を伏せた時、足元がグニャリと揺れた。
…それは、奇妙な感覚だった…
まるで、水の中を進むような…しかし水圧などの抵抗は殆ど無い。
気温が上がる…。寒い外から暖房のきいた部屋の中に入るような、或いは、北海道から名古屋まで飛行機で飛んで、空港の外に出たような感覚…。
『着きましたよ』
エレアヌの「声」に、リオは目を開けた。
「ここは…?」
辺りを見回すと、目の前には二抱えもある巨木が立っていて、その根元に一人の青年が座禅を組むように座っている。
ゆるやかに波打つ黄金色の髪、白い肌、背は高いが細い身体…。
閉じた瞼に隠れて瞳の色は判らないが、青年はエレアヌと全く同じ容姿をしていた。
映像の姿のエレアヌは、青年に近付くと、その身体に吸い込まれるように消えた。
「…ここはエルティシア…」
黄金の髪を揺らしながら、実体となったエレアヌが歩み寄ってくる。
「…貴方の故郷です…」
言われて、リオは自分の肩ごしに背後の風景を見た。
晩秋の日本から来た彼には、厚手の上着を一枚脱いでもよいと思える気温。
…荒涼たる大地…ハート形をした緑の葉を茂らせる巨木だけが、唯一のオアシスであるかのような、半ば砂漠化した地面…
空は黒雲に覆われ、太陽の光は僅かに漏れるのみ…。雨が降る直前の、湿った風は吹いてはいない。
しかし、遠くに一カ所だけ、太陽の光が帯のように注がれる場所がある。
幾本もの光の柱の下には、白い石造りの建物…ローマの神殿を思わせる、荘厳な建築物が在った。
「…そしてあれはラーナ神殿、この地に残された、最後の聖地…」
淡々と語るエレアヌの細い指が、白亜の建物を差し示した。
「…あそこに強力な守護結界を張ったのは、白き民の長リュシア=ユール=レンティス…」 …その澄んだ声が肉声である事に、リオは今更ながら気付いた。
「つまり、過去の貴方です…」
…声域でいうとテノールに属する、どこか聞き覚えのある声…
「過去…?」
リオは首を傾げた。
「…正確には…」
そこまで言うと、エレアヌはふいに若草色の瞳を伏せた。
「行きましょう、リュシア様…」
緑の刺繍が付いたローブの裾を翻し、彼は太陽光の下に建つ神殿に向かって歩き出した。
(…正確には…何…?)
―――ガッ!
途切れた言葉の先を考えつつ歩き出そうとした時、リオの足元に剣が刺さる。
彼はギョッとして立ち竦んだ。
竜の身体と翼を象った柄に、金色がかった紅色の大きな丸い宝石が嵌め込まれ、刀身は磨き上げられた鏡の様にものを映す。
…それは、闇夜を退ける夜明けの光の様な、神々しい輝きをもつ長剣…
「お前がリュシアだと?」
小馬鹿にしたような声に振り返ると、巨木の枝に少年が座っていた。
クリーム色の長袖シャツを茶色の腰帯で締め、同じ茶色のスパッツのような物を穿いている。
顔立ちはエレアヌ同様、ギリシャやローマの民族に近い。
「笑えん冗談だな」
大きな蒼い瞳が、リオをジロリと睨む。
「シアル…」
たしなめるようなエレアヌの声。
少年は高い枝から身軽に飛び下りた。
無造作に切った銀髪がフワリと揺れる…
その髪と色素の薄い肌のせいか、彼は微かな光を放っているように見えた。
「…白き神殿には不吉な、闇色の髪と瞳…。エレ兄、何でそんな魔物みたいな奴を連れてきたんだ…?」
侮蔑と嫌悪を含んだ視線が向けられる。
「魔物ぉ?」
リオは唖然とした。
黒髪・黒い瞳が普通の日本で育った彼には、その色を嫌うシアルの言葉が理解出来ない。
「黒は魔に属する者の色だ」
シアルはつかつかと歩み寄ると、リオの髪をグイと掴んだ。
「痛っ」
リオは顔をしかめる。
「フン…」
背格好が変わらぬ相手を鋭い目で睨み、手の力をギリッと強めた後…
「闇に染まった奴がリュシアの生まれ変わり?ふざけるのもいいかげんにしろ!」
シアルは怒鳴り、リオを突き放した。
(…生まれ変わり…って…?)
硬い地面に尻餅をつき呆然とするリオに、シアルは刺さっていた剣を引き抜くと、不意に切りかかってくる。
「わっ」
慌てて避けたものの、鋭い切っ先は左肩を掠め、デニム製ジャケットの袖を裂いた。
「やめなさい、彼は魔物ではありません」
止めに入ったエレアヌの脇をすり抜け、敏捷な少年は再びリオに襲いかかる。
「人間に化けても無駄だ、正体を現せ!」
「人を狸か狐みたいに言うなっ」
怒鳴り返したものの、武器を持たぬリオに反撃する術はなく、ただ走って逃げるのみ…
瓦礫の転がる赤錆色の大地を、逃げる者と追う者、二人の少年が全力疾走する。
だがそれは、数百メートルほど走った地点で終りとなった。
(…行き止まり…?)
逃げ足の速さでシアルを引き離していたリオは、厚着のせいで汗だくになりながら、呆然と立ち止まった。
行く手を阻むのは、万里の長城を思わせる長さと黄河のような幅広さ、そしてマリアナ海溝並みの深さをもつ、巨大な地割れ…
「それが何か、お前に分かるか?」
息を切らして追いついて来た銀髪の少年が、右手の剣で地割れを指し示して言う。
「聖域に近付く魔物を減らす為に、リュシアが大地を裂いたんだ。…彼は…大いなる力をもってた…武器も持たずに敵を倒す、不思議な人だった…」
シアルの蒼い瞳が、微かに潤んで揺れる…。
(…え?…泣いてる…?)
地割れの間近に追い詰められていながら、リオはそんな事を思う。
「お前に、それが出来るか? 転生者というなら、この俺を倒してみろ」
しかし、何かを払い除ける様に頭を振ると、シアルの目付きは鋭くなった。
「リュシアの名を騙る奴は許さない…!」
両手で頭上に振り上げた剣が、明け方の太陽の如く輝く。
「わぁぁっ!」
逃げ道を失ったリオは、咄嗟に身体を丸め、両手で頭を覆う。
「魔物め、その命で罪を償え!」
剣が振り下ろされた瞬間、リオの身体から閃光が迸った。
「何っ?」
シアルは目を剥いた。
青みがかった銀の光が壁のように剣を遮り、どんなに力を加えても、リオの髪の先にすら到達しない。
「馬鹿な…何故闇に属する者がこんな光を…」
動揺しつつ、彼は剣を構え直した。
その目前で、リオがユラリと立ち上がった。
「…僕は…魔物なんかじゃない…」
漆黒の髪が、深青色を経て青銀色へと変化してゆく。
「…僕は…オレハ…闇ニ属シテハイナイ…」
呟き声が、別人のように低くなる。
「!」
シアルは絶句した。
ゆっくりと顔を上げたリオの瞳が、黒から鮮やかな瑠璃色に変わる。
「『聖なる青』の瞳…? …まさか…」
そこまで言いかけた時、シアルは突然起こった強い風に、空中へ持ち上げられた。
「…お前…」
弧を描いて数十メートル先まで飛ばされ、硬い地面に背中から叩き付けられたシアルは、掠れた声で呟くと、震える片手を伸ばした。
「…本当…に…?」
…その先には、青みがかった銀の髪を揺らして立つリオがいる…。
(…僕は…一体何を…?)
リオは放心して、自分の両手を見つめた。
倒れた少年は、更に何か言う様に口を開いたが、声は漏れてこない。
力尽きた片手がパタリと地面に落ち、それっきり、シアルは動かなくなった。
同時に、もう片方の手に握られたままの剣が、その腕に溶け込むように消えてゆく…
「!」
ハッと我に返り、リオは駆け出した。
彼は、身動き一つしない少年の傍らに膝をつくと、その身体を抱き起こした。
…直後、光が消え、リオの姿が元に戻ってゆく…。
「…おい、目ェ開けろよ」
ペチペチと頬を叩いても、シアルは瞼を閉じたまま。
「僕は…人殺しなんて嫌だぞっ」
「…気を失っているだけですよ」
焦るリオの前に、優雅な足取りでエレアヌが歩み寄ってくる。
彼が屈むと、長い黄金色の髪が流れる様に地面に落ちた。
「大丈夫、貴方の『力』は、人を殺める為のものではありませんから…」
細く長い指先が青ざめた額に触れると、シアルの顔に血の気が戻ってくる。
「御覧なさい…」
エレアヌは空に目を向けて言う。
「あれは、貴方の聖なる力の影響です…」
「え…?」
リオが見上げると、黒雲に覆われていた筈の空が、真っ青に晴れ渡っていた。
…透き通った羽根をもつ小さな人達が、数えきれないほど飛んで来る…
「お帰りなさい、友よ」
「…そして、ありがとう…」
「貴方の光が、我等を清めてくれた」
子供のように可愛らしい声で、彼等は言う。
先刻までは吹いていなかった心地好い風が、リオの頬を撫で、髪を揺らした。
「…風の妖精達…」
漏れた呟きは、『内なる者』の声…
リオの瞳がまた、瑠璃色に変わった。
「約束通り、俺は戻って来たよ…やり残した事を遂げる為に…」
懐かし気に笑みを浮かべた彼はその時、日本の高校生・古谷リオではなく、エルティシアの長・リュシア=ユール=レンティスであった。
緑柱石色の空間でその名を呼ばれた時から、彼の中で何かが変わり始めている。
「…行きましょう…皆が待っていますから…」
エレアヌの、男性とは思えぬほど細く形の良い手が、リオの肩に置かれた。
「我等が運んで差し上げよう」
妖精達の小さな手が、リオとその腕に抱えられているシアル、そしてエレアヌの身体に触れる。
柔らかな絹に包まれる様な感覚と同時に、三人は空中に持ち上げられた。
…そしてリオ達は、ラーナ神殿と呼ばれる聖地へと運ばれていった…。
白亜の神殿では、見張りの塔から目をこらしていた若い男が、妖精達に囲まれ空を進んで来る三人を見て、大慌てで建物の中に駆け込んだ。
「緑の賢者様が帰られたぞ!」
神殿の中にいた人々が、次々に建物の前の広場に出てくる。
周辺にある畑の手入れをしていた人々も、バラバラと駆け寄って来た。
陽光を受けて、様々な色に輝く髪…
彼等は、彫りの深い顔と白人よりも白い肌、宝石のように美しい髪や瞳をもっていた。
「若長の転生者が見つかったのですか?」
期待に瞳を輝かせて駆け寄って来た人々は、リオの髪の色に気付いた途端、凍りついた様に立ち止まった。
「エレアヌ様、その少年は…!」
彼等の顔はサッと青ざめ、悲鳴を上げる女性すらもいる。
「闇色の髪と瞳! 何故そんな魔物を連れて来たのですかっ」
(…またかよ…)
シアルを抱えたまま、リオはフーッと溜め息をついた。
ここまで運ばれてくる間に、エレアヌから白き民が黒を嫌う事や、このエルティシアの人間はみな色素の薄い肌に鮮やかな色彩の髪と瞳をしていて、黒色人種や黄色人種のように黒い肌や髪や瞳をもつ者は存在しない事を聞かされた。
けれど、さすがに化け物でも見るような目を向けられては嫌になる。
幸い、彼等はシアルのように攻撃してくる事は無かったが、引き吊った顔でジリジリと後退してゆく。
「彼は魔物ではありません。異なる世界から来た、リュシア様の生まれ変わりです」
エレアヌが穏やかな口調で諭したが、人々の目から怯えの色は消えなかった。
「その証はあるのですか…?」
サファイアブルーの髪をした若者が、皆の間から進み出てきて言う。
「その少年がリュシア様の魂を宿しているという、確かな証拠が無ければ、私たちは納得出来ません」
「証拠なら…そこにいるテイト」
それに対し、エレアヌは若者の背後にいる琥珀色の髪の男に問いかける。
「今日の見張り番は貴方でしたね?」
「…はい…」
テイトと呼ばれた若い男は、少し震える声で答えた。
彼は空を飛んで来たエレアヌ達を最初に見つけ、皆に知らせた者である。
「貴方は見たでしょう、風の妖精に運ばれる私達を…」
淡い緑の宝石に似た瞳に見つめられ、男はおずおずと首を縦に振った。
「世界の大半が闇に染まって以来、妖精達の心は人から離れていましたね? 彼等に友と認められ、力を貸してもらえるのはリュシア様だけだという事は、皆も知っているでしょう?」
エレアヌは人々の目から目へ、視線を巡らせる。
「…確かに、風の妖精達に運ばれたのが本当なら、その少年は転生者かもしれません…。しかし、魔物は幻術で人を惑わすといいます。エレアヌ様やテイトが、その魔力に捕らわれていないと言い切れますか?」
反論したのは、青い髪の若者。
「もしそうなら、今頃ここにいる皆も幻術にかかり、彼がリュシア様の生まれ変わりだと思わされていますよ」
そう言って、エレアヌは微笑んだ。
返す言葉に困り、若者はしばし沈黙する。
他の人々は相変わらず怯えた目で、リオの方をチラチラと盗み見ていた。
彼が気付いてそちらを向くと、誰もが慌てて視線を反らす。
(…何て疑り深い人達なんだろう…)
リオは半ば呆れていた。
人間は自分で確かめたものしか信用しない。
それは、どこの世界でも同じであるらしい。
(…僕は、リュシアって人の生まれ変わりかどうか、自分ではよく分らないけど…少なくとも魔物なんかじゃないぞ)
その時、腕の中でシアルが身動ぎした。
「気が付いたか?」
小声で問うても、応えは無い。
どうやら、意識は戻っていないらしい。
それを悟ると、リオは隣に立つエレアヌの方を向いた。
「寝かせた方がいいんじゃないかな?」
「そうですね。すみません、抱かせっぱなしにしてしまって…」
穏やかな声でエレアヌは答え、建物の中へとリオを促した。
「賢者様…!」
人々がザワつく。
上品な物腰で振り向いたエレアヌの、足首の辺りまでのびた黄金の髪が、絹糸のように柔らかく揺れた。
「『生命の木』の上空を御覧なさい。この方がリュシア様である証の一つがあります」
そう言い残すと、エレアヌはリオを案内し、神殿の奥へ入っていった。
建物の中央に位置する大広間には、リオの背丈ほどもある、巨大な水晶の塊が置かれた祭壇があった。
それは、エルティシアの創造神エルランティスを祭るものだ、とエレアヌが説明した。
その他の部屋は、ほとんどが白き民達の居住箇所となっていて、小学校の給食室並みの規模をもつ調理場からは、食事の支度の途中だったのか、香草や香辛料の匂いがたちこめている。
「ここが、リュシア様とシアルの部屋です」
二十畳ほどの空間に、ベッドが二つと木の机と本棚があるだけの質素な室内に入ると、エレアヌは意外な事を告げた。
「シアルは小さな頃に両親を魔物に殺され、自分も死にかかっていたところを、リュシア様に救われたのです…」
淡々と語られる過去を聞きながら、リオはベッドに寝かせた少年の顔を見つめる。
「…以来、シアルは若長の養い子として育てられました。といってもリュシア様は忙しい方でしたので、世話は私が引き受けておりましたけれど…」
エレアヌは机に歩み寄り、燻し銀の燭台に灯をともした。
…エルティシアの聖地は白夜で、完全には暗くならない。明け方か夕刻のような太陽が、白亜の神殿をオレンジ色に染める…
「…シアルを…皆を…許してやって下さい…。リュシア様が亡くなられてから、こちらの世界では数ヵ月しか経っていません…。貴方を迎えに行く役目を仰せ付かった私以外の者は、転生者の事を詳しく知らされていないのです」
蝋燭の火を見つめながら、エレアヌは静かな声で言った。
「…それに、僕の容姿に対する偏見もあるね」
気品すら感じられる優美な横顔を見つめ、リオも落ち着いた口調で言う。
「黒い髪や瞳って、そんなに気味悪い?」
「…この世界を蝕んでいる『魔』の、大きな特徴ですから…」
優し気な緑の瞳が、彼に向けられた。
「…大丈夫ですよ、貴方がリュシア様であることは、じきに皆にも分ります」
自信に満ちた口調で、エレアヌは言う。
「さあ、もう貴方もお休み下さい…。たしか貴方の居た世界も夜だった筈でしょう?」
そしてリオに空いている寝床を勧めると、エレアヌは部屋から出ていった。
蔓草の彫刻を施した木戸が、静かに閉まる。
(…本田と鈴木、あの後どうしたのかな…)
ポツンと残されたリオは、木のベッドに腰を下ろし、ぼんやりと考え事を始めた。
この世界に来るきっかけとなった「光る木」は、図書館へ忘れ物を取りに来た彼が、偶然発見し、二人を誘って調べに来たものである。
悪友たちが守衛に見つかりそうになって、逃げ出した事など彼は知る由もない。
(…僕は…元の世界に戻れるのかなぁ…)
少々不安になる。
エルティシアで何をすべきかは、内なる者の意識が表面化した時に漠然と悟った。
魔物が近寄り難くなるよう、裂かれた大地。 沈まぬ太陽に守られる聖域。
不毛の大地の中で、唯一作物が育つラーナ神殿周辺。
…そして…自分の中から放たれた光によって、黒雲が払われ、青さを取り戻した空…
そのすべてが、リオの前世リュシアがもつ聖なる力であり、人々が転生者を求める理由なのだ…
―――…やり残した事を遂げる為に、俺は戻ってきた…―――
あの時、帰りを喜ぶ妖精達に『リュシア』は言った。
(…やり残した事って何だろう…)
そう思った時、隣の寝台にいるシアルが、ムクッと起き上がった。
「…お前…本当にリュシアなのか…?」
その声にリオは我に返り、顔を上げた。
こちらへ歩み寄ってきた、銀髪の少年が視界に映る。
(また斬りかかってきたりしないよな…?)
思わず逃げ腰になってしまうリオは、ふと相手の足取りがふらついている事に気付いた。
「…本物の…転生者…か…?」
声も掠れている。
命に別状は無いとはいえ、硬い地面に叩き付けられたシアルは、まだ完全には回復していないらしい。
「寝てた方がいいんじゃないか?」
リオは一応、お愛想程度に言ってみた。
「質問に答えろ!」
返ってきたのは怒鳴り声。
「お前は…リュシアの生まれ変わりか?」
「…多分…」
両肩を捕まれ、リオは勢いに負けて答えた。
「多分じゃ駄目だっ!」
シアルの手は震えている。
恐らく、立っているのがやっとの状態なのだろう…
大きなサファイアの様な瞳に睨まれ、返答に困ったリオは、しばしその目を見つめた。
「…頼む…答えてくれ…」
蒼い瞳が揺れる…
(…あの時と同じだ…)
リオの脳裏に、地割れの側へ追い詰められた時の情景が浮かぶ。
―――…「彼は大いなる力を持っていた」…
そう言ったあの時も、シアルは泣きそうな瞳をしていた。
…リュシアに命を救われ、養い子となった少年…。
もしかすると、彼が最もリュシアの帰りを待ち望んでいたのかもしれない。
だからこそ、こちらの人間には魔物の様に見えるリオが、リュシアの名で呼ばれるのを聞いた途端、怒って攻撃してきたのだ。
…そして今は、動くのがつらい状態なのに、無理に起き上がって問いかけてくる…
そんなシアルを見ているうちに、リオの中に何か温かい気持ちが芽生え始めた。
「…僕は…『リュシア』と呼ばれた時から、自分の中で何かが目覚めたのを感じた…」
真っ直ぐに相手の目を見つめ、リオは自分でも意外なほど穏やかな声で言う。
「…正直言うと、僕は自分が転生者かどうかよく分からない。でも、僕の中にいるもう一人の僕は、この世界にやり残した事があると告げている」
黒い瞳が、瑠璃色に変わる。
「…それから、この神殿…僕はずっと前から、夢で見て知っていた…」
「!」
シアルが息を飲んだ。
リオの両肩を掴んだ手から、力が抜けてゆく…
「輪廻転生が本当に起こるのなら…そして、君が信じるなら…」
黒髪が青銀色となり…
「…俺は…リュシアの生まれ変わりだ…」
十五歳の少年の声が、低く深みのある青年の声に変化した。
…その声を聞いた途端、張り詰めていたシアルの心が、一気に解けてゆく…
全身の力が抜けて倒れ込んできた少年を、リオはしっかりと抱き留めた。
その表情は子供っぽさの抜けない高校生のものではなく、幼子を見つめる保護者の様な優しさが浮かんでいた…
―――それより少し前、ラーナ神殿の人々は見張りの塔に群がり、荒れ地に一本だけ存在する大木の方角を見ていた。
「見ろ、空が青いぞ!」
「大気が浄化されたんだ…!」
人々は口々に叫ぶ。
サファイアブルーの髪の若者も、ただ呆然と遠くの空を見上げている。
「…こんな力を持つのは、若長だけだ」
「では、あの黒い髪の少年は本当に…」
白き民達は顔を見合わせた。
…どの顔も、驚きを隠せずにいる…
「リュシア様の、転生者なのか…」
自分の髪より明るい青色の空を凝視しながら、人々の代表に立って抗議していた若者は、ぽつりと呟いた…―――