高揚
――カラスが、僕を捜してる。
トビは今まで想像すらしたことのなかったその感覚に、ゾクゾクと背筋を震わせる。
一見、ただ歩いているだけのようなカラスだったが、その全神経は四方八方に向けて張り巡らされていることがトビには見て取れた。
少女の姿はカラスの黒い影にすっぽりと入り、全く狙う余地がない。いっそのこと二人の正面に飛び出して、彼の腕の中にいる少女を撃ち抜いてやろうかとも思う。
そうなれば、カラスはどんな反応を見せるだろう。
トビはその時を想像する。これまで、彼はカラスにとって『存在しない者』だった。道に転がる石よりも取るに足らないもの。だが、あの少女がくずおれた瞬間、きっとカラスは彼を睨み据えるだろう。
カラスは、もうトビを無視できなくなる。
その考えに、彼は高揚した。
町外れへと向かう道を、トビは慎重に距離を取りつつ二人を追う。次第に人の姿が乏しくなっていく中で、カラスの注意が一点に――トビに集中していくのが感じられた。
気付かれるのも、時間の問題だった。
いくらトビが気配を消すのがうまくても、相手はカラスだ。いずれ見つかるだろう。
むしろ、その瞬間が待ち遠しかった。
そんなふうに胸を躍らせながら後を付けていたトビが見守る中で、不意に、風向きが変わった。
トビは眉をひそめて遠方の二人を見つめる。
カラスと少女は寂れた堂の前に辿り着いており、その足は止まっている。少女は相変わらずカラスの身体の陰に入っていて、トビの位置からはその姿を確認することはできない。こんな状況だというのに、カラスは完全にトビに背を向けていた。
――カラスの注意が、明らかにトビから逸れている。
また、あの小娘だ。
トビの中に、苛立ちが込み上げてくる。いや、苛立ちよりも濃い――これが殺意というものなのかもしれない。
トビは数多の命を奪ってきたけれど、積極的な意図をもって獲物を獲物として認識したのは、これが初めてだった。
ジリ、と、彼の足が勝手に動く。
気付いた時には、身を潜めていた樹の陰から、一歩踏み出していた。
それと同時に振り返るカラス。
緑柱石と見紛う彼の眼差しが再び我が身に注がれたのが、トビには感じられた。
(ああ、僕を見ている)
その実感に、ゾクゾクする。
こんなふうに真っ直ぐにカラスがトビを見たことなど、今までなかった。トビの存在を彼が認識したことなど。
あのちっぽけな娘を狙っただけでこんなふうになるのなら、アレを殺したらいったいどんな眼差しを向けてくれるようになるのだろう。
恐怖と期待に駆られながら、トビは完全に振り返ったカラスと、真正面から向き合う。刹那、カラスが動いた。
彼はスッと身を屈めたかと思うと、トビに向けて何かを放つ。それを避け、トビがまた堂に目を向けるまでにかかったのは、ほんの瞬き数回程度の間だけだ。
そのわずかな時間で、二人の姿は消えていた。少女は堂の中に隠したのか、あるいはトビに気付かせぬように逃がしたのか。
短い舌打ちと共にトビも即座に動いた。カラスを避けつつ、堂の中を確認してみたいところだが、まずは彼から身を隠す方が先決だ。
衣擦れの音一つ立てずに走り、トビは堂を狙える位置にある茂みに潜んだ。
カラスの気配も消え失せている。息を殺して周囲を探っても、まるで感じられない。
――これが、カラスだ。
どの鳥よりも、全てにおいて優れている。
トビはひっそりと笑う。
待つのは、彼の最も得意とすることだった。短気なカラスだから、きっと彼の方が早く痺れを切らすに違いない。カラスには命を奪わぬ程度に手傷を負わせ、後はゆっくりと少女の息の根を止めればいい。
トビはその時を待った。




