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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カラス
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雪の中

 カラスは渋面で小脇に抱えた少女を見下ろしていた――いや、正確に言うと、見た目は無表情だ。だが、内心は、苦虫を噛み潰したという表現がまさにぴったりな気分だった。


 今、彼は巴という少女を腕に引っ提げて、川べりに立っている。

 あたり一面雪景色で真っ白だが、その中に一株、深紅の花をつけた樹が、すっくと佇んでいた。


 ――まったく。


 いったい、この俺は何を考えているんだ?

 そう自問しても答えは出ない。

 今日は殺そうと思って、赴いたのだ。巣に戻って考えて、あの獲物の奇妙な態度は、寝込みを襲ったからだとカラスは結論付けた。きっと、夜中に襲ったから寝惚けていて、それであんな反応だったのだと。

 だが、どうだ。今日もこいつは殺される気満々――抵抗する気皆無、ではないか。

 気に入らなかった。心の底から、気に入らなかった。

 抗う気配もなく、ただ、死を従容として受け入れようとしている姿が、カラスにはまるで鳥かごの中の鳥のように見えたのだ。閉じこもって、歌を忘れたカナリアか何かのように。そして、ふと思った。外に出したら、また囀るのだろうか、と。

 もしもそうならば、それを聴いてみたいと思う。

 いや。

 是が非でも、囀らせたい。

 命を脅かしても口をつぐんだままならば、何をしたらそれを開くのだろう。


 さざめく川面を見据えながら思案していたカラスの耳に。


「いい加減に、放して下さいませんか」


 腕の中から憮然とした声が響く。

 カラスは無造作に腕を開いた。


 と。


「キャッ」

 小さな悲鳴と、ボスンという音。

 雪はカラスの膝まで積もっており、見下ろせば、少女は雪の中にほぼ埋没していた。雪塗れになりながらどうにか立ち上がった彼女は、ジトリと彼を睨み付けてくる。


「いったい、何をなさりたいんですか」

 そう問われても、カラスとて自分が何を考えていたのかよく解かっていない。

「さあ?」

「!」

 肩をすくめたカラスに、一瞬、少女の真っ直ぐな黒髪がフワリと浮き上がったように見えた。初めて彼女が見せた、強い感情だ。

 その瞬間、カラスはまるで火花が散ったような錯覚を覚える。

「……帰らせていただきます」

 思わず瞬きをしたカラスの前でムッツリとそう言って、彼女は毅然と土手の方へと歩き始める。

 だが、しかし。仔犬が埋もれながら必死で進むようなその様に、カラスは思わず喉の奥から漏れた笑いを堪えきることができなかった。ヒラリヒラリと揺れる大きなリボンがまた、垂れた耳のようだ。


 クッと微かに響いたそのくぐもった声に、モソモソと懸命に雪を掻いていた少女がバッと振り返る。

「……何か?」

 低い声でそう言いながら、飴色の目を光らせながら肩越しに振り返って睨みつけてきた。その眼差しに、カラスは思わずこぼす。

「なんだ。生きてはいるのか」

「当たり前です! まだ、殺されてませんから!」

「ふうん……」

 彼女のその目は、悪くないと思った。あの屋敷の中にいる時よりも、よほど良い目をしている。だが、何故か、やはり殺そうとは思えない。いったい、何が足りないのだろう――あるいは、何かが、彼女にはあるのだろうか。

 一見して、特別なところなど何一つない小娘だ。だが、どうしても、カラスはこれまでの獲物たちのようにさっさと殺そうという気になれない。そうさせる何かが、彼女にはあるのだろうか。


「お前は、あそこに帰りたいのか?」

「黙って出てきてしまいましたから」

 彼女は言うなりまた前を向いて雪中行軍を始める。カラスはその襟首をヒョイと捕まえた。

「……何なんですか」

「お前はあの家に『居たい』のか?」

「あの家が、わたくしの居るべき場所です」

「殺されるのに?」

 はっきりと、依頼主がこの少女の親族だと聞かされているわけではない。だが、金持ちの家からの暗殺依頼の理由はだいたい相場が決まっている。

 カラスが投げたその言葉に、少女の眼が、一瞬揺らいだ。だが、ほんの一瞬だけだ。


「わたくしの考えは、もう申し上げました」

 頑なな答えに、カラスはフンと鼻を鳴らす。そうして、彼は問答無用で少女を肩に担ぎ上げた。

「ちょっと、下ろしてください!」

 小さな拳が背中に当たる。彼女は殴っているつもりなのかもしれないが、当然のことながら、カラスには痛くもかゆくもない。

「連れて帰ってやるんだから、おとなしくしとけよ」

「え?」

 彼の言葉に、少女はピタリと動きを止める。

「あの調子じゃ、日が暮れるだろ」

 そもそも連れてきたのは自分であることを棚に上げてカラスはそう返すと、雪を蹴立てて歩き出した。来た道を辿っていることが判るのか、彼女はもうそれ以上は暴れようとはせずに、おとなしく彼の肩の上に居る。その温もりがまるで温石のようだと言ったら、この子どもはまた噛み付いてくるのだろうか。仔犬がキャンキャンと吠え立てるようなその様を想像して、カラスはニヤリと笑いを口元に刻む。


 やがて屋敷の前に着き、門の前に少女をおろしてやった。

「……ありがとうございます」

 どことなく腑に落ちないような顔で、それでも彼女は礼の言葉を口にして綺麗にお辞儀をする。

「じゃあな――」

 カラスはしばし頭を巡らせた。彼女の名前は、なんだったろうか。

「――巴」

 名を呼ばれ、少女は――巴は、パチリと大きく瞬きをした。


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