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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カラス

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12/60

 誰もいない雪原に佇んで、巴はジッと屋敷のある方向を見つめた。もうずいぶん離れてしまったから、その形を見ることはできない。

 立ちすくむ巴から少し離れたところで、カラスは空を見上げている。まるで、気になるのは天気くらいのものだ、という風情で。


 ――あれから。


 寝巻と薙刀だけで家から出ることになった巴は朽ちかけた廃寺に連れて行かれ、そこに隠れているように言われた。着せ掛けられたカラスの羽織にくるまれて待っていた巴に、戻ってきた彼は一つの包みを突き出したのだ。

「……なんですか?」

「着替えに決まってるだろ。その格好でうろつく気か?」

「いえ……」

 呆れた色を浮かべたカラスの眼差しに、巴は少なからずムッとする。有無を言わさず連れ出したのは、彼の方ではないか。カラスが貸してくれた羽織の下は寝巻一枚だし、足は裸足で草履も履いてない。少し時間をくれたら、身支度くらい、できたのに。

 眉間にしわを寄せた彼女に、何故かカラスは満足そうな顔をする。巴が怒っている時ほど彼が嬉しそうに見えるのは、気の所為ではないと思う。

「……着替えますから」

「ん? ああ、早くしろよ」

 そう言っただけで、カラスは腕を組んで壁に寄り掛かった。

「……申し訳ありませんが、外でお待ちいただけませんか?」

「何で」

「着替えると申しましたでしょう?」

「すりゃいいだろ」

 遠回しでは、通じないのか。噛み合わない会話に、巴はすでに前途多難の予感を覚える。

「殿方の前で服を脱ぐことはできません」

「……めんど臭ぇな」

 心底からそう思っているに違いないその声に、巴は今すぐ屋敷に帰ろうかと、一瞬思った。だが、口ではそう言いながらも、間を置かずにカラスはムクリと身体を起こし、外へと出て行く。


 巴は小さくため息をついて、彼が置いて行った包みを開いた。中から出てきたのは、目が覚めるような華やかな色合いの衣装だ。紅色の地に薄紅の桜を散らした中振りに、これは紫紺の……袴だろうか。裾には繊細なレースが付いているけれど、どう見ても、丈が短いような気がする。膝の上まで届きそうな黒いストッキングに、中振りを飾る桜と同じ色の幅広のリボン。それに、ぽっくり。

 カラスが、これを選んできたのだろうか――これを、巴に着ろというのだろうか?


 こんな目を引く色合いの服など、着たことがない。膝の上に広げたまま途方に暮れる巴に、外から声がかかった。

「まだなのか?」

 それは、確認の言葉を使った督促だ。

「あ、はい! ……ただいま……」

 早くしろと言わんばかりの声音に巴はあたふたと答えると、意を決してそれらを手に取った。そうして、首をかしげながらそれらを身に着けていく。

 着替えを終えておずおずと外に出た巴を、カラスは上から下まで遠慮のない目で眺めまわしてくる。見るばかりで何も言わない彼に、巴はやはりどこかおかしいのだろうかと自分の姿を見下ろした。けれども、これ以外に着付けのしようがない。


「ふうん」

 しばらく経ってようやくカラスが声を発したが、それだけだ。

「あの……これ、少しおかしくないですか?」

「どこが」

「えぇと……袴の丈が短い、というか……色が華やか過ぎるというか……」

 袴の裾を心持ち下に引っ張りながらの巴の台詞に、カラスが眉を片方持ち上げる。

「ああ?」

「わたくしには、そぐっていないのではないでしょうか……」

「あのシケたのより似合ってるだろ」

「そう、でしょうか」

 巴は半信半疑で答えながら、借りていた羽織をカラスに差し出した。彼はチラリとそれに目を走らせると、ばさりと無造作に巴の肩に着せ掛ける。

「行くぞ」

 その短い一言で、カラスはさっさと歩き出した。


 初めてカラスと来た時以来、降雪はなかった。それでも底の厚いぽっくりを履いていても踝まで埋まるほどの雪の中、巴は少し駆け足で彼を追う。ひらけた雪化粧の野原に、二人の足跡だけが残されていく。

 あと数歩、というところまで追いついて、巴はふと立ち止まった。そうして、クルリと踵を返して遠くを眺めやる。

 たぶん、屋敷がある方を。

 キラキラと陽光を反射する雪が眩しくて目を細めてみたけれど、もちろん屋根一つ見えはしない。


 ――これで、良かったのだろうか。


 そんな思いが胸に湧き上がってくる。自分は、祖父の期待を裏切ってしまったのではないだろうか、と。


 ――お前は、お前が思うように、望むように、いきなさい。


 不意に、最期の祖父の言葉が胸によみがえる。


(おじい様は、赦してくださるのかしら)

 祖父が自分に望んでいたのは、何だったのだろう。

 家を守ること……?

 それとも、他の、何か……?


「どこに行きたい?」

 不意に、背後に立っていたカラスが声を発した。物思いを断ち切られ、巴は彼を振り返る。

「どこ、とは……」

「俺は別にどこでもいいから、お前が行きたいところに行ってやるよ」

 そう言われても、彼女は生まれてこの方、遠出などしたことがない。

「判りま、せん……」

「はあ?」

 戸惑いながらそう答えた巴に、カラスは呆れたような眼差しを投げてきた。けれど、急に連れ出されて、唐突にそんなことを訊かれても、答えられるわけがないではないか。

 巴はムッと口を尖らせて、反論する。

「私は屋敷の外のことは、よく存じませんから」

「威張って言うことかよ、それ。……なら、思い付いたら、言えよ」

 そう言うと、彼はまたさっさと歩き出してしまう。


 ――勝手な、人。


 内心でそう文句を言って、巴はもう一度振り返った。この薙刀の他は、全てを置いてきてしまった場所を。


 一度目を閉じ、開ける。


 そうして、踵を返し、黒い鳥の名を持つ人の後を追った。


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