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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カラス
3/60

鳥籠

 『伏せ籠』――

 そこは、ある生業を持つ者達の、集まるところだった。


 起源を辿れば、主君を失った忍びの一派の成れの果てとも、里から逃げた抜け忍の一人がひらいたものだとも、かつて猛威を振るった傭兵集団の裔だとも言われているが、真実を知っているのは組織の中でもごく一部の者だけだろう。

 ここに連れてこられた身寄りのない子ども達は、それぞれの適性に応じた技を仕込まれ、人として持つべき禁忌を犯すことを教えられて育っていく。命じられるままに獲物を狩る、優秀で従順な猛禽に仕立て上げられるのだ。幼いうちはただの番号で呼ばれるが、一人前になればそれぞれに相応しい鳥の名前を与えられる。そうして、『仕事』を請け負うようになり、やがて彼らの多くは、三十路に届かぬうちにその羽を散らしていくのだ。


 その『伏せ籠』に棲まう鳥のうちの一羽、カラスは、頭領である八咫やたの呼び出しを受け、彼の部屋へと向かっていた。その道すがら、同じく鳥の一羽であるモズと出くわして眉間にしわを寄せる。そんな彼の反応に、モズは唇を尖らせた。

「何だよ、カラス。そんなあからさまに嫌そうな顔しなくてもいいじゃんか」

 拗ねたようにそう言ったが、すぐにコロリと笑顔になる。後ろで一つに束ねている、よく熟れた蜜柑のような金茶色の髪を揺らして、彼は意気揚々と訊いてきた。

「あ、そうだ。オレ、今月はもう三人だぜ。あんたは? あんたは何人?」

 目を輝かせ、身を乗り出して、宝箱を前にしているかのように、うきうきと。

 ――こういうところが、うっとうしい。

「さあな」

「何だよ、教えてくれてもいいじゃんか」

 モズのそれは、まるで、菓子を取り上げられた子どものような言いようだった。


 ここに連れてこられる子どもは年など判らない者ばかりだが、少なくとも、モズはもうハタチも間近の筈だ。しかし、彼と対峙する者は、たいていその屈託のない少年じみた外見や物言いにごまかされる。そして、子どもだと高をくくっているうちに、その命を奪われるのだ。だが、底を見通せない緑青色の眼差しを覗き込めば――その余裕があれば、彼の容姿と内面は必ずしも一致していないことを悟るだろう。

 モズとカラスは少なくとも五つか六つほど年が離れているのだが、モズは何かと彼に絡んでくる。どうやら、対抗意識があるらしい。


「なあ、おい、何とか言ってくれてもいいじゃんか」

 うっとうしくまとわり付くモズを無視してカラスが再び歩き出すと、その横に並んで、彼はさも不満そうに言った。

 くだらない張り合いになど興味のないカラスは、黙々と足を進める。別に、仕事をこなした回数が他の者より多かろうが少なかろうがどうでもいいことだ。命じられれば遂行する、ただそれだけのもの。

「なあ、おい、無視すんなって。今度オレと手合わせしようぜ?」

 その台詞は、これまでにも何度も聞かされてきたものだ。まるで餌を求めてまとわり付く猫のようで、カラスもいい加減ウンザリしてくる。しかし、相手をすれば図に乗るばかりだから、始末に負えない。


 いっそ、手合わせついでに殺してしまおうか。


 そんな考えもチラリとよぎった、その時だった。


「あら、あんた、またやってるの? いい加減諦めたら?」

 不意に響いてきたのは、艶やかな女の声だ。そして、スルリと絡んでくる温かく柔らかな感触。腕を取られて、カラスは足を止めざるを得なくなる。

「放せよ、カワセミ」

 モズとは違った意味でうっとうしい相手に、カラスは短く告げる。だが、磨き上げられた翡翠のような髪とけぶる紫水晶の目をした『清流の宝石』と謳われる鳥の名を持つ彼女は、仏頂面の彼に婀娜っぽく微笑み返した。

「あら、つれない」

 そう言いながらカラスの頬に唇を寄せようとしたカワセミを、彼は首を傾けてよける。

「よせ。俺を殺す気か?」

 眉間に溝を刻んでそう言ったカラスに、カワセミはフフ、と胸中を読ませぬ笑みを浮かべた。

 彼女の身体は、毒に満ちている。

 美しい容姿、妖艶な肢体――しなだれかかって微笑めば、理性を保てる男の方が珍しい。

 だが、幼い頃から特殊な毒草を摂取させられたカワセミのその体液に触れた者は、天国を見た直後に地獄に落とされるのだ。

 『伏せ籠』の者はあらゆる毒に耐性を付けられているが、それでも多少の影響は受ける。カワセミもそれを充分承知の筈だが、こうやって、何かとカラスに触れようとしてくるのだ。それが嫌がらせではなくて何だというのか。


「フフ。あたしの毒なんて、あんたは全然平気じゃない」

「胸糞が悪くなる」

「まあ」

 カワセミは心外そうに声を上げるが、その口元には笑みが浮かんだままだ。そこに再びモズが参戦してくる。

「ちょっと、オバサン! カラスはオレと話してんだから、邪魔しないでくれる?」

 両手を腰に当ててふんぞり返っているモズを、カワセミは鼻の頭に皺を寄せて見下ろす。元々彼女の方が背が高い上に、踵のある靴を履いているから、彼女の目線の方がモズよりも頭半分ほど高くなるのだ。

「あのウジウジしたトビもウンザリするけど、あんたはもっと腹が立つわね」

「ピッチピチのオレに嫉妬してるんだろ、オ・バ・サ・ン!」

 揶揄するモズを、カワセミがギリッと睨み付けた。山猫と毒蛇の対決かくや、というところか。

 毎日毎日飽きずにそんなやり取りを繰り返す二人にウンザリして、カラスはカワセミの腕を振り払うと、彼らを置いてさっさと歩き出す。どうやら彼らの標的はカラスからお互いに移ったようだ。その場を離れようとしているカラスにかかる声はない。

 二人の舌戦を背中で聞き流しながら、カラスは再び頭領の部屋を目指す。


 八咫の居室は屋敷の一番奥にあった。

 その襖の前に立ち、カラスは声をかける。

「カラスだ」

「入れ」

 間を置かずに、中から短く返してくる。

 室内には八咫ともう一人、その輔佐ふさであるフクロウが彼の傍に控えていた。

 脛まで届く鮮やかな夕日のような蓬髪と、それと同じ色の目を炯々と光らせる八咫。

 両脇に冬の日の月のような色が混じる鈍色の長髪をきっちりと後ろで括り、どろりと溶けた黄金の色の眼差しを冷ややかに注ぐフクロウ。

 この二人は、まさに太陽と月のようだ。

 先ほど応じたのはフクロウだろう。そのひんやりとした同じ声で、淡々と彼が告げる。


「ご苦労、カラス。仕事だ」

 その台詞はカラスの予想どおりのもので、彼は、ただ、肩をすくめて返すにとどめた。フクロウの方も別に了承の応えは求めておらず、そのまま続ける。

「相手は、先日当主が他界した小早川家の――その当主の孫娘だ。依頼主はその親族。これが屋敷の見取り図で、彼女の部屋はここだ」

 フクロウの整った指先が示した場所を、カラスはジッと見つめる。全て頭に収めると、頷いた。

「わかった」

 そうしてさっさと踵を返した彼の背中に、そう言えば、というように、それまで黙ったままだった八咫が言葉を投げた。

「孫娘は、まだ十二らしいぞ」

 カラスは肩越しに振り返って、怪訝な眼差しを彼に向ける。確かに子どもをるのは初めてだが、獲物は獲物だ。これまでと、何も変わらない。

「それが?」

 八咫はカラスのその目を受け止め、微かに目をすがめた。そして、ふっと唇を歪めるようにして笑む。

「いや、いい。行け」

 カラスは肩をすくめると、部屋を後にした。


 一人になって廊下を歩きながら、彼は殺されようとしている子どもはどんな反応を見せるのだろうかと考えを巡らせる。『死』というものを、まだ理解できていないだろうか。いや、十二にもなれば、もう充分に解かっているに違いない。多分今までの獲物の誰よりも、生への執着心は強い筈だ。きっと、これまでになく強い感情を見せてくれるだろう。

 生きたい、死にたくない、殺さないでくれと必死に足掻くだろうし、そうであるべきだ。

 獲物たちのそんな様を目にした時にこそ、カラスは生きるということを強く実感する。

 別に殺しが好きなわけではないが、彼らの生にしがみつく姿は、冷え切ったカラスの身体の中に何かを灯す。ただ『生きる』というだけのことにあれだけ執着できる彼らが、小気味いいのだ。

 そんなふうにつらつらと考えながら歩いていたカラスは、いつの間にか自室の前に辿り着いていることに気付く。引手に指をかけて、彼はふと手を止めた。

 これから仕事をこなしに行ってもいいが……

 一瞬迷った彼だったが、漏れたあくびを噛み殺す。取り敢えず、大至急の仕事というわけではなさそうだ。明日の晩でもいいだろうと、襖の向こうへと足を踏み入れた。


   *


 カラスが去っていった室内で、八咫がフクロウに満足そうな笑みを向ける。

「どうだ、ヤツは。やはり、アレが一番相応しいだろう――次期頭領には」

「そうですね。仕事の腕も彼が一番ですし、何より、殺すことに対して何も感じていないところが、いい」

「そうだな。他の者のように、好んでも、恐れても、疎んじてもいない」

 八咫は手の中の杖を見つめる。それは、代々の頭領がその証として『八咫』の名と共に引き継いできたものだ。三本足のカラスを象ったその杖は、最も優れた『鳥』――『八咫』の証となるものであった。

 本来、人は自分と同じカタチをしたものを傷付けることに対して強い忌避感を抱く。『伏せ籠』ではそれをねじ伏せ、まだ物心のつかない『雛』のうちから殺しを肯定する教育を施していくのだ。そうして、『仕事』の完遂のみが存在理由になった『鳥』たちが育ち上がる。

 彼らには『仕事』しかないから、殆どの者が、それに対して強い想いを抱く。それは嫌悪感であったり、満足感であったり、自己達成感であったり、様々だ。

 そんな中で、ごく稀に、「何も感じない」という者が出てくる。そして、そういった、何も思うことなく事を成し遂げることができる者が、最も優れた『鳥』になるのだ。『仕事』を、ただの『行為』として淡々と実行できる者こそが。


 八咫は長い間にすっかり手に馴染んだ杖を見やる。

 これを手放すのも、そう遠くはないことなのだろう。

 その時、彼の胸中でモゾリと蠢いたものが何なのか、彼自身にも判別が付かなかった。ただ、無意識のうちに、杖を握る手に力がこもる。


「八咫様……?」

 彼を見たフクロウが、怪訝そうに問いかける。

「いや……何でもない」

 薄い笑いを浮かべて、八咫はそうとだけ、答えた。


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