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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カラス
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心構え

「ッ!」

 鋭い痛みに、巴は思わず身をすくませる。手慰みに針仕事を始めた彼女だったが、気もそぞろでいたから、針で指先を突いてしまったのだ。見つめる視線の先で、真っ白な指先にプクリと紅い珠が盛り上がった。大きくなるにつれ、それは濃さを増していく。


 ザクロ石を思わせるその色に、ふと、巴は先夜まみえた襲撃者のことを思い出す。


 彼の髪は、この赤い雫のような色だった――黒く見えるほどの、濃い赤。そして、まるで緑柱石のように深い緑のその目は、とてもキレイだったのに、ネズミをいたぶる猫のように冷たく彼女を見下ろしていた。

 いや、初めは冷ややかだったのに、言葉を交わすほど、不機嫌そうになっていって。


(あのひとは、なんであんなに怒ったの?)

 巴は眉間に皺を寄せる。

 殺しに来たと言いながら、独りで勝手に腹を立てて、結局、何もせずに行ってしまった。

 また来る、と、言い残して。

 つまり、次に来た時には覚悟をしておけということに違いない。


 ――彼は答えをくれなかったけれど、自分の命を奪うように命じたのは、やはり親族なのだろう。

 ほぼ間違いのない事実であろうその推測に、彼女の胸を満たすのは悲しさよりも諦めだ。

 巴は、まだ十と二つしか生きていない。一般的に見ても、死ぬには早い年頃。

 彼女自身、生き飽きた、死んでも構わない、と思っているわけではない――けっして。けれど、両親は疾うに亡くなり、次いで母親代わりだった祖母もその後を追い、ただ一人彼女を可愛がってくれた祖父も逝ってしまった。自分を望む者よりも疎んじる者の方が多くて、自分がいない方がこの家がうまく立ち行くというのなら、彼女が生にしがみ付く理由がなくなる。

 無為に生きるのは、イヤだった。ちゃんと意味のある、生きるべくして生きる『生』を歩みたかった。それが果たされないのなら、死も厭わない。武家の娘である巴にとって第一に考えるべきなのは家のことであって、その為に己の死が必要なのであれば、それは受け入れるべきものなのだ。

 士族とは、そういうもの。


 そんな物思いにふけっていた巴の指先から、ツ、と、深紅の珠が転げ落ちそうになる。

 あ、と思った瞬間、不意に背後から伸びてきた手に手首を捕らえられ、そして、何事かと思う間も無く、彼女の指先が温かく湿った感触に包まれた。柔らかなものに傷を探られ、巴の背筋をゾクリとこそばゆさが走る。


 ――指を咥えられている。


 それを理解したのは、瞬き数回の後だった。

 

 深紅の髪のその男は、巴の指を口にしたまま、同じ色をした睫毛を軽く伏せている。

 長い時間のことではなかった。最後に指先を強く吸われてチクリと走った痛みに、巴は微かに眉根を寄せる。

 唐突に、彼は殆ど投げ捨てるように巴の手を放すと、彼女の膝の上に広げられた繕い物に目を走らせた。昼の明るさのもとで見るその瞳は、記憶の中よりも鮮やかな緑色をしている。

「何やってるんだ?」

 問われて巴は我に返り、見ると、針で突いた傷の血は、止まっていた。


 巴は彼の行動と問いに戸惑った。この人は、いったい何を考えているのだろうか、と。殺しに来たのなら、さっさと用事を済ませてしまえばいいだろうに。

 そう思いながらも、巴は答える。見れば判るようなことを。

「繕い物です」

「何でそんなことをする? 金持ちなんだから、誰か人にやらせればいいだろう。面白いのか?」

「……他に、することもありませんので」

 巴がそう言うと、彼は眉を片方上げて彼女を見下ろした。何となくバカにされているような気がして、巴はムッと唇を引き結ぶ。

 そんな彼女の腕を、彼が再び掴んだ。そして、グイと引き上げる。

 強引に立ち上がらされてよろけた巴には構わず、彼は彼女の腕を取ったままさっさと歩き始めた。

「どこに行くんですか? 離して下さい!」

 家から――祖父母や両親の匂いの残るこの家から離れて死ぬのは、イヤだった。どうせ死ぬなら、この場所がいい。

 その場に足を踏ん張った巴を彼は面倒くさそうに振り返り、小さくため息をついたかと思うと、無言で彼女を小脇に抱える。イヌの子か何かを持ち運ぶような扱いに、巴は腕を突っ張って逃れようとするけれど、胴に回された彼の腕は鋼のタガのようにびくともしない。そうして、スタスタと廊下に向かってしまう。


 どんな時でも、じたばたするのはみっともない。武士の娘たるもの、みっともないことはしてはならない。それは両親の、祖父母の名を汚す行為だ。

 常日頃から、それが巴の信条だったけれど、流石にこの事態に平然としていることはできなかった。思わず、声を上げてしまう。

「殺すなら、ここでしたらいいでしょう!」


 だが。


「殺さねぇよ」

 素っ気無く返されたその言葉に、巴の手足がピタリと止まる。

「……え?」

「殺さねぇよ、まだ」

「――まだ?」

「お前はる気にならねぇ」

「なぜ?」

 彼女を殺す依頼を受けている筈だったのではないか。巴は、真っ直ぐに前を見たままの彼の横顔を見上げる。


 ――いったい、この人は何を考えているのだろう?


 祖父以外の人間に興味を引かれたのは、初めてだった。


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