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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カワセミ

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33/60

守るべきもの

 女将に案内された部屋に落ち着くと、巴の口からはホゥと小さく息がこぼれた。行儀は悪いけれども、崩した足をそっと揉む。

 小早川の屋敷がある天都あまつを出てから十日ほど。一日中歩き続けるのにもずいぶん慣れてはきたけれど、如何せん、カラスとは元の体力が違い過ぎるのだ。いつでもケロリとしている彼とは違って、こうやって身体を休めるたびに、あちらこちらがギシギシする。


 巴は自分の小さな足を見つめた。

 カラスは、きっとこんな足手まといを連れて旅をしたことなんてないはずだ。にもかかわらず、巴はこうやってちゃんと彼についていくことができている。

 それはつまり、カラスがとても巴に気を配ってくれているからだということで。


(一足飛びに大人になれたらいいのに)

 不甲斐ない自分に、巴はひっそりとため息をこぼす。


 と。


「どこか痛むのか」

 ごろりと寝転がっていたカラスが、そう問いかけてきた。さっきまで閉じられていた緑の瞳が、真っ直ぐに巴に向けられている。

「あ、いえ、大丈夫です」

 声をかけてくれたのが嬉しくて、巴は頬を緩ませる。

 元々カラスはあまり話す人ではなかったけれど、トビが同行するようになってからさらに口数が減ってしまった。トビはカラスのことをたくさん教えてくれるけれど、カラスのことを知れることを嬉しく思いながらも、彼自身の言葉で聞けたらいいのに、と、巴は少しばかり思ってしまう。


 カラスは巴の中を見通そうとするかのようにスッと緑柱石の目を細めた。

 本当に大丈夫だから、と、彼女がもう一度告げようとしたとき、廊下から声が掛けられる。

「僕だけど、入っていいかい?」

 途端、カラスの眉が不機嫌そうに寄った。無言の彼に代わって巴が答える。

「どうぞ」

 開いた襖から姿を現したのはもちろんトビだ。

「もうじき夕飯らしいけど、こっちで食べてもいいよね?」

 トビの言葉に巴はカラスの様子をうかがったが、案の定、彼は完全無視の姿勢だ。

「えっと、構いま、せん?」

 チラチラとカラスを見ながら答えた巴に、トビはパッと顔を輝かせて近寄ってくる。

「やった。ありがとう」

 一歩、二歩、三歩と進んだところで、トビのつま先ギリギリにストンと小刀が突き刺さった。

「ッ! 危ないじゃないか! 手に続いて足まで使えなくするつもりかい?」

 寸でのところで足を引いたトビが唇を尖らせたが、カラスは一瞥すらしない。

「まったく、十日も一緒にいるというのにつれないね」

 ため息混じりに言いつつも、トビは巴から遠ざかり、壁際を背にして腰を下ろした。


「ここの湯は疲労回復に良いから、食べたら入ってきたらどうだい? 君、温泉入ったことないんだろう?」

 トビが巴に向けてそう言ったが、彼女が答えるより先にカラスの声が割って入る。

「駄目だ」

「いいじゃないか。君がこっそり見張っていれば危なくもないだろう」

 肩を竦めたトビに、カラスはにべもなく繰り返す。

「駄目だ」

「過保護だなぁ」

 トビはため息混じりにそう言って、巴に眼を向けた。


「せっかく温泉の名所に来たっていうのに、もったいない。君、生まれてこの方、殆どお屋敷を出たこともないんだろう? いいとこのお嬢さんはそういうものだよね」

「あ、いえ……」

「あるの? 旅行はないのに?」

 眉を上げたトビに、巴はこくりと頷く。

「四つまでは市井で暮らしていましたから」

「あれ、そうなんだ?」

「はい。父は小早川家の嫡子でしたが、母は町の者でした。母を家に迎えることは認められず、父は小早川の家を出たのです。わたくしが四つの時に流行り病で二人とも亡くなって、祖父母に引き取られました」

 幼い頃のことは、もうあまり覚えてはいない。けれど、両親はとても優しく温かなひとたちであったことは、記憶の底に残っている。


「へぇ……」

 相槌を打ったトビは、カラスに目を向けた。

「僕らも孤児なんだよね。拾われた先は天と地だけど。まあ、結局こうやって身内から命を狙われてるわけだし、そっちが『天』とも言い難いか」

 屈託のないトビの声に、巴のことを憐れむ色も――己の身を嘆くような色も、滲んでいない。ただ、事実を口にしただけ、というふうに聞こえる。

 けれど、実際はどうなのだろう。


 巴はトビを、次いで、寝っ転がって目を閉じたままのカラスを見た。

 彼らは、自分の生い立ちについて、どう思っているのか。

 微に入り細を穿って説明されたわけではないが、道中、トビから彼らの生い立ちについて聞かされた。

 カラスもトビも、孤児で、拾われた先で暗殺者になるよう育てられた。彼らには、そうなるしか道がなかった。


 国の中心である豊かな天都の中でも、孤児、そして大人でも生業を持たない者の行く末が明るいものではないことは、巴も知っている。だからこそ、小早川の家を守らなければいけないのだ。家が傾けば、そこで糧を得ている人たちが路頭に迷うから。幼い頃から、巴は、祖父母からそう教えられてきた。皆を守るためにお前は小早川の当主になるのだと。

 ――最期の最期に、祖父はその言葉を翻したけれども。


 どんな形であれ、人は日々の糧を得る必要がある。

 カラスもトビも、もしかしたら、孤児のまま命を落としていたかもしれない。

 己の命か、他人の命か。

 一方しか選べないのだとしたら、人はどちらを選ぶのだろう。


 人の命を奪うくらいなら、自分が死んだ方がいいと、巴は思う。けれど、それは、父にも母にも、祖父母にも愛されていたことで、人の命は大事なものだという想いが巴の胸の奥底にまで染み渡っているからだ。

(多分、それこそが、わたくしが幸せであったという証なのだわ)

 そっと胸に手を押し当て、巴は声に出さずにそう呟いた。

 惜しみなく愛情を注がれた日々が、巴の価値観の根底にある。自分が大事にされてきたから、自分も誰かを大事にしたい――しなければ、と、思う。


 巴は、膝の上に置いた手のひらをジッと見つめた。


 とても、小さい。


 その小さな手のひらに、ほんのひと月前まで、とてもではないけれども包み込めないほど大きなものを、持たされていた。守らなければならないそれを放り出して、彼女は、今ここにいる。


 カラスとの日々を、続けたい。


 けれども。


 手をギュッと握り込み、巴は唇を噛み締めた。


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