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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カラス
7/60

理由

「お前は、いったい何をしているんだ?」

 なんらいつもと変わらぬ様子で『伏せ籠』の屋敷の廊下を歩くカラスを、フクロウはそう呼び止めた。ふてぶてしささえ感じさせる風情で、彼はゆっくりと向き直る。

「何、とは?」

「とぼけるな。何故、彼女を殺さない? 機会はいくらでもあっただろう? 何をしている」

「気が向かねぇ」

 肩をすくめながらのカラスのその言葉に、フクロウは眉間に深い皺を刻んだ。冷たく整ったその容貌が、微かに険を帯びる。熱を発するようにギラリと光った鬱金の眼差しを、しかし、カラスは平然と見返してきただけだ。いつもながら、彼だけはその心中を読み取りかねる。他の『鳥』たちは至極単純だ。何を考え、どうすれば鼓舞できるのか容易に思いつくのだが、このカラスだけは捉えどころがない。次期頭領の器としては願ってもないのだが、今はまだただの『鳥』の一羽に過ぎない。指示に従わない者を放っておくわけにはいかなかった。

「仕事に気が向くも向かないもあるか。さっさとやれ」

「……」

 フクロウの叱責に、カラスは否とも応とも答えずに、ふいと踵を返す。その背中を見送りながら、フクロウは思案を巡らす。このまま彼に任せておいて良いものなのか、どうなのか。

 命を下してから、すでに一週間が過ぎている。これまで、カラスは迅速かつ確実に仕事をこなしてきた。どんなに困難な任務でも、遂行まで、三日とかけたことがない。

 今回の仕事は、決して難しくはない筈だ。標的の居場所は知れているし、護衛がついているわけでもない。

 それなのに、一週間。

 これは、あまりよくない兆候のような気がする。

 やがてフクロウは方針を固めると、目当ての者を捜して動き始めた。


   *


 ――何故、殺さない。


 カラスの脳裏に、フクロウの台詞がよみがえる。その答えは、彼自身が知りたい。

 柱に寄りかかり、両腕を頭の後ろで組んで、黙々と針を動かしている少女――巴を見遣る。

 こうやって『不審者』が連日当主の元に入り込んでいても、誰一人騒ぐ者はいなかった。

 別に、カラスが身を隠しているわけではない。いたって堂々と、部屋の中に陣取っている。だが、彼に気付く者はいない――彼を目にする者がいないのだ。


 この屋敷の主である筈の巴の元にやってくるのは、三食を運ぶ使用人くらいのものだった。それは『当主』というよりも『囚人』と呼んだ方が相応しいような扱われようだと、カラスは思う。

 それに、巴の服装もそうだ。小早川子爵家はそれなりの資産家で、だからこそ、カラスに仕事が来たのだ。にも拘らず、彼女はいつも質素な装いをしている。せっかく黒檀のように艶やかな髪をしているというのに、その髪を束ねているのは紅色なのか茶色なのかも判らないほど色褪せた木綿のリボンだし、着ているものも煌びやかな振袖ではなく、色こそ薄紅色で小花が散らされてはいるが、これまた地味な絣の小紋だ。

 そんななりで日がな一日縫い物やら、読み書きやら、そんなことで時間を過ごしており、これまで見てきた――標的にしてきた――金持ちの女どもとは、まったく違う。表情も殆ど変わらず、カラスは時々、少女の姿をした自動人形か何かではないかと疑いたくなった。何か動きを見せたのは、この間、外に連れ出した時くらいだ。


 まったく、この小さい頭の中には、いったい何が入っているのやら。

 そんなことを考えながらカラスが彼女を眺めていると、ふいにその手が止まった。

 そして、クルリと彼に顔を向ける。

 自分を殺すと言っている者に対して全く物怖じせずに真っ直ぐに見つめてくる大きな目。

 それはトロリと甘そうで、舐めてみたらこの少女はどう反応するのだろうかと、カラスは思った。


 無言で見つめ返す彼に、巴が唇を尖らせる。

「そんなに見ないでいただけますか。手元が狂います」

「何か他にすることはないのかよ」

「え?」

 噛み合っていない会話に、巴が眉をひそめる。

「服だって、最近じゃ洋装が流行りだろ? 着飾って劇を観たりとか、したらいいじゃねぇか。そんなクソつまらんことじゃなくて」

「武家に贅沢は不要です」

「他のところのお嬢サマどもは、湯水のように金を使ってるぜ?」

「他家は他家、当家は当家。小早川家は武勲により爵位をいただいた家です。他の方々のように、表舞台を盛り立てることが勤めではないのですから、華美な装いなどは必要ありません」

「へえ……」

 どこか小馬鹿にしたように相槌を打ったカラスに、巴はムッと微かに唇を引き結んだ。

「何ですか?」

「いや、別に」

 特に他意なく肩をすくめたカラスだったが、それが巴には気に入らなかったようだ。繕い物を置くと、両手を畳に突いて身体ごと彼に向き直る。


「あなたこそ、いったい何をしにここに通われているんですか?」

「お前を殺しに」

 打てば響くように返すが、行動が伴っていないのだ。当然、巴から更なる追求が加わる。

「では、何故、そうされないのですか」

 その言葉に、カラスはクッと顎を引いた。微かな苛立ちを、覚える。

「そんなに死にてぇのかよ」

「まさか。そうではありません。死ぬべき時に生き足掻く者は見苦しいですが、自ら死を望む気はありません」

「じゃあ、なんで殺せ殺せ言うんだよ?」

「『殺せ』とは申しておりません。ただ、『何故、職務を全うしないのか』と訊いているだけです」

 このガチガチの巴にしてみれば、『義務を果たすこと』は一番大事なことなのだろう――それが、どんな内容でも。背筋を真っ直ぐに伸ばして、そのとろけた飴色の目でカラスを見つめる。


「あなたが『仕事』とおっしゃるなら、それを成し遂げるべきではないのですか?」

 『仕事』――確かに、『仕事』だ。だが、カラスにしてみてれば、『為すべきこと』と思ったことはない。

 では、何故殺すのか。

 それは、指令を拒む理由がないからだ。

 別に、モズのように殺しを好む気持ちはない。ただ、殺される瞬間の人間の姿は――殺されまいと抗い、生きようとする人間の姿は、好きだった。

 その姿を、巴はカラスに見せない。

 だから、殺す気になれない。


 カラスは、立ち上がる。

 巴の目がそれを追いかけたが、先ほどの問いに対する答えを求める声はなかった。

 きちんと正座をした、自分の膝ほどまでもない少女を、カラスは見下ろす。ジッと注がれる淀みのない眼差しに、やけに息苦しさを覚えた。

 無言で踵を返し、その場を立ち去る。


 ――次にここに来たら、その時はあいつを殺そう。


 歩きながら、そう、心に決めた。


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