永遠の別れ
火鉢の中の炭が、カサリと音を立てる。
しんしんと冷気が忍び込む部屋の中にいるのは、床に就いた枯れ木のように痩せ細った老人と、まだ十を幾つも越えていないような少女のみ。少女はその細い背を真っ直ぐに伸ばし、膝を揃えて老人の枕元に座していた。身じろぎ一つせずに。
と、不意に。
「巴」
枯れ葉が擦れるような声で、老人が少女の名前を呼ぶ。
少女は――巴は、微かに腰を折って、老人に顔を寄せた。サラリと、背を覆う艶やかな黒髪が音を立てて流れる。近づけば、老人から漂う死臭は無視しようもなく、巴のべっ甲飴を溶かしたような目が微かに曇った。
「おじい様?」
軽く首をかしげて、巴は応える。
老人にとって、彼女は、まさに目の中に入れても痛くないほど慈しんできた孫娘だった。八年前に彼女の両親が事故で亡くなって以来、ずっと、その手の中で大事に育ててきた珠だった。
ツッと、老人の眦から雫が一つ零れ落ちる。それは、死にゆく悲しみのものではない。まだ幼い孫娘を、狐狸の蔓延るこの館にただ独りで残していかなければならない悔しさが流させるものだった。
「お前を残して朽ちていくこの身が、呪わしいよ」
「おじい様」
祖父が布団から伸ばした手を、巴が小さな手のひらでそっと包み取る。その指先の冷たさにフルリと震えた身体を、彼女は微かに身じろぎすることでごまかした。
「おじい様。大丈夫です。おじい様に代わって、わたくしがこの小早川の家を確かにお守りいたします。ご心配はお身体に毒です。お心穏やかに養生ください」
「そうではない。そうではないんだよ」
まだ幼いまろやかさの残る声で気丈に言う孫娘に、老人は微かに笑んだ。そうして、震える指先で彼女の温かな手を握り返す。その病で衰えた身体から振り絞った力を込めて。
「家など、たいしたものではないんだよ。実を伴わない家名など、もうどうでもいいのだ」
「おじい様」
巴は声が震えそうになるのを懸命に堪えて、呼ぶ。彼女にとって、この家は祖父そのものだった。祖父がこの家を投げ出すということは、彼がその命を投げ出そうとしているように思えてならない。
「そんなことをおっしゃらないで」
彼の手を握る力を増して、巴は声なく懇願する。
まだ、逝かないでと。
わたくしを置いていかないで、わたくしを独りにしないで、と。
だが、祖父の目に浮かぶものは、どうあっても打ち消すことはできなかった。
「いいかい、巴。よくお聞き。いずれ、家名や何かなどは意味を持たない世の中になる。最早、武家の流れも形骸だけだ。そんなものをいつまでも後生大事に守らんでもいい」
「でも……」
祖父は、大きく息を吸い、そして吐く。
「いいんだよ……お前は、お前が思うように、望むように、いきなさい」
最期の息で囁くようにそう告げて、彼はそれきり口を閉ざす。
「おじい、様……?」
ねだる声で呼んでも、応えはない。
巴は大きな目を更に見開いて、そして、何度か瞬きをする。
――武家の娘は、易々と涙を流してはならないのだ。
彼女は、懸命に自分自身にそう言い聞かせる。けれども、目の奥が痛くてたまらなかった。
父も、母も、祖母も、祖父も、全て逝ってしまった。
これで彼女は、この世で独りきりになったのだ。